〈3S〉に並ぶ列の向こう側に、
同じ高校の制服を着た女子生徒が立っている。
背筋が伸びて姿勢がよいので遠目でも目立つが、
なによりも赤い髪が目を引いた。
その生徒が、〈ニース〉たちの列を見てつぶやく。
イサムには聞き取れないほどの声量だが、
はっきりとなにを言ったのかわかった。
ただその言葉の意味はわからずに、
イサムは進行方向になる彼女の方へと歩いた。
「おはよう、八種くん。」
呼びかけられたイサムは、
その落ち着いた声の持ち主に振り向いた。
暗い紺色のセーラー服姿をした彼女は、
イサムと同じ赤色の校章バッジを付けている。
「お、はようございます…
海神宮さん…。」
イサムは顔を見て、
うろ覚えで呼び慣れない名前を
よそよそしく言った。
海神宮真央。
小柄なイサムよりも頭ひとつ背の高いマオから、
鼻筋の通った顔に切れ長の目で見おろされる。
赤髪を真ん中できっちりと分けた額には、
色素の薄い肌に紛れて絆創膏が貼られている。
これは決して怪我ではない、
と思いながらもイサムは肩を小さく震えさせた。
見てはいけないものだと直感し、
彼女の赤土色の瞳から目をそらす。
記憶を呼び起こしてたずねた。
「海神宮さんの通学路、こっちでしたか?」
「違うわよ。今日は…下見。」
「下見? …ですか?」
少し吊りあがった目を閉じてうなずいた。
新入生の引っ越しであれば、
年度の始まる3月中には済ませる。
イサム自身も3月末に引っ越してきた。
それが5月上旬の今。ほぼ2ヶ月も遅れた
おかしな時期の彼女の引っ越しにイサムは
オウム返しになり首をかしげた。
「そうね。当然そう思うわよね。
私のお家は少しばかり特殊だから。」
具体的な説明をするでもなく、
振り向いて後ろを指し示す。
イサムの後方には
彼女を送り迎えする車が待機していた。
分厚いグリルの古めかしい黒色のセダンは、
のんびりと彼女の後ろをついてきて
横に付くと道の脇に停車した。
〈人類崩壊〉以前の意匠は、
今の市場で定番のものになっている。
一方通行の道路には渋滞ができて、
一台の後続車両がホーンを鳴り響かせた。
黄色のワンボックス車は
路肩に停めた送迎車を避けず、
道路の中央で難癖を付けている。
「迷惑なヒトね。」
マオが冷淡な口調でつぶやく。
マオの送迎車から、エプロンドレスをまとった
黒色の女中服をした女性が降りてきた。
送迎車はそんなメイドを置いて先を行った。
迷惑な黄色のワンボックス車は、
今度はメイドを対象にしてホーンを鳴らし続け、
窓を開けては大声で叫んでいる。
邪魔だ、迷惑だ、ゴミなどと運転席の若い女は
メイドに向かって罵声を浴びせ続ける。
すると黒い長髪のメイドは
運転手の目の前に立つと膝を曲げてかがみ、
車体を軽々と持ち上げた。
大声をあげる運転手を気にもせず、
近くの空き地に車の天地をひっくり返した。
ひっくり返ったままメイドの顔を見た運転手は、
言葉を失い口の開閉を繰り返す鯉となった。
メイドは軽くひと仕事を終えた様子で
手をハンカチで軽く拭い、
主人であるマオの後ろで立ち止まる。
イサムはメイドの顔を目の当たりにし、
すぐに目を伏せた。
並外れた怪力を持つメイドは、
〈キュベレー〉であった。
〈キュベレー〉は〈更生局〉が扱う機械人形だ。
警備等の治安維持、学習施設での教育用、
育児、医療、または愛玩用など広範に扱われる
〈人類崩壊〉以降の人類のパートナー。
大きな黒色の目に加えて、額に人間とは
大きく異なる第3の目が存在する。
その〈キュベレー〉は真っ白な顔をして
頭部には黒髪のウィッグを被っており、
服を着てヒトの模倣をしている。
エプロンドレスのメイド服にウィッグを付けた
〈キュベレー〉従えて、およそ普通とは異なった。
「なん…です、アレ?
