「もう学校行っちゃったかと思ったー。」

「間に合った。」

ディスプレイ越しにふたりがカメラを覗き込む。

それは月曜日の朝。

マンションに突然現れたのは、
イサムが歌手として2年間を共に
過ごしていたふたりの女子。

今では『SPYNG』と名乗り、
名府の街中でも広告を見かけるユニットだった。

「え? なに? どうして…?」

イサムは来訪者に気が動転し、
疑問が渦潮となって頭の中をかき回す。

「ねぇはやく開けてー。」

マンションの玄関で騒いでいようものなら、
彼女たちが衆目を集めてしまう。

要求を受けて施錠を解除し、
ふたりはマンション内に入ってきた。

しばらくすれば、部屋の前に来る。

カメラの前を去ったふたりを眺めてから、
イサムは失態に――失態の原因に振り向いた。

イサムの部屋の座卓で、
呑気に食後の紅茶を楽しむマオ。

燃えるような赤い髪が、
差し込む朝日に照らされて煌々と輝く。

それから隣には真っ白な顔に
3つの目を持つメイド服を着た〈キュベレー〉。

この異様な光景をどう釈明すればいいのか、
イサムは眉間に深くしわ寄せた。

間もなくしてインターコムが再び鳴る。
言い訳が思い浮かびはしなかった。

ふたりの訪問理由はわからないが、
マオのいるこの状況をふたりに見られたら、
説明に窮するのはわかりきっていた。

イサムにやましい気持ちはないものの、
できる限りの面倒事と誤解は避けたかった。

えん罪で〈更生局〉行きは困る。

海神宮(わたつみのみや)さん、お願いが。
 ちょっとだけそっちの寝室に
 隠れて待っててください。」

「ん、わかったわ。」

焦るイサムになにも聞かず素直にうなずき、
隣の部屋へ入って行った。

〈キュベレー〉が目の前に座っていたので、
黙って指で部屋に移動するように命じた。

主人ではない相手からの指示には、
不承不承といった様子で移動するのが
イサムには不思議でならなかった。

マオと〈キュベレー〉入室時に外した
ドアガードを、かけ直し忘れていたのは
大失態だった。

恐る恐る扉を小さく開けると、
空気が外へと吸い出されるように
扉が強く引っ張られた。

「ユージ、制服だぁ。」

「ナノさん。」

詰襟制服姿のイサムを見て、
目の前に現れた少女が歓声を上げる。

日に焼けた濃い肌をして茶褐色のやや吊り目に、
太い眉毛が力強い彼女の芸名はナノ。

本名はノンナであるが、
お互い芸名で呼び合うのが常である。

イサム(灯火(ともしび)ユージ)よりも早く
幼い頃から芸能活動をしている
先輩なので敬称を忘れてはいけない。

「声変わりした?」

「わからない。」

薄水色のトップスと黒のキュロットを着合わせて、
派手な橙色をしたショートボブヘアの上には
白地に青い帯のセーラーキャップを被っている。

さらに扉の影から顔だけを覗かせる少女。

「ユズ。かっこいい。」

「ゲルちゃんも。久しぶり。」

なにか言うでもなく何度もうなずく。
久々に会ったことで
とても興奮しているように見えた。

ゲルダの碧色の目は彫りが深く、
薄白い唇と肌からは冷たさを感じる。

まばゆい銀色の髪の上には、
手のひらサイズで黒色の
小さなシルクハットを乗せて飾る。

扉から全身を見せたゲルダは、
首元まで覆う深緑色のブラウスに
黒色のティアードスカートと
底の厚い革のブーツを履いている。

ふたりが大きく見えたのは靴のせいだった。

「ユズー!」

突如ゲルダに強く抱きつかれて、
イサムは胸部と腕を圧迫され
声にならない声をもらす。

「ちょっとゲルちゃん、離れなさいよ!」

「ユズ、小さくなった?」

「ふたりが大きくなったんだよ。」

1年半で背は伸びた。
イサムは心の中で自分に言い聞かせた。

「なに突然抱きついてるの。」

「はい、お裾分け。」

ゲルダはナノにも同じく抱きついた。

「もー。」

彼女の突飛な行動に慣れているナノは、
諦めて腕を回して背中を優しく叩いた。

「それでどうしたの、ふたりとも。」

イサムにとってふたりとは
約1年半ぶりの再会であった。

悠衣(ゆい)さんからここ聞いたの。」

「そうじゃないよ、ゲルちゃん。
 アタシたちは『来名コンサート』。日曜ね。」

「らいめい…。コンサートか。凄いね。」

彼女たちの活動拠点である転府から名府まで、
府をまたいでのコンサートは客層の違いから
滅多にない。

これも『聖礼(せいれい)ブーム』の影響に他ならない。

ナノの説明にイサムは驚くも、
それで朝早くに訪れる理由はない。

「そう。ユズに会いに来た。」

「ゲルちゃん、そろそろ離して…。」

ゲルダはナノに頬を貼り付けたまま会話を続ける。

「明日からこっちで撮影に入るから、
 前日入りしたの。
 それでナノがユズに会いたいって。」

「もー、ゲルちゃん。
 変なこと言わないでよ。」

そうは言ってはいるものの、
まんざらでもないナノの様子に
イサムは懐かしさに頬を緩めた。

「八種くん。そろそろ学校。」

再会に玄関で盛り上がっていた3人だが、
廊下に現れた制服姿のマオを見て
瞬時に静まり返った。

「え…ユージ…?」

抱き合っていたナノとゲルダは離れて、
マオとイサムを交互に見つめる。

「ちょっと! なんで出てくるんですか。」

「まだ? 寝室で待ってろってこと?」

「しん…。」

マオの放ったひと言は
イサムの言葉そのままで、言った本人も、
立ち会ったナノとゲルダをも
完全に黙らせるひと言であった。

イサムは顔を手で覆って自らの迂闊(うかつ)さを嘆いた。

ふたりとの再会にも関わらず、
イサムは目を合わせ辛い結果となった。

彼女たちの訪問で、彼は分岐路に立たされる。