まぶたに透ける光に意識を取り戻し、
香ばしいニオイに鼻腔をくすぐられて
頭と腹が空腹を同時に訴える。
冷たいコンクリートの上ではあったが、
黒の詰め襟に暖かな日差しを浴びていて
背中にじっとりと汗をかいていた。
頭痛は未だに止む気配はないが、
寝てもいられなくなり無理矢理に目をこじ開ける。
「おはよう。八種くん。」
真正面には燃えるような赤髪の女子生徒、
マオが弁当を食べていた。
焼き鮭の皮をジッと見て、
咀嚼しながら食感に首を傾げる。
「どうして、こんなところで…。」
締め付ける頭の痛みに苛まれ、
眉間にシワ寄せ声を絞る。
「お弁当を持ってきたから。
日当たりもいいし、ヒトも少ないもの。」
頭痛が言葉を妨げる。
「放置してもよかったんだけど。」
鮭の切り身を箸で切り分け、
白米と共に頬張る。
困窮するイサムはマオの食事姿を羨ましく思うも、
口の中に残った胃酸に気持ち悪さを覚えた。
「あの先輩。八種くんのお姉さんが
来ていると嘘をついて呼び出したのは、
気づいてたからね。」
「えぇ…なんで…?」
磯辺揚げを食べてうなずく。
イサムは彼女の額。その絆創膏を見た。
「それで心が読めるんですか?」
「これにそんな機能ないわよ。」
駐車場の出入り口に
メイド服の〈キュベレー〉が佇む。
3つの目でイサムを見つめている。
「有名人だからって
わざわざ3年生を経由するより、
〈個人端末〉か学校内の〈キュベレー〉を
使えば済むでしょ。」
「たしかに…そうですけど…。」
〈個人端末〉を使うことは、
イサムも後になって気づいた。
「海神宮さんはどうしてそれを早く
教えてくれなかったんですか?」
「処世術ね。
学校という小さな社会で
上級生相手に逆らっても面倒だし、
それにメリットないもの。」
イサムは言葉を失った。
マオが至極真っ当な考えであったからだ。
中学校もまともに通っていないイサムには、
役者として自分の役を演じる以外の処世術など
持ち合わせてはいなかった。
その伝言役が役目を果たさないのであれば、
理不尽にも彼女が責任を負う羽目になる。
男子生徒が呼び出される程度で、
波風を立ててもいいことはない。
「私を騙したのは気に食わないけど。
はい、これお詫び。」
マオはひとくちサイズに切った
だし巻き卵を箸で摘んでイサムに向けた。
そのイタズラな行動を受け入れられず
イサムは小さく首を横に振る。
頭痛のせいか、詫びる態度が気に入らないのか、
イサムはなにかひどく苛ついているのを感じた。
「あら、ダイエット中?」
「頭が痛いんですよ。」
「それならなおのこと、
こんなとこで寝てないで
ご飯食べてお薬飲んで医務室行けば?
連れてってあげよか?」
「イヤだ!」
マオが目を見開くほどイサムは大声を発し、
幼い子供の癇癪のように拒絶した。
「病人の癖にわがままね。
ヒトってお腹が空いてると、
怒りっぽくなるのよ。
それならこれあげる。
そのままじゃ気持ち悪いでしょ。」
水筒の中身をコップに注いで差し出した。
それはただの水だった。
口の中を洗い流す為にマオが手渡した。
受け取ったコップの水面を眺めて、
イサムは眠りこける前の事を思い出し、
深くため息を吐いてしまった。
「お悩みごとかしら?
今度は思春期ね。忙しい。」
「わかってて聞いてるでしょう。それ。」
「だって私は部外者なんだもの。」
愉快そうに首を横に振るマオに、
イサムは再びため息を吐いた。
「突然知らない人たちから
わけもわからず大量の手紙を渡されたり、
変な決め事が勝手にできていて、
それがなくなれば今度はいきなり
交際だの交友だの求められてですよ。」
「まぁ見事に青春って感じね。ふふ。
でも協定を拒んだのは八種くんでしょ。」
「笑い事じゃありませんよ。
上級生の相手なんて。」
「同級生のお友達はよくて、
上級生のは嫌なの?」
「僕だって役者ですから、元。
相手に合わせる努力はしましたよ。
それは仕事なんで。」
「理由はもう役者を辞めたから?
