夜景と旧友

そして今年もまた親父に連れられて貴重な夏休みを返上して海外のホテルに来ていた。
毎年来てはいたけど今年は少し変わったことがある。去年までは親父と同じ部屋708号室に泊まっていたのだが、ホテルに着くと今までとは違う鍵が渡された。そして親父は鍵を渡すと僕が驚きに染まっている間に走って行ってしまった。流石に何の説明もなし、というのは納得が行かないから電話してやろうとポッケからスマホを取り出し親父の番号にかけるがかからなかった。そういえば親父はここにいるとき普段使いのスマホとかパソコンは使わないのだ。つまり連絡する方法がない。まぁもうどうしようもないので諦めて渡された鍵の部屋、三十三階の十七号室へとりあえず行ってみることにした。

中に入ると今までいた部屋よりだいぶ広い気がした。部屋の数は二つで一つは簡易的なオフィスにできそうな仕事用のスペースって感じで、もう一つの部屋はベットルームだった。ダブルベットよりも大きいサイズのベットが鎮座した部屋で逆に落ち着けないだろうと思うくらいの派手は装飾が部屋の床や壁、天井までも埋め尽くしている。ベットルームにはもう一つ扉がついていてトイレとお風呂があった。丸いお風呂ってまさかジャグジーなのか…?と思ったがまだ到着したばかりなので試すのは夜になってからにしよう。
とそんな感じで部屋を見て回ったが一人で過ごすにはとても、いやばかがつくほどに広い部屋だった。だが結局一ヶ月以上住むことになるので最終的には自室のように落ち着いて過ごすことができるんだろうが、慣れるのには少し時間がかかりそうだ。そんなことを考えながらベットに飛び込んだ僕は長旅の疲れとベットの極上の質感にかどわかされてそのまま眠りについてしまった。

はっと目を覚ましスマホで時間を確認すると午後の六時を指している。時差にもまだ慣れていない時にうっかり寝てしまうと時間を確認するのは怖い。六時ならそろそろ夕食のバイキングが開く時間だろうか。正確に言えばあのバイキングは一日中開いているがそろそろメニューがディナー用に変わるはずだ。
初日だし一番広い会場に行ってもいいのだが、あそこはどこか殺気立っている気がするから正直好かない。狭くはなるし料理の品数も多少減ってしまうがサブの方に行くか。
ご飯を食べに行くなら着替えるか…と服を探すのだが今までは日本にいた時に郵送してもうホテルの部屋に置いてあったけどもしかしてすでにこの部屋に置かれているのだろうか。と思ってクローゼットを開けると僕の服がビシッと決まって並んでいた。部屋から出るときはある程度かしこまった格好をしていないと正直メンタルが持たない。周りはそれこそ戦場に出向く戦士しかいないわけでその中を場違いな格好をして歩くというのは普通のメンタルの人ができることではない。
サクッと慣れた手つきで着替えを済ませて部屋を出てそのままバイキングへと向かった。

バイキングから戻ってきた僕はぐっと疲れていた。まさかサブの会場がまるまる貸し切りになっているなんて。どこの政治家の会合かは知らないがサブの方は規模が大きいとまるまる貸切になってしまうこともあるのだ。だから一番広い方へ向かったのだがやはりあの雰囲気は慣れない。元々気構えができていなかったので結局お腹を満たすほど食べることもできなかったし、まぁそれは後で何かしら食べればいいのだが。とそのままベットに倒れ込もうとしてしまったが今それをしてしまったらまた寝てしまいそうだ。と背筋を今一度ピンとはってお風呂に入ることにした。ちなみにお風呂はやっぱりジャグジーだった。
上がるととりあえずでバスローブを纏い、手荷物の整理をする。本当は昼間のうちに終わらせるつまりだったが寝てしまったので仕方ない。持ってきた二つのボストンバックのうち一つは勉強に関する教科書とか問題集とかが入ったやつでもう片方のちょっと小さいやつには個人的に必要なものを入れてある。
勉強の道具はもう一つの部屋に並べて置いてしまって、それ以外のものをすぐに必要にならないものは一旦収納にしまった。

さて暇になってしまった。まぁここで勉強をしてもいいのだがそれは本当にやることの無くなった時の頼みの綱として残しておく。早いうちに終わらせてしまうと最後の方の何もしていないという激しい無気力感に晒される恐れがある。
そうだ、俺は流れるように着替えて部屋を後にした。

全く来ないエレベーターを待って最上階へと辿り着いた。最上階にはラウンジがあって三百六十度ガラス張りの展望台となっている。
エレベーターから出て外の様子を目にした途端に僕はまたこの光景に魅了された。初めてこのホテルに来た日に親父に連れてきてもらってそれから毎年夜暇になることがあればここに来ていた。このホテルには商談を目的としてくる人が多いからこんな素晴らしい夜景があるということを知っている人は少ない。
『そういえば僕が教えてあげて何度も一緒にこの夜景を見たあの子はもう来ていないのだろうか。』
と昔のことを思い出した。この夜景はいつからか二人で見るものになっていたのだ。だけど数年前からは会っていない。
なんだが感傷に浸ってしまって案外このホテルに思い入れができてしまっているんだなと実感する。実際に僕の世界はここにいたことでとても大きく広がったし、見えるものがとても増えたように思える。

