東京湾から最後の夜景を、
私はクルーザーの船首楼甲板で眺める。
暗い鉛色の海と、夜暗を消し飛ばすほどに
赫灼と輝く街の空は、その狂気に照らされる。
この景色ともしばらくはお別れとなる。
10年で東京は変わった。
肉や魚、卵さえも取り扱わない、
東京は世界初の『キレイな街』と称された。
初夏の夜風はまだ肌寒く、
昼の熱を帯びた海水の匂いは慣れずに鼻に残る。
手にしていたピンクゴールドのシャンパンを、
グラスから海に捨てて夜景に別れを告げた。
船室には6枚のモニタが並べられている。
都内の街角に設置した防犯カメラは、
夜店を行き交う人々の日常を切り取る。
0時、日付の変更と共に日常は崩壊する。
慌てふためき、逃げ惑う人々。
混乱が混乱を感染させる。
この街は狂っていた。
――――――――――――――――――――
両親の死は私にとっての最初の転機だった。
他国に比べて治安がよいとされるこの街で、
強盗に遭ったと知らされ、信じられなかった。
たった十数万の所持金と、
カード目当てにふたりの命が奪われた。
ふたりの早逝で遺されたものは、
生家とかけられた保険金、それから莫大な資産。
父は資産家であった。
そんな父の遺産の説明を受けたところで、
聞き流すぐらいに私は生きる気力さえも
喪失していた。
毎年私の誕生日を祝う両親はいなかったが、
ソーシャルネットの人々が私の成人を祝福した。
両親が始めたSNSのアカウントは、
両親と共に私の成長の記録が残っていた。
取り残されて絶望していた私を、
ささえたのがSNSだった。
SNSに接続すれば、顔も知らない相手から
様々な反応が得られた。
私はSNSを頼りに生活をする。
SNSでの活動は日々の食事写真、
それから自分の体型を管理・記録する為の自撮り。
都内に防犯カメラや自動散水消火設備を増設。
動物保護に関心を向け、寄付や出資の報告した。
これらは両親がやっていたことのマネに過ぎない。
天国から両親が私のことをSNSを通じて、
見ていてくれればいいなと常々思う。
そんな些末な行動ひとつで、
多方面から礼賛を受ける。
友人は増え、いくつかのコミュニティに招かれた。
一部からは熱心な啓蒙的メッセージも届いたが、
そのほとんどが罵詈雑言の汚いポエムだった。
私はあるとき体調を崩した。
原因不明の腹痛、吐き気と倦怠感、
それから月経不順などがあり医者に相談した。
『小腸内細菌異常増殖症』と診断された。
とにかく呼びにくい病名だった。
略してS IBOと呼ばれた病気の原因は、
私の食生活に問題があった。
母は健康意識の高い完全菜食主義であった。
亡き母をマネた私は動物由来の食事を避けて、
野菜と果物のみの食生活を心がけたが、
健康とは真逆の結果を私に与えた。
栄養指導を受けて私は少しずつ食生活を改め、
乳製品を口にし、卵料理をはじめ、
動物性脂肪の摂取をした。
長年の習慣によって抵抗はあったが、
自分の健康を自分で考え、魚や肉料理を食べた。
すぐ両親の元に行ったら、
きっと残念な顔をするから。
しばらくは拒否感で身体が濁るような
奇妙な感覚があったけれども、指導を受けた
甲斐もあり体調は回復していった。
私は自分の健康状態をSNSで両親に伝えた。
「動物虐待。」「サギ師。」「偽善者。」
「動物を殺すな!」「徹底的に追い込んでやる。」
SNSに貼った食事の写真から、
これまで届いていた罵詈雑言のポエムは、
脅迫まがいの文言へと変わった。
食生活ひとつで、友人だと
思っていた人たちが手のひらを返す。
私の元から去るのならそれでもよかった。
だが友人たちは私に敵意を向け始めた。
私の生活を晒し、あげつらい、
追いかけ回し、隠し撮りを行った。
幾人かは私の訴えで逮捕もされたが
逮捕者を出しても抑止にはならず、
自宅の敷地に侵入を試みるなど、
過激な行動に出るものまで現れた。
それは私の資産が暴かれたせいでもある。
SNS上のトラブルに警察はすぐに対応できず、
