イサムの部屋の玄関に、
ひとりの少女と1体の〈キュベレー〉が立つ。
黒髪のウィッグをした〈キュベレー〉は、
海神宮家の御令嬢であるマオの警護用機械人形。
今日も変わらずメイド服を着ている。
それから機械人形の前に立つ小柄な少女が、
夜来ザクロであった。
ザクロはイサムのクラスメイトであり、
月曜日に不幸の手紙なるものを送りつけた
実行犯のひとりだ。
ザクロは色素の薄い白い顔に
まるで光を反射させない真っ黒な髪を、
以前の容姿のまま目を覆うほど伸ばしている。
今日は休日なので制服姿ではない。
黒色のケープにフードを被り、
ほつれが目立つ破れた黒色のコート姿は
6月上旬とは思えない暑苦しい服装だ。
右腕と頭には包帯が乱暴に巻かれている。
「いくらなんでもこれは…手荒くないですか?」
「それ〈キュベレー〉のやったことじゃない。」
「これは前世で負った名誉の負傷なので…。
くふふ。」
「前世の負傷は現世に関係ないだろ。」
ザクロは相変わらず元気そうに、
亜光にしか意味のわからない言葉をつぶやく。
〈キュベレー〉に連れられる道中で
私的制裁を過剰に受けたのかと按じたが、
これらはすべてザクロのファッションであった。
マオが窓から公園を見下ろしたしばらく後に、
彼女の合図で玄関に全員集合している。
なぜか流れでイサムの部屋の玄関で
ザクロを出迎えていた。
この状況を彼女は妙に楽しそうに不気味に笑う。
「すげえ格好…。」
「なに持ってんだ?
マルチコプター?」
「大砲か。」
「カメラだろ。」
ザクロは両の手に
プロペラのおもちゃを抱えていた。
六角形のフレームの角には2重のローターがあり、
中央には大きなカメラレンズが備わっている。
それがマルチコプターと呼ばれる種の、
無人航空機のラジコンだった。
「わかったぜ、盗撮だ!」
「これは誤解。そう誤解なの。」
「そのラジコンは? 夜来さんの?」
「これが本物のストーカーか…。
初めて見る。」
「誤解…、いえ偶然よ。そう。偶然。」
「あからさまに言い直した。犯人だ。」
「なんで貴桜たちそんなに楽しそうなんだ。」
「今日は公園でこれを飛ばして遊んでたの。
そしたらこの〈キュベレー〉さんに見つかって、
理由もわからず連れてこられちゃって。
信じて。前世の記憶を思い出して。」
「だから前世ってなんだよ。」
「輪廻転生。生まれ変わって、
前世では恋人同士だったとか。」
「なんでそんなもんに詳しいんだ。」
「俺と妹のような運命的な関係を
あらわした適切な単語だからだ。」
「妹、騙されてないか?」
「よくある詐欺の手口ね。」
「海神宮の御令嬢から許可が出たぞ。
百花も現行犯だぜ!」
「ご冗談でしょ?」
亜光と貴桜にマオが混ざって
廊下の奥で盛り上がる。
「ちょっと静かに。
夜来さんそれ、誤解でもなんでもなく、
まぎれもない盗撮ですよね。」
「盗撮じゃないとは否定できないわね。
くふふ。」
なにひとつ疑惑が払拭できない
白々しい演技を重ねる彼女の弁明に、
部屋の住人があきれるしかなかった。
「ついにウチのクラスからも
ひとり〈更生局〉行きかぁ。」
「なんで大介が嬉しそうなんだ。」
「知ってるやつが捕まったらおかしいだろ?」
「もし俺がえん罪で捕まったら?」
「えん罪ってなんだよ。」
「罪を犯してもいないのに捕まることだ。」
「そりゃ絶対に笑うね。」
「大介、お前は追試だ。」
後ろのふたりは放っておいてイサムは話を続ける。
「〈更生局〉って…、
それじゃあ夜来さんどうなるの?」
「〈更生局〉はねぇ。
犯罪者を拘束して、反省を促すために
一定期間収容する場所だから。
私に反省の見込みがなければ、
一生〈更生局〉暮らしかしら。
名ばかりよね。くふふ。」
ザクロは余裕を持って丁寧に説明する。
「さてそれでは問題です。
私が反省するところはどこかしら。」
「反省の見込みなさそうだ。」
「あきらかに素行不良だもんな、その格好。」
「お前のその髪型も言えたもんじゃないぞ。」
「お前の体型だって不良じゃねーか。」
狭い廊下で騒ぐふたりに
イサムは辛抱強く堪えた。
「私がどんな罪を犯したのか。
誰がどんな被害を受けたのか。
それを証明できるものはありますかしら?
