「えびすや」のロックスミス

 その時、凛花の前でお好み焼きをつついていた老婆が、不意に口を開いた。この老婆は西川駅の北口で細々とタバコ屋を営んでいる、古くからの常連客だ。

 しわがれた声が凛花の耳を通り、心の奥底に波紋を広げる。

「附属高校といえば、一週間、いや、もう少し前かの。ここ最近ここに座っとった、あの、地蔵みたいな男の子。あの子と、一緒に高架下の方に歩いて行ったのを見たよ。
 ・・・全部で3人、いや4、5人はおったかの。
 そういやあ、あれ以降かのう。附属高校の子らを見んようになったのは。自動販売機の所にたむろして、気持ち悪かったんじゃがの」

 ―――――平良だ。

 話しを聞いた瞬間、凛花は全てを理解した。

 あの日だ。
 たぶん、いやきっと、平良は私のために全身に傷を負ったのだ。熊沢のことに気付いて、私から引き離すために話しをつけに行ったのだ。そうに違いない。あの日、ボロボロになった平良が来た日から、熊沢は姿を見せなくなった。

 人前で泣くまいと我慢すれば我慢するほど、凛花の瞳からポロポロと涙が溢れては落ちた。満席の店内に背を向け、泣くまいと必死で我慢する。店主が盛大に鉄板でソバを炒めても、凛花の嗚咽を消すことはできなかった。

 嬉しくて、悲しくて、その場にしゃがみ込み、凛花は声を圧し殺して泣いた。


 2人が乗った電車は、国際的な観光地である宮島駅に停車した。多くの外国人観光客とともに電車を降りる。有名なアナゴ飯の店舗に続く横断歩道へと人波はうねるが、平良の足が向かう方向はフェリー乗り場ではなく真逆の山側だ。

 平良は後ろをついて来る紗希の表情を窺うが、どこに向かっているのか気付いている様子は感じられない。もしかるすと、紗希は訪れたことがないのかも知れない。

 上り坂の途中で振り返ると、すぐ目の前に観音様が仰向けになった姿だと言われる宮島が見えた。そんな景色を望む高台に目指す建物はある。特別養護老人ホーム長寿苑。ここが平良の目的地だ。


 受付で手続きを済ませ、戻ってくると落胆した様子の紗希がベンチに座っていた。平良の意図したことを読み取ったのだろう。それでも、黙って平良の後をついて行く。

 ああ、胸が締め付けられる。
 心は心臓のどこかにあるのかも知れない。

 平良が会いたかった人。その人は介護士に付き添われ、車椅子に乗った状態で談話室にいた。談話室といっても、6人程度が定員の小さな会議室のような部屋で、置いてあるものはテーブルくらいだった。

 介護士が気を聞かせて部屋を出て行く。すると、紗希がすっくりと歩み寄り、耳元で声を掛ける。

「・・・お祖母ちゃん」

 紗希の反応を見ると、やはりトメがここに入所していることを知らなかったようだ。
 耳元で聞こえる孫の声にも、トメは眉ひとつ動かさない。目の前にいる人物を、自分の孫だと理解できていないのだろう。

 振り返った紗希は嘲笑を浮かべ、棘のある言葉で容赦なく平良を攻撃する。

「これでも、良太郎君には期待してたんだけどね。あまり私をガッカリさせないで。こんな所まで連れて来て、もう誰も判別できなくなった人に会わせて、一体何がしたいの?」

 平良は反論することなく、静かに紗希の言葉を受け止める。平良を見限った紗希の言葉が、徐々に厳しさを増していく。

「まさかと思うけど、この人に私を占わせようとか思ってるの?
 この人にはもう、何も残ってないの。カラッポなのよ。この人に何ができるの?
 私は!!・・・私はね、他の誰でもない、良太郎君に期待してたんだよ?」


 平良は思わず天を仰いだ。
 今になって、逃げていたことに気付く。

 自分の責任を転嫁しようとしていた。
 何が正解なのか、それは分からない。
 それでも、考え続けて、自分なりの結論は出している。でも、それを伝えることに責任を持てず、自分の結論を他人の言葉に変換しようとしていた。
 やはり、それは間違っている。
 自分の思いは、自分だけのものだ。


