昨日の雨は翌日には上がり、雲一つない晴天であった。今日なら公園で楓と落ち合うこともできるだろう。しかし、放課後の俺は自然と部室に足を向けていた。
ストーカーだと決めつけることは今でも間違いだと思っている。だが、ストーカの可能性を完全に否定できないのならば早急に解決しなければならない。
頭のなかでだらだらと言い訳を述べながら部室に入と小紫の姿はまだなく、糸杉はいつものように事務用の机に向かってノートに何かを纏めていた。
俺が入ってきても特に反応を示さない。よく見ればイヤホンをしているので、何かを聞いてそれを纏めているようだ。
何をそんなに真剣にしているのか。隙を見せない糸杉にしては珍しい。
授業の内容なんてことはあるまい。もしかしたら糸杉の本当の目的と関係があるのかもしれない。
そう考えてしまうと興味を抑えきれず、糸杉の後ろに立って覗き込もうとした時、廊下から慌ただしい足音が響いてくる。
「すみません! 遅れました!」
小紫が急いだ勢いそのままに扉を開き入って来る。その音に振り返った糸杉と目が合った。
見張った目がすぐに射抜く様に鋭くなる。悲哀の色が深く刻まれた目からは嫌悪感が滲み出ていた。
何を言っても言い訳にしかならない気がして言葉に詰まる。
「ごめん」
「何か謝らなけらばならないことでもしたのかしら?」
「すみません! お邪魔しました!」
小紫は入ってきたときの勢いのまま出ていこうとする。
「邪魔じゃない。寧ろ居て欲しい」
「本当に大丈夫ですか?」
ただならぬ空気を察している小紫は追い詰められた小動物のように怯えている。
「全く問題ない。俺は飲み物買って来るから。何か希望のやつある?」
「わたしは、なんでも大丈夫です」
「わかった」
これなら自然な流れ手で部室から逃れることが出来る。飲み物を奢るはめになったが、あの気まずさから逃れられるのであれば安いものだ。
扉に手を掛けたとき、それまで黙っていた糸杉が俺に向かって声を掛ける。
「私は『爽やかマスカット水』で」
その言葉には全く爽やかでないドロドロとした思いが籠っていた。
「了解」
もちろん何か買ってくるつもりではいた。ただ、糸杉の頼んだものは自販機で売っているものではなく、俺はコンビニまで行かされる破目になった。
ここからコンビニまでは往復で十五分程、おそらく糸杉は俺がいない間に今後の方針を話し合って決めるはず。そうでなければ態々俺をコンビニまで向かわせる理由はない。
あいつが『爽やかマスカット水』を飲んでいるところ見たことないし。
ただの嫌がらせの為だけに『爽やかマスカット水』を頼んだとは思いたくない。
小紫は外見からの印象で甘い物が好きだろうと予想して『まろやかイチゴ&ミルク』を、予想が外れた時の為に、俺は無糖の紅茶を購入。
「遅かったわね」
部室に戻るなりいきなりそんな事を言われる。
遅いのは糸杉の所為だし、何なら少し早歩きしたし。
「こんなの走れば五分で済むじゃない」
走る前提だった。俺を何だと思っているのか。
悪態をつきながら『爽やかマスカット水』を俺からひったくると、ストローをさして飲み始める。
さっきの事はこれで水に流してくれるらしい。内容を穿り返すのは避けよう。
「はい。これイチゴミルク」
「あ、ありがとうございます」
差し出したイチゴミルクを丁寧に両手で受け取ると、小紫はすぐに視線を合わせないように落とす。
「イチゴミルク苦手だったか? だったらこっちの」
「違います。そうじゃないです。イチゴミルクは大好きです」
「そっか。それなら良かった」
「はい。良かったです。ははは」
まるで聖杯でも受け取ったように『まろやかイチゴ&ミルク』高々と掲げる。
絶対何かを吹き込まれたな。これ以上無い程に不自然だ。
問いただしたい気持ちはぐっと抑えて問題解決の方へ話を持っていく。
「それで、どうするのか決まったのか?」
「ええ。良い案が決まったの」
こういう時は大概、良い案でないことが多い。
「私が小紫さんに変装して視線の正体を探ろうと思うの」
「却下だ。ストーカー相手にそんな小細工通用するわけがない」
そもそも糸杉と小紫では身長が違う。糸杉が長身というわけではないが、小紫は小動物のように小さい。髪型や服装を変えたくらいでは誤魔化せない。
「それなら代案を出してくれないかしら」
