「もうこんな時間なんですね」
「悪いな。こんな時間まで付き合わせて」
「何を言ってるんですか。付き合わされているのは音霧先輩の方ですよ」
小紫は無垢な笑顔を振りまいて隣を歩く。
糸杉の言う通り店を出てまもなくして雨が降り始めた。コンビニで買ったビニール傘には霧吹きのような細かい雨粒が音もなく張り付いていく。
帰宅時間帯と重なったため人通りが多く後ろを付けられていても気づくことは難しい。糸杉に考えがある様子だったが今のところ明確な指示はない。とりあえず俺は小紫を自宅まで送り届ければいいのだろう。
「そういえば糸杉先輩はどこにいるのでしょうか?」
「さあな。案外近くにいるかもしれないぞ」
俺たちの会話を聞いていたかのように、糸杉からメッセージが届く。
『私の指示に躊躇なく従える?』
今更それを聞くのか。いったい俺に何をさせようというのだろうか。
『従わなかったら後が怖いからな』
『人を悪魔みたいに言わないでよ』
悪魔の方がまだ優しい気がする。
こちらがメッセージを受信してから間髪入れずに指示が送られてくる。俺がどう答えようと送る気だったのだろう。わかっていたことだが、もとから俺に拒否権はない。
糸杉から送られてきたメッセージを見て思わず眉を顰める。
いったい何のためにこんなことをする必要があるのか。
「どうかしました?」
指示の内容を見られないように咄嗟にスマホをポケットにしまう。
「ちゃんと後ろにいるらしい」
不安そうにこちらをのぞき込む小紫は俺がこれから何をしようとしているのかを知る由もない。
まるでこの指示は糸杉から俺に対する挑戦のように思えた。
糸杉が監視するように俺をあの目で見ていることは後ろを振り返って確認するまでもない。
別に楓の件を握られているからと言って、すべての事に従わなくてはならないわけではない。糸杉の指示を実行してしまえば俺は後には引けなくなる上に楓に合わせる顔がなくなってしまう。
糸杉の指示に従うふりをして、歩幅を調節して歩く速度を落としていく。
渡ろうとしている信号は点滅し始め周りの人々は急いで渡ろうと速度を上げていく。俺はその波に逆らうように歩道と道路の際、その一歩手前で足を止めた。
「音霧先輩?」
つられて足を止めた小紫は俺の一歩前に立つ。タイミングは狙った通りでまもなくして信号は赤へと変わった。
「やっぱり何かありましたよね?」
勘の鋭い小紫はこちらの様子がおかしいことに気づいたようだったが、それを無視して小紫の後ろにある車道に目を向ける。
横断歩道を横切る車は飛び出してくる人など想定するはずもなく、速度を落とすことなく通り過ぎていく。
これはふりだ。本気でやるわけじゃない。
自分に言い聞かせてピントを小紫に合わせる。
小紫は憂わし気な表情でこちらを見上げている。直ぐに視線を逸らし、傘を持っていない方の手に意識を集中させる。
この手を前に押し出せば、華奢な小紫は抵抗もできずに道路へと身を投げ出されるだろう。
そうなった後は……小紫に起こることは……
目の前の光景にノイズが走り、その合間を縫うようにあの日の事が蘇る。強烈な眩暈と吐き気に耐えながら小紫の背後にある信号の色を確かめる。
信号は赤のままだ。
これはふりだ。何も起こらないし起こさない。
再度自分に言い聞かせた後、空いている手を持ち上げる。
ふとその腕を誰かが握ったかと思うと、そのまま身体の後ろへと持っていかれ、さらに足を掛けられ地面に押さえつけられてしまう。
雨の降っているアスファルトは想像以上に冷たい。
何が起こっているのか把握しないうちに俺は現行犯で逮捕されたような方になってしまった。
「妙な動きをしたらそのまま腕をへし折るぞ。騒いでも同じだ」
耳元で囁かれた脅しにはありったけの怒気が詰められ、腕に走る激痛が冗談ではないことを物語っている。
周りの人間は俺たちの変わった様子に気づいていながらも静観することを決めたらしく、誰一人として俺を助けようとする者は現れなかった。