 平良は大きく深呼吸をすると、紗希に向き直る。そして、ポケットから1組のタロットカードを取り出すとテーブルに広げた。紗希は冷めた表情で、平良の行動を見詰めている。

 平良は広げたタロットカードの中から1枚選び、紗希の前に置く。この時のために、平良はタロットカードが意味することを少しだけ覚えていた。

「臼田先輩が推測した通りです。僕は、僕自身の答えを、お祖母さんの意見として伝えようとしていました。
 先輩の将来を決めるなんてことは僕には重過ぎるし、何より自信が持てません。だから簡単な手品を使って、お祖母さんがこのカードを選んだようにするつもりでした」

 裏切られ、捨てられた、何も持たない平良の選択は、最初から決まっている。

 紗希の目の前に置かれたカード。
 それは「THE FOOL」、いわゆる愚者のカードだ。

「THE FOOLのカードが示すこと。
 盲目的な挑戦。未知の分野であろうと、誰に反対されようと、怖がらずに行動する。挑戦する。考えるよりも先に行動する。自分は失敗しない、絶対成功する。そういった根拠のない自信を持って突き進めば、自ずと道が開ける―――――」

 平良はそう言うと、愚者のカードを持っている紗希を見詰める。こういう言葉を並べるということは、平良の出した結論が「大学など進学せず、思うままに生きれば良い」ということを意味している。

 しかし、この意見には重要な部分が抜けている。それが証拠に、紗希が続きを待っている。待たせていることは分かっているが、平良の口は動かない。

 背中は押しても、どの方向に押せば良いのか分からない。それが、ここが平良の限界だった。人生経験が乏しい平良に、普通の高校生に、生き様とか人生だとか分かるはずがなかった。


 その時だった―――

 ぼんやりとテーブルの上に広げられたタロットカードを眺めていたトメが、スローモーションのように流れる時間の中、真っ直ぐにその手を伸ばした。そして、何を思ったのか、そのカードを平良に手渡す。

 平良と紗希、2人の呼吸が一瞬止まる。
 そして次の瞬間、2人の言葉が重なる。

「トメさん?」
「お祖母ちゃん?」

 やはり、反応はない。
 ただ、目の前にあったカードを、何の意味もなく平良に渡したに過ぎないのだろうか。

 裏の状態で手渡されたカードを、平良が何気なく表にする。
 THE MAGICIAN、魔術師のカード。そのカードを目にした瞬間、平良の視界が一気に広がった。

 ああ、そういうことだったのか・・・

 チャンスは、それを掴むために準備していた人にしか握れないという。平良も、答えを求めてずっと考えていなければ、この意味に気付かなかったに違いない。

 魔術師のカードが意味すること。
 錬金術師は無から何かを生み出すわけではなく、魔術によって元素を金や宝石に変えていくのだ。だから、今の状況を変えたければ、魔術、つまり自分の中にある力を見直さなければならない。

 ああ、そうなんだ。

 平良がの答えが、平良の言葉で語られる。


「ですが―――――」

 唐突に紡がれた逆接詞。これから語られる言葉が、平良の最終的な答えなのだということに紗希は気付いた。それでも、既に平良に興味を失った紗希の目は、薄暗い闇に飲み込まれたままだ。

「それよりも先に、やらなければならないことがあります。先輩は、自分が存在している理由、自分が進むべき道が知りたい。そう言いましたね」
「そうよ。私は、自分の存在理由が知りたい。それを探しに行きたい。」

 反応を確かめた平良が軽く頷く。


「先輩は、自分の能力や可能性を考慮して、大学に進学する必要性を感じない・・・そう考えているのだと思います。
 何の目的もなく、自分の意思に関係なく、周囲に流されて、一流と呼ばれる大学に進学し、一流と呼ばれる企業に入社し、高学歴の夫、優秀な子供に恵まれ、年を取って死んでいく―――――こんな見え透いた人生に嫌気がして、その道から外れたい一心で大学に進学することを止めようとしているのでしょう」

 平良の言葉に、闇に沈んだ紗希に微かな光が宿る。

「ですが・・・
 ですが、僕から言わせれば、それこそが不確かな未来です。
 笑っちゃいますね。
 世の中、そんなに甘いはずがない。
 確かに先輩は、ウチではトップ5に入る優秀な生徒かも知れません。でも、それは、あくまでも片田舎にある高校の中で、の話しです。それに、今から追い込んでくる人達も大勢いるはずです。その地位を受験まで守り抜けられますか?

