「青龍皇子よ。そなたの功績は讃える。だが聞いた通り、華嵐妃の地位は暫定的に認めたものである。今後の経過により、華嵐妃の痣が先代と同じように完成した暁には、そなたたちの結婚を認めよう」
「わかりました」
ひとまず瑛琉との結婚は保留された。
華としては突然瑛琉に求婚されて戸惑っていたので、時間をもらえることはありがたい。
嵐妃は“妃”という名称だが、皇帝の妃嬪ではないのだ。結婚相手は選べるらしい。
了承した瑛琉に、皇帝は険しい目を向けて言葉を継ぐ。
「無論、華嵐妃と結婚する資格は、ほかの皇子たちにもある。すべては華嵐妃の心ひとつ。それが嵐陵国の掟である」
ぐっと息を詰めた瑛琉の表情を目にした華は、密かに落胆した。
華嵐妃となった華は、四人の皇子の中から次期皇帝を指名できる。つまり瑛琉が華との結婚を望むのは、皇帝になりたいからなのだ。華に指名権があるのを察知したからこそ、彼は求婚した。夫になった人を差し置いて、別人を皇帝に指名するという状況は考えにくい。もしかしたら、瑛琉が一年前からふらりと現れて饅頭を毎日購入してくれたのも、このためだったのかもしれない。
そうよね……花嫁にしたいと思うような魅力なんて、私にはないもの。
結婚したいという願望はある。
でもそれは、貧乏から逃れるためなのか、それとも瑛琉と結ばれたいのか、わからなくなってしまった。日々が忙しすぎて、瑛琉のことを好きかどうかなんて考える余裕もなかった。なんのために結婚するのかわからないまま、華嵐妃に任命されて境遇が変わってしまったのだ。
謁見を終えた華たちは主殿を辞する。
階段下には幌のついた輿が待機していた。貴人が移動するための輿は椅子の部分が豪奢な布張りで、背もたれがついている。周囲に輿を担ぐための屈強な男性たちが平伏していた。
当然のごとく華の手をすくい上げた瑛琉は、輿へ導いた。
「妃嬪の住まう後宮の奥に、嵐妃の園がある。今日からは、華嵐妃の園だな」
「……そう」
すっと瑛琉の手を振りほどいた華は、自ら輿に乗り込んだ。眉をひそめた瑛琉だがなにも言わず、華のとなりに腰を下ろす。
男性たちは息を合わせて輿棒を持ち上げた。
輿に揺られたふたりは、宮廷の奥にある後宮の、その先にある園を目指す。
両脇に石壁がそびえる石畳の道からは、隠されるように佇んでいる宮殿の甍が見えた。ここが後宮だろうか。
いくつもの門を抜けると、やがて流麗な川のせせらぎが耳に届く。
輿から身を乗りだした華は、辿り着いた園の全容を目にし、思わず感嘆の息をこぼした。
「わあ……綺麗……」
水路が巡らされた広大な園は、中央に大きな宮殿が据えられている。そして中心から広がる水路の向こうには、東西南北に配置された四つの宮殿が鎮座していた。壮大な中にも精緻さを匂わせる園は至上の造形美をうかがわせる。
「中央が嵐妃の宮殿だ。それを守護する四神獣になぞらえた皇子たちが、それぞれの宮殿に住んでいる。南は第一皇子の朱雀、西は第二皇子の白虎、北が第四皇子の玄武。俺は青龍だから、東の宮殿だ」
ここは、四神獣の伝承になぞらえて建設された特別な園なのだ。
嵐妃とはいかに絶大な権力を誇る役職なのか知り、華の背が震える。
水路沿いの通路を通り、中央の宮殿に輿は下ろされた。
壮麗な嵐妃の宮殿に足を踏み入れた華は、豪華な室内を目にして驚きを隠せない。
天井の高い広間は、いくつも連なる大きな窓からの採光により明るい。反対側の壁には華麗な鳳凰や黄龍が描かれている。最奥にある舞台のような場所には緋の毛氈が敷かれ、豪奢な椅子が鎮座していた。
「すごい部屋ね……。ここに先代の嵐妃が住んでいたの?」
「いいや。先代が崩御したとき、園は解体された。ここは新たな嵐妃のために建て替えられたんだ。ようやく、主が帰還したというわけだな」
「……もしかして、今日から私はこの宮殿で暮らすということ……?」
これまで住んでいた狭い小屋とは、まるで別世界だ。自分がこんなにも豪華な宮殿の主になってしまっただなんて、まだ信じられない。
「そういうことだ。俺と結婚すれば一緒に青龍の宮殿で暮らせ……」
また華の手をとろうとした瑛琉のてのひらを避ける。背を向けた華に、言葉を切った瑛琉は訝しげな目を向けた。
「結婚はしなくていいから、瑛琉は次の皇帝陛下になればいいわ。それでいいんでしょ?」
「なんだと? いきなりどうした」
「瑛琉が私に求婚したのは、皇帝になるのが目的なのよね。だから、私が瑛琉を次期皇帝に指名さえすれば、私は華嵐妃にならなくていいし、ここに住まなくていいわよね」
ふたりの間に重い沈黙が流れた。
己の野心を叶えるために華を利用しようとする瑛琉を、信じることができなかった。そのために結婚なんてしてほしくないし、するべきではない。
ほんの少しでも瑛琉に抱いた淡い恋心は錯覚だったということにして、ここを出ていったほうがよいだろう。次期皇帝さえ決めてしまえば、後継者争いに巻き込まれることもないのだから。
「求婚した理由は皇帝になるためだと、俺がいつ言った?」