お仕事じゃないから?」
なだめるようなマオの質問に
イサムは一度は首肯したものの、
すぐに首を横に振り異なる回答をした。
「仮に相手に合わせたところで、
そんなの破綻するに決まってるんです。」
「デートして、セックスして、さらに子育て。
なんてことになったら大変よね。
まだ学生なのに。
育児なら〈キュベレー〉にでも託す?」
「セッ…。」
明け透けなマオの発言に恥ずかしくなり
イサムは耳を赤くした。
「それにしたって、ぼんやりした答え。」
「ぼんやり?」
「判然としない。すごく言い訳がましい。
嫌なら嫌ってさっき見たいに言えばいいのよ。
医務室行く?」
「…行きません。
そうは言いますけど…。」
「それなら私からのありがたいお言葉。」
「自分で言わないもんですよ。そういうの。」
「じゃあやめる。」
彼女の潔さに、
コップの水を飲み干して呆れるほかなかった。
荒涼も一十も無視して帰ってしまおう。
学校に来ることさえも嫌気が差し始めた。
問題は残高ぐらいだ。
気だるさで視界がまた暗くなるのを覚えた。
「亜光くんや貴桜くんとは、どうして友達なの?
同じ学校の、同じ教室で同じ性別だから?
蔑称で呼び合うのは友達じゃないんでしょ。
お土産が貰えれば、それはお友達?」
滝のように浴びせられた質問に
ギョッとさせられ顔を上げた。
そんなことを考えたこともなかった。
「付き合いが長くなければいけない?
それとも短い方が気兼ねがない?
自分の過去を知らない相手だから。
自分を演じれば、相手を御しやすい?
相手の言う通りのが自分を演じやすい?
友達というものを一度言葉で説明すべきよ。
たとえば水を分け与えた私は、
八種くんにとって…給水所?」
亜光や貴桜といったクラスメイトを、
友達とは明確に言葉で表わせないと思っていた。
しかし、卑しい言い方をしてしまえば、
彼女の言葉の通りなのかもしれない。
「交友関係なんて簡単な駆け引きよ。」
「そんなに割り切れませんって。」
「八種くんが欲しがってる
このミートボールを私があげたとする。」
「別にミートボールが欲しいわけでは…。」
問答の途中で、先程の疑問が吹き飛ぶ。
それは彼女がよく口にする言葉だった。
「それがメリット?」
「その通り。」
言うが早いかイサムの口に
ミートボールがねじ込まれた。
ケチャップソースのほのかな酸っぱさと
肉汁が口内に広がり、胃液の不快感は
さっぱりと消えてしまった。
彼女の行動原理はまずメリットがあること。
もしくは、不幸の手紙のときのような
好奇心にあるのかもしれない。
「ヒト付き合いなんて、
お互いのメリットの上で成り立つわ。
運動が得意な子、容姿、体型、
自分にないものを羨み、また妬む。
名府にはそうした願望を緩和する
〈3S〉が用意されている。
けれどお金を生み出すことや、
勉強ができる賢さ、それから名声なんかの
欲は満たされない。
それを友達や愛って言葉でぼかしてるだけ。
あと性欲とかね。」
モデル同然の容姿を得た〈ニース〉であっても、
マオの言う通り、獲られないものがある。
「性…。
もう少しぼかして言えないんですか。」
マオはイサムの言葉など無視し、
最後に残したミートボールに舌鼓を打った。
「八種くんも、もう少し
自分に正直に生きた方が楽よ。
私からのありがたい言葉。」
彼女との問答には疲労感を覚える。
水のお礼を言って立ち上がったが、
不思議と吐き気と頭痛は治まりを見せていた。
香ばしいニオイに鼻腔をくすぐられて
頭と腹が空腹を同時に訴える。
冷たいコンクリートの上ではあったが、
黒の詰め襟に暖かな日差しを浴びていて
背中にじっとりと汗をかいていた。
頭痛は未だに止む気配はないが、
