幼なじみの新山麻美から相談されるのは、別に珍しいことではなかった。保育園から続く腐れ縁も気づけば高校二年になっているし、一緒に過ごした時間の長さを考えたら、ある意味兄妹よりも関係が深いといえた。

 だから、互いの相談事はある意味世間話レベル程度でしかなかったけど、今回はいつもと違う何かを俺は感じていた。

 ショートカットの淡く茶色に染めた髪を、何度も耳にかける仕草。笑うと糸目になる瞳にはいつもの余裕がなく、開くとマシンガンのように文句を繰り出す小ぶりの口にも、いつもの饒舌さがなかった。


 ――マジの相談事って何だよ


 僅かに項垂れながら靴に履き替え、いつもの校庭へ向かう。夏が始まった空はまだ日が高く、グランドからは運動部の活気に満ちた声が響いていた。

 そんな連中を横目に、校庭の隅にある木陰を利用したベンチに急ぐと、既に新山麻美と西野流星が楽しげに談笑していた。


 ――流星まで誘ったってことは、よっぽどのことか?


 西野の姿を見て、嫌な予感はさらに加速した。西野も同じく保育園から続く腐れ縁だ。西野は、俺とは違って小柄な体躯と女子寄りの顔つきをしているせいか、新山とは化粧の話やファッションの話でよく盛り上がっていた。

 とはいえ、これまで相談事を受けるのは俺の方が多かった。頼みやすいのかしらないが、俺も報酬次第で引き受けていた。

 けど、西野がからんでくると話が違ってくる。わりかしガチな話の場合には、必ず西野が先に相談を受けることが多い。言い替えれば、西野が関わっている時点で、新山によほどのことがあったということになる。 


「悪い、ちょっと遅れてしまって」

「はあ? ちょっとって、二十分も過ぎてるじゃない。女の子を待たせるなんて最低よね」

「あ? どこに女の子がいるんだ? いるのはまな板の胸した――」


 さっそくの新山の喧嘩腰にいつもの皮肉で返そうとしたけど、世界を狙える左フックが俺の呼吸をガチで止めにきた。


「痛っ、て、何すんだよ!」

「当然の報いでしょ。てか、こんな馬鹿やってる場合じゃないんだけど」


 腰に両手を当てたまま、新山が睨みをきかせてくる。ここまではいつもの調子と変わりはなく、ベンチで笑っている西野もいつもと同じだった。


「一体急にどうしたんだ? 西野だけでなく俺まで呼び出したりして。まさか、先週出没した熊と闘うつもりじゃないよな?」

「そうね、人里に下りてきたことを後悔させてやる――、って、だから、そんな馬鹿な話をしてる場合じゃないの」


 西野の隣に座りながら新山に冗談をぶつけると、すぐに世界を激震させるノリツッコミを浴びせられた。


「とりあえずさ、ふざけるのは後にして、麻美の話を聞いてやってよ」

 頭を叩かれたことへの怒りで新山を睨んでいると、いつものように西野が間に入ってきた。いつもふわふわとした奴だけど、絶妙に間を読んで仲裁に入ってくるから、俺も新山も互いに折れるしかなかった。


「コホン。では、改めて発表します。私の相談というのは、二人にある協力をしてもらうことです」


 急に咳払いと共にあらたまった新山が、神妙な顔つきでぎこちなく口を開いた。


「協力?」

「そう。実は私、今度の合宿で告白しようと思ってるの」


 緊張しているのかと思ったら急にしおらしくなった新山が、聞き間違いかと思うようなことを口にした。


「告白って、誰かを殺めたとか?」

「はあ? 馬鹿じゃないの。告白って言ったら好きな人に告白することに決まってるじゃないの!」


 俺の茶化しに、瞬時に怒り顔になった新山がツッコミを入れてくる。どうやら夏の暑さで頭がおかしくなったわけではなく、本気で誰かに告白するつもりみたいだった。


「ったく、私が誰かを殺めるとしたら木寺が第一号に間違いないね」

「は? ったく、なんで俺が殺められる必要があるんだよ。ってか、それより告白ってマジの話なのか?」


 呆れたようにため息をつく新山に僅かに殺意を抱きながらも、とりあえず世紀のハプニングになりそうな新山の話を真面目に聞くことにした。


「ガチと書いて本気だよ」


 俺が態度をあらためたせいか、新山も戦闘態勢を崩して事の成り行きを語り始めた。

 新山の相談事は、新山が片想い中の奴に告白することだった。相手は同じクラスで女子には割りと人気がある奴らしい。新山も普段は仲良くしているらしいが、それ以上の関係になりたくて、来週に行われる夏の勉強合宿で勝負に出ることを決心したという。