暴徒の襲撃によって、私は両親が遺した生家を
手放すことを余儀なくされた。
警察が対応できないとわかれば、
暴徒は勢いを収めることもなく対象を変える。
街の小さな精肉屋を襲った。鮮魚屋を襲った。
ペットショップを襲った。動物園を襲った。
弱い相手に大群で押し寄せて襲えば、
報復の心配はないとする卑怯な手口だった。
動物の即座の解放を謳い、
暴徒は自らの犯行に正当性を主張した。
だがかれらが普段食している無農薬野菜などは、
土の栄養を奪う草やほかの植物に限らず、
虫や獣など害為す動物に対して容赦しない。
動物であれ作物であれ、あらゆる食物は
生物の犠牲の上に成り立つ。
多くの人は当然それを理解している。
それにも関わらず暴動と略奪が続いた。
なぜ、そんなことをするのかと言えば簡単だ。
そうした方がラクだからだ。
道を歩く夫婦を襲って、
十数万を奪った事例と差はない。
社会に混乱を与えるその光景は、
まるで害獣そのものだった。
暴徒はますます拡張を続け、市場を荒らし、
略奪し、奪われた者が奪う側へと立場を変える。
そうした市民の暴動によって条例が生まれた。
東京は狂っていた。
肉や魚、卵はすべて店頭から消えて、
都合のよいキレイな街へと変化を遂げる。
世界で初めての、完全菜食主義の街
として宣言がなされた。
しかし裏では、常食としていた卵や肉類を
警察や議員、都の職員らが高値で取引が横行する。
防犯カメラの監視下で厳しい罰則が設けられた。
毒を溜め込んだこの街で、
病気を発症するのは時間の問題だった。
――――――――――――――――――――
10年で東京は変わった。
完全菜食主義者たちの街。
私が変えてしまったわけではない。
かれらが自発的に社会に変化を求めた
結果に過ぎない。
東京湾で、私はクルーザーの船室から、
モニタに映された防犯カメラの映像を眺める。
人、ひと、ヒト。
走って逃げる人。
ひとを押しのけ、押し倒し、転ぶヒト。
逃げる人を追いかけるブタが映った。
ブタは1頭だけではない。
ブタは道路を埋め尽くし、人を襲った。
どのカメラにブタが映り込む。
『キレイな街』に不釣り合いな、
ブタの姿を目にして私は頬を緩ませた。
ブタを放ったのは私だ。
薄橙、白、茶、黒毛のブタが人を襲う。
飢えたブタは体当たりをして人を倒し、
歯で服や皮膚を破り、噛み、食らう。
都内に迷入した1頭のイノシシでさえ、
警察は即座に対応できない。
放ったブタは10や20程度の数ではない。
夜中に現れた100万頭のブタ。
当然、警棒ひとつで倒せる相手でもない。
素早く動く標的を相手に
気軽に拳銃を発砲もできない。
狙いを外せば民衆に被害が及ぶ。
警察は夜中に大量の獣が現れて人を襲うなど、
想定しているはずもない。
銃社会であったとしても、
災害大国であったとしてもそれは同じだ。
獣を相手に、警察は機能しない。
交通規制の掛からない混乱の間を狙い、
自動制御した運搬車で都内に運び入れる。
ブタは全て輸入で、ヨーロッパ、南北アメリカ、
それからオセアニアなど世界各地から買い寄せた。
父の所有していた複数のダミー会社を経由し、
そこからさらに過激派団体の名義を拝借する。
都内の貸し倉庫や空きビルに保管して、
日付の変更と共に飢えたブタを一斉に放つ。
設置させた自動散水消火設備は、
飢えたブタたちの喉を潤す役に立った。
暴徒のちんけな略奪など比ではない。
阿鼻叫喚の地獄絵図がモニタに映し出される。
自動ドアのガラス扉を破り、階段を駆け上がり、
正面から車にぶつかろうとも、
飢えたブタの津波を止めることはできない。
ひとつの主要都市が、
ブタという家畜によって機能不全を起こす映像を、
世界中にライブ配信した。
これが、かれらの望んだ動物の真の解放だ。
他の動物を狩り、家畜とした長い歴史を、
その全てを元通りにする機会を私が与えた。
栄えたる都市、キレイな街。
狂っているのはこの街か――、
それとも私かもしれない。