か弱い女子高生に乱暴しようとした男と思われているのだろう。
スマホで撮影する人間がいないだけまだましだと思うようにしよう。
「え? なんで?」
状況が把握できない小紫は困惑した声で俺を押さえつけている人物に声を掛けるが、この状況が好転することはない。出来る人間がいるとすれば一人だけ。
「それはあなたをずっとつけていたからよ」
まるで魔法のように糸杉の言葉があたりに響いた瞬間、信号が青に変わる。
人々は俺たちを空間から切り離すように避けて通っていく。
人込みから颯爽と現れた糸杉の表情は余裕を感じさせ、事のタネを明かしていく。
「やればできるじゃない」
「こうなることわかってたのか?」
「もちろん」
こちらを見下ろす糸杉に非難の視線をむけるもののまったく動じない。
余裕の表情を見るに糸杉は初めからこうなることを予見していたようだ。結局俺はこいつの手のひらの上で踊らされているに過ぎない。
「音霧くんなら最高のヒール役になれると思っていたわ」
『ヒール役?』
小紫と俺の腕を固めている人物の声が重なる。
「さっさと本題に入れよ。というかそろそろ腕を離すように言ってくれ。感覚がなくなってきた」
こんな会話をしてはいるが俺の腕は未だにがっちりと締め上げられた上に押さえつけられている。
「それもそうね」
糸杉は鋭い視線の矛先を俺にのしかかる相手に向ける。
「あなたが心配しているようなことは起こらないから安心してください。店員さん。名前は谷中だったかしら?」
決められている腕から彼女の動揺が伝わってくる。
「なるほど私は嵌められたのか」
状況を把握したらしい彼女はついに俺の腕を開放すると乾いた笑い声をあげる。
「詳しく話を聞かせてもらうかしら」
「それは断っても構わない?」
しきりに目を逸らし、腕時計を見る。この場から離れたいと態度で物語っている。
「女子高生をストーキングする店員がいるとクレームが入っても構わないのならばどうぞ」
これでは脅しているのと変わらないな。こいつはどうしてこんなやり方しかできなのだろうか。
「わかったよ。あそこで話をしよう」
谷中さんはすぐそばにあったファミレスへ歩いていく。
「小紫はどうする?」
未だに状況を把握しきれず呆けた顔で佇む小紫に声を掛けると、谷中さんの背中に焦点を合わせてじっと見つめる。
「私は帰ります。その方が話しやすいでしょうから」
こんな時まで他人を気にする必要などないと言いたいが、それが彼女の生き方で変えることは簡単ではない。
「じゃあ、送っていくよ」
俺は糸杉に目配せをすると、小紫と一緒に点滅しだした信号を急いで渡った。
特に会話もないまま俺たちは一週間ともに歩いた道を歩いていく。
ふと赤信号で立ち止まり先ほどの事を思い返す。
もしもあのまま誰も俺を止めることがなかったのだとしたら俺は小紫を突き飛ばしただろうか。
それはありえない。
あの時の俺は金縛りにあった用に身体を動かすことが出来なかった。
では、相手が糸杉だったのなら。
「どうかしましたか?」
小紫に声を掛けられて我に返る。
赤だった信号は青に変わっており、渡ろうとしない俺の隣で不思議そうに小紫が見上げている。
「なんでもない」
悟られないように平静を装う。
相手が糸杉であったとしても俺はそんなことをしないだろう。もしもそれをしてしまえば俺は楓に合わせる顔がなくなってしまう。
特に会話もないまま家の近くまで来てしまう。一つ先の路地を曲がればこの関係も終わりを迎える。
それも当然だ。小紫を悩ませていた視線の相手は既に確保されている。恋人ごっこをする必要はもうない。
それに抵抗するように小紫の歩く速度は遅くなっていった。
「やっぱり残った方がよかったでしょうか?」
「そう思うならどうして残らなかったんだ?」
責めたような言い方になってしまい、慌てて言葉を重ねる。
「これは小紫の問題だから。他人の事を気にする必要はなかったと思う。むしろ積極的に言った方が……」
