シバの店となっている円形の広い空間は
青色のタイルが張り巡らされ、
その壁面に沿って機械が等間隔に配置される。

ハルカは近くの空いている
機械のガラス扉を開けた。

中腰で片足の膝は床につけ、
片手を差し向けふたりを誘導した。

「さぁさ、おふたがたぁ、(へぇ)りなすって。」

「なんですか、それ。」

「〈人類崩壊〉の時代劇。」

「また歪んだ情報でも仕入れたんですね。」

「それでこれはなんの機械ですか?」

「入ったらわかるわよ。」

「またそれだ。」

機械の中は6人ほどが立っていられる
小さなエレベータ程度の質素な空間だった。

機械に入ると正面から柔らかな光で照らされる。
斜め上と、膝下からふたつの大きな板型の照明。

「これ写真機?」

手元には小さなディスプレイとその上には
カメラレンズが埋め込まれており、
機械に入ったマオとイサム、
それからハルカが鏡写しで表示される。

「なんで写真…?」

写真程度であれば〈個人端末(フリップ)〉を使えば、
撮影だけでなく日付や場所と共に
個体情報を残せる。

こんな辺鄙(へんぴ)な場所まで来る必要はない。

イサムは自問しつつ〈個人端末(フリップ)〉の使えない
この場所での機械の特性を察した。

「これは個体情報が残らないの。
 〈人類崩壊〉前の機械を再現させた写真機ね。
 ほら、イサム。ここ立って。いくよー。」

正面のボタンを押すとすぐに、
ディスプレイに映ったイサムたちの背後は
透明だったガラス扉が青色に曇った。

左右のスピーカーからカウントダウンが始まった。

「イサム、前見て。」

ハルカに両手で頭を捕まれて
イサムは首を無理やり捻られる。

カウントダウンを終えると同時に
擬似的なシャッター音が鳴ると、
正面のディスプレイは映像が静止画に変わる。

長身で顔の整った女子ふたりと、
まぶた半開きのイサム。

「イサム、変な顔。」

「首が痛い。」

ハルカはディスプレイの案内に従い、
青色の背景を浜辺や芝生の丘へと
好みの景色に切り替えて合成し、
今日の日付を手で書き加えた。

「印刷ができる機械なんですね。」

「ほら、シールにもなるわよ。
 はい、マオちゃんの分。」

機械から出力されたシールには
指ほどの大きさで同じ写真がいくつも並び、
台紙ごとミシン目が入っていて
素手で切り離すことができる。

「ハルカさん、これをしに来たの?」

「あとアイスを食べに行くわよ。
 地下名物違法アイス。」

「それって食べても大丈夫なやつです?」

ハルカはもう一度機械のボタンを押して、
撮影のカウントダウンを開始させた。

「今度はこのポーズに合わせて。
 ほら、マオちゃんも。」

「なんだこれ…。」

「なにやってるのかしらね。ふふふ。」

姉に振り回されている状況に、
隣でマオが自虐的に笑った。

自らの意志ではないものの、
マオとの外出は『動物園』以来のことだった。

鏡像に映る正面のディスプレイを見て
ふたりでハルカの仕草をマネる。

右手の親指と人差し指を伸ばして(あご)に当て、
片目を薄く閉じてカメラを睨むように
3人同じポーズで撮影した。

――――――――――――――――――――

「おいしぃー…。2年間ぶりのこの味…。」

『地下名物違法アイス』と怪しげな名ではあるが、
値段以外は普通のソフトクリームショップだった。

地下へと降りる螺旋階段と、
ソフトクリームの渦巻きをかけた
名前の由来は肩透かしするほど単純なものだ。

素朴なバニラ味のソフトクリームに、
たっぷりのカラースプレーチョコを付け
ハルカは舌鼓を打つ。

とろけそうな顔をして喜ぶ姉の表情を初めてみた。

写真機を出て店主のシバと別れてから、
再び迷路を歩いて、巨大な空間へと出た。

通路では一切見かけなかった人が大勢集まり、
それぞれに酒や音楽を楽しみ踊る。

長椅子に3人で腰かけて、イサムは
なにも付けていないバニラアイスを口にして
その様子を眺めていた。