殺し屋ですか?」
イサムはおかしな格好の〈キュベレー〉に
言い知れぬ不安を覚えた。
「冗談が下手ね。
海神宮家専属の〈キュベレー〉よ。」
「専属…あの格好も?」
「趣味なんでしょうね。」
「まるで他人事だ…ですね。」
「学校。遅刻するわよ。」
イサム自身この追求を不毛と理解して、
促されるままイサムは黙って先を歩いた。
背の低さを自認しているイサムは劣等感もあり、
長身の彼女の隣を極力歩きたくなかったので
本能的に早足になった。
カフェでの騒動を鎮圧する〈キュベレー〉に、
珍妙な衣装を着せて従える海神宮家。
彼女はその御令嬢だ。
小さな歩幅で早足に歩いたが、
足の長いマオにとってそれは同じような歩速で
互いの距離は一向に開きはしなかった。
「女子寮ではないんですね。」
「寮に入る必要ないもの。」
「…ですよね。
でも今になって引っ越しって。
女子寮って学校が提供してる施設でしょ、
需要あって親が入らせるもんですから。」
「新入生も半数が寮生ね。」
寮生の数を厳密には把握していないものの、
マオの口ぶりに流れでイサムはうなずいた。
「寮に入れたがるのは、
ここが名府だからって理由もあるわね。」
「…〈ニース〉ですか?」
「そう。お外はみんなケダモノだもの。」
彼女の言い回しに再び、半信半疑でうなずいた。
マオの言う通り、この名府には
頭を獣にしたりツノを生やす〈ニース〉は多い。
寮生が16歳の誕生日を迎えたとしても、
〈ニース〉は寮の規則で許可されないという。
「車に乗って気が強くなるヒトがいるみたいに、
自分ではない誰かになると、ヒトは豹変する。
〈ニース〉になったからって全員が罪を犯して
〈更生局〉で隔離されるわけじゃないけれど。
被害に遭う可能性もないわけでもない。
それに寮なら家賃も安くて食事も提供される。
規則正しい生活ができて、必然的に
遠方出身者同士が身を寄せ合うから
お友達も作りやすい。合理的よね。」
大人びた物言いをするマオの言葉に、
イサムは3度目になって素直にうなずいた。
「と今までのはただの建前で、私の理由は単純に
入寮申請は2月で打ち切ってるからかしら。」
「あぁ…。」
当然のことが頭から消えていてハッとした。
「学校と寮の往復じゃ行動範囲狭いし。
八種くんはひとり暮らしなんでしょ?
この辺りの住心地は? 徘徊してる?」
「ひとを不審者みたいに言わないで下さい。
まだ越してひと月ちょっとですよ。
そんなに出歩く用事もありませんが、
今更になって爪切りがないって
気づいたくらいには初心者を痛感してます。」
伸びた爪を見てマオがやわらかな笑みをこぼした。
「爪くらい〈3S〉で整えればいいじゃない。」
「爪ひとつで? まだ15歳ですよ。僕。
それにお金もかかるじゃないですか。」
「冗談よ。
ここらは住宅地が多いから、
徒歩でも買い物には困らないわね。」
下見に来たというマオの観察する通り、
近隣は民家が多く、店も少なくはない。
イサム自身はある人に強制された
ひとり暮らしであったが、
不慣れな生活であっても
不便を感じることもなかった。
あえて困ったことを述べれば、
異様な赤い髪色のクラスメイトと
朝から通学しているという点だった。
「そういえば、あれ…なんだったんですか?」
「どれのこと?」
マオは後ろを振り向いて、〈キュベレー〉を見た。
「いや、さっきなにか、つぶやいてましたよね。
〈3S〉見ながら。マジン?」
「あぁ。魔人のことね。」
「魔人?」
同じことを2度つぶやいた。
それはイサムの知らない言葉だった。
「魔人。ヒトを惑わすもの。ヒトを害するもの。
異形の頭部を持つ。〈ニース〉にはピッタリ。
『魔』は他の言葉でも使われるわね。
たとえば魔女とか。知らない?