どうかしら。」
「なに言ってんだ。撮影記録があるだろ?」
「あーそれだ!」
「あらっ、そうだった。
私ってばうっかりさん。
でもね、これで八種くんのお着替えとか
お風呂場とか、盗撮したわけじゃないからね。」
「そんなこと言われて、
この場で確認したくないんですけど…。」
「そんなの見たって誰にもメリットないわよ。」
「酷い言われようだな、イサム…。」
悪びれる様子もないザクロは
ラジコン本体から〈記録媒体〉を取り出して、
包帯が巻かれた右手からイサムに手渡す。
取り出した爪ほどの大きさしかない棒状の
〈記録媒体〉は薄く細く小さい。
そのため巻かれた包帯の隙間を滑り落ちて、
玄関に置かれた靴と黒色のタイルに紛れ
どこかへ消えてしまった。
「あ。」
「証拠隠滅だ!」
「私と八種くんとの初めての共同作業が…。
これは不可抗力! 不可抗力です!」
「お前はなにを言っとるんだ。」
「どこに落ちたんだ?」
「わかんない。」
ザクロと貴桜たちが廊下で大騒ぎする中、
〈記録媒体〉を見失って焦り、
イサムはよつん這いで探す。
「天井裏とか?」
「適当な事抜かすな。」
「偽証罪だな。」
なにかがぶつかる物音が
上の階から響いて一瞬耳を傾けた。
「私の靴の中よ。」
マオが指差して落ちた場所を教えた。
彼女のローファーを逆さにすると、
目的の〈記録媒体〉が手のひらに落ちてきた。
「どうして海神宮さんはわかったのかしら?」
小さな照明の薄暗い玄関では
イサムには見えなかった物が、
後ろに立っていたマオには見えていた。
立ち上がってザクロの顔を見ると、
窮地に立たされているにも関わらず
不敵な笑み浮かべている。
そんな彼女の後ろに立つ
マオの警護用〈キュベレー〉が
廊下から部屋の天井を見上げた。
機械人形のおかしな動作に振り向いて
マオの顔を見ると、彼女もまた
廊下から天井を見上げている。
彼女の額にある第3の目が、
照明に反射して赤く光っている。
その視線は玄関からダイニングに向かい、
彼女は部屋の奥へと誘われて歩き出した。
容姿や肉体を変更した〈ニース〉の中でも、
彼女の額には自在に操ることのできる
第3の目と呼ばれる〈サーディ〉を持っている。
貴桜を避け亜光を洗面所に押し込んで退かすと、
マオはダイニングに入って天井を眺めた。
彼女の〈サーディ〉には廊下から脱衣所、
トイレ、ダイニング、それから寝室に至るまで、
天井には光点が等間隔で浮かび上がって見えた。
「なにかいるのぉ?」
天井を向いたまま歩くマオの奇行に、
ザクロは愉快そうに呼びかける。
マオはザクロを無視し、
イサムを見てから尋ねた。
「八種くん、天井になにか飼ってる?」
「なにか? ってなんですか?」
「このくらいの、大きさの、…ネズミ?」
マオが腕を左右にやや小さく広げて見せた。
「飼ってませんよ。
それにそんなに大きなネズミいるんですか…。」
「こえぇ…。」
「なんだ?」
イサムの言葉に反応したのか、
天井裏の物体が動きを見せて
ダイニングに物音が小さく響いた。
「あれぇー?」
〈キュベレー〉は連行してきたザクロを
その場に放置して、部屋の外の
廊下を走り去ってしまった。
「どっか行っちゃったよぉ?