 勘違いして欲しくないんですが、僕は先輩を否定している訳ではありません。

 生きる理由とか、何をしなければならないのかとか。それはたぶん、真剣に生きている人が必ず突き当たる壁なんだと思います。だから、真剣に生きている証拠なんです。
 ただ、その答えは、その人自身にしか分からないもので、他人が口を挟む問題ではなくて。それは、探したから見付かる、というものでもない。そう思います。ですが・・・ですが、こんな僕にも分かることが、たった1つだけあります。

 その時が来たとき、それを掴み取る力がなければ、目の前を通り過ぎてしまいます。準備ができていなければ、そこに答えがあっても気付かないかも知れません。

 ですから―――――」

 平良がTHE MAGICIANのカードを紗希に差し出す。


「今の自分に分からないということは、今の自分に力が足りないのではないでしょうか?
 まず、考え方を増やしませんか?
 今の先輩は自分の限界を予測して、これからの人生を悲観しているだけです。
 今の先輩は、もう限界ですか?
 今の先輩は、理想の自分ですか?
 今の先輩は、まだ限界ではないでしょう。
 もし自分の限界が見えるのなら、その限界まで行きませんか?
 限界まで行った時、そこが本当に限界だったと分かるんです。
 それに、もしかしたら、その先に、ずっと先に本当の限界があるのかも知れません。
 その時になって、本当に自分の存在が無意味だと思ったら、僕が一緒に考えます。何度だって、いつだって、僕が一緒に悩みます。だから・・・」

 平良の目を見て話しを聞いていた紗希が、その変化に気付いて戸惑う。言葉を紡いでいる平良の両目から、ポロポロと涙が零れていたのだ。そのことに、平良自身は気付いていなかった。

「だから、自分を捨ててしまうようなことは言わないで下さい。
 もっと、自分を大切にして下さい。
 お願いですから、この世から消えるようなことは、そんな悲しいことだけは、絶対に考えないで下さい。僕は、僕は・・・・・」

「うん、分かった」

 紗希は笑顔で頷いた。
 もう何年も流していなかった温かい涙が、頬をゆっくりと流れていく。その涙が床に落ちる瞬間、平良を抱き締めて、そして声を出して泣いた。


 誰かに聞いて欲しかった。
 誰かに分かって欲しかった。

 自分の言葉を真剣に受け止めてくれる人がいる。
 自分を一生懸命に理解しようとしてくれる人がいる。

 それに気付いた沙希の心が、温かい光で照らされていく。
 紗希の胸に刺さっていたカギが、虚空に溶け込むように消えていく。


 ―――孫たちを頼むよ―――

 紗希の肩越しに見えたトメの口が、ゆっくりと動いた。


 平良の胸にあるダイヤルが、カチカチと音を立てながら回る。
 カチカチカチカチ、微かな音を立てながら、心臓の鼓動と重なるように。
 左に2周半回って止まった。


 午後4時過ぎ―――

 「えびすや」の紺色に染まったのれんが揺れた。風に靡いたわけではない。ぼんやりと丸椅子に座っていた凛花が、チラリと視線を動かす。

「遅くなりました」

 現れたのは平良だった。
 凛花は思わず立ち上がり、口を開く。開くが言葉が見付からず、口を閉じる。思考がまとまらず、何を言えば良いのか分からない。その場で固まったまま動けない。

 そんな凛花の心境に気付くはずがなく、平良はいつもの席に向かって歩き始める。そして、何事もなかったかのように、定位置に腰を下ろした。


 そこまでは良い。
 凛花の視線が、平良のすぐ隣に向けられる。

「臼田先輩、何食べます?」

 平良と一緒に来店し、隣に座ったのは私服姿の紗希だった。凛花の表情が険しくなる。紗希はその変化に気付いていたが、当然、平良の頭はお好み焼きでいっぱいだった。
 次の瞬間、紗希が凛花に向かって微笑んだ。