そこまで言って自分が的外れなことを言っていることに気づく。
そんなことが出来ているのなら悩むわけがないのだから。
小紫は自分の境遇の影響で人との距離に敏感になっている。得ることよりも失わないことに重きを置いている。
「なんか……すみません」
「謝られることをされた覚えはないよ」
「そんなことないです。腕は大丈夫ですか? それに制服だってびしょびしょですし。それは私の……」
別に小紫の所為ではない。誰かに責任があるとすればただ一人。
「とりあえず、また明日。部室で」
また明日。その言葉を聞いた途端、小紫は俯かせていた顔を上げる。
「報告とか色々あるし、あれだけ校内で見せびらかしたからね。急に会わなくなると変な噂とか流されそうだし」
こちらが言い訳をつらつらと並べると、小動物のようにくつくつと喉を鳴らして笑いだす。
「はい。また明日ですね」
こちらに一礼してから、玄関を潜り暖かな光が漏れる家へと入って行く。
また明日などという挨拶を交わしたのは何年ぶりだろうか。確証のない未来を口にするのが怖かった。
今は不思議と恐怖を感じていない。
未来の事を考えて行動するなんて二度と来ないと思っていたのに。
何をすべきでどうすることが最善なのか。どれもはっきりとわからないまま、二人が待つファミレスに向かう。
これからしようとしていることは余計なことなのかもしれない。気づかないふりをして気のせいで終わらせてしまえば、何も変わることなく終われたはずだ。
彼女もそれ望んでいる。否定する権利は俺にはない。
糸杉に弱みを握られているというだけでは説明がつかないほど、俺は他人との関係に深く足を踏み入れようとしている。
自分が誰かの何かを変えてしまう。それが嫌で俺は今まで他人と関わることを避けてきた。それなのにどうして今になってまた関わろうとしているのか。
気持ちの整理がつかないうちに二人の待つファミレスについてしまった。
「悪いな。こんな時間まで付き合わせて」
「何を言ってるんですか。付き合わされているのは音霧先輩の方ですよ」
小紫は無垢な笑顔を振りまいて隣を歩く。
糸杉の言う通り店を出てまもなくして雨が降り始めた。コンビニで買ったビニール傘には霧吹きのような細かい雨粒が音もなく張り付いていく。
帰宅時間帯と重なったため人通りが多く後ろを付けられていても気づくことは難しい。糸杉に考えがある様子だったが今のところ明確な指示はない。とりあえず俺は小紫を自宅まで送り届ければいいのだろう。
「そういえば糸杉先輩はどこにいるのでしょうか?」
「さあな。案外近くにいるかもしれないぞ」
俺たちの会話を聞いていたかのように、糸杉からメッセージが届く。
『私の指示に躊躇なく従える?』
今更それを聞くのか。いったい俺に何をさせようというのだろうか。
『従わなかったら後が怖いからな』
『人を悪魔みたいに言わないでよ』
悪魔の方がまだ優しい気がする。
こちらがメッセージを受信してから間髪入れずに指示が送られてくる。俺がどう答えようと送る気だったのだろう。わかっていたことだが、もとから俺に拒否権はない。
糸杉から送られてきたメッセージを見て思わず眉を顰める。
いったい何のためにこんなことをする必要があるのか。
「どうかしました?」
指示の内容を見られないように咄嗟にスマホをポケットにしまう。
「ちゃんと後ろにいるらしい」
不安そうにこちらをのぞき込む小紫は俺がこれから何をしようとしているのかを知る由もない。
まるでこの指示は糸杉から俺に対する挑戦のように思えた。
糸杉が監視するように俺をあの目で見ていることは後ろを振り返って確認するまでもない。
別に楓の件を握られているからと言って、すべての事に従わなくてはならないわけではない。糸杉の指示を実行してしまえば俺は後には引けなくなる上に楓に合わせる顔がなくなってしまう。