(了)
私はクルーザーの船首楼甲板で眺める。
暗い鉛色の海と、夜暗を消し飛ばすほどに
赫灼と輝く街の空は、その狂気に照らされる。
この景色ともしばらくはお別れとなる。
10年で東京は変わった。
肉や魚、卵さえも取り扱わない、
東京は世界初の『キレイな街』と称された。
初夏の夜風はまだ肌寒く、
昼の熱を帯びた海水の匂いは慣れずに鼻に残る。
手にしていたピンクゴールドのシャンパンを、
グラスから海に捨てて夜景に別れを告げた。
船室には6枚のモニタが並べられている。
都内の街角に設置した防犯カメラは、
夜店を行き交う人々の日常を切り取る。
0時、日付の変更と共に日常は崩壊する。
慌てふためき、逃げ惑う人々。
混乱が混乱を感染させる。
この街は狂っていた。
――――――――――――――――――――
両親の死は私にとっての最初の転機だった。
他国に比べて治安がよいとされるこの街で、
強盗に遭ったと知らされ、信じられなかった。
たった十数万の所持金と、
カード目当てにふたりの命が奪われた。
ふたりの早逝で遺されたものは、
生家とかけられた保険金、それから莫大な資産。
父は資産家であった。
そんな父の遺産の説明を受けたところで、
聞き流すぐらいに私は生きる気力さえも
喪失していた。
毎年私の誕生日を祝う両親はいなかったが、
ソーシャルネットの人々が私の成人を祝福した。
両親が始めたSNSのアカウントは、
両親と共に私の成長の記録が残っていた。
取り残されて絶望していた私を、
ささえたのがSNSだった。
SNSに接続すれば、顔も知らない相手から
様々な反応が得られた。
私はSNSを頼りに生活をする。
SNSでの活動は日々の食事写真、
それから自分の体型を管理・記録する為の自撮り。
都内に防犯カメラや自動散水消火設備を増設。
動物保護に関心を向け、寄付や出資の報告した。
これらは両親がやっていたことのマネに過ぎない。
天国から両親が私のことをSNSを通じて、
見ていてくれればいいなと常々思う。
そんな些末な行動ひとつで、
多方面から礼賛を受ける。
友人は増え、いくつかのコミュニティに招かれた。
一部からは熱心な啓蒙的メッセージも届いたが、
そのほとんどが罵詈雑言の汚いポエムだった。
私はあるとき体調を崩した。
原因不明の腹痛、吐き気と倦怠感、
それから月経不順などがあり医者に相談した。
『小腸内細菌異常増殖症』と診断された。
とにかく呼びにくい病名だった。
略してS IBOと呼ばれた病気の原因は、
私の食生活に問題があった。
母は健康意識の高い完全菜食主義であった。
亡き母をマネた私は動物由来の食事を避けて、
野菜と果物のみの食生活を心がけたが、
健康とは真逆の結果を私に与えた。
栄養指導を受けて私は少しずつ食生活を改め、
乳製品を口にし、卵料理をはじめ、
動物性脂肪の摂取をした。
長年の習慣によって抵抗はあったが、
自分の健康を自分で考え、魚や肉料理を食べた。
すぐ両親の元に行ったら、
きっと残念な顔をするから。
しばらくは拒否感で身体が濁るような
奇妙な感覚があったけれども、指導を受けた
甲斐もあり体調は回復していった。
私は自分の健康状態をSNSで両親に伝えた。
「動物虐待。」「サギ師。」「偽善者。」
「動物を殺すな!」「徹底的に追い込んでやる。」
SNSに貼った食事の写真から、
これまで届いていた罵詈雑言のポエムは、
脅迫まがいの文言へと変わった。
食生活ひとつで、友人だと
思っていた人たちが手のひらを返す。
私の元から去るのならそれでもよかった。
だが友人たちは私に敵意を向け始めた。
私の生活を晒し、あげつらい、
追いかけ回し、隠し撮りを行った。
幾人かは私の訴えで逮捕もされたが
逮捕者を出しても抑止にはならず、
自宅の敷地に侵入を試みるなど、
過激な行動に出るものまで現れた。
それは私の資産が暴かれたせいでもある。
SNS上のトラブルに警察はすぐに対応できず、
