「ここにもいないか」

 何件目かになるゲームセンターから出るとどっと疲れが襲ってくる。様々な音が大音量で鳴り響く店内は俺の体力を容赦なく奪っていった。今も耳の奥で音が鳴っている錯覚に見舞われる。

「さっきも話したが支倉がこんなところにいる可能性は引くと思うけど」

 ちなみに捜索範囲は大きく広がり、電車を乗り継いで大勢の人で賑わう駅を何個も降りた。

「そうか? 案外気を紛らわす為にいるかもしれないだろ」

 様々な人が行き来するこの場所は身を隠すには申し分ない場所に思えるが、気を紛らわすには賑やかすぎる。

「四日も家に帰っていないならどこか宿泊ができる場所で隠れている可能性の方が高いと思うが」
「なるほど。誰か友達の家に泊めてもらっているのかもしれないな」

 友達の家に泊まっているのならここまで大事にはならないだろう。

 さっきからこの調子だ。仙都は俺の話を全く聞き入れようとしない。

 支倉が自殺を選択する可能性を示しても、彼女はそんな愚かな選択はしない、の一点張りだった。

 
 糸杉はこうなることを見越していたから仙都と行動を共にすることを嫌った。俺は体よく押し付けられということだ。

「支倉と仲の良かった子の連絡先は知らないな」

 つぶやきながらスマートフォンをいじる仙都からは緊張を感じられない。どこか他人事もしくは事態を軽く考えているように見える。

「今日はもう帰ろう。仙都も部活で疲れているだろ」

 このまま二人で探しても時間を無為に失うだけ。実際にかなりの時間を失っている。

 あと少しすれば警察に補導される時間になる。そうなれば支倉がこんなところをうろついている可能性はもっと低くなる。

「いや、オレはもう少し探すよ。先に見つけられたら困るからな」

 目的もなく歩きながら周りに目を配る仙都は糸杉への対抗心を隠そうとはしない。こんなに意地を張っている仙都は珍しいけれど、目的を違えている。

「支倉を見つけた後どうする気なんだ?」
「もし彼女が愚かな選択をしようとしているのなら全力で止めるよ」
「どうやって?」
「どうするかな。そんなことは見つけてから考えればいいだろ」

 実際、仙都はそうやって昔から難なく様々な問題をこなしてきた。しかし今回はどうだろうか。人の感情は行き当たりばったりで正解にたどり着くことは難しい。

 全てを抱えこんでしまう支倉ならば尚更だ。

 こういう相手には糸杉のような乱暴な方法の方がいいのかもしれない。

 どうして俺はあいつの肩を持つようなことを考えているのだろう。

「支倉がここまで追い詰められた理由に心当たりはないのか?」
「ないな。そこまで仲が良かったわけじゃないし」

 まるでちょっとした知り合い程度の言い方をする仙都に違和感を覚える。

 周りを気にして照明も付けず薄暗い教室で話していた二人の雰囲気は世間話をしているようには思えなかった。何か重要な話をしていたんじゃないのか。

「じゃあ、あの日は支倉と何を話していたんだ?」

 立ち止まって問いただす俺に仙都は背中を向けて淡々と答える。

「ただ話を聞いただけだ」
「どんな話を?」
「それは彼女のプライバシーの為に話すわけにはいかないな。周りに言いふらすような内容でもないし、彼女はオレにだけ話してくれたんだ」
「だったらなんで何もしなかったんだ?」

 責めたつもりはなかったけれど、結果的に責めたようになってしまう。

 仙都は瞠目するも、すぐにそれを隠すように薄い笑みを顔に張り付ける。

 口から出てしまった言葉をなかったことにすることにはできず、さらに言葉を続ける。

「支倉は仙都に助けを求めたんじゃないのか?」

 歩道の真ん中で立ちどまった俺たちを邪魔そうにして人の波がよけていく。

「まさかこんなことで責められるとはな」

 仙都は全く気に掛ける様子を見せずに快活に笑う。

「ごめん」
「謝る必要なんてないよ。事実だし」

 ビルのネオンを見上げる仙都の横顔は全てを諦めたような表情を浮かべて、どこか糸杉と似ているようにも見えた。

「聡、変わったな」
「どこが?」
「こんなに感情を表に出すタイプじゃなかっただろう」

 指摘されて気が付く。最近は落とした物を一つ一つ拾い集めるようにもとに戻りつつある。だけどそれは落としたわけじゃない。捨てたんだ。俺に必要なのは罪の意識だけでその他の感情は必要ない。

