今年の夏、引退する前にでっかいキャンパスに何かを描きたいと思っていた。

テキトーに筆を走らせるのもありだと思っていたけれど、初めて描く前にテーマを決めた。
『海』を描くなんてありきたりでつまんねえとじいちゃんは言うかもしれないけど、俺の想像をはるかに超えた海の色に、すっかりと魅了されている。


3日に1回、学校を遅刻して海に寄るようになった。
時刻は決まった午前9時、たったの5分間だけ現れるナツとは、相変わらず会話にならない会話を繰り返している。



無知で無垢で何にも知らなそうな純粋な女。
海が好きなのに海には絶対に入ろうとしない女。

次の日が晴れることを絶対に予測出来て、次の日が雨の予測だとテンションが低い。



砂浜に落ちていた花火のゴミを見て、したことがないという。
花火は夜にやるもんだと言えば、頬を膨らませて機嫌を損ねた。


真剣に俺の手を目で追っかける横顔は、ちょっとガキっぽいけどそこら辺にいる女子高生なんかよりは可愛い顔だと思っていた。
ただ可愛いと思っただけで、それ以上も以下もないつもりだ。


スケッチブックに広がっていく海を見て、ナツは嬉しそうにはしゃぐ。
キャンバスに描く下書きのようなそのスケッチブックを、欲しいとせがんでくるから、すべて完成したらしょうがねえからあげると約束をした。


ナツが言っていた夏の始まりの境目のきっかけはいまだにわからないまま、気づけばセミが鳴くようになって、校舎裏の塩素の匂いは復活して、めんどくさい水泳の授業が始まって、気づけば7月になって、美術室の冷房が効くようになっていた。