手紙文化は〈人類崩壊〉以前に広く存在した。
人類が滅びかけるはるか昔、
絵や文字を書くための紙が発明される。
正確に伝える記録の手段はやがて
情報を遠くに運ぶ通信へと発展し、
市場から墓場まで広く用いられた。
機械の普及で〈人類崩壊〉以前に
滅びかけたとされるが、今でも
レトロな手法を好む好事家や
一部の若者の間で秘密のやりとりとして、
特に授業中に使われる暇つぶしの
一種で暗躍を続ける。
絵や文字や写真などのやりとりであれば、
〈個人端末〉で番号を交わせば済む時代。
大量の手紙を持ったイサムが教室に入ると、
女子たちに緊張が走った。
生徒の男女比から異物扱いを受けるのは
いつものことであると言えるが、
今日の雰囲気はいつもと異なる。
会話は止まり、
視線が集まる。
イサムはこの淀んだ空気に
胃液が逆流する感覚を覚える。
件の封筒が詰まった袋を机に置く。
厚紙でできた袋の底の肉みその瓶が、
重しになってバランスを崩さず倒れない。
亜光が神妙な顔でつぶやいた。
「これ『有事協定』違反じゃないか。」
『有事協定』とは元芸能人であった
イサムに対する接触を禁じることを示す。
不純異性交遊などを規制する校則によって、
先輩女子が取り決めたとされる。
イサムは1通の封筒を手に取り表裏を観察する。
表は利き手とは反対の手で書いたような
ミミズのはったような字で『八種勇様』。
裏にはピンク色をしたホログラムのシールで
封がされており、差出人は書かれていない。
「これも差出人不明だ。筆跡が違うぜ。」
「封筒もシールも見事にバラバラだなぁ。」
貴桜と亜光、それからマオまでもが
イサムの机を囲んで封筒を鑑賞する。
クラス33人の中の男子3人。
男子の席は窓際の後ろ隅に追いやられている。
イサムは男子の中で一番うしろの席だった。
教室内の女子たちは、イサムたちに混じった
マオに対してなにか言いたげに遠目で眺めている。
だが海神宮家の御令嬢を咎められる生徒など、
この教室どころか学校には存在しない。
もしもマオに危害を加えようものならば、
テニスコートの向こうで待ち構えている
メイド服の機械人形が文字通り飛んで
駆けつけそうなものだ。
『有事協定』を犯したマオに対して、
女子たちは誰も指摘をしなかった。
「どうしよう、これ。」
イサムが困り果てた顔で
亜光と貴桜に助けを求めるので、
ふたりは顔を見合わせて協力する。
友人としての互助精神よりも好奇心のが勝った。
「手紙とか貰ったことないのか?」
「たぶん劇団か事務所で処理してたから、
実際に手紙なんて見たことないよ。」
「手紙に位置情報を登録すれば、
相手の自宅まで追跡も可能だしな。」
「僕の自宅調べてどうするの?」
「〈更生局〉直行。」
両手をヘソの前に差し出して、
手枷を具体的に想起させた。
カフェに現れた女と同じ末路をたどる。
柔らかなパステルカラーの色とりどりの封筒に、
色ペンで書かれた宛名は丸みを帯びて
記号混じりの文字を解読するのに時間がかかる。
中に1枚だけ真っ黒な封筒が混ざっており
マオがそれを袋の中から抜き出した。
「これも八種くん宛ね。」
「もう開けちまっていいんじゃねえの?」
「貴桜の言う通りデリカシーに欠けるけど、
差出人がわかっかも知れないぜ。」
「デリカシーってなんだ?」
「俺みたいな。」
「はいはい。」
「海神宮さん、なにしてるの…?」
マオが封筒を照明に透かしていた。
「『貴方は現世で結ばれる運命のヒトです。』」
「なんだそりゃ。」
貴桜が内容にあきれて口を挟むが、
マオは淡々と続きを読み上げる。
「同封の手紙に想い人の名前と
差出人の項目に貴方の名前を書きなさい。
さすれば貴方は運命の人とめぐり合えます。
これは呪いの手紙です。
この手紙を無視したり、捨てた場合、
貴方に不幸な災いが降りかかるでしょう。」
マオは額の絆創膏を取っていた。
手紙の封を開けることなく、
額にある第3の目で中身を走査した。
読み上げる途中で、マオは
内容のバカバカしさに少し鼻で笑っていた。
「なんか、凄いことやってのけたな。御令嬢。」
亜光と共にイサムも黙って感心するが、
手紙の内容が気になりそれどころではなかった。
「なにこれ…。宣誓書。ふふっ。」
黙読しながら内容に笑みがこぼれる。
「この別紙、宣誓書を要約するとね、
『有事協定』の破棄をするって内容。
相手の名前と八種くんに名前を書かせて、
配らせるって算段なんでしょう。」
「それなら名前を書けばいい?」
「書くな書くな。」
「よくあるイタズラだな。
そうか、こういうのやられたことないのか。」
亜光に指摘を受けて、
経験のないイサムは首を横に振る。
「全部入ってるのかしら。」
