「せっかくだから賭けをしようか。――おまえたち、負けたほうが懐妊の儀の最後尾になるというのはどうだい?」
剣を携えて闘技場に立った瑛琉と白虎は、互いから視線を外さずに答えた。
「いいぞ。どうせ俺が勝つからな」
「了解した。青龍が最後尾になるのは自明の理だ」
両者は双手剣をかまえる。
ふたりとも一分の隙もない熟練した気配を見せた。
炯々とした双眸でにらみ据える瑛琉と白虎から、殺気が伝わる。
祈るように両手を握りしめた華は呼吸を止めた。
審判が旗を掲げたそのとき、瞬速の剣が閃く。
はっとして瞬くと、すでに一閃を交えたふたりは距離をとっていた。
じりじりと摺り足で石床を移動し、間合いを計っている。
賭けの対象になったものは皇帝の就任にかかわる重大なことのような気がして、華は闘技場を見つめながら、となりの朱雀に訊ねた。
「あの…… “懐妊の儀”というのは、なんのことかしら」
「懐妊の儀は、嵐妃の園で行われる儀式のひとつだよ。ひと月ごとに嵐妃が皇子たちの宮殿を移動して、閨をともにするんだ」
「えっ⁉ 四人の皇子みんなと、その、閨をともにするの?」
「そうだよ。嵐妃を懐妊させた皇子が皇帝に指名される可能性が高まるよね。だから回る順番がとても重要になる。圧倒的に一番目が有利で、最後尾になるというのは、もはや嵐妃と閨をともにできないことを表しているね」
独特の慣習に目眩が起きる。
女性が男性の待つ閨を渡り歩くのが、嵐妃の園での常識なのだ。
瑛琉が言った『孕ませた者の勝ち』という台詞の意味を理解する。
「そういった慣習はどうかと私は思うわ。人の上に立つ素質を持っている皇子を皇帝に選ぶべきではないかしら」
「まあね、嵐妃の意見だけでどうにかなる問題でもないのだよ。子どもを産ませることすらできない男が国を治めることはできないからね。嵐妃を懐妊させることこそ、皇帝となる素質を試すための試練だと、わたしは幼い頃に講義で教わったよ」
どうやら皇子たちは子どもの頃から次期皇帝となるため、いかにして嵐妃の寵愛を得るかといった教育を受けてきたようだ。そのため、特異な儀式への疑問を持っていないのだろう。
もし、瑛琉がこの勝負で負けたら……。
彼が儀式の最後尾になってしまう。そのような不利な状況に、瑛琉を陥らせたくない。その前に、四人の皇子の閨を渡り歩くなどという儀式は、華にはできそうもなかった。
困惑しつつ、決闘の行方を見守る。
どうか、瑛琉に勝ってほしい。
白虎が勝利したら、朱雀を含めて閨に三人で籠もるなどといった事態になりかねない。その状況に持っていけるという余裕があるから、朱雀は悠然とかまえているのではないだろうか。
牽制を続けていた両者の間に、ふと風に乗った葉が横切る。
先に白虎が踏み込んだ。
一気に間合いを詰め、猛然と攻撃を仕掛ける。
剣戟が交わされる。キィンと硬質な音色が響き渡った。
華は懸命に祈った。
――お願い、瑛琉、怪我をしないで。
もはや勝敗により、儀式の優劣がどうなるかということよりも、瑛琉が痛い思いをしないでほしいと強く願った。
実力は拮抗しており、ふたりは引く気配がない。
そのとき、瑛琉が足を滑らせた。
体勢を崩したところに、白虎の剣が振り下ろされる。
「待って――!」
声をあげた華が立ち上がったとき。
身をひるがえした瑛琉が足を蹴り上げる。
白虎の手元から跳ねた剣が宙を舞った。
カラン……と石床に落下した剣の乾いた音で、審判は弾かれたように旗を上げる。
機転が功を奏し、瑛琉が勝ったのだ。
悔しげに奥歯を噛みしめた白虎は、手首を押さえている。
「貴様……汚いぞ。蹴りを入れるなど、正統な剣技ではない」
「剣を離したんだから、白虎の負けさ。勝ちを確信して、油断したよな」
瑛琉が足を滑らせたのは呼び水だったのだろうか。
ともあれ、勝負はついたのだ。大事にならずに済んだので、華は深い息をつく。
朱雀は真紅の深衣をひるがえし、闘技場へ向けて朗々と述べた。
「白虎の負けだね。それでは、懐妊の儀の順番は長子であるわたしが一番目として――」
堂々と己の優位を主張する朱雀に、驚いて目を見開く。
確かに、勝負で負けた者が最後尾になるという賭けだったが、一番目が誰かは明言していなかった。
華は慌てて朱雀に向き直り、声をあげた。
「待って! 華嵐妃として命じます。結婚を保留するという皇帝陛下の意向を汲み、懐妊の儀もしばらく延期といたします」
偉そうに命じるなんて本意ではないが、懐妊の儀を行うことは避けたかった。