いーのーぉ?」
廊下の外から金属の破裂音が響いて
ザクロの声はかき消された。
「いた。」
「…なにがいたんですか?」
「ヒト。」
「ひと? がいたんですか? ひと?」
イサムが同じことを2度尋ねたのは、
なにを言っているのか混乱したからだった。
「天井ってさ、だれか入れるの?」
「そりゃ点検口があんだろ。
配線調べたりするために…
小型の〈キュベレー〉が…点検したり…。
いや、どうやって入ったんだ?」
亜光の押し込まれた洗面所の天井にある点検口は
当然、同室内からしか入れない。
それを察して不気味さに亜光は身震いを起こす。
「自分の部屋の床をくり抜いて入った、
上の部屋の住人でしょうね。
50cmくらい〈デザイナー〉。」
「50cm?」
「人類史上、最小サイズのね。」
〈ニース〉でも変更が可能な
身体の大きさは、〈人類崩壊〉以前に
記録された基準を規定にしている。
身体の大きさには限度があり、
山のような巨人やアリのような小人に
誰もがなれるわけではない。
制限がなければ濫用の恐れもある。
『ヒトの形の範疇であること。』
それが〈ニース〉の制約だ。
「50cmって…これくらい?」
イサムが前腕2本分の長さを広げて、
だいたいの大きさを想像で示す。
「嘘だろ。オレん家の下の弟が
産まれたとき、そんぐらいだったわ。」
「いくらなんでも小さすぎやしないか。
イサムの3分の1くらいか。」
「もっとある!
…160cmはあるわ!」
反射で反対したイサムは、
反芻に間を置いて再度反論する。
実際は160cmには満たない、些細な反抗だった。
「狭くても小さきゃ動かす手足が短い分、
自由に動き回れるってことか。」
貴桜が立ったまま肘を曲げた状態で、
手首だけで小さく平泳ぎの仕草をしてみせた。
マオが〈個人端末〉を両手で開いて、
〈キュベレー〉視点の映像を取得した。
映像は上の階の部屋にあたる。
部屋の構造はイサムの部屋と同じだ。
「床下に侵入経路を掘って、
そこから満遍なく測定機器を置いてる。
室内の移動や生活音なんかの
八種くんの活動を監視してたんでしょう。」
「そんな危ないやつが、
イサムん家の上に住み着いてたのかよ。」
「俺らも見られてたってこと?」
「そうなる。」
マオは平然とうなずくが、
男3人は背筋に冷たいものを感じた。
「ねぇー! ボノボでもしてたのぉ?」
「だからしてねえよ!」
廊下でぽつりと立っていたザクロが、
マオと同じようなことを言ったので
亜光がすぐさま否定した。
「どうなってんだ、ウチの女子は。」
「なんの話をしてるのさ?」
「そんなの一般教養よ。」
「一般であってたまるか!」
「そんなに口答えしていいのかよ?
海神宮家の御令嬢だぜ。」
「ぐぅっ。」
貴桜の私的に亜光は目を強く閉じて、
無力さに下唇を噛んだ。
「ストーカーって本当にいたんだな。」
「だから言ったじゃん。」
「それじゃあ、私は彼女連れて帰るわね。」
「お勤めご苦労さまです。御令嬢。」
「〈更生局〉帰りみたいに言うな。」
「私、えん罪なんですけど?」
「そうね。悪かったわね。」
扉は閉まった。
残された男3人は、
マオによって連れ去られるザクロの最後を見送り、
顔を見合わせ天井を見上げた。
冷めた紅茶とポテトチップスをつまむ。
「なあこれ。上どうなってんだろ。」
「上?」
「まだこの部屋監視されてたり。」
「えぇ…どうしよ。」
「どうしよったって。なぁ。」
「そうだな。俺らにできることと言えば、
帰ってメシ食って寝るぐらいだな。」
「あぁ…、オレもそうだな。
忘れてたぜ。大事なことを。」
ふたりは荷物をまとめて立ち上がった。
「え? 帰るの? テスト勉強は?」
「あぁ、達者で暮らせよ。」
「いなくなってもオレたちのことは
気にしなくていいぞ。」
「見守ってるからな…、イサムのこと。
天井から。」
「怖いこと言うな!」
またふたりが帰るのを
今度はイサムひとりで見送った。
その晩はいつも通り布団に入り、
眠ろうとしたものの目が冴えて寝付けなかった。
ひとりの少女と1体の〈キュベレー〉が立つ。