「これは頼まれたことだからだよ。引き受けた以上はちゃんとこなしたい」

 建前だけを述べて誤魔化そうとするけれど、うまく言い訳が出来ない。

「それだけだったら人を庇って殴られるなんてことしないだろ」

 確信を付かれた俺は思わず息を飲む。自分でも気づかないふりをしていた。あの行動の意味は、目的は、感情は、そのどれも俺の中に正解が思いつかない。

「お前は演じる必要なんてなんだよ」

 仙都の言葉に声が出なくなる。犯行を見抜かれた犯人はもしかしたらこんな気持ちなのかもしれない。

「聡は先に帰っていいぞ」

 会話を一方的に断ち切って仙都は喧騒に消えていく。

 追いかけることもできたけれど、再び痛み出した頬が何かを訴えかけているように感じてあの場所へと足を向けた。



 電車に揺られ町に戻ってきた俺は支倉を探すこともせずにバスに揺られてあの場所へと向かう。

 静まり返った公園のベンチで楓は曇って真っ黒な色の空を眺めていた。

 その姿を見つけて心の底からほっとする。

「また、夜に会ったね」

 昼も夕も夜も関係なしに楓の笑顔は変わることなく明るい。

「この頃はいろいろと忙しくて、体力的にもつらいよ」

 ぼやきながら隣に座ると楓は俺の頬の様子に気づいたようで目を丸くする。

「聡くんそれどうしたの?」

 俺は包み隠さず格好悪いところも全て楓に話す。

 話を聞いている間の楓は何度も確かめるように相槌を打ってその度に嬉しそうにしていた。

「ちゃんとその子を守ってあげられたんだね」
「俺が守ったのは向こうの方だよ」
「そうだね。相手の方も守ってあげたんだよね」

 笑った楓が首を傾げると揺れた髪から甘い香りが漂ってくるような気がする。

「ここ最近の聡くんは変わったね。もちろん良い方向に」

 ここでも同じ指摘をされる。別に変りたいと願ったわけじゃない。寧ろ変わりたくなんてない。変わってしまったら自分が犯した過ちが過去になってしまう気がして、誰からも責められないまま終わってしまうなんて許されることじゃない。

「それより楓はなにかして欲しい事ってないのか? 行きたい場所とか、やりたいこととか」

 嬉しそうに微笑んでいた表情を影のある笑いに変えて考えるような仕草をする。

「聡くんはさ、人ごみとか苦手だよね」
「そんなことはない。少し疲れるだけだ」
「それを苦手って言うの」

 不満げな声を漏らしながら、楓はジャングルジムへと駆け寄りあっという間に天辺まで上る。

 ひらひらとスカートが風に揺られる。こういう無防備なところは変わらない。

「私にこんなことを言う資格はないんだけどさ」

 真っ暗な夜空を背景に街灯の光を浴びた楓の髪は仄かに赤く煌めき、その表情はこちらからは伺うことが出来ない。けれどもあまり良い表情ではないだろう。

 震えた声がそう思わせる。

「聡くんはもっと自分のしたいことに時間を割くべきだよ」

 視線が合わなくても清らかな水のように澄んだ声はしっかりとこちらに届く。

 そんな事を言わないでほしい。

「楓の喜ぶ顔が見たいっていうのは駄目なのか?」

 ジャングルジムの天辺で空を見上げる楓は遠くに飛んで行ってしまいそうだった。

「それは……」

 言葉を探す楓の頭上を一枚の枯れ葉が横切って行く。それを見送ってから楓はこちらに視線を戻した。

「本当に聡くんのしたいこと?」

 無防備なくせに核心を突くことばかり言う。

「これは俺の」


――しなくちゃいけない事なんだ――


「俺の……やりたいことだよ」

 あやうく口を衝いて出そうになり、無理やり誤魔化した。これを言ってしまったらきっと、この関係は終わりを迎えてしまう。終わりにするにはまだ俺は何もしていない。いつか終わりが来る。その時まで俺の時間を楓の為に使わなくてはならないんだ。

 こんなことでは返せない程の事を俺は楓にしたのだから。

「私は私以外の誰かに一生懸命になってる聡くんが見られたら凄くうれしいけどな」
「楓以外の奴……」

 ふと糸杉の顔が思い浮かぶ。

「私以外にもいるでしょ」

 あいつは今も一人で支倉を探して街を歩き回っているだろう。目的の為ならば自分を平気で犠牲に出来る奴だ。しかし、その行動は純粋な気持ちからではない。糸杉は支倉がどうなろうが別に構わないのだろう。

 俺も同じようなものだ。

 だからこそ、あいつの目的が何なのかがわからない。

「そんな奴いないよ」
「本当に? いま思い浮かんだんじゃないの?」

 楓に嘘が通じないことは昔からわかりきっている。どういうわけか楓は俺の嘘を簡単に見抜いてしまえる。

「別に助けたいとかじゃない。気になるだけだ」
「気になる……ね」

 楓はジャングルジムから飛び降りると笑顔を綻ばせてこちらに近寄ってくる。

「気になる。私も気になるよ」

 興奮気味に詰め寄る楓はおもちゃを見つけた猫のように目が光っている。

「勘違いするなよ。そういう意味の気になるじゃなくて」

 言葉を重ねれば重ねるだけ誤解が深まっていく。

「わかってる。聡くんはその人の力になってあげたいんだね」

 全然わかっていない。けれどこれ以上の言葉は無為に傷口を広げるだけだ。

「行ってきなよ。その人のところへ」
「そういうのじゃないから。それに望んでいないだろうし」
「だったら行方不明の子は見捨てるの?」

 そんなことどうでもいい。以前の俺ならすぐにそう答えられていた。

 変わってしまっていないことを確かめたくてここに来たのに結局変わってしまった自分を自覚させられる。

「自分がどうしたいか。それが大事だよ」

 本当は何がしたいのか。考えても未だにわからない。ただ、わからないで済ませてはならないことはわかっている。

 してほしいことだけははっきりしている自分に嫌気がさす。

 いつまでもベンチに張り付いたままでいる俺に楓が手を叩いて提案する。

「聡くんは気になってるその子の力になって行方不明の子を見つけるの。そしてその子も助ける。これは私からの命令」
「命令か」

 ここまで言わせなければ動けないなんて、俺の情けなさは昔から何も変わっていない。

「それから私の事も忘れてくれるといいかな」

 そっと風に乗せるように楓は呟くと、力なく微笑んで公園の外へと出ていく。

「それだけは無理な命令だな」

 ベンチから立ち上がったタイミングを見計らったようにポケットに入れたスマートフォンがアラートを鳴らす。

 それは後数分に黒く重たい空から雨が降ることを告げていた。