〈人類崩壊〉以前には他者をたぶらかしたと
告発してヒトを吊るすために
存在しない嫌疑をかけた。」
「吊るすって…なに?」
「言葉の通り。」
マオは両手で首を締める素振りを見せ、
だらしなく舌を出して呻いても見せた。
当時の悲惨な様相を、彼女の美貌に
似合わぬコミカルな表情が想像を妨げる。
「言葉は生物みたいに変化するのが
面白いところね。
〈NYS〉と〈ニース〉が
別れたみたいに。」
青褪めた顔のイサムに、
マオは自分の顔についたものを思い出した。
「これ、気になる?」
彼女は自分の額に貼られた絆創膏を剥がした。
絆創膏を斜めに半分ほど剥がすと、
中には赤土色をした人の目が入っていた。
彼女は先程まで魔人と皮肉っていた
〈ニース〉の〈デザイナー〉であり、
〈キュベレー〉と同じく額に目を持つ
〈サーディ〉であった。
同じ高校の制服を着た女子生徒が立っている。
背筋が伸びて姿勢がよいので遠目でも目立つが、
なによりも赤い髪が目を引いた。
その生徒が、〈ニース〉たちの列を見てつぶやく。
イサムには聞き取れないほどの声量だが、
はっきりとなにを言ったのかわかった。
ただその言葉の意味はわからずに、
イサムは進行方向になる彼女の方へと歩いた。
「おはよう、八種くん。」
呼びかけられたイサムは、
その落ち着いた声の持ち主に振り向いた。
暗い紺色のセーラー服姿をした彼女は、
イサムと同じ赤色の校章バッジを付けている。
「お、はようございます…
海神宮さん…。」
イサムは顔を見て、
うろ覚えで呼び慣れない名前を
よそよそしく言った。
海神宮真央。
小柄なイサムよりも頭ひとつ背の高いマオから、
鼻筋の通った顔に切れ長の目で見おろされる。
赤髪を真ん中できっちりと分けた額には、
色素の薄い肌に紛れて絆創膏が貼られている。
これは決して怪我ではない、
と思いながらもイサムは肩を小さく震えさせた。
見てはいけないものだと直感し、
彼女の赤土色の瞳から目をそらす。
記憶を呼び起こしてたずねた。
「海神宮さんの通学路、こっちでしたか?」
「違うわよ。今日は…下見。」
「下見? …ですか?」
少し吊りあがった目を閉じてうなずいた。
新入生の引っ越しであれば、
年度の始まる3月中には済ませる。
イサム自身も3月末に引っ越してきた。
それが5月上旬の今。ほぼ2ヶ月も遅れた
おかしな時期の彼女の引っ越しにイサムは
オウム返しになり首をかしげた。
「そうね。当然そう思うわよね。
私のお家は少しばかり特殊だから。」
具体的な説明をするでもなく、
振り向いて後ろを指し示す。
イサムの後方には
彼女を送り迎えする車が待機していた。
分厚いグリルの古めかしい黒色のセダンは、
のんびりと彼女の後ろをついてきて
横に付くと道の脇に停車した。
〈人類崩壊〉以前の意匠は、
今の市場で定番のものになっている。
一方通行の道路には渋滞ができて、
一台の後続車両がホーンを鳴り響かせた。
黄色のワンボックス車は
路肩に停めた送迎車を避けず、
道路の中央で難癖を付けている。
「迷惑なヒトね。」
マオが冷淡な口調でつぶやく。
マオの送迎車から、エプロンドレスをまとった
黒色の女中服をした女性が降りてきた。
送迎車はそんなメイドを置いて先を行った。
迷惑な黄色のワンボックス車は、
今度はメイドを対象にしてホーンを鳴らし続け、
窓を開けては大声で叫んでいる。
邪魔だ、迷惑だ、ゴミなどと運転席の若い女は
メイドに向かって罵声を浴びせ続ける。
すると黒い長髪のメイドは
運転手の目の前に立つと膝を曲げてかがみ、
車体を軽々と持ち上げた。
大声をあげる運転手を気にもせず、
近くの空き地に車の天地をひっくり返した。
ひっくり返ったままメイドの顔を見た運転手は、
言葉を失い口の開閉を繰り返す鯉となった。
メイドは軽くひと仕事を終えた様子で
手をハンカチで軽く拭い、
主人であるマオの後ろで立ち止まる。
イサムはメイドの顔を目の当たりにし、
すぐに目を伏せた。
並外れた怪力を持つメイドは、
〈キュベレー〉であった。
〈キュベレー〉は〈更生局〉が扱う機械人形だ。
警備等の治安維持、学習施設での教育用、
育児、医療、または愛玩用など広範に扱われる
〈人類崩壊〉以降の人類のパートナー。
大きな黒色の目に加えて、額に人間とは
大きく異なる第3の目が存在する。
その〈キュベレー〉は真っ白な顔をして
頭部には黒髪のウィッグを被っており、
服を着てヒトの模倣をしている。
エプロンドレスのメイド服にウィッグを付けた
〈キュベレー〉従えて、およそ普通とは異なった。
「なん…です、アレ?
