どこかで炎が爆ぜる音がした。再び瞼を持ち挙げれば、私は……美琴は、どこかの村にいた。それも家々が燃えて、夜なのに辺りが明るい。
『なんと惨いことを……』
地面にごろごろと転がっている猫又の女子供の骸から、美琴はすぐに目を背けた。
『姫様! 晴明の話では、討伐命令はまだ出ていないはずでは?』
刀を持った男を鋭い爪で倒し、駆け寄ってきたのは……タマくんだった。
美琴は彼と背をくっつけるようにして、周囲を取り囲む追っ手と睨み合っている。
『あやかしに好意的な晴明に、我らは討てん。初めから晴明には朝廷からの命令はまだ出ていないと伝え、それをあえて私たちの耳に入るようにし、油断しているところを叩くつもりだったのだろう』
『だとしても、こちらには紫苑殿の糸があります。そのような策略も筒抜けだったはずでは?』
『紫苑とは茶会のあとから連絡が取れておらぬ。もしかしたら、すでに討たれたやも……』
美琴は苦しげに眉を寄せ、すぐに息を吐いて顔を上げる。悲しんでいる暇も、彼女にはなかったのだ。
『とにかく生き残っている仲間を見つけ出し、避難させるのだ。玉貴、頼めるか』
『姫様はどうなさるおつもりですか?』
『私はここでできるだけ、敵を足止めする』
『なりません! それは私が……っ』
振り返ったタマくんに、美琴は語気を強めて言う。
『聞き分けろ、玉貴。帝は特にあやかし七衆の首を欲している。自身で悪を退治したと見せびらかすまで、すぐにこの首は取らん。その隙になにがなんでも逃げ出す。だが、それ以外のあやかしはそうはいかない。わかるだろう?』
『……っ、はい……あやかしの頭だからこそ、討てば功績も大きいですが、私たち下っ端では影響力はさほどありません。ですから、すぐに殺されてしまう』
『そうだ。私も死ぬ気はない、そしてお前たちを死なせる気もない。だから、そのための最善策だ』
『承知……いたしました』
悔しさを堪えるように唇を噛んで俯くタマくんの手に、美琴は手を添える。
『お前は、私の最も信頼している剣……。お前にしか頼めぬ、どうか一族の皆を守ってくれ』
『くっ……御意に』
頷いたタマくんの頬には涙が伝っている。美琴は弟に向けるような優しい眼差しを彼に注いだあと、静かに敵を見据えた。
『──全員、動くな』
魔性の瞳で人間たちの動きを封じ、『今のうちに行け』とタマくんの背を押す。
タマくんは泣きながら、大きな猫又に化けて里の猫又たちを助けるべく飛んでいった。
『さて……』
拘束した人間たちを見回しながら、美琴は自嘲的に笑う。そのときだった、美琴の想いが、私にも伝わってくる。
──奇襲を受けたこの里に、生き残った猫又はどれほどいるのだろうか。ろくな対策もできぬまま、一方的に狩られるだけだった。望みは薄いが、玉貴を信じるしかない。
──そして、晴明は私たちを助けられぬよう、朝廷に拘束されているだろう。それどころか、朝廷からあやかしの討伐命令が出た以上、陰陽師である晴明は私を殺さねばなるまい。そうしなければ、死罪になる可能性すらある。
『すまないな、玉貴。私は……夫を助けなければならん』
──いや、違うな。
『助けたいのだ、私が……』
──夫が私を匿ったとして、罪に問われることがないように……。
美琴は魔性の瞳の力を解く。自由になった兵たちは戸惑っていたが、美琴は『私を連れていけ』と両手を広げた。
『お前たちに捕まろう』
──そして陰陽師に葬られる。それが夫を救う最善の策だ。
そこへビュンッ、ビュンッと無数の光る矢が飛んできて、美琴の背を射抜く。
『ぐうっ』とうめいて地面に倒れ込んだ美琴を、容赦なく兵たちは刀で斬りつけた。
そのときの痛みは私にも伝わってきて、言葉にならない、息もできないほどの激痛だった。
痛いっ、痛いっ、痛い……! こんなの人間のすることじゃない……っ。人間のほうが、よっぽど恐ろしい化け物だ!