ロビーのような円形の巨大な空間の両脇には、
真っ黒な柱上の構造物が天井まで伸びて霧を出す。

その噴霧によって、ここでは
個人端末(フリップ)〉を開くことも
個体の走査(スキャン)〉さえも妨げられる。

マオはイチゴ味のソフトクリームを食べて、
写真機で撮った謎のポーズのシールを見つめる。

「それもおいしいでしょ?」

「はい。」

「ひと口交換しよ。」

ハルカの身勝手な要求にも、マオは素直に応じる。

「うん。甘酸っぱくておいしい。どう?」

「さっぱりしてます。八種くんも交換する?」

「僕のはハルカさんと同じ味ですよ。」

ハルカとは違いチョコのないバニラアイス。
マオには交換するメリットはない。

「いいから食えっ。」

ハルカがマオの肘に触れ、
ソフトクリームを押し付ける。

ハルカの強引さに諦め半分で目を閉じたとき、
なにか思い浮かぶが、瞬間イサムの口元を外れて
ソフトクリームは鼻に衝突した。

あ然とした。

「あ、ごめん。」

「ハルカさぁん…。」

顔にこびり付いたソフトクリームが
落ちないように、恨みがましく姉に抗議した。

(あき)れと共にハンカチを取り出して、
顔を拭いながら考えていたことを口にする。

「ハルカさん、なんでここに誘ったんですか?」

「気になるぅ?」

「言いたくないならもう聞きませんよ。」

「言う言う。ちょっと待ってって。」

イサムに意地悪くされると、ハルカは急いで
ソフトクリームのコーンを小気味よくかじる。

「んんー。」

冷たさに声にならない声を上げて、
座ったまま足踏みで(もだえ)てた。

「あぁー美味しかったぁ。」

「そんな急いで食べなくてもよかったのに。」

「わたしは急いで喋りたかったのじゃ。」

「左様でございますか。」

「うむ。苦しゅうない。」

ドラマのマネごとが好きな彼女は満足したのか、
腕を組んで大げさにうなずき
ようやく話しを始めた。

「わたしがモデルデビューして
 仕事が軌道に乗ったときに、
 わたしのマネする人が増えたのね。」

それは〈デザイナー〉と呼ばれる〈ニース〉たち。

形の差異はあれど、他人に成りたいと思う
〈ニース〉はハルカのようなモデルをコピーする。

「それは別にいいのよ。
 人気が出てきた証拠だもの。
 ただ、仕事として、モデルとしての
 悠衣(ゆい)と、ハルカというわたしが
 わたしである部分を失いかけてたときに、
 シバさんて悪い人に誘われて
 ここに通うようになったの。
 美味しいものもあるし。」

「アイス目当て?」

「そうよ。最初はね。シールもいいでしょ。
 悠衣(ゆい)にそっくりの人がいっぱいいるのに、
 〈個人端末(フリップ)〉が使えないから、
 本物のわたしのことは誰も気にしない。
 変なところだって思ったわ。」

「そうですね。〈更生局〉も
 ここを見逃しているのでしょうか。」

「よくはわからないけど。
 わたしにとってここは
 わたしを再認識するための場所。」

それからアイスを食べるイサムを見た。

「イサムもそのうち、こういう
 自分だけの居場所を見つけて欲しいの。
 来月にはもう16歳だもの。
 いまは学生って身分のイサムを演じてるけど、
 役者や歌手のユージでじゃなくて。
 ひとり暮らしして、友達でも恋人でも作るか、
 自分なりの居場所を見つけられればいい。
 それは単なる住居じゃなくてね。
 たとえばこんな場所で道を踏み外してもね。」

「そんな無茶な。」

「無茶じゃないわよ。
 人として正しくあろうって思うほうが無茶だわ。
 望むままに生きた方が人間、よっぽど健全よ。」

以前、学校の駐車場でマオに言われたときのことを
思い出してイサムは黙った。

「もし、イサムが結婚できなかったら、
 お姉ちゃんが結婚してあげてもいいし。」

「えぇ…。
 道を踏み外すって、そういうことですか?」

「たとえ話よ。」

からかい笑う姉の姿を(いぶか)しみ、
イサムはマオと顔を見合わせた。