寝てもいられなくなり無理矢理に目をこじ開ける。
「おはよう。八種くん。」
真正面には燃えるような赤髪の女子生徒、
マオが弁当を食べていた。
焼き鮭の皮をジッと見て、
咀嚼しながら食感に首を傾げる。
「どうして、こんなところで…。」
締め付ける頭の痛みに苛まれ、
眉間にシワ寄せ声を絞る。
「お弁当を持ってきたから。
日当たりもいいし、ヒトも少ないもの。」
頭痛が言葉を妨げる。
「放置してもよかったんだけど。」
鮭の切り身を箸で切り分け、
白米と共に頬張る。
困窮するイサムはマオの食事姿を羨ましく思うも、
口の中に残った胃酸に気持ち悪さを覚えた。
「あの先輩。八種くんのお姉さんが
来ていると嘘をついて呼び出したのは、
気づいてたからね。」
「えぇ…なんで…?」
磯辺揚げを食べてうなずく。
イサムは彼女の額。その絆創膏を見た。
「それで心が読めるんですか?」
「これにそんな機能ないわよ。」
駐車場の出入り口に
メイド服の〈キュベレー〉が佇む。
3つの目でイサムを見つめている。
「有名人だからって
わざわざ3年生を経由するより、
〈個人端末〉か学校内の〈キュベレー〉を
使えば済むでしょ。」
「たしかに…そうですけど…。」
〈個人端末〉を使うことは、
イサムも後になって気づいた。
「海神宮さんはどうしてそれを早く
教えてくれなかったんですか?」
「処世術ね。
学校という小さな社会で
上級生相手に逆らっても面倒だし、
それにメリットないもの。」
イサムは言葉を失った。
マオが至極真っ当な考えであったからだ。
中学校もまともに通っていないイサムには、
役者として自分の役を演じる以外の処世術など
持ち合わせてはいなかった。
その伝言役が役目を果たさないのであれば、
理不尽にも彼女が責任を負う羽目になる。
男子生徒が呼び出される程度で、
波風を立ててもいいことはない。
「私を騙したのは気に食わないけど。
はい、これお詫び。」
マオはひとくちサイズに切った
だし巻き卵を箸で摘んでイサムに向けた。
そのイタズラな行動を受け入れられず
イサムは小さく首を横に振る。
頭痛のせいか、詫びる態度が気に入らないのか、
イサムはなにかひどく苛ついているのを感じた。
「あら、ダイエット中?」
「頭が痛いんですよ。」
「それならなおのこと、
こんなとこで寝てないで
ご飯食べてお薬飲んで医務室行けば?
連れてってあげよか?」
「イヤだ!」
マオが目を見開くほどイサムは大声を発し、
幼い子供の癇癪のように拒絶した。
「病人の癖にわがままね。
ヒトってお腹が空いてると、
怒りっぽくなるのよ。
それならこれあげる。
そのままじゃ気持ち悪いでしょ。」
水筒の中身をコップに注いで差し出した。
それはただの水だった。
口の中を洗い流す為にマオが手渡した。
受け取ったコップの水面を眺めて、
イサムは眠りこける前の事を思い出し、
深くため息を吐いてしまった。
「お悩みごとかしら?
今度は思春期ね。忙しい。」
「わかってて聞いてるでしょう。それ。」
「だって私は部外者なんだもの。」
愉快そうに首を横に振るマオに、
イサムは再びため息を吐いた。
「突然知らない人たちから
わけもわからず大量の手紙を渡されたり、
変な決め事が勝手にできていて、
それがなくなれば今度はいきなり
交際だの交友だの求められてですよ。」
「まぁ見事に青春って感じね。ふふ。
でも協定を拒んだのは八種くんでしょ。」
「笑い事じゃありませんよ。
上級生の相手なんて。」
「同級生のお友達はよくて、
上級生のは嫌なの?」
「僕だって役者ですから、元。
相手に合わせる努力はしましたよ。
それは仕事なんで。」
「理由はもう役者を辞めたから?