急にそんな事を言われても困るが、このままでは糸杉の案が通ってしまう。無駄な事に時間を割くことはしたくない。
「ならこういうのはどうだ。俺と小紫で嘘の恋人を演じて」
「はうあ! げほげほ」
大人しく『まろやかイチゴ&ミルク』を飲んでいた小紫は咽て咳き込む。
「ごめん。嫌だったか?」
「嫌に決まっているわよね。こんな目をしている人が嘘であっても恋人だなんて」
咳き込む小紫に代わって糸杉が応える。
「それは糸杉の意見だろうが」
「すみません。ちょっとびっくりしただけす。嫌ではないので安心してください。それに音霧先輩の目は腐っていても素敵です」
「やっぱり腐って見えるんだな」
「は! すみません。失礼なことを言ってしまって。ここだと我慢せずに思ったことを口に出しても許される気がして」
フォローになっていないし、寧ろ傷を抉られた気分。
俺の目が腐っていることは置いといて話を続ける。
「もし仮に視線の正体がストーカーだとすれば、ストーキングしている相手に恋人が出来れば何かしらの行動に出るはずだと思う。小紫に危険が及ぶからあまり良い案じゃないが、糸杉の案よりはましだと思う」
「その方が良いかもしれないわね」
自分の意見が否定されてさぞ悔しい顔をしているのかと思ったが、その反対で糸杉は謎の微笑みを見せていた。
「わたしもその案に初めから賛成でした」
「初めから?」
「あ! またわたし余計な事を」
「まさか」
糸杉は笑いが堪えられない様子で口元を押さえて視線を逸らす。
ここまでくればある程度は察する。糸杉が俺と小紫を嘘の恋人になるように指示することは容易い。しかし、そんな指示を俺が素直に従うわけがない。それを解決するために、巧みにこちらからその提案をするように仕向けたのだ。
自分で言ってしまった手前、この案を却下するわけにもいかない。
「しっかり守ってあげてね。彼氏さん」
本当にこの女は油断ならない。
視線の正体を暴くべく恋人のふりを初めて一週間がたった。間が悪いことにこの一週間は雨が降る日はなく、小紫が視線を感じることもなかった。
それでも万が一を考えて俺は彼氏のふりをし続けている。
「すみません。お待たせしました」
昇降口で待っていると書記の仕事を済ませた小紫が遅れてやってくる。
「じゃあいつも通りに」
この一週間、俺たちは適当な場所を寄り道しながら下校を共にしている。
これだけで本当に付き合っているように見えるのか不安だが、あまり本当に見えすぎても解決した後の事が面倒だ。
糸杉はというと俺たちの後方から距離を置いてついて来る。
視線を感じたらこちらからスマホで連絡する手はずになっていた。
小紫と二人ならんで歩いていると、ふとスマホがメッセージを受信する。
『思ったのだけれど、音霧くんと付き合っているふりをするって罰ゲームよね』
『それクラスの友達からも言われました。どうして罰ゲームなのでしょうか? むしろ突き合わせてしまい申し訳ない気持ちです』
すかさず小紫はウサギが焼き土下座しているスタンプを送る。小紫には悪気はないだろうが、傷をかなり抉られた気持ちである。
『どうしてそのメッセージを本人のいるグループで送った』
『音霧くんに言ったのだけれど、陰口だと思ったの?』
こいつは悪気しかない。何も答える気になれずスマホをポケットにしまう。
出来る事なら連絡先を糸杉に教えることはしたくなかった。相手の表情が見えない文字だけの悪口って結構心に響く。
「連絡先をまだ交換していないのは意外でした」
「したくなかったんだよ。こうなるから」
これでどこにいても糸杉から連絡が来てしまう。無視をすればどんな仕打ちをされるか。憂鬱でならない。
「糸杉先輩は悪い人じゃないですよ」
「小紫に対してだけな」
「そんなことはないですよ」
「それより視線は感じるか?」
小紫は少し考えてから首を横に振る。
それもそうだろう。今日は雲一つない空だし、そんな簡単に事は運ばない。それでも気長に続けていればきっと向こうから接触があるはず。
そんなことは百も承知の癖に糸杉は俺たちに無茶な要求をする。
『あそこのお店、恋人限定のメニューがあるわよ』
「これは入れってことでしょうか?」
小紫の疑問もスルーして俺はそのままスマホをスリープにした。
するとすぐに通知音がなる。