マオはいくつか別の封筒を手にとり、
同じく別紙が添えつけられているのを確認した。
「捨てようぜ、こんなもん。」
「捨てるなんて! あんまりじゃない。
相手の思いが込められた手紙なのに!」
「えぇっ?」
ファンデーションを薄く塗った顔には、
よく見ればうっすらとそばかすが見える。
唇にはべったりとグロスを塗った過剰なおめかし。
短い金髪を耳の上から左右にまとめた女子生徒が、
イサムたちの輪に混じって話しかけてきた。
同じクラスの舫杭ソニアであった。
「なぁ、これって有事違反?」
「『有事協定』違反な。」
「黙ってて!」
「はい。」
冗談半分でからかう貴桜につられた亜光が、
舫杭に叱られ、ふたりはだまってお互いを
肘で小突いて責任をなすり付けあった。
「相手への思いなんてあったか?」
「しっ!」
これ以上の軽率な発言は、
貴桜の教室内での立場を危うくするだけだった。
「捨てたらきっと呪いが発生するわよ。
くふふ。」
「わぁっ!」
舫杭の後ろで真っ黒にした前髪を
目が隠れるほど伸ばした白い顔をした女子生徒、
夜来ザクロが脅しをかける。
ザクロが呪いなどと言えば妙に雰囲気が出ており、
牡山羊のツノを模したカチューシャを付けている。
〈ニース〉を禁じられた寮生の抜け道だった。
こんな格好は許されるのか疑問が湧いたが、
〈ニース〉も授業を受けられるのであれば
些末な問題に過ぎない。
「なるほど。捨てちゃだめなら
溶かしてまとめちまうってのはどうだ?」
「いいわけないじゃない!
トンチやってんじゃないのよ。
このバカデカノッポ!」
廊下にも響く金切り声を上げる舫杭。
「怒られてやんの。」
「ねぇ、今の蔑称は許容範囲?」
「女子に言われる分にはセーフだね。」
「どんな判断だよ。貴桜。
いや、バカデカノッポ。」
「いいか、亜光。
貴様も肥満デブと罵られてみろ。」
「意味が重複してるぞ。
海神宮さんお願いします!」
亜光の要望などマオは無視するのかと思ったが、
イサムの視線を察知して彼女は目を合わせた。
「それ、私にどんなメリットが…。
肥満…デブ?」
言われた貴桜は黙ってうつむき、
亜光はメガネに触れて天井を見上げた。
ふたりはなにも言わず、
ゆっくり拳をぶつけ合った。
「なんなのこれ。」
尋ねられても答えようがない。
経験のないイサムには、
黙ったまま首を横に振るしかなかった。
人類が滅びかけるはるか昔、
絵や文字を書くための紙が発明される。
正確に伝える記録の手段はやがて
情報を遠くに運ぶ通信へと発展し、
市場から墓場まで広く用いられた。
機械の普及で〈人類崩壊〉以前に
滅びかけたとされるが、今でも
レトロな手法を好む好事家や
一部の若者の間で秘密のやりとりとして、
特に授業中に使われる暇つぶしの
一種で暗躍を続ける。
絵や文字や写真などのやりとりであれば、
〈個人端末〉で番号を交わせば済む時代。
大量の手紙を持ったイサムが教室に入ると、
女子たちに緊張が走った。
生徒の男女比から異物扱いを受けるのは
いつものことであると言えるが、
今日の雰囲気はいつもと異なる。
会話は止まり、
視線が集まる。
イサムはこの淀んだ空気に
胃液が逆流する感覚を覚える。
件の封筒が詰まった袋を机に置く。
厚紙でできた袋の底の肉みその瓶が、
重しになってバランスを崩さず倒れない。
亜光が神妙な顔でつぶやいた。
「これ『有事協定』違反じゃないか。」
『有事協定』とは元芸能人であった
イサムに対する接触を禁じることを示す。
不純異性交遊などを規制する校則によって、
先輩女子が取り決めたとされる。
イサムは1通の封筒を手に取り表裏を観察する。
表は利き手とは反対の手で書いたような
ミミズのはったような字で『八種勇様』。
裏にはピンク色をしたホログラムのシールで
封がされており、差出人は書かれていない。
「これも差出人不明だ。筆跡が違うぜ。」
「封筒もシールも見事にバラバラだなぁ。」
貴桜と亜光、それからマオまでもが
イサムの机を囲んで封筒を鑑賞する。
クラス33人の中の男子3人。
男子の席は窓際の後ろ隅に追いやられている。
イサムは男子の中で一番うしろの席だった。
教室内の女子たちは、イサムたちに混じった
マオに対してなにか言いたげに遠目で眺めている。
だが海神宮家の御令嬢を咎められる生徒など、
この教室どころか学校には存在しない。
もしもマオに危害を加えようものならば、
テニスコートの向こうで待ち構えている
メイド服の機械人形が文字通り飛んで
駆けつけそうなものだ。
『有事協定』を犯したマオに対して、
女子たちは誰も指摘をしなかった。
「どうしよう、これ。」
イサムが困り果てた顔で
亜光と貴桜に助けを求めるので、
