雨は苦手だ。
何もかもが洗い流されてしまうようで、無かったことにされてしまう気がするからだ。
閉めたカーテンの隙間から午後の陽光が差し込んでくる。
昨夜から今朝にかけて降り続いた雨は正午前にようやく止んだ様子で、外から雀の囀りが聞こえてくる。
くたくたの参考書を閉じると、それを鞄にしまい身支度を整えて自室を出る。
あの日から、俺は雨にあたると体調を崩してしまう。
医者が言うには身体的な問題ではなく精神的な問題であるらしい。
当時は雨に濡れると何か得体のしれないものに絡めとられたように身体が硬直し、次の瞬間には胃の中身を吐き出してしまうほどであった。
医師には次第に良くなるから焦る必要はないと言われているし、学校側も理解を示して、出される課題をこなせばある程度の欠席は免除してくれている。
あれからもう三年。本当は既に治っているのかもしれない。
体調の変化など気のせいで、雨の日に外に出たところで発作なんて起こらず普通の人と同じように過ごせるのかもしれない。
試したことはないが最近ではそんな気がしている。
それならば何故今日もこうして雨が止むまで待って居ていたのかといえば、 発作が起こらなくなったと時、三年前の事故は過去の出来事にしてしまう気がしているからだ。
あの事故を過去の出来事にするには、まだ何も受け入れられていない。
俺は優しすぎる世間に甘えている。自分で立てる足がありながらも、支えてくれる人達に寄りかかり、そんな環境を変えることを拒んでいる。
三年前から俺は根性なしなのだ。
わかっていても変わることは容易ではない。
頭の中で堂々巡りを繰り返しながら一階フロアへと降りる。
居間を抜けて甘いシャンプーの香りが漂う扉を開く。
「あら? 学校行くの?」
客の洗髪中である母が息子の登場に驚いた声を上げる。
「雨止んだから」
努めて普通に柔らかい口調で話す。
こういうことはこの三年でうまくなった。
「そう……行ってらっしゃい。無理しないでね」
「行ってきます」
まるでお菓子の国のようにカラフルな容器やインテリアが施された店内を抜けていく。もちろん、客への挨拶も忘れない。
「あれ? 学校行くのか」
待合席で客とゴルフ談議に花を咲かせていた父がようやく俺の存在に気づく。
「雨止んだから」
先ほどと同じ会話をしながら何となしにつけっぱなしのテレビに視線を移す。
『昨日、黒田根市北区の路上で女子高生が道路に飛び出し跳ねら』
途端、チャンネルは切り替わり芸能人がとある街を散策する映像が流れる。
「最近、こういう番組流行ってるよね。うちにも来ないかな」
客と世間話に再び花を咲かせる父を見るが特に変わった様子はない。きっと、無意識にしたのだろう。
「仕事しないとまた小遣い減らされるよ」
「それは困っちゃうな。それじゃそろそろ、散髪しますか」
父に仕事を促してから家を出る。扉に設置されたカウベルが今日も小気味よい音を立てた。
音霧家の一階は両親が経営する理髪店になっている。主婦層や、ご老人に向けに開いた店が近隣住民に受けてそれなりに繁盛している。
ちなみに理髪店と聞くと赤白青のラインが入ったサインポールが店先に立っている床屋をイメージするだろうが、店の外観はチョコレートケーキのようなブラウンの壁にオリジナルのインテリアを施した小洒落たものになっている。もちろん、赤・白・青の縞模様が目印のサインポールも立っている。これがなければここを理髪店とは誰も思わないだろう。
俺の周りの環境は恵まれている。
三年前のあのことがなければ、俺はこの店を継ぐことを考えて毎日前向きに生きているはずだったし、彼女の髪を切る日だってあったかもしれない。
アスファルトにできた水溜りに映る自分の顔を見つめる。
一枚の枯れ葉が躍るように落ちて行き、映った自分の顔を大きく歪ませた。
あれから三年。季節は移ろい、外見も少し大人びた。それなのに俺は同じところを今も廻っている。
こんな未来は誰も望んでいなかった。しかし、これが現実である。受け入れる時期はとっくに過ぎている。
