やがて馬車は、壮大な禁城の正門をくぐった。
華はもちろん、入城するのは生まれて初めてのことである。
黄金色の甍が連なる城は威容を誇る。栄華の極みを目の当たりにし、馬車から唖然として見上げた。
広大な石畳の道を、馬車は悠然とした歩みで奥へ進んでいく。
随行していた楽士が最後の音色を、シャン……とひとつ刻んだ。
すると馬車は、壮麗な宮殿の前でとまる。
「主殿に到着したぞ。さあ、おいで」
瑛琉に手をとられて、怖々と榻を下りる。
宮殿の階段下には、高級役人と思しき爺様たちがずらりと並んでいた。彼らは一様に頭を垂れている。産まれてから一度も人に頭を下げられたことなどない華は、違う世界に迷い込んでしまったようで戸惑うことしかできない。
広い宮殿に足を踏み入れると、朱塗りの柱が彼方まで続いていた。華が住んでいた街のひとつが丸ごと入るかと思うほどの広大さだ。ここのみが皇帝との謁見の間らしい。
瑛琉の手をしっかりと握り、緊張しながら歩を進める。
龍を模した石像の傍までやってくると、玉座と思しき台座に御簾がかけられていた。
あそこが皇帝陛下の座る場所なのかしら……。
そのとき、壁際に控えていた女官たちがこちらへやってきた。もっとも年嵩の女性が慇懃に礼をする。
「皇帝陛下の命により、女官長のわたくしが、嵐妃の痣をこの場でご確認させていただきます」
「えっ……ここでですか?」
「はい。かつて嵐妃を名乗り、痣を偽装した者があとを絶ちませんでした。わたくしどもが衣を広げて、殿方の目からはお隠しいたします」
淡々とした女官長の言葉に、華は青ざめた。
華自身も、腰にある痣が本物の“嵐妃の痣”なのかどうかわからないのである。
もしも偽物だとされたなら、華を連れてきた瑛琉も断罪されてしまうかもしれない。
ごくりと息を呑むが、瑛琉は飄々としていた。
「俺もまだ確認していないんだ。一緒に見ていいか?」
「だめ。――痣は腰にあるんです。では、衣を脱ぎますね」
そう言うと数名の女官たちが薄衣を広げて、周囲から遮る。憮然とした瑛琉だが、彼は薄衣の外側で待った。
衝立となった衣の中で、華を見ているのは女官長ひとりだ。決意を固めた華は潔く衣を脱ぐ。なにも後ろめたいことはない。粗末な上衣と褲子しか着ていないので、すぐに全裸になった。
女官長の怜悧な視線が、腰にある赤い痣に吸い寄せられる。じっくりと品定めするように見つめられ、緊張と羞恥で頰が火照った。
やがて女官長は頭を下げる。
「けっこうでございます。どうぞ、衣をお召しになってください」
審査は終わったようだ。華の着替えが済むと、女官たちは衝立代わりにしていた衣を下ろす。
すると、頰を強張らせている瑛琉と目が合った。
彼も緊張しているのだ。
華がごくりと息を呑むと、女官長は御簾の前へ進みでて平伏した。
「この方の腰にあるのは、嵐妃の痣に間違いございません。ただし、花びらは一枚のみです。わたくしは先代様の手の甲にあった花型の痣を毎日拝見しておりましたが、その中の一枚とまったく同じ形でございます」
先代の嵐妃は、手の甲に花型の痣があったのだ。その事実を知った華は新鮮な驚きに包まれた。おそらく、嵐妃に仕える者のみが知る秘密なのだろう。
女官長が下がると、控えていた従者が御簾を引く。
するすると巻き上がった御簾の向こうには、龍紋の黄袍を纏った壮年の男性が、紫檀の椅子に鎮座していた。
この男性が、嵐陵国の皇帝陛下なのだ。
華は皇帝への挨拶の仕方など知らず、どうしてよいのかわからない。さっと片膝をついた瑛琉に倣い、華も膝をついてみた。
穏やかな目を向けた皇帝は、華に問いかける。
「そなた、名をなんといったかな?」
「……華と申します」
深みのある落ち着いた声音に、華の体から余計な力が抜けるのを感じた。皇帝陛下ということは、彼は瑛琉の父親である。
「そなたの痣は花びら一枚ということから、嵐妃の資格に足るか微妙なところだ。暫定的な嵐妃と定め、様子を見よう。今後は華嵐妃と名乗り、嵐妃の園で暮らすがよい」
「は、はい。ありがとうございます」
「嵐妃は次期皇帝を指名する権限を持つ、特別な役職である。余には四人の皇子がいる。彼らの中から次期皇帝となりうる者を、よく見定めるがよい」
この瞬間、華嵐妃が誕生した。
昨日まで街角で饅頭を売っていた娘が、次期皇帝を指名できる特別職に任命されたのである。素晴らしい好待遇に恵まれて、理解が追いつかない。
硬い表情を浮かべている瑛琉は、皇帝に問いかけた。
「父上。華を見出したのは俺です。俺と華嵐妃の結婚は認めてくださいますね?」