暴徒の襲撃によって、私は両親が遺した生家を
手放すことを余儀なくされた。
警察が対応できないとわかれば、
暴徒は勢いを収めることもなく対象を変える。
街の小さな精肉屋を襲った。鮮魚屋を襲った。
ペットショップを襲った。動物園を襲った。
弱い相手に大群で押し寄せて襲えば、
報復の心配はないとする卑怯な手口だった。
動物の即座の解放を謳い、
暴徒は自らの犯行に正当性を主張した。
だがかれらが普段食している無農薬野菜などは、
土の栄養を奪う草やほかの植物に限らず、
虫や獣など害為す動物に対して容赦しない。
動物であれ作物であれ、あらゆる食物は
生物の犠牲の上に成り立つ。
多くの人は当然それを理解している。
それにも関わらず暴動と略奪が続いた。
なぜ、そんなことをするのかと言えば簡単だ。
そうした方がラクだからだ。
道を歩く夫婦を襲って、
十数万を奪った事例と差はない。
社会に混乱を与えるその光景は、
まるで害獣そのものだった。
暴徒はますます拡張を続け、市場を荒らし、
略奪し、奪われた者が奪う側へと立場を変える。
そうした市民の暴動によって条例が生まれた。
東京は狂っていた。
肉や魚、卵はすべて店頭から消えて、
都合のよいキレイな街へと変化を遂げる。
世界で初めての、完全菜食主義の街
として宣言がなされた。
しかし裏では、常食としていた卵や肉類を
警察や議員、都の職員らが高値で取引が横行する。
防犯カメラの監視下で厳しい罰則が設けられた。
毒を溜め込んだこの街で、
病気を発症するのは時間の問題だった。
――――――――――――――――――――
10年で東京は変わった。
完全菜食主義者たちの街。
私が変えてしまったわけではない。
かれらが自発的に社会に変化を求めた
結果に過ぎない。
東京湾で、私はクルーザーの船室から、
モニタに映された防犯カメラの映像を眺める。
人、ひと、ヒト。
走って逃げる人。
ひとを押しのけ、押し倒し、転ぶヒト。
逃げる人を追いかけるブタが映った。
ブタは1頭だけではない。
ブタは道路を埋め尽くし、人を襲った。
どのカメラにブタが映り込む。
『キレイな街』に不釣り合いな、
ブタの姿を目にして私は頬を緩ませた。
ブタを放ったのは私だ。
薄橙、白、茶、黒毛のブタが人を襲う。
飢えたブタは体当たりをして人を倒し、
歯で服や皮膚を破り、噛み、食らう。
都内に迷入した1頭のイノシシでさえ、
警察は即座に対応できない。
放ったブタは10や20程度の数ではない。
夜中に現れた100万頭のブタ。
当然、警棒ひとつで倒せる相手でもない。
素早く動く標的を相手に
気軽に拳銃を発砲もできない。
狙いを外せば民衆に被害が及ぶ。
警察は夜中に大量の獣が現れて人を襲うなど、
想定しているはずもない。
銃社会であったとしても、
災害大国であったとしてもそれは同じだ。
獣を相手に、警察は機能しない。
交通規制の掛からない混乱の間を狙い、
自動制御した運搬車で都内に運び入れる。
ブタは全て輸入で、ヨーロッパ、南北アメリカ、
それからオセアニアなど世界各地から買い寄せた。
父の所有していた複数のダミー会社を経由し、
そこからさらに過激派団体の名義を拝借する。
都内の貸し倉庫や空きビルに保管して、
日付の変更と共に飢えたブタを一斉に放つ。
設置させた自動散水消火設備は、
飢えたブタたちの喉を潤す役に立った。
暴徒のちんけな略奪など比ではない。
阿鼻叫喚の地獄絵図がモニタに映し出される。
自動ドアのガラス扉を破り、階段を駆け上がり、
正面から車にぶつかろうとも、
飢えたブタの津波を止めることはできない。
ひとつの主要都市が、
ブタという家畜によって機能不全を起こす映像を、
世界中にライブ配信した。
これが、かれらの望んだ動物の真の解放だ。
他の動物を狩り、家畜とした長い歴史を、
その全てを元通りにする機会を私が与えた。
栄えたる都市、キレイな街。
狂っているのはこの街か――、
それとも私かもしれない。
(了)