糸杉の指示に従うふりをして、歩幅を調節して歩く速度を落としていく。
渡ろうとしている信号は点滅し始め周りの人々は急いで渡ろうと速度を上げていく。俺はその波に逆らうように歩道と道路の際、その一歩手前で足を止めた。
「音霧先輩?」
つられて足を止めた小紫は俺の一歩前に立つ。タイミングは狙った通りでまもなくして信号は赤へと変わった。
「やっぱり何かありましたよね?」
勘の鋭い小紫はこちらの様子がおかしいことに気づいたようだったが、それを無視して小紫の後ろにある車道に目を向ける。
横断歩道を横切る車は飛び出してくる人など想定するはずもなく、速度を落とすことなく通り過ぎていく。
これはふりだ。本気でやるわけじゃない。
自分に言い聞かせてピントを小紫に合わせる。
小紫は憂わし気な表情でこちらを見上げている。直ぐに視線を逸らし、傘を持っていない方の手に意識を集中させる。
この手を前に押し出せば、華奢な小紫は抵抗もできずに道路へと身を投げ出されるだろう。
そうなった後は……小紫に起こることは……
目の前の光景にノイズが走り、その合間を縫うようにあの日の事が蘇る。強烈な眩暈と吐き気に耐えながら小紫の背後にある信号の色を確かめる。
信号は赤のままだ。
これはふりだ。何も起こらないし起こさない。
再度自分に言い聞かせた後、空いている手を持ち上げる。
ふとその腕を誰かが握ったかと思うと、そのまま身体の後ろへと持っていかれ、さらに足を掛けられ地面に押さえつけられてしまう。
雨の降っているアスファルトは想像以上に冷たい。
何が起こっているのか把握しないうちに俺は現行犯で逮捕されたような方になってしまった。
「妙な動きをしたらそのまま腕をへし折るぞ。騒いでも同じだ」
耳元で囁かれた脅しにはありったけの怒気が詰められ、腕に走る激痛が冗談ではないことを物語っている。
周りの人間は俺たちの変わった様子に気づいていながらも静観することを決めたらしく、誰一人として俺を助けようとする者は現れなかった。
か弱い女子高生に乱暴しようとした男と思われているのだろう。
スマホで撮影する人間がいないだけまだましだと思うようにしよう。
「え? なんで?」
状況が把握できない小紫は困惑した声で俺を押さえつけている人物に声を掛けるが、この状況が好転することはない。出来る人間がいるとすれば一人だけ。
「それはあなたをずっとつけていたからよ」
まるで魔法のように糸杉の言葉があたりに響いた瞬間、信号が青に変わる。
人々は俺たちを空間から切り離すように避けて通っていく。
人込みから颯爽と現れた糸杉の表情は余裕を感じさせ、事のタネを明かしていく。
「やればできるじゃない」
「こうなることわかってたのか?」
「もちろん」
こちらを見下ろす糸杉に非難の視線をむけるもののまったく動じない。
余裕の表情を見るに糸杉は初めからこうなることを予見していたようだ。結局俺はこいつの手のひらの上で踊らされているに過ぎない。
「音霧くんなら最高のヒール役になれると思っていたわ」
『ヒール役?』
小紫と俺の腕を固めている人物の声が重なる。
「さっさと本題に入れよ。というかそろそろ腕を離すように言ってくれ。感覚がなくなってきた」
こんな会話をしてはいるが俺の腕は未だにがっちりと締め上げられた上に押さえつけられている。
「それもそうね」
糸杉は鋭い視線の矛先を俺にのしかかる相手に向ける。
「あなたが心配しているようなことは起こらないから安心してください。店員さん。名前は谷中だったかしら?」
決められている腕から彼女の動揺が伝わってくる。
「なるほど私は嵌められたのか」
状況を把握したらしい彼女はついに俺の腕を開放すると乾いた笑い声をあげる。
「詳しく話を聞かせてもらうかしら」
「それは断っても構わない?」
しきりに目を逸らし、腕時計を見る。この場から離れたいと態度で物語っている。
「女子高生をストーキングする店員がいるとクレームが入っても構わないのならばどうぞ」