光の矢が刺さったところから、力が抜けていく。
ぐったりとした美琴は荷物のように馬に乗せられ、やがて立派な屋敷の広場に乱暴に転がされた。
私はここを知っている、朝廷の敷地内にある陰陽寮だ。何十人といる矢を構えた陰陽師たちに囲まれ、刺すような空気が漂っている。
ここに、美琴の味方はどこにもいなかった。なにがあっても美しく降り注ぐ桜の雨、それすらも美琴の心を冷たくしているのがわかる。
結界に囚われ、うつ伏せに倒れている美琴の身体の下には血だまりができている。
桜が咲いているので春だとは思うが、寒くて仕方なかった。
【死】という文字が頭を過ぎったとき、また美琴の心が流れ込んでくる。
──痛い、寒い、苦しい、憎い……。生き残った仲間はいるだろうか? 山の中に築いた隠れ里も見つかり、女も子供も皆殺しだった。きっと、もう誰も──。
『あやかしなど、知性のない獣と同じ。生かす価値もないわ』
陰陽師の言葉に、美琴はギリッと奥歯を噛む。そんな彼女を陰陽師たちは蔑むように笑った。
『あの耳と尾を見よ。まさに獣』
──私たちあやかしが獣なら、お前たち人間は慈悲の欠片もない化け物だ。
また、美琴の心が聞こえてくる。でも、美琴は人間を憎みきれないのだろう。人にも、あやかしに理解を示す者がいると知ってしまったから……そう、晴明さんのように。
そこへ仲間の陰陽師に引きずられるようにして、ひとりの男が連れてこられた。美琴は土を握りしめ、力を振り絞るように顔を上げる。
『……なぜ、なぜ逃げなかった、美琴(みこと)』
後ろ手に縛られ、美琴の前へと突き出されたのは晴明さんだ。
泣き出しそうな顔をしている晴明さんを目にした瞬間、美琴の心が震えたのがわかった。
──あの後ろで束ねられた、夜空を彷彿とさせる濃紺の長髪を梳いてやりたい。静かな深海を思わせる青の瞳も、ずっと眺めていたい。でも、これで見納めか……。
美琴の心を知って、私は光明さんと出会ったときに彼に触れたくてたまらなくなった理由が腑に落ちた。
懐かしくて、切なくて、悲しくて、悔しくて、そして──愛しい。
涙とともに溢れた、たくさんの感情。あれは美琴の、晴明さんへの想いだったのだ。
あのとき、手が勝手に光明さんの髪に伸びた。どうしてか、優しく梳いてあげたくてたまらなかった。いつまでも彼の瞳を眺めていたい、そう思った。
あれは全部、美琴が晴明さんにしてあげたかったことだったのだ。
美琴は自嘲的な笑みを口元に浮かべる。
──なぜ逃げなかったのか、利口なお前なら気づいているだろうに。
そうだよ、愛した夫を置いていける妻なんているわけがない。
陰陽寮に属している以上、晴明さんは朝廷の者。朝廷に、帝に逆らえば、晴明さんは反逆者として殺されてしまうのに、ひとりで逃げられるわけがない。
『その者を殺せ、晴明』
御簾の向こうから、しゃがれた声で非情な命令を下すのは、恐らく帝だ。
『できませぬ! たとえ、帝の命だろうと!』
『なんと……我の命が聞けぬと言うか! 陰陽寮きっての陰陽師だからと、図に乗るでない! その首、跳ねてもよいのだぞ……!』
『その御心の済むようになさればいい。妻を見殺しにするくらいなら、死んだほうがマシです』
怒りに震える帝に、なお食ってかかろうとする晴明さん。美琴は『やめろ……晴明……』と声を絞り出す。
あやかしを守る立場にいる美琴と、人間を守る側にいる晴明さん。
正反対の立場にいるふたりの仲を『イカレた男だ』『あやかしを娶るとは』と侮辱する者はいても、理解できる者はいなかった。
──私は、あやかしを守る立場にいる。それなのに、人間の……それも陰陽師を夫に迎えた時点で、仲間を裏切ったも同然の私が、人間を憎みきれないこと。これ以上、散っていった仲間に顔向けできない真似はするべきじゃない。
──全てを敵に回しても夫と生きていきたいなどと、言えるはずもない。許されない。
──そして、守るべき仲間たちがもうこの世にいないのなら、果たすべき責任は死地への旅に付き添うことの他にはないだろう。それで夫も、私を匿ったとして罪に問われることもあるまい。
『あやかしと陰陽師……私とお前は、そもそも相容れない存在だったのだ……』
どこか言い聞かせるような語り口に、晴明さんは眉をいっそう寄せ、涙で目を濡らす。
『そんなこと、初めからわかっていたはずた。それでも俺は、お前を愛した』
その言葉を聞いた途端、美琴の頬に……私の頬にも、つううっと涙が伝っていく。
──私も、愛したからこの運命を選んだ。