ふたりは顔を見合わせて協力する。
友人としての互助精神よりも好奇心のが勝った。
「手紙とか貰ったことないのか?」
「たぶん劇団か事務所で処理してたから、
実際に手紙なんて見たことないよ。」
「手紙に位置情報を登録すれば、
相手の自宅まで追跡も可能だしな。」
「僕の自宅調べてどうするの?」
「〈更生局〉直行。」
両手をヘソの前に差し出して、
手枷を具体的に想起させた。
カフェに現れた女と同じ末路をたどる。
柔らかなパステルカラーの色とりどりの封筒に、
色ペンで書かれた宛名は丸みを帯びて
記号混じりの文字を解読するのに時間がかかる。
中に1枚だけ真っ黒な封筒が混ざっており
マオがそれを袋の中から抜き出した。
「これも八種くん宛ね。」
「もう開けちまっていいんじゃねえの?」
「貴桜の言う通りデリカシーに欠けるけど、
差出人がわかっかも知れないぜ。」
「デリカシーってなんだ?」
「俺みたいな。」
「はいはい。」
「海神宮さん、なにしてるの…?」
マオが封筒を照明に透かしていた。
「『貴方は現世で結ばれる運命のヒトです。』」
「なんだそりゃ。」
貴桜が内容にあきれて口を挟むが、
マオは淡々と続きを読み上げる。
「同封の手紙に想い人の名前と
差出人の項目に貴方の名前を書きなさい。
さすれば貴方は運命の人とめぐり合えます。
これは呪いの手紙です。
この手紙を無視したり、捨てた場合、
貴方に不幸な災いが降りかかるでしょう。」
マオは額の絆創膏を取っていた。
手紙の封を開けることなく、
額にある第3の目で中身を走査した。
読み上げる途中で、マオは
内容のバカバカしさに少し鼻で笑っていた。
「なんか、凄いことやってのけたな。御令嬢。」
亜光と共にイサムも黙って感心するが、
手紙の内容が気になりそれどころではなかった。
「なにこれ…。宣誓書。ふふっ。」
黙読しながら内容に笑みがこぼれる。
「この別紙、宣誓書を要約するとね、
『有事協定』の破棄をするって内容。
相手の名前と八種くんに名前を書かせて、
配らせるって算段なんでしょう。」
「それなら名前を書けばいい?」
「書くな書くな。」
「よくあるイタズラだな。
そうか、こういうのやられたことないのか。」
亜光に指摘を受けて、
経験のないイサムは首を横に振る。
「全部入ってるのかしら。」
マオはいくつか別の封筒を手にとり、
同じく別紙が添えつけられているのを確認した。
「捨てようぜ、こんなもん。」
「捨てるなんて! あんまりじゃない。
相手の思いが込められた手紙なのに!」
「えぇっ?」
ファンデーションを薄く塗った顔には、
よく見ればうっすらとそばかすが見える。
唇にはべったりとグロスを塗った過剰なおめかし。
短い金髪を耳の上から左右にまとめた女子生徒が、
イサムたちの輪に混じって話しかけてきた。
同じクラスの舫杭ソニアであった。
「なぁ、これって有事違反?」
「『有事協定』違反な。」
「黙ってて!」
「はい。」
冗談半分でからかう貴桜につられた亜光が、
舫杭に叱られ、ふたりはだまってお互いを
肘で小突いて責任をなすり付けあった。
「相手への思いなんてあったか?」
「しっ!」
これ以上の軽率な発言は、
貴桜の教室内での立場を危うくするだけだった。
「捨てたらきっと呪いが発生するわよ。
くふふ。」
「わぁっ!」
舫杭の後ろで真っ黒にした前髪を
目が隠れるほど伸ばした白い顔をした女子生徒、
夜来ザクロが脅しをかける。
ザクロが呪いなどと言えば妙に雰囲気が出ており、
牡山羊のツノを模したカチューシャを付けている。
〈ニース〉を禁じられた寮生の抜け道だった。
こんな格好は許されるのか疑問が湧いたが、
〈ニース〉も授業を受けられるのであれば
些末な問題に過ぎない。
「なるほど。捨てちゃだめなら
溶かしてまとめちまうってのはどうだ?」
「いいわけないじゃない!
トンチやってんじゃないのよ。
このバカデカノッポ!」
廊下にも響く金切り声を上げる舫杭。
「怒られてやんの。」
「ねぇ、今の蔑称は許容範囲?」
「女子に言われる分にはセーフだね。」
「どんな判断だよ。貴桜。
いや、バカデカノッポ。」
「いいか、亜光。
貴様も肥満デブと罵られてみろ。」
「意味が重複してるぞ。
海神宮さんお願いします!」
亜光の要望などマオは無視するのかと思ったが、
イサムの視線を察知して彼女は目を合わせた。
「それ、私にどんなメリットが…。
肥満…デブ?」
言われた貴桜は黙ってうつむき、
亜光はメガネに触れて天井を見上げた。
ふたりはなにも言わず、
ゆっくり拳をぶつけ合った。
「なんなのこれ。」
尋ねられても答えようがない。
経験のないイサムには、
黙ったまま首を横に振るしかなかった。