遠くから見ていた夜景を今度はガラスの目の前で望む。やっぱりこの場所は僕の知るどんな場所よりも綺麗だ。
すると誰かが隣に並んでくる。カツカツとヒールで歩いているような音が聞こえた。女の人だろうか。
「やっぱり、変わらないんですね。」
と聞こえた声はどこか聞き覚えがあって、そして懐かしさがあった。横を向くと鮮やかな⾚⾊のドレスを上品に⾝に纏い、美しく結われたブラウンの髪をしている女性がいた。
「もしかして、かえでさん?」
と顔を覗き込みながら聞いた僕に彼女はちょっと不機嫌そうに
「かえでさんですよ。」
と答えてくる。
「ごめんってかえで。久しぶり。」
と今度はちゃんと名前で呼ぶと上品に微笑んで
「久しぶり、とうや。」
ととても落ち着いた声で返事をされた。
そしてそのまま何を話すわけでもなく二人で夜景を眺める暖かい時間が続いた。僕としてはこのままでもいいのだけどアプローチは彼女に奪われてしまったのだから会話のエスコートくらいはしたいものだ。
「三年ぶりかな。」
と夜空の星に語りかけるように優しく言うと、かえでは
「そうね」
と静かに頷いた。
「会えて嬉しいよ。」
と一番恥ずかしくて、でも一番伝えたいことを口にする。
何か返事をくれるものだと思っていたのだがかえでは泣き出してしまった。ラウンジにいる人の視線が全て集まるのを感じる。だけど今はそんなことはどうでもいい。かえでには泣いていてほしくない。
「かえで?」
と呼びかけながら半歩身を寄せるがかえではそんな僕を拒むように手を出して距離を保とうとしてくる。
「かえで…?」
とさっきよりも弱々しい声で話しかける。すると僕の体を抑えていた手の力が抜けた。
「もう忘れられちゃったのかと思った。」
と彼女は涙ながらに言う。
「展望室に来て私はあなたがいるって気づいてたのに、とうやは私のこと見えてないみたいで、もう…、」
と僕はさっきよりもより強引にかえでの腰を引いて二人の距離を一気に縮める。
「それは違うよ、かえで。この展望室に入って夜景を見たらかえでのこと思い出しちゃってそれで頭がいっぱいいっぱいになって…。」
そしてちゃんとかえでの目を見て話しかける。
他にも色々言おうかとも思ったが今は理由なんて大事じゃない。僕が今かえでに伝えたいことなんて一つしかないんだから。
「だからかえで、かえでのこと忘れてなんかないよ。会いたかった、会えてよかった、かえで。」
そういうとかえでの体から力が抜けて寄りかかってきた。それをそのまま受け入れて強くそして優しく抱きしめる。
頭をぽんぽんと撫でながら落ち着くまでしっかりと抱きしめ続ける。
かえでは顔を上げると
「私も会えて嬉しかった。とうや。」
と優しく微笑んだ。
それが嬉しくてもう一度強く抱き寄せるとかえでも手を後ろに回して抱きしめてくれた。
そうして二人並んで昔のように手を繋ぎながら二人で夜景を眺めた。

しばらくするとかえでは外ではなくこっちを見てくるようになったので、
「もう行こうか。」
とその場から歩き出す。かえでは気がついていないが周りにいた人から微笑みかけられた。するとさっきまでの行動が脳裏に蘇ってきて猛烈に恥ずかしい気持ちになる。でも彼女の手から伝わる温もりを感じたらそんなことはやっぱり些細なことだと思えた。
エレベーターに乗りながら改めてかえでと話をする。幸い他に人は乗っていないので気を使う必要もなかったし。
「そういえばどうして去年と一昨年とその前はホテルにいなかったの?」
と聞くと
「寮のある学校に行っていたの。それで長期休暇でも別に家に一人ってことにはならないから、連れてきてもらえなかったの。」
と彼女は少し悔しそうに答えてくれた。
「昨年も一昨年も…ってことはとうやは毎年来てたんだね。」
「まぁ親父に連れてこさせられてね。」
とほんのり責任を親父に押し付けながら会えるかもしれないと思っていたことは黙っておく。おそらく彼女も勘づいているだろうし、わざわざ言う必要はないと思ったから。
とそんなことを話しているとエレベーターはすぐに目的の階についた。
そのまま彼女の泊まっている客室の前までついて行ったのだがどうもドアが開かないらしい。
「開かないの?」
と見たままのことを聞いてみる。
「この時間ならもうお母さんが帰ってきててもおかしくないと思うんだけどな。」
と言いながら呼び鈴を鳴らすが反応がない。どうやらスマホみたいな連絡できるツールも持っていないらしい。
だけど普通一人娘をこんな夜に鍵もスマホも持たせずに歩かせて部屋にいないなんてことがあるのだろうか。
「やっぱりダメだ。いないみたい。どうしよう。」
と彼女は見るからに困惑している。そんな彼女にこんな提案をするのは気が引けたが僕には他にできることなんてない。
「かえで。」
と呼びかけるとかえでは静かに僕の方を向いた。
「もし他にどうしようもないなら僕の部屋に来る?」
と提案する。
「おじゃましてもいい?」
とかえでは少し小さな声で僕の提案を了承してくれた。

