その日の帰り道、俺は西野といつものように並んで歩いていた。ただ、いつもはくだらない話で盛り上がるけど、なぜか今日は互いに話題を切り出せない空気の中にいた。

 その原因は、やはり神山にあるだろう。突然三人の関係に訪れた変化の兆し。神山の真剣さの度合いからして、これまで通り笑いのネタにすることに、西野も抵抗があるみたいだった。


「優斗があっさり引き受けるのは意外だったかな。もっと抵抗するかと思ったんだけど」


 先に口を開いたのは、西野だった。ちょっと幼さの残る顔に強張った笑みを乗せ、探るように呟いた言葉からも、西野の戸惑いが見え隠れしていた。


「仕方ないだろ。あんな目して頼まれたら、断りたくても断れないっつうの」


 適当にぼやいて返しながら、西野の出方を伺う。西野は「それもそうだね」と呟きながらも、俺の次の言葉を待っているみたいだった。


「まったく、だいたい流星が甘やかすから、麻美が調子にのるんだろ」


 西野の探る目から逃げるように、俺は無理に会話をつなげていった。話す内容は他にあることはわかっていたけど、なぜか切り出すには気後れする気持ちがあった。

 そういうわけだから、長い川原の道に入っても本題には入れなかった。相変わらず西野が神山のことを話題にしたがっているのは伝わってくるけど、西野もまた、はっきりと直接には言及することはなかった。

 そんなどことなく気まずい空気が続く中、西野が本題に切り込んできたのは、川原の道も半分過ぎたあたりだった。


「優斗、変なこと聞いてもいい?」

「なんだよ急に」

「今日麻美に相談された時、どう思った?」


 急にかしこまった西野が、少しだけ声のトーンを落として呟いた。その顔から笑みが完全に消えていたから、ここから先は冗談ではなくガチの話になることはわかった。


「ふざけんなよっては思ったけど」

「それだけ?」

「それだけって、どういう意味だ?」

「僕は、麻美から相談された時、ちょっと恐いって思ったんだ」


 夏の蒸し暑い風に消えそうなくらい小さな声で、西野が意味深に呟いた。日が落ち始めて赤くなった空を背にした西野の表情は、今まで見たことのないくらい複雑な色を滲ませていた。


「ほら、僕たちってさ、小さい頃からずっと一緒だったよね。何をするにしても、優斗と麻美がいて、それはずっと変わらないことだって思ってたんだ。けど、麻美から告白するって話を聞いた時、なんだか今の関係が壊れるというか、何かが変わってしまうんじゃないかって思って。でね、それが僕には恐く思えたんだ」


 不意に立ち止まった西野が、雄大に流れる川を見つめたまま弱々しく呟いた。


「それは考え過ぎじゃないのか? これまでもこんな話はいくつもあっただろ?」

「優斗だって、本当はそう思ってないでしょ? だって見たよね? 麻美があんな風に笑って話すの」


 西野の言葉は、俺の図星を突くには十分だった。確かに、これまで恋愛の類いの話はいくつもあった。けど、それは全て不発に終わり、今では単なる笑い話になっていた。

 けど、今回は違っている。そう確信させるほど、神山の意気込みは本気だった。


「別に、麻美に彼氏ができたぐらいで何かが変わるとは思わないけどな」


 流星の隣に並び、俺は流星から目をそらして独り言のように呟いた。本心から出た言葉ではなかったけど、なんとなく西野の言葉を肯定する気にはなれなかった。

 これまで、何かをするとなると決まって三人だった。もちろん、お互いの友達を合わせたら必ず三人というわけではなかったけど、それでも、三人がばらばらになることは皆無といってよかった。

 その関係が、ひょっとしたら壊れることになるかもしれない。西野の言うとおり、新山に彼氏ができれば、新山は俺たち以上の関係を彼氏と築くことになるだろう。

 それを恐いと思うかどうかは、今の俺にはよくわからなかった。ただ、不意に突きつけられた現実を前にして、言葉にできないモヤモヤした感情に戸惑っているというのが、俺の素直な本音だった。


「ずっと変わらないって言ってもさ、俺たちだって大人になったらわからないんじゃないのか。大学が別になるかもしれないし、この街を離れるかもしれないだろ。だから、何かが変わっていくのは仕方がないとは思う。流星だって、いつかは彼女ができるだろうし、俺だって虎視眈々とその日がくるのを狙っているしよ」


 一度だけ西野に目を向け、再び夕日を反射する川面に向かってわざとらしくおどけてみせる。半分は強がりだったけど、半分は今の俺なりの本心だった。ずっと続いてきたからといって、これからも同じとは限らない。西野にしても、俺よりもてるくせに今まで彼女を作ることはなかったけど、それもいつかは変わる日がくるはずだ。

 それが当たり前だと、俺は思っている。何も変わらずに未来永劫続くのは無理な話だし、いつかは今まで通りにならない日がくるのはなんとなくはわかっていた。

 けど、頭でわかっていることと、胸に感じるモヤモヤがリンクしないのも事実だった。その理由は、多分、あまりにも急な話だったことと、変わってしまうかもしれないことに対する、寂しさに似た感情のせいなのかもしれない。


「それに、麻美が付き合うとはまだ決まったわけじゃないだろ。むしろ、フラレた後が大変だぞ。ケーキのやけ食い大会に巻き込まれたら、一週間は胃がやられるからな」


 半分希望を織り交ぜながら、俺は気まずい空気を無理矢理変えるように西野の肩を叩いておどけてみせた。そんな俺の無理矢理感満載のおどけに、ようやく西野が再び笑みを見せた。


「中二の時だっけ? 先生にアタックしてフラレたんだよね」

「よせと忠告したのにさ、玉砕したあげくに忠告した俺たちを巻き込んでのヤケ食い大会だったからな。マジで死ぬかと思った」

 つい口にした思い出話に、西野が声を上げて笑いだした。こうした馬鹿な思い出話ができるのも、俺たちのある意味特権だった。


「今ごろ麻美はくしゃみの連発だろうね」

「かまわないさ。ま、玉砕するとしても、笑い話のネタになると思って派手に協力してやるしかないか」

「玉砕決定なんだね?」

「そっちが面白いだろ?」


 俺が悪戯っぽく返すと、西野も目を閉じて何度も頷いていた。

 ただ、その表情に僅かに残った西野の憂いが、俺にはいつまでも気になって仕方がなかった。