お仕事じゃないから?」
なだめるようなマオの質問に
イサムは一度は首肯したものの、
すぐに首を横に振り異なる回答をした。
「仮に相手に合わせたところで、
そんなの破綻するに決まってるんです。」
「デートして、セックスして、さらに子育て。
なんてことになったら大変よね。
まだ学生なのに。
育児なら〈キュベレー〉にでも託す?」
「セッ…。」
明け透けなマオの発言に恥ずかしくなり
イサムは耳を赤くした。
「それにしたって、ぼんやりした答え。」
「ぼんやり?」
「判然としない。すごく言い訳がましい。
嫌なら嫌ってさっき見たいに言えばいいのよ。
医務室行く?」
「…行きません。
そうは言いますけど…。」
「それなら私からのありがたいお言葉。」
「自分で言わないもんですよ。そういうの。」
「じゃあやめる。」
彼女の潔さに、
コップの水を飲み干して呆れるほかなかった。
荒涼も一十も無視して帰ってしまおう。
学校に来ることさえも嫌気が差し始めた。
問題は残高ぐらいだ。
気だるさで視界がまた暗くなるのを覚えた。
「亜光くんや貴桜くんとは、どうして友達なの?
同じ学校の、同じ教室で同じ性別だから?
蔑称で呼び合うのは友達じゃないんでしょ。
お土産が貰えれば、それはお友達?」
滝のように浴びせられた質問に
ギョッとさせられ顔を上げた。
そんなことを考えたこともなかった。
「付き合いが長くなければいけない?
それとも短い方が気兼ねがない?
自分の過去を知らない相手だから。
自分を演じれば、相手を御しやすい?
相手の言う通りのが自分を演じやすい?
友達というものを一度言葉で説明すべきよ。
たとえば水を分け与えた私は、
八種くんにとって…給水所?」
亜光や貴桜といったクラスメイトを、
友達とは明確に言葉で表わせないと思っていた。
しかし、卑しい言い方をしてしまえば、
彼女の言葉の通りなのかもしれない。
「交友関係なんて簡単な駆け引きよ。」
「そんなに割り切れませんって。」
「八種くんが欲しがってる
このミートボールを私があげたとする。」
「別にミートボールが欲しいわけでは…。」
問答の途中で、先程の疑問が吹き飛ぶ。
それは彼女がよく口にする言葉だった。
「それがメリット?」
「その通り。」
言うが早いかイサムの口に
ミートボールがねじ込まれた。
ケチャップソースのほのかな酸っぱさと
肉汁が口内に広がり、胃液の不快感は
さっぱりと消えてしまった。
彼女の行動原理はまずメリットがあること。
もしくは、不幸の手紙のときのような
好奇心にあるのかもしれない。
「ヒト付き合いなんて、
お互いのメリットの上で成り立つわ。
運動が得意な子、容姿、体型、
自分にないものを羨み、また妬む。
名府にはそうした願望を緩和する
〈3S〉が用意されている。
けれどお金を生み出すことや、
勉強ができる賢さ、それから名声なんかの
欲は満たされない。
それを友達や愛って言葉でぼかしてるだけ。
あと性欲とかね。」
モデル同然の容姿を得た〈ニース〉であっても、
マオの言う通り、獲られないものがある。
「性…。
もう少しぼかして言えないんですか。」
マオはイサムの言葉など無視し、
最後に残したミートボールに舌鼓を打った。
「八種くんも、もう少し
自分に正直に生きた方が楽よ。
私からのありがたい言葉。」
彼女との問答には疲労感を覚える。
水のお礼を言って立ち上がったが、
不思議と吐き気と頭痛は治まりを見せていた。