「なるほどな。てか、告白するなら別に俺たちに相談する必要ないよな?」

 新山が誰かに告白することは意外といえば意外だったけど、だからといって俺と西野の二人に相談する必要があるとは思えなかった。

 そんな疑問を西野に目で投げかけたけど、西野は薄笑いを浮かべて黙ったままだった。


「まあ木寺の言うとおりなんだけど、流星に相談したらいいアイデアが浮かんだってわけ」


 意味深に語り始めた新山の態度に、悪い予感しかしなかった。新山と西野が薄笑いを浮かべる時は、決まって俺に災難が降りかかることが多い。今回も、何か良からぬ企みがあって俺を巻き込んだのは間違いなさそうだった。


「夏の合宿って、決まって肝だめしをやるじゃない? でね、その肝だめしで、流星と木寺に幽霊役をお願いしたいってわけ」


 わざとらしく派手に俺を拝み始める新山だったけど、俺は聞き捨てならない言葉を聞いたことで反射的に立ち上がった。


「ちょっと待て。俺たちが幽霊役って、どういうことだ?」


 嫌な予感が確信に変わり、俺は勝手に話を進めようとする新山を慌て遮った。


「意味って、そのままの意味なんだけど」

「いや、そういうことじゃなくて、俺たちが幽霊役をしたら、俺たちは肝だめしに参加できないよな?」

「まあ、それはそうなるかな」


 俺の大事な問いかけを、新山は白々しい笑みで受け流そうとする。その態度からして、やはり災難が俺に降りかかるのは間違いなさそうだった。


「そうなるって、お前、夏の肝だめしが俺たち男子にとっては神イベントだってことがちゃんとわかってるのか?」


 白々しくきょとんとした表情を見せる新山に、俺は苛立ちを隠すことなく語気を強めた。

 俺が通う高校には、毎年夏休みに勉強合宿というものがある。もちろん、メインは勉強ではなく男女が仲良くなることであり、そのイベントとして用意されているのが肝だめしだった。

 もちろん、ただの肝だめしではなく、ペアになった男女は必ず手を繋ぐという、先代の男子たちが守ってきた鉄の掟があり、そのおかげで、今では神イベントとして報われない青春を過ごしている男子たちの希望にもなっていた。


「別にいいじゃない、参加しなくてもチャンスは一杯あるんだし。それに、木寺が参加しなかったら被害者も生まれずにすむから、かえって好都合なんだけど」

「ちょっと待て。どういう意味だよ?」

「そのまんまの意味だけど」

「あのな、麻美。お前は俺の頭の中を何だと思ってんだ?」

「百パーセント女の子でしょ。そんな木寺と二人きりになる女子を考えたら、かなり不憫なんだよね」


 何のためらいもなく容赦のない言葉を浴びせてくる新山に、俺はがっくしと肩を落とすしかなかった。図星と言われれば図星だけど、さすがに新山があわれむほど女の子に執着しているつもりはなかった。


「とりあえず俺のことはいいから、それより幽霊役って何だよ? 俺たちが幽霊役をしたところで何か意味があるのか?」

「その点なんだけど、木寺は吊り橋効果って知ってる?」

「吊り橋効果?」

「まあ簡単に言ったら、吊り橋みたいな危ない橋を渡ったら恐怖でドキドキするよね? その時に異性といたら、恐怖でドキドキしているのを、好きな気持ちでドキドキしているって勘違いするってわけなの」


 ドヤ顔で語る新山の狙いとしては、俺たちが幽霊役をして相手を脅すことで、吊り橋効果とやらのドキドキを利用するということらしい。

 けど、俺には得意気に語る新山の作戦は、思いっきりスベっているとしか感じられなかった。


「あのな、今時そんな作戦、小学生だって引っ掛からないと思うんだけど。なあ流星、こんなことに付き合う為に神イベントを無駄にしたくないよな?」


 軽い頭痛を感じながら、西野に同意を求める。けど、西野は相変わらず何考えているのかわからないような、屈託のない笑みを浮かべているだけだった。


「残念だけど、流星は手懐け済みよ。後は木寺だけだけど、答えは決まってるよね?」


 満面の笑みを浮かべながら、新山が一気に距離を詰め寄ってきた。


「拒否権は?」

「ないね。ついでに言うと、ドタキャンしたり寝返った場合は、末代まで怨み続けるから」


 さりげなく怖いことを口にしながらも、新山は不意に真顔になって俺を拝み始めた。


「私の一生のお願いなの。このチャンスを逃がしたくないから、協力してくれない?」


 珍しく真顔になった新山が、本気を示すかのように頭を下げてきた。もう何回目となるかわからない一生のお願いだったけど、今回はいつもと違って本気ということだけは伝わってきた。


「ったく、今回だけだからな。それと、報酬はたんまり請求するから覚悟しとけよ」


 暫く迷ったけど、僅かに潤んだ瞳に睨まれた以上、俺にはそれ以上抵抗することができなかった。

 こうして、夏休みの神イベントを無駄にすることになった俺は、あっさり引き受けていた西野を怨みつつ、新山の為に一仕事することになった。