そう言って、すいと瑛琉は華の手をすくい上げた。
 彼に導かれて宮殿から外へ出ようとすると、ふと広間に積み上げられた荷物が目に入る。
 華は引っ越しの荷物など持参していない。数々の上等な漆塗りの箱は、いずれも麗しい紐で結ばれていた。
 荷を運び込んでいた宮女に、華は訊ねてみる。
「この荷物はどうしたのかしら?」
「これらは皇子様がたからの贈り物でございます。こちらの宝物は第一皇子の朱雀様、こちらのお召し物は第四皇子の玄武様、そしてこちらは第二皇子の……」
 なんと、会ってもいない皇子たちからの贈り物らしい。皇帝に謁見して華嵐妃に任命されたのは昨日のことなのに、もう園中に広まってしまったようだ。
「こんなにいただけないわ。ご本人に返してちょうだい」
「返品しますと慣習により、その皇子は嵐妃に拒絶されたとみなされ、皇帝となる資格が剥奪されます。よろしいでしょうか?」
 またもや慣習である。華嵐妃の園は厳格な慣習に縛られているのだ。贈り物を断ったくらいで皇帝になる資格が剥奪されるという処置は、あまりにも厳しい。
 瑛琉は積み上げられた箱を、冷めた目で眺めた。
「もらっておけよ。返したところで、あいつらも困るだろう。今頃は次の贈り物をなににするか思案しているだろうから、直接会ったときに断っておけ」
「皇子たちは瑛琉の兄弟なのよね。仲はいいの?」
「いいわけないだろ。俺たちは産まれたときから次期皇帝の座を奪い合う間柄なんだぞ。大昔の嵐陵国は兄弟が殺し合い、勝った者が皇帝の座に就いていた。だが、その争いで国内が疲弊したから、嵐妃の皇帝指名制度が創設されたんだ」
 周辺諸国では、皇子たちが皇帝の座をかけた戦が勃発する事例が多発している。そうすると国が乱れる。わずか数年で別の兄弟に皇帝が交代するという事態が頻発し、国内が平定しないうちに他国に攻め入られて滅びるといったことが起こっていた。
 嵐妃という特別職を設置し、次期皇帝を選ぶ権限を与えるのは、兄弟が殺し合うのを避けるために編みだされた先人の知恵なのだ。
 透明な水の流れる水路沿いの道を、ふたりは手をつないで歩いた。瑛琉の話に、華は深く頷く。
「そういうわけなのね。瑛琉が血を流すのを私は見たくないから、嵐妃の制度はとても有意義なものだと思うわ」
「ところが、血を流す代わりに嫉妬の嵐が園に吹き荒れることになったのさ。なにしろ、ここはいわば男後宮だ。嵐妃の寵愛を独占した者が次の皇帝になれるんだからな。先に嵐妃を孕ませた者の勝ちという暗黙の了解がある」
「は、孕ませ……どうしてそんなことになるの?」
 あっさりと言い放たれた淫靡な台詞に瞠目する。
 瑛琉はごく当たり前のように説明した。
「子が産まれたなら、実績を積んだことになるからな。子のいない皇子より圧倒的に有利になる。ほかの皇子に汚い手を使って孕ませられないよう、気をつけろよ」
 これまでの華の常識からは突飛すぎる注意を受けて、目眩が起きる。
 後宮の妃嬪たちが皇帝の寵愛を奪い合うのと同じように、ここでは嵐妃を巡って男たちの壮絶な争いが繰り広げられるようだ。
 華としては好きでもない人と閨をともにするなんてことはできない。皇帝を誰にするかは、やはり国を安寧へと導く人物を推すべきだろう。
 となりの瑛琉を見上げると、彼の精悍な横顔は陽の光を受け、輝いていた。
 瑛琉は……私のことをどう思っているのかしら。
 彼も皇子のひとりとして皇帝の座を狙っているには違いないだろうが、華を利用するために園へ連れてきたわけではないらしい。
 瑛琉の真意を知りたいと思った。
 だが彼は行動で示すと宣言したので、今は説明を求めても無駄だろう。
 ややあって、ふたりは園の東にある林へやってきた。人工的な美しさを配置した中央の宮殿付近とは異なり、緑が多く、花々が咲き乱れている。
 つと瑛琉は、一輪の花を手折った。
 彼は結い上げた華の髪に、すっと青紫色のリンドウを挿す。楚々としたリンドウの花は、たおやかに髪を飾った。
「おまえを、ずっとこうして飾ってやりたかった。綺麗になるとわかっていたからな」
 目を細めて丹念に眺められ、胸の奥に淡い想いが芽生える。
 瑛琉が、好き――。
 とくりと甘く鼓動が鳴る。彼の輝く笑顔が眩しかった。
 けれど、この想いを率直に打ち明けることはできなかった。
 華が特定の皇子に好意を示したなら、それが嵐陵国の未来を揺るがす大事になるのである。暫定の嵐妃ではあるが、軽はずみな行為は慎むべきだ。
 そう思ったとき、シャン、シャン……と聞き覚えのある楽の音色が耳に届く。
 ふと振り向くと、壮麗な輿に付き従う宮女たちが厳かにこちらへ歩んできた。
 大きな幌にはいくつもの花飾りが垂らされている。宮女たちが籠からすくった花を散らすと、華麗な絨毯ができあがった。瑛琉が迎えに来てくれたときと同じか、それ以上の豪勢な花嫁行列である。
 呆気にとられて見ていると、花嫁と花婿が乗るであろう輿は、華の目の前でとまった。
 輿から精緻な刺繍が施された靴先が下りる。
 華麗な深衣に身を包んだ端麗な顔立ちの男性は、爽やかな笑みを向けた。
「初めまして、華嵐妃。わたしは嵐陵国の第一皇子、朱雀。あなたが園に帰還したとの報せを受けて、迎えに来たよ」