「ちょっと凛花、これ、2枚で良かったんじゃないの?」
赤いバンダナを三角巾代わりに巻いた女性が、金属製のヘラを持ったまま真横へとジト目を向ける。
「え?3人だよ、3人。合ってるって」
そう言って、凛花と呼ばれた少女が予約の内容を書いた紙を確認する。そして、自分で走り書きした文字を眺め、すぐに二度目の電話を思い出した。
「あー・・・そうだった。2人になったんだった。1人来られなくなったって、後から連絡があったんだった。ヤバイ、忘れてた」
凛花はわざとらしい笑顔を作り、母親に向かって親指を立てた。
「よく覚えてたね。うん、大丈夫。お母さんは、まだまだ現役バリバリだよ。うん、うん!」
そんな娘の態度に大きくため息を吐き、母親はすでに完成間近のお好み焼きを見下ろす。
「うんうん、じゃないわよ。どうするのよ、これ?アンタが責任とって食べなさいよ」
「えーイヤよ、太るじゃん」
長年に渡って使い込まれ、中心付近が銀色に輝いている巨大な鉄板。その上でジュージューと音を立て、食欲をそそってくる丸い物体。その上に、特性ソースをハケで大量に塗る。当然のように滴るソース。それが鉄板で焦げると、一瞬にして甘辛い匂いが店内に広がり、万人の胃袋を揺さぶる。
そして、ついにクライマックス。
凛花の母親が両手に金属製のヘラを持ち、カシュカシュと鉄板を擦りながら軽く形を整える。最後に青のりを振り掛けて、その手が止まった。
そう、ここはお好み焼屋。
お好み焼きの本場、広島市内の西川駅北側にある一部で有名な店「えびすや」だ。
「よし! じゃあ、看板娘の私が外で客引きしてくるから、ちょっと待ってて」
「客引きって・・・というか、こんな時間に、こんな場所を歩いてる人なんて、近所のご隠居さんたちしかいないわよ?」
母親の忠告を無視し、赤いカープエプロンを外した凛花は、勢い良くのれんをくぐって飛び出す。しかし、外に出た瞬間にその動きがピタリと止まった。
駅の南口は市内の中心部に面しているため開発が進んでいるが、北口は駅裏と呼ばれ、何の手も加えられていない。再開発という言葉さえ耳にすることがない。
タクシーがどうにか3台停まることができる小規模なロータリー。当然のように、路線バスは素通り。そのロータリーを横切ると、昼間からシャッターが閉まったままのアーケード通りが出迎えてくれる。野良猫のなわばりと化した商店街を通り過ぎ、不安になる心を宥めながら進むとようやく「えびすや」に到着する。
「本気で誰もいない」
店の前に立ち、凛花は右、左、左、右と何度も確認する。目が回るほどグルグルと首を回してみても、見えるものは微妙な色合いの野良猫だけだ。
「これは、ダメだ・・・」
「えびすや」の立地は、ハッキリ言って悪い。ほぼ人通りが無い路地にあるため、平日の昼間は近所の住民が食べに来る以外は閑古鳥が鳴きまくっている。しかし、土日祝日、そして平日の夕方以降は満席になることが多い。
お好み焼きが嫌いな訳ではない。
むしろ、何枚でも食べられるくらい好きだ。
でも、そば入りのお好み焼きは、カロリー的にかなりヤバイ。お母さんは「キャベツいっぱいでヘルシー」などと言っているが、間違いなく嘘だ。戯言だ。あの重量感が低カロリーなはずがない。私も女子高生だし、それなりに外見は気になる。
でも、でも、もったいない。捨てるなんてこと、絶対にできない。
ああ、やっぱり、自分が食べるしかないのかあ・・・
そんな思考の無限ループに陥っている凛花の目に、いまどき珍しい学ラン姿の学生が写り込んだ。その男子高校生は「えびすや」が面している路地を、俯き気味に黙々と歩いて来る。
凛花はその男子高校生を知っている。同じ高校の、しかも同じ学年の生徒だから当然だ。