黒髪のウィッグをした〈キュベレー〉は、
海神宮家の御令嬢であるマオの警護用機械人形。
今日も変わらずメイド服を着ている。
それから機械人形の前に立つ小柄な少女が、
夜来ザクロであった。
ザクロはイサムのクラスメイトであり、
月曜日に不幸の手紙なるものを送りつけた
実行犯のひとりだ。
ザクロは色素の薄い白い顔に
まるで光を反射させない真っ黒な髪を、
以前の容姿のまま目を覆うほど伸ばしている。
今日は休日なので制服姿ではない。
黒色のケープにフードを被り、
ほつれが目立つ破れた黒色のコート姿は
6月上旬とは思えない暑苦しい服装だ。
右腕と頭には包帯が乱暴に巻かれている。
「いくらなんでもこれは…手荒くないですか?」
「それ〈キュベレー〉のやったことじゃない。」
「これは前世で負った名誉の負傷なので…。
くふふ。」
「前世の負傷は現世に関係ないだろ。」
ザクロは相変わらず元気そうに、
亜光にしか意味のわからない言葉をつぶやく。
〈キュベレー〉に連れられる道中で
私的制裁を過剰に受けたのかと按じたが、
これらはすべてザクロのファッションであった。
マオが窓から公園を見下ろしたしばらく後に、
彼女の合図で玄関に全員集合している。
なぜか流れでイサムの部屋の玄関で
ザクロを出迎えていた。
この状況を彼女は妙に楽しそうに不気味に笑う。
「すげえ格好…。」
「なに持ってんだ?
マルチコプター?」
「大砲か。」
「カメラだろ。」
ザクロは両の手に
プロペラのおもちゃを抱えていた。
六角形のフレームの角には2重のローターがあり、
中央には大きなカメラレンズが備わっている。
それがマルチコプターと呼ばれる種の、
無人航空機のラジコンだった。
「わかったぜ、盗撮だ!」
「これは誤解。そう誤解なの。」
「そのラジコンは? 夜来さんの?」
「これが本物のストーカーか…。
初めて見る。」
「誤解…、いえ偶然よ。そう。偶然。」
「あからさまに言い直した。犯人だ。」
「なんで貴桜たちそんなに楽しそうなんだ。」
「今日は公園でこれを飛ばして遊んでたの。
そしたらこの〈キュベレー〉さんに見つかって、
理由もわからず連れてこられちゃって。
信じて。前世の記憶を思い出して。」
「だから前世ってなんだよ。」
「輪廻転生。生まれ変わって、
前世では恋人同士だったとか。」
「なんでそんなもんに詳しいんだ。」
「俺と妹のような運命的な関係を
あらわした適切な単語だからだ。」
「妹、騙されてないか?」
「よくある詐欺の手口ね。」
「海神宮の御令嬢から許可が出たぞ。
百花も現行犯だぜ!」
「ご冗談でしょ?」
亜光と貴桜にマオが混ざって
廊下の奥で盛り上がる。
「ちょっと静かに。
夜来さんそれ、誤解でもなんでもなく、
まぎれもない盗撮ですよね。」
「盗撮じゃないとは否定できないわね。
くふふ。」
なにひとつ疑惑が払拭できない
白々しい演技を重ねる彼女の弁明に、
部屋の住人があきれるしかなかった。
「ついにウチのクラスからも
ひとり〈更生局〉行きかぁ。」
「なんで大介が嬉しそうなんだ。」
「知ってるやつが捕まったらおかしいだろ?」
「もし俺がえん罪で捕まったら?」
「えん罪ってなんだよ。」
「罪を犯してもいないのに捕まることだ。」
「そりゃ絶対に笑うね。」
「大介、お前は追試だ。」
後ろのふたりは放っておいてイサムは話を続ける。
「〈更生局〉って…、
それじゃあ夜来さんどうなるの?」
「〈更生局〉はねぇ。
犯罪者を拘束して、反省を促すために
一定期間収容する場所だから。
私に反省の見込みがなければ、
一生〈更生局〉暮らしかしら。
名ばかりよね。くふふ。」
ザクロは余裕を持って丁寧に説明する。
「さてそれでは問題です。
私が反省するところはどこかしら。」
「反省の見込みなさそうだ。」
「あきらかに素行不良だもんな、その格好。」
「お前のその髪型も言えたもんじゃないぞ。」
「お前の体型だって不良じゃねーか。」
狭い廊下で騒ぐふたりに
イサムは辛抱強く堪えた。
「私がどんな罪を犯したのか。
誰がどんな被害を受けたのか。
それを証明できるものはありますかしら?