華はもちろん、入城するのは生まれて初めてのことである。
黄金色の甍が連なる城は威容を誇る。栄華の極みを目の当たりにし、馬車から唖然として見上げた。
広大な石畳の道を、馬車は悠然とした歩みで奥へ進んでいく。
随行していた楽士が最後の音色を、シャン……とひとつ刻んだ。
すると馬車は、壮麗な宮殿の前でとまる。
「主殿に到着したぞ。さあ、おいで」
瑛琉に手をとられて、怖々と榻を下りる。
宮殿の階段下には、高級役人と思しき爺様たちがずらりと並んでいた。彼らは一様に頭を垂れている。産まれてから一度も人に頭を下げられたことなどない華は、違う世界に迷い込んでしまったようで戸惑うことしかできない。
広い宮殿に足を踏み入れると、朱塗りの柱が彼方まで続いていた。華が住んでいた街のひとつが丸ごと入るかと思うほどの広大さだ。ここのみが皇帝との謁見の間らしい。
瑛琉の手をしっかりと握り、緊張しながら歩を進める。
龍を模した石像の傍までやってくると、玉座と思しき台座に御簾がかけられていた。
あそこが皇帝陛下の座る場所なのかしら……。
そのとき、壁際に控えていた女官たちがこちらへやってきた。もっとも年嵩の女性が慇懃に礼をする。
「皇帝陛下の命により、女官長のわたくしが、嵐妃の痣をこの場でご確認させていただきます」
「えっ……ここでですか?」
「はい。かつて嵐妃を名乗り、痣を偽装した者があとを絶ちませんでした。わたくしどもが衣を広げて、殿方の目からはお隠しいたします」
淡々とした女官長の言葉に、華は青ざめた。
華自身も、腰にある痣が本物の“嵐妃の痣”なのかどうかわからないのである。
もしも偽物だとされたなら、華を連れてきた瑛琉も断罪されてしまうかもしれない。
ごくりと息を呑むが、瑛琉は飄々としていた。
「俺もまだ確認していないんだ。一緒に見ていいか?」
「だめ。――痣は腰にあるんです。では、衣を脱ぎますね」
そう言うと数名の女官たちが薄衣を広げて、周囲から遮る。憮然とした瑛琉だが、彼は薄衣の外側で待った。
衝立となった衣の中で、華を見ているのは女官長ひとりだ。決意を固めた華は潔く衣を脱ぐ。なにも後ろめたいことはない。粗末な上衣と褲子しか着ていないので、すぐに全裸になった。
女官長の怜悧な視線が、腰にある赤い痣に吸い寄せられる。じっくりと品定めするように見つめられ、緊張と羞恥で頰が火照った。
やがて女官長は頭を下げる。
「けっこうでございます。どうぞ、衣をお召しになってください」
審査は終わったようだ。華の着替えが済むと、女官たちは衝立代わりにしていた衣を下ろす。
すると、頰を強張らせている瑛琉と目が合った。
彼も緊張しているのだ。
華がごくりと息を呑むと、女官長は御簾の前へ進みでて平伏した。
「この方の腰にあるのは、嵐妃の痣に間違いございません。ただし、花びらは一枚のみです。わたくしは先代様の手の甲にあった花型の痣を毎日拝見しておりましたが、その中の一枚とまったく同じ形でございます」
先代の嵐妃は、手の甲に花型の痣があったのだ。その事実を知った華は新鮮な驚きに包まれた。おそらく、嵐妃に仕える者のみが知る秘密なのだろう。
女官長が下がると、控えていた従者が御簾を引く。
するすると巻き上がった御簾の向こうには、龍紋の黄袍を纏った壮年の男性が、紫檀の椅子に鎮座していた。
この男性が、嵐陵国の皇帝陛下なのだ。
華は皇帝への挨拶の仕方など知らず、どうしてよいのかわからない。さっと片膝をついた瑛琉に倣い、華も膝をついてみた。
穏やかな目を向けた皇帝は、華に問いかける。
「そなた、名をなんといったかな?」
「……華と申します」
深みのある落ち着いた声音に、華の体から余計な力が抜けるのを感じた。皇帝陛下ということは、彼は瑛琉の父親である。
「そなたの痣は花びら一枚ということから、嵐妃の資格に足るか微妙なところだ。暫定的な嵐妃と定め、様子を見よう。今後は華嵐妃と名乗り、嵐妃の園で暮らすがよい」
「は、はい。ありがとうございます」
「嵐妃は次期皇帝を指名する権限を持つ、特別な役職である。余には四人の皇子がいる。彼らの中から次期皇帝となりうる者を、よく見定めるがよい」
この瞬間、華嵐妃が誕生した。
昨日まで街角で饅頭を売っていた娘が、次期皇帝を指名できる特別職に任命されたのである。素晴らしい好待遇に恵まれて、理解が追いつかない。
硬い表情を浮かべている瑛琉は、皇帝に問いかけた。
「父上。華を見出したのは俺です。俺と華嵐妃の結婚は認めてくださいますね?」