◆◇◆◇
俺にしては良い大学に入った。
そこそこ頑張って、その頑張りが報われた。
親も喜び、親戚も喜んだ。
いつもは褒めてくれない一つ上の姉も、「やったじゃん」とその時ばかりは笑ってくれた。
そこからはある程度単位を取りつつ、サークル活動や合コンで遊ぶ大学生活。
彼女こそずっといたわけではないが、それでも充実していたものだった。
──運が良い。
俺はいつしかそう思うようになっていった。
そこそこ頑張れば、そこそこの結果がついてくる。
それは受験に限らず、恋愛や部活もだ。
だから就職活動だって努力さえすれば。
「……そう思ってたのにな」
駅の高架下で、俺は自嘲気味に呟いた。
太陽が沈み、夜の帳が下りようとしている街中は帰りのサラリーマンで溢れている。
同僚らしき人と笑いながら歩くサラリーマンもいれば、陰鬱な面持ちで歩くサラリーマンもいる。
街ゆく人を眺め始めてから、もう二時間が経とうとしていた。
何となく、すぐに家へ帰る気にはなれない。
明日は平日にしては珍しく就活の予定も入っていないので、少しくらいボーッとしていてもいいだろう。
そう思案していると、ふとサラリーマンで溢れる街には似合わないものが聴こえてきた。
歌だ。
どこから聴こえるのかを探して数秒、歌の主を見つけた。
対面側の路地でマイクを片手に歌っている。
道路を挟み、遠目から見た後ろ姿のみだが艶のある黒髪ということだけは分かった。
肩までかかる髪は風で泳ぎ、それが言葉で形容し難い情景を生み出している。
一度歌に耳をすますと、先程まで気付かなかったのが嘘のようにずっと聴くことができた。車の排気音もどこかへ行き、俺は彼女が歌い終わるまで微睡むように聞き惚れていた。
──もっと近くで聴こう。
そう思い、俺は彼女の方へと歩き出した。
横断歩道を渡る間も微かに歌は聴こえていて、近付くにつれ足取りが軽くなっていく。
清流のせせらぎのようでいて、どこか艶めかしいものを感じさせる声調は不思議と耳に残る。
彼女の前に行くと、三十人程度が歌を真近で聴いていた。
観衆の隙間から辛うじて見える看板はダンボールで、彼女の側に置かれている。
そこには『シンガーソングライター雨宮砂月、五月末までにCD300枚売り上げに挑戦中』と書かれていた。
真紅のカーペットにCDが積まれ、どうやら今聴いているのは彼女オリジナルの曲のようだ。
彼女はとんでもなく綺麗だった。思慮深く濡れた長い睫毛に、吸い込まれるような大きい瞳。
歌う表情は嫋やかで、アイドルのように笑顔を振りまくわけでもない。だがそれが一層彼女を魅力的に映していた。
彼女の周りにいる人達は歌に惹かれ、そして容姿にも惹かれているのだろう。
ふと目が合った。
多分、俺と歳はあまり変わらない。
彼女は今、夢に向かって突き進んでいるところなのだろう。観衆の多さから、その成功する確率は高いものだといことは察することができる。
こうしてる間にも彼女はSNSなどを通じて有名になっていき、少しずつ夢に近付いていくかもしれない。
ただ、人よりも少し良い生活がしたいが為に就活に身を入れている自分が、やけにちっぽけに思えた。
普段なら、こんなことは思わない。
だが、その時だけ俺は思ってしまった。
──失敗すればいいのに。
ガシャンッ。
無機質な音が、俺を思考から引き戻した。
音楽は止み、観衆の喧騒だけが辺りに響いている。
「路上ライブってよ、条例違反なんだぜ? こんなとこで歌ってんじゃねーよ!」
若者グループの一人が、笑いながらCDを踏み付けていた。他はスマホでその動画を撮り、ケラケラと笑っている。
「ひでえ……」
「誰か止めなよ」
何処からかそんな呟きが漏れる。
だがあれだけ群を成した観衆の中に、その行為を止める者は誰も現れない。
不快感をあらわにした表情を浮かべて、中には睨み付ける人もいるが、直接若者たちを止める者はいない。
皆んな怖いんだ。
増してや見知らぬ路上シンガーの為に、強面が混じる若者グループに飛び込むことなんて、誰にでも出来るわけじゃない。
俺も、その大多数の内の一人。
見知らぬ人の為に怪我をする程、俺はお人好しじゃない。
普段の俺なら、そうだった。
「止めろ」
この後の俺の姿は想像に難くない。
だが、罪悪感があった。
──失敗すればいいのに。
夢を追いかけ歌う彼女に、そんなことを思ってしまったダサい自分を。
この行為で、チャラにしたいと思ってしまったのだ。