どうかしら。」
「なに言ってんだ。撮影記録があるだろ?」
「あーそれだ!」
「あらっ、そうだった。
私ってばうっかりさん。
でもね、これで八種くんのお着替えとか
お風呂場とか、盗撮したわけじゃないからね。」
「そんなこと言われて、
この場で確認したくないんですけど…。」
「そんなの見たって誰にもメリットないわよ。」
「酷い言われようだな、イサム…。」
悪びれる様子もないザクロは
ラジコン本体から〈記録媒体〉を取り出して、
包帯が巻かれた右手からイサムに手渡す。
取り出した爪ほどの大きさしかない棒状の
〈記録媒体〉は薄く細く小さい。
そのため巻かれた包帯の隙間を滑り落ちて、
玄関に置かれた靴と黒色のタイルに紛れ
どこかへ消えてしまった。
「あ。」
「証拠隠滅だ!」
「私と八種くんとの初めての共同作業が…。
これは不可抗力! 不可抗力です!」
「お前はなにを言っとるんだ。」
「どこに落ちたんだ?」
「わかんない。」
ザクロと貴桜たちが廊下で大騒ぎする中、
〈記録媒体〉を見失って焦り、
イサムはよつん這いで探す。
「天井裏とか?」
「適当な事抜かすな。」
「偽証罪だな。」
なにかがぶつかる物音が
上の階から響いて一瞬耳を傾けた。
「私の靴の中よ。」
マオが指差して落ちた場所を教えた。
彼女のローファーを逆さにすると、
目的の〈記録媒体〉が手のひらに落ちてきた。
「どうして海神宮さんはわかったのかしら?」
小さな照明の薄暗い玄関では
イサムには見えなかった物が、
後ろに立っていたマオには見えていた。
立ち上がってザクロの顔を見ると、
窮地に立たされているにも関わらず
不敵な笑み浮かべている。
そんな彼女の後ろに立つ
マオの警護用〈キュベレー〉が
廊下から部屋の天井を見上げた。
機械人形のおかしな動作に振り向いて
マオの顔を見ると、彼女もまた
廊下から天井を見上げている。
彼女の額にある第3の目が、
照明に反射して赤く光っている。
その視線は玄関からダイニングに向かい、
彼女は部屋の奥へと誘われて歩き出した。
容姿や肉体を変更した〈ニース〉の中でも、
彼女の額には自在に操ることのできる
第3の目と呼ばれる〈サーディ〉を持っている。
貴桜を避け亜光を洗面所に押し込んで退かすと、
マオはダイニングに入って天井を眺めた。
彼女の〈サーディ〉には廊下から脱衣所、
トイレ、ダイニング、それから寝室に至るまで、
天井には光点が等間隔で浮かび上がって見えた。
「なにかいるのぉ?」
天井を向いたまま歩くマオの奇行に、
ザクロは愉快そうに呼びかける。
マオはザクロを無視し、
イサムを見てから尋ねた。
「八種くん、天井になにか飼ってる?」
「なにか? ってなんですか?」
「このくらいの、大きさの、…ネズミ?」
マオが腕を左右にやや小さく広げて見せた。
「飼ってませんよ。
それにそんなに大きなネズミいるんですか…。」
「こえぇ…。」
「なんだ?」
イサムの言葉に反応したのか、
天井裏の物体が動きを見せて
ダイニングに物音が小さく響いた。
「あれぇー?」
〈キュベレー〉は連行してきたザクロを
その場に放置して、部屋の外の
廊下を走り去ってしまった。
「どっか行っちゃったよぉ?