『あそこのお店、恋人限定のメニューがあるわよ』
読んだうえで無視してるんだよ。既読って文字が読めないのか。
さらに無視すればまた同じ文章が来るのだろう。全く同じ文章が幾つも並んだメッセージ覧を想像してぞっとする。
『あそこは年齢層が高くて高校生が入ると異様に目立つ』
俺の返信に小紫がどうしてそんなに詳しいのかと視線を向けてくる。
「色々あってな」
それだけ言えば小紫の性格上踏み込んでこられない。思った通り小紫は曖昧な返事をして個以上聞くことはしなかった。
『まるで入ったことがあるような口ぶりね』
しかし糸杉は違った。
『別にどうでもいいだろ』
『そうね。年齢層の高いお店に一人で入店している音霧くんなんて想像するだけで笑いが込み上げてくるけれど気にしないことにするわ』
猫のキャラクターが爆笑して転げまわるスタンプが送られてくる。こういう系のスタンプ流行ってるのか。
『どうして一人だってわかったんです?』
すかさず小紫が疑問を挟んでくるが、本当に一人で来たので何も言えない。
『そんなことより目立つのであれば好都合ではないの?』
糸杉は何事もなく話題を戻す。傷を広げられたくないので俺もその波に乗ることにする。
『変に目立つ必要はないだろ。無駄に刺激するだけだ』
俺たちは視線を感じることが目的ではなく、視線の正体を暴くことにある。
『別にいいじゃない。もともと刺激することが目的なのだし。あなたたちに危害を加える前に取り押さえれば良いことよ』
『それは危ないですよ』
小紫の意見に俺も同意する。糸杉は自分が他人を傷つけることには敏感なくせに、自分が傷つけられることに関しては無頓着だ。
誰しも傷つけられたくない。だから、慎重に行動するし、失敗を恐れたりする。
糸杉は自分を単に犠牲にすることを慈善活動と勘違いしているのだろうか。だとしたらどこかで必ず痛い目を見る。そうした時、糸杉はどうするのだろう。
『もっと入りやすいお店にしよう』
返信はなく既読だけが表示される。
これって賛成なのか。それとも否定なのか。
「それなら、わたし行きたいところがあります」
小紫は目を輝かせて提案する。
糸杉に任せると面倒なことになりそうなのでここは小紫に任せることにした。
ストーカーだと決めつけることは今でも間違いだと思っている。だが、ストーカの可能性を完全に否定できないのならば早急に解決しなければならない。
頭のなかでだらだらと言い訳を述べながら部室に入と小紫の姿はまだなく、糸杉はいつものように事務用の机に向かってノートに何かを纏めていた。
俺が入ってきても特に反応を示さない。よく見ればイヤホンをしているので、何かを聞いてそれを纏めているようだ。
何をそんなに真剣にしているのか。隙を見せない糸杉にしては珍しい。
授業の内容なんてことはあるまい。もしかしたら糸杉の本当の目的と関係があるのかもしれない。
そう考えてしまうと興味を抑えきれず、糸杉の後ろに立って覗き込もうとした時、廊下から慌ただしい足音が響いてくる。
「すみません! 遅れました!」
小紫が急いだ勢いそのままに扉を開き入って来る。その音に振り返った糸杉と目が合った。
見張った目がすぐに射抜く様に鋭くなる。悲哀の色が深く刻まれた目からは嫌悪感が滲み出ていた。
何を言っても言い訳にしかならない気がして言葉に詰まる。
「ごめん」
「何か謝らなけらばならないことでもしたのかしら?」
「すみません! お邪魔しました!」
小紫は入ってきたときの勢いのまま出ていこうとする。
「邪魔じゃない。寧ろ居て欲しい」
「本当に大丈夫ですか?」
ただならぬ空気を察している小紫は追い詰められた小動物のように怯えている。
「全く問題ない。俺は飲み物買って来るから。何か希望のやつある?」
「わたしは、なんでも大丈夫です」
「わかった」
これなら自然な流れ手で部室から逃れることが出来る。飲み物を奢るはめになったが、あの気まずさから逃れられるのであれば安いものだ。
扉に手を掛けたとき、それまで黙っていた糸杉が俺に向かって声を掛ける。
「私は『爽やかマスカット水』で」
その言葉には全く爽やかでないドロドロとした思いが籠っていた。
「了解」
もちろん何か買ってくるつもりではいた。ただ、糸杉の頼んだものは自販機で売っているものではなく、俺はコンビニまで行かされる破目になった。
