わたしが更衣室で着替えて教室に戻ってくると、クラスメイトはお昼も食べずに教室にいた。なんでも緊急の職員会議が招集されたため、それが終わるまで待機しているよう言われたのだそうだ。なぜ突然職員会議が開かれたのか生徒にはいっさい説明はなかったものの、誰もがその理由を知っていた。
大人しくしていろと言われても、このような状況下で静粛にしていられるわけもなく、クラスメイトはいくつかのグループに分かれ、今回の件について話し合っていた。
――ある男子のグループ。
「おれ、人が死んでるところなんて初めて見ちまったよ」「オレもだぜ。でもよ、この間観た映画のほうがよっぽどリアルな感じがしたな」「馬鹿だなお前。映画のはしょせん作り物だぜ。リアルなわけねぇだろ」「でもよ、そっちのほうが何倍も気味が悪かったんだよな」「まあ、確かにそうかもしれないな。仮想はついに現実を追い越しちまったというわけか」「まったく、何をわけのわかんこと言ってるんだか」
そんなことを笑いながら話している。
……何であなたたちは笑っていられるの? 松永先輩が死んだというのに。あなたたちには血も涙もないの?
――ある女子のグループ。
「どうして!? どうして死ななきゃならなかったの? 生きていればこの先、楽しいこともきっとたくさんあったはずなのに」「そうだよね……。たった十年ちょっとしか生きていないのに悲しすぎるよ」「死にたくなるほど悲しいことでもあったのかな? それを相談できるような相手はいなかったのかな?」「ねえ、わたしたちの誰かが死にたいと思っていたら相談に乗ってあげようね」「うん、みんなでがんばって生きていこうね!」
そんなことを泣きながら話している。
……何で泣いているの? あなたたちと松永先輩は何の関係もないというのに。単に、自分は人の死に涙できる心優しい人間なのだとみんなに思われたいだけなんじゃないの?
――そして、わたし。
「…………」
ただ黙して自分の席に座っている。
……わたし、どうして泣いていないの? 悲しくないの? 何も感じないの? 大切な人が死んでしまったというのに……。。
そのとき、教室の扉が開いて豊田先生が入ってきた。クラスメイトはあわてて自分の席へと戻り、教室はしんと静まり返った。
豊田先生は教壇に立ち、皆を見渡す。心なしかその顔は憔悴しているように見受けられた。
ひとつ小さく咳払いをしてから豊田先生は言った。
「今日は午後から休校ということになります」
「やったぜっ!」
男子のひとりが席から飛び上がらんばかりに喜んだ。しかし、そのような反応をしたのは彼一人だった。他のみんなは「なんて不謹慎な」とばかりに眉をひそめたり、「形だけでも悲しんでおけよ」と呆れ顔をしている。その男子は気まずくなり、自分の席で小さくなってしまった。
何事もなかったように豊田先生は続ける。
「今日は掃除も結構ですので、居残ったりせずに早めに帰宅してください。明日は一時限目に臨時の全校集会を行いますが、それ以外は平常通りの予定ですので、宿題や忘れ物などしないよう気をつけてください。――以上です」
豊田先生の話はそれだけだった。なぜ午後の授業が中止になったのか、なぜ明日緊急の全校集会が行われるのかについては一切説明はなかった。豊田先生から詳しい情報がもたらされなかったことに誰もが少なからず不満を抱いたけど、どうせ訊いたところでまともに答えてくれるはずがないとわかっているので、いちいち文句を言ったりはしなかった。
日直の号令で起立し、豊田先生に礼をしてその日の学校は終わった。ある生徒は我先にと教室を飛び出し、またある生徒はさっきの続きとばかりに教室の一角に集まってお喋りを再開した。
豊田先生も教室から出ていこうとした。おそらく、これからまた職員会議の続きがあるのだろう。
「あ、そうでした」廊下に出ようとしたところで、豊田先生はふと思い出したように立ち止まった。「どこで話を聞きつけたのかわかりませんが、マスコミの人間が学校の前をうろついているそうです。ですが、決して相手にしてはいけませんよ。彼らは人の不幸をおもしろおかしく伝えたいだけの人間なのですから」
ほとんど誰も聞いていない中そう伝えると、豊田先生は今度こそ教室を出ていった。
しばらくするとお喋りしていた生徒たちも一人、また一人と教室を後にしていく。それでもなお、わたしはただ呆然と自分の席に座り続けていた。
「河村さん」
わたしを呼ぶ声がした。顔を上げなくても誰だかわかる。どうせ沢田さんが心配そうな様子でわたしを見下ろしているのだろう。
「早く家に帰ったほうがいいと思うよ。そろそろ生徒が帰ったかどうか先生が見回りに来る頃だろうからさ」
「…………」
「今回のことは残念だとは思うけど、だからっていつまでもここにいても仕方がないでしょ」
「…………」
「なんて言うか……生きている人間は死んだ人間の分まで生きていかないと」
「…………」
「……ごめん。もっと気の利いたことを言えればいいのだけど」
「…………」
わたしのことを心配してくれるのはわかるけど、正直ほっといてほしかった。
沢田さんがさらに何か言おうとしたところ、
「みさきー、早く帰ろうよー!」
お約束のように矢島さんが沢田さんを呼ぶ声が聞こえてきた。
沢田さんは急かす矢島さんに「今行くー!」と答えると、再びわたしに言った。
「じゃあね河村さん。気を確かに持ってね」
そして沢田さんは教室から去っていった。
――気を確かに持て。
たしか坂本先生も同じことを言っていた気がする。わたしはそれほど思い詰めているように見えるのだろうか。頭の中が真っ白で、何も感じることができないだけなのに。
気がついたら教室はわたし一人だけになっていた。沢田さんに忠告されたように、このまま席に座っていたら見回りに来た先生に怒られてしまうだろう。
「……帰ろう」
ひとり呟き、席から立ち上がった。机の脇のフックに掛けていたスクールバッグを手に取ると、思いのほか軽い。そういえば教科書やノートはまだ机に入れたままだった。
このまま置いていこうかと考えたけど、数学の宿題が出ていたことを思い出した。明日は全校集会の後は通常通りだそうだから、やはり持って帰ることにしよう。
わたしは机の中から教科書類を引っ張り出したところ、押し出されるように中から何かがこぼれ落ちた。それは板張りの床を跳ね、硬い乾いた音をたてた。
それは、見覚えのない封筒だった。