いーのーぉ?」
廊下の外から金属の破裂音が響いて
ザクロの声はかき消された。
「いた。」
「…なにがいたんですか?」
「ヒト。」
「ひと? がいたんですか? ひと?」
イサムが同じことを2度尋ねたのは、
なにを言っているのか混乱したからだった。
「天井ってさ、だれか入れるの?」
「そりゃ点検口があんだろ。
配線調べたりするために…
小型の〈キュベレー〉が…点検したり…。
いや、どうやって入ったんだ?」
亜光の押し込まれた洗面所の天井にある点検口は
当然、同室内からしか入れない。
それを察して不気味さに亜光は身震いを起こす。
「自分の部屋の床をくり抜いて入った、
上の部屋の住人でしょうね。
50cmくらい〈デザイナー〉。」
「50cm?」
「人類史上、最小サイズのね。」
〈ニース〉でも変更が可能な
身体の大きさは、〈人類崩壊〉以前に
記録された基準を規定にしている。
身体の大きさには限度があり、
山のような巨人やアリのような小人に
誰もがなれるわけではない。
制限がなければ濫用の恐れもある。
『ヒトの形の範疇であること。』
それが〈ニース〉の制約だ。
「50cmって…これくらい?」
イサムが前腕2本分の長さを広げて、
だいたいの大きさを想像で示す。
「嘘だろ。オレん家の下の弟が
産まれたとき、そんぐらいだったわ。」
「いくらなんでも小さすぎやしないか。
イサムの3分の1くらいか。」
「もっとある!
…160cmはあるわ!」
反射で反対したイサムは、
反芻に間を置いて再度反論する。
実際は160cmには満たない、些細な反抗だった。
「狭くても小さきゃ動かす手足が短い分、
自由に動き回れるってことか。」
貴桜が立ったまま肘を曲げた状態で、
手首だけで小さく平泳ぎの仕草をしてみせた。
マオが〈個人端末〉を両手で開いて、
〈キュベレー〉視点の映像を取得した。
映像は上の階の部屋にあたる。
部屋の構造はイサムの部屋と同じだ。
「床下に侵入経路を掘って、
そこから満遍なく測定機器を置いてる。
室内の移動や生活音なんかの
八種くんの活動を監視してたんでしょう。」
「そんな危ないやつが、
イサムん家の上に住み着いてたのかよ。」
「俺らも見られてたってこと?」
「そうなる。」
マオは平然とうなずくが、
男3人は背筋に冷たいものを感じた。
「ねぇー! ボノボでもしてたのぉ?」
「だからしてねえよ!」
廊下でぽつりと立っていたザクロが、
マオと同じようなことを言ったので
亜光がすぐさま否定した。
「どうなってんだ、ウチの女子は。」
「なんの話をしてるのさ?」
「そんなの一般教養よ。」
「一般であってたまるか!」
「そんなに口答えしていいのかよ?
海神宮家の御令嬢だぜ。」
「ぐぅっ。」
貴桜の私的に亜光は目を強く閉じて、
無力さに下唇を噛んだ。
「ストーカーって本当にいたんだな。」
「だから言ったじゃん。」
「それじゃあ、私は彼女連れて帰るわね。」
「お勤めご苦労さまです。御令嬢。」
「〈更生局〉帰りみたいに言うな。」
「私、えん罪なんですけど?」
「そうね。悪かったわね。」
扉は閉まった。
残された男3人は、
マオによって連れ去られるザクロの最後を見送り、
顔を見合わせ天井を見上げた。
冷めた紅茶とポテトチップスをつまむ。
「なあこれ。上どうなってんだろ。」
「上?」
「まだこの部屋監視されてたり。」
「えぇ…どうしよ。」
「どうしよったって。なぁ。」
「そうだな。俺らにできることと言えば、
帰ってメシ食って寝るぐらいだな。」
「あぁ…、オレもそうだな。
忘れてたぜ。大事なことを。」
ふたりは荷物をまとめて立ち上がった。
「え? 帰るの? テスト勉強は?」
「あぁ、達者で暮らせよ。」
「いなくなってもオレたちのことは
気にしなくていいぞ。」
「見守ってるからな…、イサムのこと。
天井から。」
「怖いこと言うな!」
またふたりが帰るのを
今度はイサムひとりで見送った。
その晩はいつも通り布団に入り、
眠ろうとしたものの目が冴えて寝付けなかった。