大きなてのひらで肩を掴まれ、びくりとする。
 だが瑛琉は無理やり振り向かせることはしなかった。
 ゆっくりと華の体を引き寄せ、紳士的な仕草で背を抱く。向き合ったふたりは、目を合わせた。
「俺は、皇帝になるのが目的でおまえに求婚したわけじゃない」
 ひたむきな眼差しで明瞭に告げられる。華は理解できず、睫毛を瞬かせた。
「でも……ほかになんの理由があるの?」
「今は疑問に思うだろうが、俺はこれからおまえへの愛を、言葉ではなく行動で証明する。だから俺を信じて、華嵐妃として園の主になってくれ」
 そこに愛情が存在することを知らされ、華は呆然とした。
 これまで誰にも愛されたことがなく、誰も愛したことのない華には、どのように愛を受け止め、またそれを現すものなのか、想像もつかなかった。
 婆様は華に愛情を持って接してくれたが、その想いとはまた別のものだろう。
 入院している婆様のことを思うと、華嵐妃の座を投げだすわけにもいかないことに気づいた。それに、先代の嵐妃は華の母親かもしれないのだ。なぜ母と別れることになってしまったのか、真実を知りたい。
「わかったわ……。華嵐妃として、がんばってみる」
 決意してそうつぶやくと、瑛琉は安堵の表情を浮かべた。
 窮地に陥っていた華を救ってくれたのは、瑛琉なのだ。恩人である彼に応えるためにも、簡単に逃げることはしたくない。
「ありがとう。俺の華嵐妃を、必ず守る」
 まっすぐに華の目を見つめた瑛琉は、すくい上げた指先にくちづけを落とした。
 その唇の熱さに、華の胸はどきんと脈打ったのだった。

 華嵐妃となって一夜め――。
 豪奢な宮殿の主となった華は、豪勢な夕食を終え、宮女たちに傅かれて入浴を行った。
 大理石の浴室で髪や体を洗ってもらい、広い湯船に浸かってから、全身に香油を塗り込まれる。
 温まった体には、ふわりとした着心地のよい夜着を着せられた。
 まだ夢の中にいるようで、華は呆然としたまま鏡台の前に腰かけていた。宮女たちから髪を梳いてもらい、甲斐甲斐しく世話を焼かれる。
 そこへ、からりと扉が開く音がした。
 浴室の控えの間へと入ってきた不調法な男に、宮女は叱責を投げかける。
「何者です! 華嵐妃様はお支度の最中……あっ、失礼いたしました、青龍皇子」
 憮然とした瑛琉が入室してきた。四皇子のひとりである瑛琉は、華嵐妃の夫となる資格を持つ立場である。
 慌てて平伏した宮女に向かって、瑛琉は軽く手を振る。
 合図に従い、宮女たちはみんな控えの間から出ていった。あとには華と瑛琉のふたりきり。
「あの……瑛琉……」
 なんと声をかけてよいのかわからず、口ごもる。
 傍にあった絹の履き物を手にした瑛琉は、なぜか不機嫌な顔をして華の前に跪いた。
「俺の我慢も限界なんだよな」
 なにかに耐えるようにつぶやいた彼は、華の細い足首を手にとる。
 ぴくりと足が跳ねたがそれにかまわず、柔らかな絹靴を両足に履かせていく。
 皇子である瑛琉にまるで召使いのようなことをさせるなんて、いけないことだ。
 華は足を引き寄せて、瑛琉の手から逃れた。
「我慢って……なにが?」
 見上げてきた漆黒の双眸が欲の色を帯びている。獲物を逃したてのひらは、ぽんと華の膝頭に置かれた。
 まるで子どもにするようなあどけない仕草だったので、気を緩める。瑛琉の口から紡がれる次の言葉に、驚愕するとも知らずに。
「俺と閨をともにしろ」
「……はい?」
 首をかしげたのち、曖昧な返答ではよくないことに気づかされる。真剣な表情をしている瑛琉からは、今にも閨に連れ去ろうとする獰猛な気配がにじんでいたのだ。
 華は慌てて言い募った。
「ちょっと待って。どうしてそうなるの。結婚は保留すると決まったわけだし、さっき瑛琉は愛を行動で証明するだとか言ってなかった?」
「その通りだ。行動で証明する。俺に抱かれたらそれがわかる」
「それは……結婚すると決まったときにしてほしいかな……」
 強引に迫られても急には受け入れられない。それに、瑛琉のことが好きかどうか、気持ちの整理もついていないのだ。
 結婚を前提とすると、瑛琉は一旦引いた。
 と思ったが、彼はさらに身を乗りだしてきた。
「わかった。譲歩してやる。裸になれ」
「なにを譲歩したの⁉ 手を離してくれる⁉」
 膝に置かれた手を引き剥がそうとしたが、両手を使ってもびくともしない。瑛琉は真摯な双眸で、顔を赤らめた華を射貫いた。
「勘違いするな。俺が無理やり裸に剥くような男に見えるか?」
「見えるから困ってるの!」
「嵐妃の痣を確認したいんだ。女官長が認めたからには本物であることは間違いないわけだが、俺はまだ一度も見ていない。自分の目で確かめたい」