妻と娘は待ってくれているだろうか。
自らの意思で死ぬことを選べない心の弱さが、旋律を震わせる。
妻と娘の顔を思い出していると、突然、レストランの出入り口の扉がゆっくりと開いた。
店内に霧が漏れ入る。
見る見るうちに、出入り口は真っ白な霧に満たされた。
じわりじわりと霧が、私へ、にじり寄る。
この白い霧の中に悪魔は居るだろう。
そう思うと、恐怖と期待が混じり合い、高揚感が胸を高鳴らせた。
高鳴る鼓動に合わせて口呼吸する。
私の足元に霧が触れた。
靴の上からもひんやりと感じる。
次第に膝、肘と私の体が霧に飲み込まれていく。
遂には演奏する手元も白くぼやけた。
口呼吸する口腔内にも霧が入ってくる。
下に水滴を感じる。
無数の水の粒を食べているかのようだった。
衣類も次第にしなしなになり、肌に張り付く。
ギターの音も徐々に変わってきた。
ころんとした軽快な音を失い、重く鈍い音になった。
きっと、弦が湿気を吸収したのだろう。
完全に手元が見えなくなった時、ひとつ、押さえる弦を間違える。
再び演奏を始めようとしても不慣れな私は演奏することができなかった。
私はギターをおろして、周囲を見渡した。
私の周囲は真っ白に覆われていた。
妻も娘も霧に飲み込まれ、姿が見えなくなっていた。
死んだ人々の姿も、この白い光景の中では、存在していることもわからない。
旋律のない濃霧の中は、とても静かだった。
私の耳は音を欲した。
音の無い環境では、体にまとわりつく霧が重く感じる。
霧は私の死をはやしたてているようだ。
私だけが生き残ってしまったことを追い詰めているのだろうか。
私は霧の追い詰める聞こえもしない罵声に怯えた。
身を縮こませて、目を左右に動かせる。
しかし、どこを見ても、霧の中をじっくり見ても、白い光景以外に何もわからなかった。
恐怖心を無くそうと、耳はありもしない音を作り始めた。
その音は高音、中音、低音が混ざっている。
ガラスを引っ掻くような、つんざく高音。
クラクションを鳴らし続けたような中音。
高鳴る心拍に合わせて、物を引きずり歩くような低音。
お互いが別々の主張をして不協和音になっている。
雑音なのだろう。
しかし、恐怖心を穏やかにするには十分だった。
パキッ。
突然、前方で床に砕けたガラスを踏む音が鳴った。
瞬く間に耳の中の雑音は止まり、その音の正体を耳が探す。
パキッ。
再び鳴った。
その音は少しずつ、私に近づいている。
パキッ。
耳はその音の正体がもう目の前にいることを知らせる。
目の前にじわりと黒い影が現れた
黒い影の呼吸は獣のように荒い。
私は悪魔が来たことを確信した。
私の目は、カメラがフォーカスするように黒い影にピントを合わせようとする。
しかし、霧の中では、何度もぼやけてしまう。
そして、遂に姿が見えた。
一匹のドーベルマンの犬だった。
毛並みは黒く、尾は長く、先が僅かに上を向いている。
次の瞬間、その犬の顔が左右に裂けて、左右が片面の顔を持つ犬に変化した。
その片面だけだった顔はもう反面を再構築して、顔が二つになった。
四つの目は私を鋭く見る。
足は太く、爪は鋭利。
牙を剥き出しにして、口からは血が滴っている。
これが悪魔。
そう確信して、静かに目を閉じ、殺される時を待った。
どうしてだろう。
肩の荷が降りたように心がほっとしている。
さて、妻と娘に会いに行こう。
自らの意思で死ぬことを選べない心の弱さが、旋律を震わせる。
妻と娘の顔を思い出していると、突然、レストランの出入り口の扉がゆっくりと開いた。
店内に霧が漏れ入る。
見る見るうちに、出入り口は真っ白な霧に満たされた。
じわりじわりと霧が、私へ、にじり寄る。
この白い霧の中に悪魔は居るだろう。
そう思うと、恐怖と期待が混じり合い、高揚感が胸を高鳴らせた。
高鳴る鼓動に合わせて口呼吸する。
私の足元に霧が触れた。
靴の上からもひんやりと感じる。
次第に膝、肘と私の体が霧に飲み込まれていく。
遂には演奏する手元も白くぼやけた。
口呼吸する口腔内にも霧が入ってくる。
下に水滴を感じる。
無数の水の粒を食べているかのようだった。
衣類も次第にしなしなになり、肌に張り付く。
ギターの音も徐々に変わってきた。
ころんとした軽快な音を失い、重く鈍い音になった。
きっと、弦が湿気を吸収したのだろう。
完全に手元が見えなくなった時、ひとつ、押さえる弦を間違える。
再び演奏を始めようとしても不慣れな私は演奏することができなかった。
私はギターをおろして、周囲を見渡した。
私の周囲は真っ白に覆われていた。
妻も娘も霧に飲み込まれ、姿が見えなくなっていた。
死んだ人々の姿も、この白い光景の中では、存在していることもわからない。
旋律のない濃霧の中は、とても静かだった。
私の耳は音を欲した。
音の無い環境では、体にまとわりつく霧が重く感じる。
霧は私の死をはやしたてているようだ。
私だけが生き残ってしまったことを追い詰めているのだろうか。
私は霧の追い詰める聞こえもしない罵声に怯えた。
身を縮こませて、目を左右に動かせる。
しかし、どこを見ても、霧の中をじっくり見ても、白い光景以外に何もわからなかった。
恐怖心を無くそうと、耳はありもしない音を作り始めた。
その音は高音、中音、低音が混ざっている。
ガラスを引っ掻くような、つんざく高音。
クラクションを鳴らし続けたような中音。
高鳴る心拍に合わせて、物を引きずり歩くような低音。
お互いが別々の主張をして不協和音になっている。
雑音なのだろう。
しかし、恐怖心を穏やかにするには十分だった。
パキッ。
突然、前方で床に砕けたガラスを踏む音が鳴った。
瞬く間に耳の中の雑音は止まり、その音の正体を耳が探す。
パキッ。
再び鳴った。
その音は少しずつ、私に近づいている。
パキッ。
耳はその音の正体がもう目の前にいることを知らせる。
目の前にじわりと黒い影が現れた
黒い影の呼吸は獣のように荒い。
私は悪魔が来たことを確信した。
私の目は、カメラがフォーカスするように黒い影にピントを合わせようとする。
しかし、霧の中では、何度もぼやけてしまう。
そして、遂に姿が見えた。
一匹のドーベルマンの犬だった。
毛並みは黒く、尾は長く、先が僅かに上を向いている。
次の瞬間、その犬の顔が左右に裂けて、左右が片面の顔を持つ犬に変化した。
その片面だけだった顔はもう反面を再構築して、顔が二つになった。
四つの目は私を鋭く見る。
足は太く、爪は鋭利。
牙を剥き出しにして、口からは血が滴っている。
これが悪魔。
そう確信して、静かに目を閉じ、殺される時を待った。
どうしてだろう。
肩の荷が降りたように心がほっとしている。
さて、妻と娘に会いに行こう。