「……それは、言ってないけど、要するにそういうことよね」
「華。俺の目を見ろ」
「わかりました」
ひとまず瑛琉との結婚は保留された。
華としては突然瑛琉に求婚されて戸惑っていたので、時間をもらえることはありがたい。
嵐妃は“妃”という名称だが、皇帝の妃嬪ではないのだ。結婚相手は選べるらしい。
了承した瑛琉に、皇帝は険しい目を向けて言葉を継ぐ。
「無論、華嵐妃と結婚する資格は、ほかの皇子たちにもある。すべては華嵐妃の心ひとつ。それが嵐陵国の掟である」
ぐっと息を詰めた瑛琉の表情を目にした華は、密かに落胆した。
華嵐妃となった華は、四人の皇子の中から次期皇帝を指名できる。つまり瑛琉が華との結婚を望むのは、皇帝になりたいからなのだ。華に指名権があるのを察知したからこそ、彼は求婚した。夫になった人を差し置いて、別人を皇帝に指名するという状況は考えにくい。もしかしたら、瑛琉が一年前からふらりと現れて饅頭を毎日購入してくれたのも、このためだったのかもしれない。
そうよね……花嫁にしたいと思うような魅力なんて、私にはないもの。
結婚したいという願望はある。
でもそれは、貧乏から逃れるためなのか、それとも瑛琉と結ばれたいのか、わからなくなってしまった。日々が忙しすぎて、瑛琉のことを好きかどうかなんて考える余裕もなかった。なんのために結婚するのかわからないまま、華嵐妃に任命されて境遇が変わってしまったのだ。
謁見を終えた華たちは主殿を辞する。
階段下には幌のついた輿が待機していた。貴人が移動するための輿は椅子の部分が豪奢な布張りで、背もたれがついている。周囲に輿を担ぐための屈強な男性たちが平伏していた。
当然のごとく華の手をすくい上げた瑛琉は、輿へ導いた。
「妃嬪の住まう後宮の奥に、嵐妃の園がある。今日からは、華嵐妃の園だな」
「……そう」
すっと瑛琉の手を振りほどいた華は、自ら輿に乗り込んだ。眉をひそめた瑛琉だがなにも言わず、華のとなりに腰を下ろす。
男性たちは息を合わせて輿棒を持ち上げた。
輿に揺られたふたりは、宮廷の奥にある後宮の、その先にある園を目指す。
両脇に石壁がそびえる石畳の道からは、隠されるように佇んでいる宮殿の甍が見えた。ここが後宮だろうか。
いくつもの門を抜けると、やがて流麗な川のせせらぎが耳に届く。
輿から身を乗りだした華は、辿り着いた園の全容を目にし、思わず感嘆の息をこぼした。
「わあ……綺麗……」
水路が巡らされた広大な園は、中央に大きな宮殿が据えられている。そして中心から広がる水路の向こうには、東西南北に配置された四つの宮殿が鎮座していた。壮大な中にも精緻さを匂わせる園は至上の造形美をうかがわせる。
「中央が嵐妃の宮殿だ。それを守護する四神獣になぞらえた皇子たちが、それぞれの宮殿に住んでいる。南は第一皇子の朱雀、西は第二皇子の白虎、北が第四皇子の玄武。俺は青龍だから、東の宮殿だ」
ここは、四神獣の伝承になぞらえて建設された特別な園なのだ。
嵐妃とはいかに絶大な権力を誇る役職なのか知り、華の背が震える。
水路沿いの通路を通り、中央の宮殿に輿は下ろされた。
壮麗な嵐妃の宮殿に足を踏み入れた華は、豪華な室内を目にして驚きを隠せない。
天井の高い広間は、いくつも連なる大きな窓からの採光により明るい。反対側の壁には華麗な鳳凰や黄龍が描かれている。最奥にある舞台のような場所には緋の毛氈が敷かれ、豪奢な椅子が鎮座していた。
「すごい部屋ね……。ここに先代の嵐妃が住んでいたの?」
「いいや。先代が崩御したとき、園は解体された。ここは新たな嵐妃のために建て替えられたんだ。ようやく、主が帰還したというわけだな」
「……もしかして、今日から私はこの宮殿で暮らすということ……?」
これまで住んでいた狭い小屋とは、まるで別世界だ。自分がこんなにも豪華な宮殿の主になってしまっただなんて、まだ信じられない。
「そういうことだ。俺と結婚すれば一緒に青龍の宮殿で暮らせ……」
また華の手をとろうとした瑛琉のてのひらを避ける。背を向けた華に、言葉を切った瑛琉は訝しげな目を向けた。
「結婚はしなくていいから、瑛琉は次の皇帝陛下になればいいわ。それでいいんでしょ?」
「なんだと? いきなりどうした」
「瑛琉が私に求婚したのは、皇帝になるのが目的なのよね。だから、私が瑛琉を次期皇帝に指名さえすれば、私は華嵐妃にならなくていいし、ここに住まなくていいわよね」
ふたりの間に重い沈黙が流れた。
己の野心を叶えるために華を利用しようとする瑛琉を、信じることができなかった。そのために結婚なんてしてほしくないし、するべきではない。
ほんの少しでも瑛琉に抱いた淡い恋心は錯覚だったということにして、ここを出ていったほうがよいだろう。次期皇帝さえ決めてしまえば、後継者争いに巻き込まれることもないのだから。
「求婚した理由は皇帝になるためだと、俺がいつ言った?」
「……それは、言ってないけど、要するにそういうことよね」
「華。俺の目を見ろ」