流麗に紡がれる甘い声音はまるで音楽のようだ。すらりとした体躯の朱雀皇子は陽の光に透ける金色の髪をしているので、まるで異国の王子様のようである。
 彼は被っていた花冠を、そっと外した。
「やはり花冠は、花嫁にこそ相応しいね」
 紺碧の双眸を細めた朱雀は、花冠を華の頭に乗せる。そうすると互いの距離が自然に縮まり、吐息がかかるほど優美な顔が近づいた。
「あ、あの……」
 華が戸惑っていると、すかさず瑛琉はふたりの間に割って入る。
「ちょっと待て、朱雀。華嵐妃との結婚は保留の状態がしばらく維持される。それが皇帝が下した決定だ」
「ふうん。まあ、固いことをお言いでないよ。さあ、おいで華嵐妃。あなたのために東屋を造ったんだ。気に入ってくれたら嬉しいな」
 ふわふわとした甘い砂糖菓子のような朱雀は、まともに瑛琉に取り合う気がないらしい。彼は華の手をすくい上げると、輿に導こうとした。
 朱雀の花嫁になるつもりはないので、華は丁重に断る。
「あの、朱雀皇子。瑛琉の言った通り、私は暫定の嵐妃なのであなたの花嫁にはなれません」
「朱雀――と呼んでいいよ。まあ、花嫁行列はね、儀礼みたいなものだよ。輿に乗りたくないのなら、東屋まで歩こうか。そんなに緊張しなくていいから。せっかくだから青龍もおいで」
 悠々と述べた朱雀は、つないだ手を高く掲げて水路沿いの道を歩きだした。まるで姫を導く異国の騎士のような所作である。
 見ると、彼の指には真紅の宝玉を冠した指輪が光っていた。
 瑛琉の青い宝玉とは色違いだが、よく似た意匠だ。どうやら四神を象ったこの指輪が皇子の証であり、次期皇帝となる資格を有することを表しているのだろう。
 第一皇子の誘いを無下に断れず、華は従うことにした。東屋を見学するだけで、瑛琉も一緒にいてよいということなら、困った事態にはならないだろう。花嫁行列で出迎えたのはあくまで儀礼的なものだと、朱雀は捉えているのだから。
 瑛琉は黙然として、華たちの後ろをついてくる。
 やがて中央の宮殿から南側に位置する朱雀殿が見えてきた。
 宮殿の傍には水路を眺めるための東屋が建てられている。
 まるで鳥籠のようなそこは、ぐるりと羅紗の寝椅子が巡らされ、小さな座卓も置いてあった。ここで一日中、茶を嗜みながら昼寝ができそうな心地よさがある。
「素敵なところね……」
「ここからなら、華嵐妃の園を一望できる。中央の宮殿からは、一方向の宮殿しか見られないだろう? 気に入ったなら、ずっとここにいていいのだよ」
 ゆったりとした寝椅子に華を座らせた朱雀は、となりに腰を下ろす。あくまでも礼節を保った距離だ。ただし彼はつないだ華の手を離そうとしない。
 東屋に入ってきた瑛琉がつながれた手を見咎めるが、それより早く朱雀は彼に命じた。
「青龍。おまえは端に座りたまえ」
「それはいいけどな。いつまで手を握ってるんだ。茶を飲むときに困るんじゃないか?」
「わたしと華嵐妃が、いつ手を離すかはわたしたちが決めることだ。わたしは生涯離さなくともよい」
 さすが第一皇子というべきか、朱雀からは年長者らしき威圧と気概がにじんでいた。浮世離れした異国の王子様に見える朱雀もやはり、華嵐妃の寵愛を得ることを、鋭く意識しているのだ。すなわち次期皇帝に選ばれるのは自分だという主張である。
 ふたりの皇子に挟まれていたたまれない華は、そっと朱雀の手をほどく。
「お茶を飲みたいので、離しますね」
「そうか。――華嵐妃に茶をもて」
 意外にもあっさりと了承した朱雀は、東屋の外に控えていた宮女に指示を出す。
 一同にふくよかな芳香の龍井茶が提供された。
 ほっとひと息ついていると、またもや波乱の気配が近づく。
 東屋の外にいた宮女たちが一瞬ざわめいた。さっと彼女らは頭を垂れる。
「白虎皇子のお越しにございます」
 その声に華は顔を上げる。
 侍従をともなった軍装の男性が、こちらへ大股で向かってきた。
 眦が鋭く切れ上がり、双眸には闘志が燃え立っている。凜として背筋を伸ばし、ひらめく朱の腰帯には剣を挿していた。軍神を彷彿とさせる美丈夫だ。
 朱雀は穏やかな声をあげて、白虎を手招いた。
「わたしが呼んだのだよ。こちらにおいで、白虎」
「失礼する、華嵐妃。そして兄上」
 鋼の通るような声を響かせた白虎は、慇懃な所作で胸に手を当てる。彼は腰に帯びていた剣鞘を侍従に渡してから、東屋に足を踏み入れた。彼の指にも、乳白色の宝玉を冠した指輪が光っている。
 だが白虎は、瑛琉には目を向けない。まるで空気であるかのように。代わりに彼は華の足元に片膝をついた。
「挨拶が遅れたな。おれは第二皇子の白虎。兄上とは同じ妃を母とする実の兄弟だ。よろしく頼む、華嵐妃」
「こ、こちらこそよろしく」
 まっすぐに見つめてくる鋭い双眸と、口元から覗く牙のような歯に凄みを感じるが、白虎の亜麻色の髪と色素の薄い瞳が中和させていた。それらの不均衡さもまた彼の魅力を増幅させているようだった。