「私は良太郎君と同じで」
「そうですか?じゃあ、肉・たま・ソバ2枚ね」

「良太郎、君・・・?」

 凛花の眉が吊り上がり、こめかみ辺りがピクピクと小刻みに震える。

「立花? 肉・たま・ソバ2枚だって」

 不思議そうに小首を傾げる平良に、怒りながら笑うという器用な表情で凛花が詰め寄った。

「これからは、凛花、凛花って呼んで。平良のことは良太郎って呼ぶから。分かった?」
「え? あ、う、うん。分かった」

 あまりの勢いに、平良はコクコクと何度も首を縦に振る。その様子を見ながら、隣で紗希が笑いを懸命に堪えていた。

 そんな時だった。
 再びのれんが動き、高らかに名乗りを上げる人物が入店してきた。

「愚民どもよ、我に最上級の料理を提供せよ!!もし我が納得せねば、この地はこの、ダーク・エンジェル・スーパー・エクセレント・バニーが地獄に変えてくれようぞ!!」

 バニーって、ウサギかよ。
 そう思ったが、平良は余計なツッコミを入れない。余計に面倒臭くなるからだ。しかし、今日の芽衣はこれ以上の暴挙に及ぶことはできそうになかった。

「こんにちは、芽衣ちゃん」

 紗希の声が聞こえた瞬間、芽衣の表情から笑みが消え、フルフルと震えながら声のする方向に顔を向ける。そこに笑顔の紗希を見付け、90度腰を曲げて見事なまでのお辞儀を披露した。

「紗希お姉さん、こんにちは」
「元気があるのは良いことだけど、余所様に迷惑を掛けるのはどうかと思うわ。ね?」
「はい!!」

 芽衣は快活に返事をすると、紗希の隣に行儀良く座る。初めて見る芽衣の姿に唖然とする凛花と平良。過去に何があったのかは、聞かないでおくことにする。ちなみに芽衣の後ろでは、いつものように母親が頭を下げていた。


「あ、平良、来てるじゃん」
「ホントだ」

 勢い良くのれんがめくれ上がり、中薗と島田が姿を現す。

「平良が来ないって落ち込んでたから、せっかく来てあげたのに。来なくても良かったじゃん」
「ダメだよハル。ああ見えて、凛花は繊細なんだから」

 次々と爆弾発言を交わしながら、素知らぬ顔で椅子に座る中薗と島田。そんな2人を眺める平良の頭上には、クエスチョンマークが大量に浮かんでいる。耳まで赤くなった凛花が、もの凄いスピードで中薗に台拭きを投げ付けた。

「いらっしゃい。
 あらあら、急いで作らないとね。えっと、みんな何を食べるの?」

 奥で一休みしていた店主が姿を見せた。
 平良を見て、そして店内を見渡し笑顔になる。

「肉・たま・ソバ」
「私も」
「じゃあ、肉・たま・ソバを6枚ね」


 不機嫌そうに中薗と島田を睨んでいる凛花に、平良がいつもと変わらない口調で声を掛ける。

「あのさ」
「何?」

 平良に視線を向けた凛花も、いつもと同じ口調で応じる。

「ずっと秘密にしていたことがあるんだ」
「は?」

 少しだけ平良に近付き、凛花が平良の顔を覗き込む。

「実は、相手の悩み事がさ、その人の胸元にカギのカタチになって見えるんだよ」
「ふうん」

「信じる?」
「え、何で信じないの?」

「だよね」
「で、それはそうと、かなりサボったんだから、明日からは毎日出勤ね」

「え?」





 ―――――広島の片隅に、美味しいお好み焼きを作るお店がある。

 そこには、いつもジュージューと焼ける音が響き、食欲をそそるソースの匂いに満たされている。

 先代から受け継がれた味、心からのおもてなし。来店した人達はみんな満足して帰り、その味を口コミで広げる。


 それとともに、広がる噂がある。

 魔女の後継者が現れた。
 何も言葉にしていないのに心を読まれた。
 隠していたのに悩みを見抜かれた。
 本当に困っていることがあるなら、行ってみれば良い。

 そこにいる2人が解決してくれるから。



 お腹も心も満たしてくれるお店がある。

 その店の名前は
        ―――えびすや―――





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