殺し屋ですか?」
イサムはおかしな格好の〈キュベレー〉に
言い知れぬ不安を覚えた。
「冗談が下手ね。
海神宮家専属の〈キュベレー〉よ。」
「専属…あの格好も?」
「趣味なんでしょうね。」
「まるで他人事だ…ですね。」
「学校。遅刻するわよ。」
イサム自身この追求を不毛と理解して、
促されるままイサムは黙って先を歩いた。
背の低さを自認しているイサムは劣等感もあり、
長身の彼女の隣を極力歩きたくなかったので
本能的に早足になった。
カフェでの騒動を鎮圧する〈キュベレー〉に、
珍妙な衣装を着せて従える海神宮家。
彼女はその御令嬢だ。
小さな歩幅で早足に歩いたが、
足の長いマオにとってそれは同じような歩速で
互いの距離は一向に開きはしなかった。
「女子寮ではないんですね。」
「寮に入る必要ないもの。」
「…ですよね。
でも今になって引っ越しって。
女子寮って学校が提供してる施設でしょ、
需要あって親が入らせるもんですから。」
「新入生も半数が寮生ね。」
寮生の数を厳密には把握していないものの、
マオの口ぶりに流れでイサムはうなずいた。
「寮に入れたがるのは、
ここが名府だからって理由もあるわね。」
「…〈ニース〉ですか?」
「そう。お外はみんなケダモノだもの。」
彼女の言い回しに再び、半信半疑でうなずいた。
マオの言う通り、この名府には
頭を獣にしたりツノを生やす〈ニース〉は多い。
寮生が16歳の誕生日を迎えたとしても、
〈ニース〉は寮の規則で許可されないという。
「車に乗って気が強くなるヒトがいるみたいに、
自分ではない誰かになると、ヒトは豹変する。
〈ニース〉になったからって全員が罪を犯して
〈更生局〉で隔離されるわけじゃないけれど。
被害に遭う可能性もないわけでもない。
それに寮なら家賃も安くて食事も提供される。
規則正しい生活ができて、必然的に
遠方出身者同士が身を寄せ合うから
お友達も作りやすい。合理的よね。」
大人びた物言いをするマオの言葉に、
イサムは3度目になって素直にうなずいた。
「と今までのはただの建前で、私の理由は単純に
入寮申請は2月で打ち切ってるからかしら。」
「あぁ…。」
当然のことが頭から消えていてハッとした。
「学校と寮の往復じゃ行動範囲狭いし。
八種くんはひとり暮らしなんでしょ?
この辺りの住心地は? 徘徊してる?」
「ひとを不審者みたいに言わないで下さい。
まだ越してひと月ちょっとですよ。
そんなに出歩く用事もありませんが、
今更になって爪切りがないって
気づいたくらいには初心者を痛感してます。」
伸びた爪を見てマオがやわらかな笑みをこぼした。
「爪くらい〈3S〉で整えればいいじゃない。」
「爪ひとつで? まだ15歳ですよ。僕。
それにお金もかかるじゃないですか。」
「冗談よ。
ここらは住宅地が多いから、
徒歩でも買い物には困らないわね。」
下見に来たというマオの観察する通り、
近隣は民家が多く、店も少なくはない。
イサム自身はある人に強制された
ひとり暮らしであったが、
不慣れな生活であっても
不便を感じることもなかった。
あえて困ったことを述べれば、
異様な赤い髪色のクラスメイトと
朝から通学しているという点だった。
「そういえば、あれ…なんだったんですか?」
「どれのこと?」
マオは後ろを振り向いて、〈キュベレー〉を見た。
「いや、さっきなにか、つぶやいてましたよね。
〈3S〉見ながら。マジン?」
「あぁ。魔人のことね。」
「魔人?」
同じことを2度つぶやいた。
それはイサムの知らない言葉だった。
「魔人。ヒトを惑わすもの。ヒトを害するもの。
異形の頭部を持つ。〈ニース〉にはピッタリ。
『魔』は他の言葉でも使われるわね。
たとえば魔女とか。知らない?
〈人類崩壊〉以前には他者をたぶらかしたと
告発してヒトを吊るすために
存在しない嫌疑をかけた。」
「吊るすって…なに?」
「言葉の通り。」
マオは両手で首を締める素振りを見せ、
だらしなく舌を出して呻いても見せた。
当時の悲惨な様相を、彼女の美貌に
似合わぬコミカルな表情が想像を妨げる。
「言葉は生物みたいに変化するのが
面白いところね。
〈NYS〉と〈ニース〉が
別れたみたいに。」
青褪めた顔のイサムに、
マオは自分の顔についたものを思い出した。
「これ、気になる?」
彼女は自分の額に貼られた絆創膏を剥がした。
絆創膏を斜めに半分ほど剥がすと、
中には赤土色をした人の目が入っていた。
彼女は先程まで魔人と皮肉っていた
〈ニース〉の〈デザイナー〉であり、
〈キュベレー〉と同じく額に目を持つ
〈サーディ〉であった。