そのまま無言の時間が続きながらとうとう僕の部屋の前に着いてしまう。ドアにカードをスキャンしてかえでを中に迎え入れる。
そして一通り部屋の場所とかを教える。
すると最後に
「とうやは一人で来たの?」
とかえではいつもの声色で聞いてきた。
「今回も親父と来たんだけど僕に鍵渡したら親父どっか行っちゃって。だからこの部屋には僕しかいないよ。」
そして思い出す。この部屋にはベットが一つしかない。今まで親父といた部屋はベットが二つあったけどこの部屋は一つだけだ。もしかして元々この部屋は二人部屋なのか…?それに連れ込んでしまったってかなりまずいのではないだろうか。
「ベットはかえでが使いなよ。僕はブランケットでも借りて隣の部屋で寝るから。それじゃあお風呂入ってる間は向こうの部屋にいるから…」
と逃げようとしたところでかえでに引き止められる。
「お風呂は済ませてきたからもういいよ。それで、あの、やっぱり、私だけベットで寝るのは悪いよ。」
と笑みを浮かべながら言ってくれた。でもそんなことを聞き入れることなんてできるわけがない。
「ありがとう。でもやっぱりそれはできないよ。」
と今度はちゃんと断る。
だけどそれでもかえでは身をひいてはくれなかった。
「それなら私もベットじゃなくてとうやの隣で寝る」
なんて無茶なことを言われたらもうどうしようもない。

今こうしてバスローブを着て対になるようにベットに腰掛けている。
「寝ないの?」
とかえでに話しかけられてようやくベットに横たわる。ちょうど人一人寝れそうなぐらいの距離を空けて。
そのまま眠れるわけもなく時間が過ぎていく。かえでも眠れないのかずっとごそごそと動いている。
「眠れないのか?」
と声を出すと
「はい」
と返事が返ってきた。
やっぱり無理してるんじゃないだろうか。そう思った矢先のことだった。
「とうやとこうやってまた会えたことが嬉しすぎて眠れないんです。」
彼女がそうやって言ってくれたのは。一体僕は何の勘違いをしていたんだろうか。かえでが僕を信用していないわけがない。信用しているからこそ部屋にくることも承諾してくれたし、こうして一緒に寝ることも許してもらえてるんだ。
「展望台に着いたらさ、夜景が綺麗だなってそれももちろん思ったんだけど、それよりも初めて会った時のことを思い出しちゃって。」
「初めて会った時ですか…。」
とかえではくすっと笑う。
「迷子の私を助けてくれたんですよね。」
「あれ迷子って認めるの?」
「だって今更どんな言い訳をしてもあれは迷子以外の何でもないですよ。」
「どうしようもなくなってた時にとうやが現れて、私の手を引いてくれて。私本当に王子様が現れたんだって思いましたもん。それでその王子様に連れられて一番綺麗な夜景に案内されて…。私あのとき見た夜景は今でも鮮明に思い出せます。」
「僕もだね。あの時みた夜景が一番綺麗だった。」
「それで迷子じゃないって意地張ってた私をエスコートしてくれて。ちゃんとお母さんのところまで案内してくれて。」
「でもあれは運が良かっただけだよ。」
「それでもですよ。ちゃんとお母さんのところへ連れ行ってくれました。」
「うん。」
「それに手が離れちゃったとき私からはとうやのことが見えてて、なんでとうやは必死になってるんだろう、なんてあの時は思いましたけど、でも私のこと本気で心配してくれてるんだって、それも嬉しくて。」
「見てたの?恥ずかしいな。」
「でもかっこよかったですよ。」
そんなこと言われたら一体なんて返せばいいのか…。
「あれからホテルで毎日遊んで、それで夏休みが終わるからってさよならを告げたのに一年後にまた出会って。」
「本当ですよ。」
と二人して笑っている。それが何より幸せだ。
「かえで」
そう呼びかけながらかえでの方へ身を寄せる。
「会えて本当によかった。」
そう言うと彼女も身を寄せてくる。
「ありがとう。」
そう言いながらできるだけ優しく抱きしめた。

そのまま抱きしめているとかえでは寝てしまった。
「本当にありがとう。」
最後にもう一度だけそう言って彼女の頭を撫でて僕もまた眠りについた。
次の日の朝かえでを部屋へと送った僕は泊まっているホテルを後にした。