俺にしては良い大学に入った。
そこそこ頑張って、その頑張りが報われた。
親も喜び、親戚も喜んだ。
いつもは褒めてくれない一つ上の姉も、「やったじゃん」とその時ばかりは笑ってくれた。
そこからはある程度単位を取りつつ、サークル活動や合コンで遊ぶ大学生活。
彼女こそずっといたわけではないが、それでも充実していたものだった。
──運が良い。
俺はいつしかそう思うようになっていった。
そこそこ頑張れば、そこそこの結果がついてくる。
それは受験に限らず、恋愛や部活もだ。
だから就職活動だって努力さえすれば。
「……そう思ってたのにな」
駅の高架下で、俺は自嘲気味に呟いた。
太陽が沈み、夜の帳が下りようとしている街中は帰りのサラリーマンで溢れている。
同僚らしき人と笑いながら歩くサラリーマンもいれば、陰鬱な面持ちで歩くサラリーマンもいる。
街ゆく人を眺め始めてから、もう二時間が経とうとしていた。
何となく、すぐに家へ帰る気にはなれない。
明日は平日にしては珍しく就活の予定も入っていないので、少しくらいボーッとしていてもいいだろう。
そう思案していると、ふとサラリーマンで溢れる街には似合わないものが聴こえてきた。
歌だ。
どこから聴こえるのかを探して数秒、歌の主を見つけた。
対面側の路地でマイクを片手に歌っている。
道路を挟み、遠目から見た後ろ姿のみだが艶のある黒髪ということだけは分かった。
肩までかかる髪は風で泳ぎ、それが言葉で形容し難い情景を生み出している。
一度歌に耳をすますと、先程まで気付かなかったのが嘘のようにずっと聴くことができた。車の排気音もどこかへ行き、俺は彼女が歌い終わるまで微睡むように聞き惚れていた。
──もっと近くで聴こう。
そう思い、俺は彼女の方へと歩き出した。
横断歩道を渡る間も微かに歌は聴こえていて、近付くにつれ足取りが軽くなっていく。
清流のせせらぎのようでいて、どこか艶めかしいものを感じさせる声調は不思議と耳に残る。
彼女の前に行くと、三十人程度が歌を真近で聴いていた。
観衆の隙間から辛うじて見える看板はダンボールで、彼女の側に置かれている。
そこには『シンガーソングライター雨宮砂月、五月末までにCD300枚売り上げに挑戦中』と書かれていた。
真紅のカーペットにCDが積まれ、どうやら今聴いているのは彼女オリジナルの曲のようだ。
彼女はとんでもなく綺麗だった。思慮深く濡れた長い睫毛に、吸い込まれるような大きい瞳。
歌う表情は嫋やかで、アイドルのように笑顔を振りまくわけでもない。だがそれが一層彼女を魅力的に映していた。
彼女の周りにいる人達は歌に惹かれ、そして容姿にも惹かれているのだろう。
ふと目が合った。
多分、俺と歳はあまり変わらない。
彼女は今、夢に向かって突き進んでいるところなのだろう。観衆の多さから、その成功する確率は高いものだといことは察することができる。
こうしてる間にも彼女はSNSなどを通じて有名になっていき、少しずつ夢に近付いていくかもしれない。
ただ、人よりも少し良い生活がしたいが為に就活に身を入れている自分が、やけにちっぽけに思えた。
普段なら、こんなことは思わない。
だが、その時だけ俺は思ってしまった。
──失敗すればいいのに。
ガシャンッ。
無機質な音が、俺を思考から引き戻した。
音楽は止み、観衆の喧騒だけが辺りに響いている。
「路上ライブってよ、条例違反なんだぜ? こんなとこで歌ってんじゃねーよ!」
若者グループの一人が、笑いながらCDを踏み付けていた。他はスマホでその動画を撮り、ケラケラと笑っている。
「ひでえ……」
「誰か止めなよ」
何処からかそんな呟きが漏れる。
だがあれだけ群を成した観衆の中に、その行為を止める者は誰も現れない。
不快感をあらわにした表情を浮かべて、中には睨み付ける人もいるが、直接若者たちを止める者はいない。
皆んな怖いんだ。
増してや見知らぬ路上シンガーの為に、強面が混じる若者グループに飛び込むことなんて、誰にでも出来るわけじゃない。
俺も、その大多数の内の一人。
見知らぬ人の為に怪我をする程、俺はお人好しじゃない。
普段の俺なら、そうだった。
「止めろ」
この後の俺の姿は想像に難くない。
だが、罪悪感があった。
──失敗すればいいのに。
夢を追いかけ歌う彼女に、そんなことを思ってしまったダサい自分を。
この行為で、チャラにしたいと思ってしまったのだ。