これでは脅しているのと変わらないな。こいつはどうしてこんなやり方しかできなのだろうか。
「わかったよ。あそこで話をしよう」
谷中さんはすぐそばにあったファミレスへ歩いていく。
「小紫はどうする?」
未だに状況を把握しきれず呆けた顔で佇む小紫に声を掛けると、谷中さんの背中に焦点を合わせてじっと見つめる。
「私は帰ります。その方が話しやすいでしょうから」
こんな時まで他人を気にする必要などないと言いたいが、それが彼女の生き方で変えることは簡単ではない。
「じゃあ、送っていくよ」
俺は糸杉に目配せをすると、小紫と一緒に点滅しだした信号を急いで渡った。
特に会話もないまま俺たちは一週間ともに歩いた道を歩いていく。
ふと赤信号で立ち止まり先ほどの事を思い返す。
もしもあのまま誰も俺を止めることがなかったのだとしたら俺は小紫を突き飛ばしただろうか。
それはありえない。
あの時の俺は金縛りにあった用に身体を動かすことが出来なかった。
では、相手が糸杉だったのなら。
「どうかしましたか?」
小紫に声を掛けられて我に返る。
赤だった信号は青に変わっており、渡ろうとしない俺の隣で不思議そうに小紫が見上げている。
「なんでもない」
悟られないように平静を装う。
相手が糸杉であったとしても俺はそんなことをしないだろう。もしもそれをしてしまえば俺は楓に合わせる顔がなくなってしまう。
特に会話もないまま家の近くまで来てしまう。一つ先の路地を曲がればこの関係も終わりを迎える。
それも当然だ。小紫を悩ませていた視線の相手は既に確保されている。恋人ごっこをする必要はもうない。
それに抵抗するように小紫の歩く速度は遅くなっていった。
「やっぱり残った方がよかったでしょうか?」
「そう思うならどうして残らなかったんだ?」
責めたような言い方になってしまい、慌てて言葉を重ねる。
「これは小紫の問題だから。他人の事を気にする必要はなかったと思う。むしろ積極的に言った方が……」
そこまで言って自分が的外れなことを言っていることに気づく。
そんなことが出来ているのなら悩むわけがないのだから。
小紫は自分の境遇の影響で人との距離に敏感になっている。得ることよりも失わないことに重きを置いている。
「なんか……すみません」
「謝られることをされた覚えはないよ」
「そんなことないです。腕は大丈夫ですか? それに制服だってびしょびしょですし。それは私の……」
別に小紫の所為ではない。誰かに責任があるとすればただ一人。
「とりあえず、また明日。部室で」
また明日。その言葉を聞いた途端、小紫は俯かせていた顔を上げる。
「報告とか色々あるし、あれだけ校内で見せびらかしたからね。急に会わなくなると変な噂とか流されそうだし」
こちらが言い訳をつらつらと並べると、小動物のようにくつくつと喉を鳴らして笑いだす。
「はい。また明日ですね」
こちらに一礼してから、玄関を潜り暖かな光が漏れる家へと入って行く。
また明日などという挨拶を交わしたのは何年ぶりだろうか。確証のない未来を口にするのが怖かった。
今は不思議と恐怖を感じていない。
未来の事を考えて行動するなんて二度と来ないと思っていたのに。
何をすべきでどうすることが最善なのか。どれもはっきりとわからないまま、二人が待つファミレスに向かう。
これからしようとしていることは余計なことなのかもしれない。気づかないふりをして気のせいで終わらせてしまえば、何も変わることなく終われたはずだ。
彼女もそれ望んでいる。否定する権利は俺にはない。
糸杉に弱みを握られているというだけでは説明がつかないほど、俺は他人との関係に深く足を踏み入れようとしている。
自分が誰かの何かを変えてしまう。それが嫌で俺は今まで他人と関わることを避けてきた。それなのにどうして今になってまた関わろうとしているのか。
気持ちの整理がつかないうちに二人の待つファミレスについてしまった。