何もかもが洗い流されてしまうようで、無かったことにされてしまう気がするからだ。
閉めたカーテンの隙間から午後の陽光が差し込んでくる。
昨夜から今朝にかけて降り続いた雨は正午前にようやく止んだ様子で、外から雀の囀りが聞こえてくる。
くたくたの参考書を閉じると、それを鞄にしまい身支度を整えて自室を出る。
あの日から、俺は雨にあたると体調を崩してしまう。
医者が言うには身体的な問題ではなく精神的な問題であるらしい。
当時は雨に濡れると何か得体のしれないものに絡めとられたように身体が硬直し、次の瞬間には胃の中身を吐き出してしまうほどであった。
医師には次第に良くなるから焦る必要はないと言われているし、学校側も理解を示して、出される課題をこなせばある程度の欠席は免除してくれている。
あれからもう三年。本当は既に治っているのかもしれない。
体調の変化など気のせいで、雨の日に外に出たところで発作なんて起こらず普通の人と同じように過ごせるのかもしれない。
試したことはないが最近ではそんな気がしている。
それならば何故今日もこうして雨が止むまで待って居ていたのかといえば、 発作が起こらなくなったと時、三年前の事故は過去の出来事にしてしまう気がしているからだ。
あの事故を過去の出来事にするには、まだ何も受け入れられていない。
俺は優しすぎる世間に甘えている。自分で立てる足がありながらも、支えてくれる人達に寄りかかり、そんな環境を変えることを拒んでいる。
三年前から俺は根性なしなのだ。
わかっていても変わることは容易ではない。
頭の中で堂々巡りを繰り返しながら一階フロアへと降りる。
居間を抜けて甘いシャンプーの香りが漂う扉を開く。
「あら? 学校行くの?」
客の洗髪中である母が息子の登場に驚いた声を上げる。
「雨止んだから」
努めて普通に柔らかい口調で話す。
こういうことはこの三年でうまくなった。
「そう……行ってらっしゃい。無理しないでね」
「行ってきます」
まるでお菓子の国のようにカラフルな容器やインテリアが施された店内を抜けていく。もちろん、客への挨拶も忘れない。
「あれ? 学校行くのか」
待合席で客とゴルフ談議に花を咲かせていた父がようやく俺の存在に気づく。
「雨止んだから」
先ほどと同じ会話をしながら何となしにつけっぱなしのテレビに視線を移す。
『昨日、黒田根市北区の路上で女子高生が道路に飛び出し跳ねら』
途端、チャンネルは切り替わり芸能人がとある街を散策する映像が流れる。
「最近、こういう番組流行ってるよね。うちにも来ないかな」
客と世間話に再び花を咲かせる父を見るが特に変わった様子はない。きっと、無意識にしたのだろう。
「仕事しないとまた小遣い減らされるよ」
「それは困っちゃうな。それじゃそろそろ、散髪しますか」
父に仕事を促してから家を出る。扉に設置されたカウベルが今日も小気味よい音を立てた。
音霧家の一階は両親が経営する理髪店になっている。主婦層や、ご老人に向けに開いた店が近隣住民に受けてそれなりに繁盛している。
ちなみに理髪店と聞くと赤白青のラインが入ったサインポールが店先に立っている床屋をイメージするだろうが、店の外観はチョコレートケーキのようなブラウンの壁にオリジナルのインテリアを施した小洒落たものになっている。もちろん、赤・白・青の縞模様が目印のサインポールも立っている。これがなければここを理髪店とは誰も思わないだろう。
俺の周りの環境は恵まれている。
三年前のあのことがなければ、俺はこの店を継ぐことを考えて毎日前向きに生きているはずだったし、彼女の髪を切る日だってあったかもしれない。
アスファルトにできた水溜りに映る自分の顔を見つめる。
一枚の枯れ葉が躍るように落ちて行き、映った自分の顔を大きく歪ませた。
あれから三年。季節は移ろい、外見も少し大人びた。それなのに俺は同じところを今も廻っている。
こんな未来は誰も望んでいなかった。しかし、これが現実である。受け入れる時期はとっくに過ぎている。