ここからコンビニまでは往復で十五分程、おそらく糸杉は俺がいない間に今後の方針を話し合って決めるはず。そうでなければ態々俺をコンビニまで向かわせる理由はない。
あいつが『爽やかマスカット水』を飲んでいるところ見たことないし。
ただの嫌がらせの為だけに『爽やかマスカット水』を頼んだとは思いたくない。
小紫は外見からの印象で甘い物が好きだろうと予想して『まろやかイチゴ&ミルク』を、予想が外れた時の為に、俺は無糖の紅茶を購入。
「遅かったわね」
部室に戻るなりいきなりそんな事を言われる。
遅いのは糸杉の所為だし、何なら少し早歩きしたし。
「こんなの走れば五分で済むじゃない」
走る前提だった。俺を何だと思っているのか。
悪態をつきながら『爽やかマスカット水』を俺からひったくると、ストローをさして飲み始める。
さっきの事はこれで水に流してくれるらしい。内容を穿り返すのは避けよう。
「はい。これイチゴミルク」
「あ、ありがとうございます」
差し出したイチゴミルクを丁寧に両手で受け取ると、小紫はすぐに視線を合わせないように落とす。
「イチゴミルク苦手だったか? だったらこっちの」
「違います。そうじゃないです。イチゴミルクは大好きです」
「そっか。それなら良かった」
「はい。良かったです。ははは」
まるで聖杯でも受け取ったように『まろやかイチゴ&ミルク』高々と掲げる。
絶対何かを吹き込まれたな。これ以上無い程に不自然だ。
問いただしたい気持ちはぐっと抑えて問題解決の方へ話を持っていく。
「それで、どうするのか決まったのか?」
「ええ。良い案が決まったの」
こういう時は大概、良い案でないことが多い。
「私が小紫さんに変装して視線の正体を探ろうと思うの」
「却下だ。ストーカー相手にそんな小細工通用するわけがない」
そもそも糸杉と小紫では身長が違う。糸杉が長身というわけではないが、小紫は小動物のように小さい。髪型や服装を変えたくらいでは誤魔化せない。
「それなら代案を出してくれないかしら」
急にそんな事を言われても困るが、このままでは糸杉の案が通ってしまう。無駄な事に時間を割くことはしたくない。
「ならこういうのはどうだ。俺と小紫で嘘の恋人を演じて」
「はうあ! げほげほ」
大人しく『まろやかイチゴ&ミルク』を飲んでいた小紫は咽て咳き込む。
「ごめん。嫌だったか?」
「嫌に決まっているわよね。こんな目をしている人が嘘であっても恋人だなんて」
咳き込む小紫に代わって糸杉が応える。
「それは糸杉の意見だろうが」
「すみません。ちょっとびっくりしただけす。嫌ではないので安心してください。それに音霧先輩の目は腐っていても素敵です」
「やっぱり腐って見えるんだな」
「は! すみません。失礼なことを言ってしまって。ここだと我慢せずに思ったことを口に出しても許される気がして」
フォローになっていないし、寧ろ傷を抉られた気分。
俺の目が腐っていることは置いといて話を続ける。
「もし仮に視線の正体がストーカーだとすれば、ストーキングしている相手に恋人が出来れば何かしらの行動に出るはずだと思う。小紫に危険が及ぶからあまり良い案じゃないが、糸杉の案よりはましだと思う」
「その方が良いかもしれないわね」
自分の意見が否定されてさぞ悔しい顔をしているのかと思ったが、その反対で糸杉は謎の微笑みを見せていた。
「わたしもその案に初めから賛成でした」
「初めから?」
「あ! またわたし余計な事を」
「まさか」
糸杉は笑いが堪えられない様子で口元を押さえて視線を逸らす。
ここまでくればある程度は察する。糸杉が俺と小紫を嘘の恋人になるように指示することは容易い。しかし、そんな指示を俺が素直に従うわけがない。それを解決するために、巧みにこちらからその提案をするように仕向けたのだ。
自分で言ってしまった手前、この案を却下するわけにもいかない。
「しっかり守ってあげてね。彼氏さん」
本当にこの女は油断ならない。
視線の正体を暴くべく恋人のふりを初めて一週間がたった。間が悪いことにこの一週間は雨が降る日はなく、小紫が視線を感じることもなかった。
それでも万が一を考えて俺は彼氏のふりをし続けている。
「すみません。お待たせしました」
