……この町は、大きな家畜小屋だった。
魔物の、魔物による、魔物のための――人間の町。
町の外周には檻を思わせる堅牢な壁がそびえて立っており、出入り口の門は重厚な鉄扉でふさがれている。
そして、町のどの場所も、人食い鬼の魔物――オーガの監視つきだ。
誰も魔物には逆らわない。いや……逆らえない。
この町の人間たちはみんな、魔物の家畜としての生き方を受け入れていた……。
「……さァて、集まったな、人間ども」
その日――。
広場に集められた俺たち人間を見回して、オーガが満足げに言った。
「じゃあーー今回の“生贄”を選ベ」
……人は魔物に、定期的に生贄を捧げなければならない。
それこそが、俺たちが広場に集められた理由だ。
たいていの場合、魔物に捧げられる生贄は、あらかじめ話し合いで決められている。
それは、今回も同じであり……。
「……ほォ、綺麗に決まったなァ」
その場にいた全員の指先は、ぴたりと――。
――――俺に向けられていた。
「……テオ、悪いな」
側にいた友人のトールがうなだれる。
「だけど……お前のせいでもあるんだからな。お前があんなこと言わなきゃ……」
震える声で、こちらを責めるように呟く。
たしかに……俺が選ばれるのは、それなりの理由があった。
つい先日のことだ。
俺は友人たちに、こんな話を持ちかけてみた。
『――この町から脱出しないか?』
……と。
それに対する返事は、YESでもNOでもなく。
――拳、だった。
『……バカじゃないのか。人間が魔物に逆らえるわけないだろ。俺たちのレベルは……1なんだぞ』
トールが自分の手の甲を見せつけてくる。
そこに青白く輝いているのは――“レベル刻印”だ。
この世界の生き物は、“レベル”という数値によって命の価値が決められている。
そのレベルは種族ごとに定められており、生まれつき体のどこかに刻まれた紋章、いわゆる“レベル刻印”によって示されている。
たとえば、ゴブリンならレベル3、オーガならレベル10、ワイバーンならレベル37。
そして、人間なら――レベル1というように。
『……最弱種族の人間が、魔物に逆らえるわけがない。俺たちは魔法も使えない、武器だって持ってない、魔物みたいな天恵もない。反抗したところで……余計にひどい目にあうだけだ』
トールが拳を震わせて、諭すように言ってきた。
『――いいか、テオ……人は、魔物には勝てないんだ』
その一件から、俺は町の中で危険人物扱いになった。
まぁ、それが普通の反応だろうなと思う。
俺だって、他のやつらと同じように生まれ育ったのなら、同じように動いていただろう。
「……テオ、お前は危険すぎるんだ。お前1人が変なことをするだけでも、俺たちまでひどい目にあうかもしれないからな……」
「……わかってる。恨む気はない」
「じゃァ、こいつで決まりだな」
オーガが、ひょいっと俺をつまみ上げる。
それから、食材の目利きでもするように俺を眺めまわして。
「なかなか美味そうな匂いだなァ。こいつは食うのが楽しみだ」
そう言って、側に置いてあった人間サイズの鳥かごに俺を収めた。
そのまま、俺は“出荷”されていく。
「…………」
俺はいかにも怯えていますよと言わんばかりにうつむいた。
今の顔を誰にも見られたくはなかった。
……口元に笑みが浮かんでいるのが、自分でもわかってしまったから。
(さて……今のところは、全て計画通りだな)
俺は、ほくそ笑みながら。
服に忍ばせていた針金を、こっそり鳥かごの錠へと差し込んだ――。
◇
それから、俺はオーガたちの拠点――町の中心にある城へと運ばれた。
城の食堂に入ると、すでに食事の支度が整えられていた。
(……俺を食べるための支度、か)
豪華な掛布がかかった長テーブルには、綺麗に磨かれた模様つきの大皿や酒杯、銀のナイフやフォークが整然と並べられている。
そして、その食器たちの前にいるのは――オーガたちだ。
「おっ、やっと帰ってきたかァ!」
――わっ、と。
席に着いていたオーガたちが、食材の到着にわき立った。
「遅ェんだよォ!」「今回の人間はそれかァ!」「早く料理しろよォ!」「もう生きたまま食っちまおうぜェ!」「まずは誰がどこを食うか決めねぇとなァ」
「まァ、待て。ちゃんと切り分けてからだ」
そんな下品な声たちに見送られるように、俺は調理場へと運ばれていく。
調理場……といっても、そこは俺の知っているそれとは違った。
どちらかというと、屠殺場か。
「……さァて、料理の準備をしないとなァ」
オーガは俺の入った鳥かごを床へと下ろすと、こちらに背を向ける。
あまりにも無防備で、無警戒……。
鳥かごには鍵がかかっているし、まさか人間が魔物に抵抗するとは――抵抗できるとは、考えてもいないのだろう。
「~~♪」
オーガは鼻歌交じりに包丁を選んでいる。
俺はその隙に、さっと調理場内に視線を走らせた。
目当てのものは――。
(…………あった)
手近な台に無造作に置かれている刃物。
――先端の尖った大ぶりの屠殺用ナイフ。
俺はそっと鳥かごの外に出て、そのナイフへと手を伸ばし……。
「あァン? なにしてるんだァ?」
俺が動く気配を察知したのか。
肉切り包丁を手にしたオーガがふり向いた。
鳥かごの外にいる俺を見つけて、くしゃりと大げさに顔をしかめる。
「あァ、鍵閉め忘れたかァ? だがよォ、誰が勝手に出ていいと許可したんだァ?」
「…………」
「なんだァ? 人間のくせに反抗的な目だなァ? まさか、ここから逃げられるとでも思ったかァ? 無駄無駄……人間には、なんもできやしない。それがどうしてかは……わかるよなァ?」
俺の頭を指でつつきながら、せせら笑う。
「――レベルが低いからだ」
オーガは俺の手の甲を見下ろした。
そこに刻まれた紋章が示している人間のレベルは1。
一方で、オーガの肩に刻まれた紋章が示しているレベルは――10。
「神様ってやつは、よっぽど人間のことが嫌いなんだなァ。だから、人間を世界最弱にして、オレたち魔物のレベルを高くした。それがつまり、どういうことかって言うとだなァ……」
オーガが肉切り包丁を振りかざす。
その岩塊のような筋肉が、びきびきと血管をうねらせながら膨張していき、そして――。
「――人間はァ……オレたち魔物様に食われるために、生まれてきたってことだよォッ!」
だん――ッ!!
と、俺に向けて包丁が振り下ろされた。
床が爆発するように砕け散り、側にあった鉄製の鳥かごがひしゃげて弾け飛ぶ。はらはらと砂煙のように舞う、細かい瓦礫と塵……。
……さすがはオーガの馬鹿力といったところか。
人間の10倍のレベルがあるのはダテじゃない――が。
「……なに、勘違いしてるんだ? 魔物風情が」
煙が晴れたとき。
俺は包丁の下ではなく――上に立っていた。
「……は?」
状況をつかめず固まっているオーガに、俺は嘲笑を向けてやる。
「お前らが、俺を食う? いいや、逆だ……」
俺の手元で、あらかじめ用意していた魔法陣がきらめく。
――“肉体強化”
――“物質強化”
人間には使えないはずの魔法――。
その発動と同時に、俺はその場から跳躍した。
こちらに伸ばされていた腕を足場にしてさらに跳び、オーガの眼前へ。
そこで俺は、背中に隠していた屠殺用ナイフを抜き放つ――。
「――――俺が、お前らを喰うんだ」