朱雀はもとより、ほかのふたりの皇子も突然の決定に瞠目している。
剣を携えて闘技場に立った瑛琉と白虎は、互いから視線を外さずに答えた。
「いいぞ。どうせ俺が勝つからな」
「了解した。青龍が最後尾になるのは自明の理だ」
両者は双手剣をかまえる。
ふたりとも一分の隙もない熟練した気配を見せた。
炯々とした双眸でにらみ据える瑛琉と白虎から、殺気が伝わる。
祈るように両手を握りしめた華は呼吸を止めた。
審判が旗を掲げたそのとき、瞬速の剣が閃く。
はっとして瞬くと、すでに一閃を交えたふたりは距離をとっていた。
じりじりと摺り足で石床を移動し、間合いを計っている。
賭けの対象になったものは皇帝の就任にかかわる重大なことのような気がして、華は闘技場を見つめながら、となりの朱雀に訊ねた。
「あの…… “懐妊の儀”というのは、なんのことかしら」
「懐妊の儀は、嵐妃の園で行われる儀式のひとつだよ。ひと月ごとに嵐妃が皇子たちの宮殿を移動して、閨をともにするんだ」
「えっ⁉ 四人の皇子みんなと、その、閨をともにするの?」
「そうだよ。嵐妃を懐妊させた皇子が皇帝に指名される可能性が高まるよね。だから回る順番がとても重要になる。圧倒的に一番目が有利で、最後尾になるというのは、もはや嵐妃と閨をともにできないことを表しているね」
独特の慣習に目眩が起きる。
女性が男性の待つ閨を渡り歩くのが、嵐妃の園での常識なのだ。
瑛琉が言った『孕ませた者の勝ち』という台詞の意味を理解する。
「そういった慣習はどうかと私は思うわ。人の上に立つ素質を持っている皇子を皇帝に選ぶべきではないかしら」
「まあね、嵐妃の意見だけでどうにかなる問題でもないのだよ。子どもを産ませることすらできない男が国を治めることはできないからね。嵐妃を懐妊させることこそ、皇帝となる素質を試すための試練だと、わたしは幼い頃に講義で教わったよ」
どうやら皇子たちは子どもの頃から次期皇帝となるため、いかにして嵐妃の寵愛を得るかといった教育を受けてきたようだ。そのため、特異な儀式への疑問を持っていないのだろう。
もし、瑛琉がこの勝負で負けたら……。
彼が儀式の最後尾になってしまう。そのような不利な状況に、瑛琉を陥らせたくない。その前に、四人の皇子の閨を渡り歩くなどという儀式は、華にはできそうもなかった。
困惑しつつ、決闘の行方を見守る。
どうか、瑛琉に勝ってほしい。
白虎が勝利したら、朱雀を含めて閨に三人で籠もるなどといった事態になりかねない。その状況に持っていけるという余裕があるから、朱雀は悠然とかまえているのではないだろうか。
牽制を続けていた両者の間に、ふと風に乗った葉が横切る。
先に白虎が踏み込んだ。
一気に間合いを詰め、猛然と攻撃を仕掛ける。
剣戟が交わされる。キィンと硬質な音色が響き渡った。
華は懸命に祈った。
――お願い、瑛琉、怪我をしないで。
もはや勝敗により、儀式の優劣がどうなるかということよりも、瑛琉が痛い思いをしないでほしいと強く願った。
実力は拮抗しており、ふたりは引く気配がない。
そのとき、瑛琉が足を滑らせた。
体勢を崩したところに、白虎の剣が振り下ろされる。
「待って――!」
声をあげた華が立ち上がったとき。
身をひるがえした瑛琉が足を蹴り上げる。
白虎の手元から跳ねた剣が宙を舞った。
カラン……と石床に落下した剣の乾いた音で、審判は弾かれたように旗を上げる。
機転が功を奏し、瑛琉が勝ったのだ。
悔しげに奥歯を噛みしめた白虎は、手首を押さえている。
「貴様……汚いぞ。蹴りを入れるなど、正統な剣技ではない」
「剣を離したんだから、白虎の負けさ。勝ちを確信して、油断したよな」
瑛琉が足を滑らせたのは呼び水だったのだろうか。
ともあれ、勝負はついたのだ。大事にならずに済んだので、華は深い息をつく。
朱雀は真紅の深衣をひるがえし、闘技場へ向けて朗々と述べた。
「白虎の負けだね。それでは、懐妊の儀の順番は長子であるわたしが一番目として――」
堂々と己の優位を主張する朱雀に、驚いて目を見開く。
確かに、勝負で負けた者が最後尾になるという賭けだったが、一番目が誰かは明言していなかった。
華は慌てて朱雀に向き直り、声をあげた。
「待って! 華嵐妃として命じます。結婚を保留するという皇帝陛下の意向を汲み、懐妊の儀もしばらく延期といたします」
偉そうに命じるなんて本意ではないが、懐妊の儀を行うことは避けたかった。
朱雀はもとより、ほかのふたりの皇子も突然の決定に瞠目している。