彼女のラストダンスは最高に美しかった。
雨粒が音色を響かせ、指先が放物線を描き、スローモーションに時が過ぎる。 

「さようなら、私の夢」

彼女の瞳からも雨粒が降り注いだ。


◇◇


「これ、ください」

レジの前に置かれたサンドイッチとあんぱんとカフェラテ。彼女の定番はあんぱんとカフェラテ。サンドイッチは時々おにぎりに変更になる事がある。僕はお金を貰い、お釣りを差し出し猫柄のエコバッグに商品を詰め込む。


「店員さんもダンス好きって言ってましたよね?今度この舞台のバックダンサーやるんです。もし良かったら見に来て下さい」

レジに出されたのは舞台のチケット一枚。僕は嬉しくて舞い上がりそうになった。チケットを握りしめて「ありがとう!絶対、行きます!」
と言うと、彼女は天使の笑みを浮かべた。


彼女のダンスは美しく、一瞬で心を奪われた。黒髪が揺れて汗が宝石の様に煌めいて踊る。いつもの表情とは違い、キラキラした真剣な眼差しで。その目は遥かなる夢を見ている様で。ダンスを少しかじっている僕とは違う世界にいる人だなと感じた。


「プロのダンサーになるのが夢なんだ」

ダンススクールの講師をしながら、プロを夢見ている彼女。ダンスの世界が厳しいのは僕も知っている。生計を立てれるのはほんの一握りだ。それでも、その夢を実現するのに頑張っている彼女は、眩しいぐらいに輝いてかっこよかった。それから何度も彼女のダンスを見に行ったり、一緒にご飯を食べたり、時にはダンスを教えてくれる事もあった。 


僕は、彼女の事をもっと好きになっていた。


「幸(さち)さん、ちょっと頑張りすぎてない?」
躓きそうになった細い体をぐっと抱き締めた。
「大丈夫だよ。今、頑張んなきゃだめだからさ……」
突っ張ろうとした彼女をまた強く抱き締めた。
「こんな僕だけど幸さんが好きだ。付き合って欲しい。一緒に夢を追いかけよ?」
「海斗くん、まだ下手くそだからなーどうしよっかなぁー」
「ひどいな……結構上手くなってきたと思うけど」 
「私がこれからもきっちり指導してあげるよ。私も好きだよ」
2人で笑いながらおでこを合わせ、唇を重ね合わせた。


僕たちの交際は順調だった。相変わらず僕は、ダンススクールとコンビニの往復の毎日だったけれど。彼女の踊っている姿を見る度に、今の自分では彼女を幸せに出来ないなと思っていた。どうしようか、夢を諦めて普通に就職しようか。ちゃんとした男として彼女を幸せにしてあげたい。


「いつか海斗と一緒の舞台で踊りたいな」
「そんなの無理だよ。幸は段々と大きな舞台で踊ってるんだからさ。僕なんて小さなイベントで踊ってるだけだし」
「海斗のダンスはすごいよ!かっこいい!繊細だけど力強いみたいな」
胡座をかいて足の爪を切っている僕を、後ろからバッと抱き締めてくる。
「危なっ!指切るところだった!」
「はははは!」

意地悪そうに笑う彼女が可愛くて、愛しくて、振り向いてキスを贈った。この幸せに満ちた時間がずっと続けばいいと思う。



ガチャン!

「大丈夫?幸!」
「うん、大丈夫……マグカップ落としちゃったよ、ごめんね」
「怪我ない?最近、また頑張り過ぎてるんじゃない?稽古に練習ばっかで」
僕にも教えてくれているし、ちゃんと休んでいるのだろうか。舞台の稽古も厳しいみたいだ。
「海斗、あのさ、話があるんだけど」
「ん?何?」
彼女は長い睫毛を伏せ、僕の顔を見ずに消えそうな声で呟いた。


「別れよっか?」
僕は呼吸が上手く出来なくなった。