昇降口で待っていると書記の仕事を済ませた小紫が遅れてやってくる。
「じゃあいつも通りに」
この一週間、俺たちは適当な場所を寄り道しながら下校を共にしている。
これだけで本当に付き合っているように見えるのか不安だが、あまり本当に見えすぎても解決した後の事が面倒だ。
糸杉はというと俺たちの後方から距離を置いてついて来る。
視線を感じたらこちらからスマホで連絡する手はずになっていた。
小紫と二人ならんで歩いていると、ふとスマホがメッセージを受信する。
『思ったのだけれど、音霧くんと付き合っているふりをするって罰ゲームよね』
『それクラスの友達からも言われました。どうして罰ゲームなのでしょうか? むしろ突き合わせてしまい申し訳ない気持ちです』
すかさず小紫はウサギが焼き土下座しているスタンプを送る。小紫には悪気はないだろうが、傷をかなり抉られた気持ちである。
『どうしてそのメッセージを本人のいるグループで送った』
『音霧くんに言ったのだけれど、陰口だと思ったの?』
こいつは悪気しかない。何も答える気になれずスマホをポケットにしまう。
出来る事なら連絡先を糸杉に教えることはしたくなかった。相手の表情が見えない文字だけの悪口って結構心に響く。
「連絡先をまだ交換していないのは意外でした」
「したくなかったんだよ。こうなるから」
これでどこにいても糸杉から連絡が来てしまう。無視をすればどんな仕打ちをされるか。憂鬱でならない。
「糸杉先輩は悪い人じゃないですよ」
「小紫に対してだけな」
「そんなことはないですよ」
「それより視線は感じるか?」
小紫は少し考えてから首を横に振る。
それもそうだろう。今日は雲一つない空だし、そんな簡単に事は運ばない。それでも気長に続けていればきっと向こうから接触があるはず。
そんなことは百も承知の癖に糸杉は俺たちに無茶な要求をする。
『あそこのお店、恋人限定のメニューがあるわよ』
「これは入れってことでしょうか?」
小紫の疑問もスルーして俺はそのままスマホをスリープにした。
するとすぐに通知音がなる。
『あそこのお店、恋人限定のメニューがあるわよ』
読んだうえで無視してるんだよ。既読って文字が読めないのか。
さらに無視すればまた同じ文章が来るのだろう。全く同じ文章が幾つも並んだメッセージ覧を想像してぞっとする。
『あそこは年齢層が高くて高校生が入ると異様に目立つ』
俺の返信に小紫がどうしてそんなに詳しいのかと視線を向けてくる。
「色々あってな」
それだけ言えば小紫の性格上踏み込んでこられない。思った通り小紫は曖昧な返事をして個以上聞くことはしなかった。
『まるで入ったことがあるような口ぶりね』
しかし糸杉は違った。
『別にどうでもいいだろ』
『そうね。年齢層の高いお店に一人で入店している音霧くんなんて想像するだけで笑いが込み上げてくるけれど気にしないことにするわ』
猫のキャラクターが爆笑して転げまわるスタンプが送られてくる。こういう系のスタンプ流行ってるのか。
『どうして一人だってわかったんです?』
すかさず小紫が疑問を挟んでくるが、本当に一人で来たので何も言えない。
『そんなことより目立つのであれば好都合ではないの?』
糸杉は何事もなく話題を戻す。傷を広げられたくないので俺もその波に乗ることにする。
『変に目立つ必要はないだろ。無駄に刺激するだけだ』
俺たちは視線を感じることが目的ではなく、視線の正体を暴くことにある。
『別にいいじゃない。もともと刺激することが目的なのだし。あなたたちに危害を加える前に取り押さえれば良いことよ』
『それは危ないですよ』
小紫の意見に俺も同意する。糸杉は自分が他人を傷つけることには敏感なくせに、自分が傷つけられることに関しては無頓着だ。
誰しも傷つけられたくない。だから、慎重に行動するし、失敗を恐れたりする。
糸杉は自分を単に犠牲にすることを慈善活動と勘違いしているのだろうか。だとしたらどこかで必ず痛い目を見る。そうした時、糸杉はどうするのだろう。
『もっと入りやすいお店にしよう』
返信はなく既読だけが表示される。
これって賛成なのか。それとも否定なのか。
「それなら、わたし行きたいところがあります」
小紫は目を輝かせて提案する。
糸杉に任せると面倒なことになりそうなのでここは小紫に任せることにした。