──お互いの立場を考えれば、いつかこうなることはわかっていた。それでも、限られた時間を共に生きることこそ私の幸せだと、そう信じて……。
ただ、それは強がりだったかもしれないと、美琴は晴明さんを前にして気づいてしまったのだ。
この涙がなによりの証。美琴は本当は、もっとずっと晴明さんと生きていきたかったのだ。
でも、包み隠さずその気持ちを口にしようものなら、晴明さんが泣くから……だから、美琴は言わない。
その想いを胸の奥深くにしまい、蓋をして逝こうとしている。
わかってしまう、私が美琴ならそうするだろうから。
『……晴明。なにも遺してやれず、すまない』
陰陽師たちが呪文を唱えると共に指で印を切る。眩い光が美琴を包み、愛する夫の姿を霞ませていく。
絶命させられそうになっているというのに、美琴は自分の死よりも晴明さんが悲しむことを恐れていた。
『やめろ……!! 美琴がなにをした!? あやかしにも、善良な者はいる! なぜそれがわからない!』
悲痛な晴明さんの叫びだけが響いている。
──ああ、今宵の月が悲しげな色を放っているのも、桜が天の涙のように見えるのも、お前の心が泣いているからか──。
『美琴──!!』
鼓膜をつんざくような爆発音とともに、視界が一気に白に染まる。
身体の感覚という感覚が消えていき、痛みも寒さも感じない。
薄れゆく意識の中で、無情な世界に残された夫を想う美琴の心の声が聞こえる。
──来世で……また会おう。再び巡り逢えたら、私たちは間違いなく……惹かれ合うだろうから。
『なんと惨いことを……』
地面にごろごろと転がっている猫又の女子供の骸から、美琴はすぐに目を背けた。
『姫様! 晴明の話では、討伐命令はまだ出ていないはずでは?』
刀を持った男を鋭い爪で倒し、駆け寄ってきたのは……タマくんだった。
美琴は彼と背をくっつけるようにして、周囲を取り囲む追っ手と睨み合っている。
『あやかしに好意的な晴明に、我らは討てん。初めから晴明には朝廷からの命令はまだ出ていないと伝え、それをあえて私たちの耳に入るようにし、油断しているところを叩くつもりだったのだろう』
『だとしても、こちらには紫苑殿の糸があります。そのような策略も筒抜けだったはずでは?』
『紫苑とは茶会のあとから連絡が取れておらぬ。もしかしたら、すでに討たれたやも……』
美琴は苦しげに眉を寄せ、すぐに息を吐いて顔を上げる。悲しんでいる暇も、彼女にはなかったのだ。
『とにかく生き残っている仲間を見つけ出し、避難させるのだ。玉貴、頼めるか』
『姫様はどうなさるおつもりですか?』
『私はここでできるだけ、敵を足止めする』
『なりません! それは私が……っ』
振り返ったタマくんに、美琴は語気を強めて言う。
『聞き分けろ、玉貴。帝は特にあやかし七衆の首を欲している。自身で悪を退治したと見せびらかすまで、すぐにこの首は取らん。その隙になにがなんでも逃げ出す。だが、それ以外のあやかしはそうはいかない。わかるだろう?』
『……っ、はい……あやかしの頭だからこそ、討てば功績も大きいですが、私たち下っ端では影響力はさほどありません。ですから、すぐに殺されてしまう』
『そうだ。私も死ぬ気はない、そしてお前たちを死なせる気もない。だから、そのための最善策だ』
『承知……いたしました』
悔しさを堪えるように唇を噛んで俯くタマくんの手に、美琴は手を添える。
『お前は、私の最も信頼している剣……。お前にしか頼めぬ、どうか一族の皆を守ってくれ』
『くっ……御意に』
頷いたタマくんの頬には涙が伝っている。美琴は弟に向けるような優しい眼差しを彼に注いだあと、静かに敵を見据えた。
『──全員、動くな』
魔性の瞳で人間たちの動きを封じ、『今のうちに行け』とタマくんの背を押す。
タマくんは泣きながら、大きな猫又に化けて里の猫又たちを助けるべく飛んでいった。
『さて……』
拘束した人間たちを見回しながら、美琴は自嘲的に笑う。そのときだった、美琴の想いが、私にも伝わってくる。
──奇襲を受けたこの里に、生き残った猫又はどれほどいるのだろうか。ろくな対策もできぬまま、一方的に狩られるだけだった。望みは薄いが、玉貴を信じるしかない。
──そして、晴明は私たちを助けられぬよう、朝廷に拘束されているだろう。それどころか、朝廷からあやかしの討伐命令が出た以上、陰陽師である晴明は私を殺さねばなるまい。そうしなければ、死罪になる可能性すらある。
『すまないな、玉貴。私は……夫を助けなければならん』
──いや、違うな。
『助けたいのだ、私が……』
──夫が私を匿ったとして、罪に問われることがないように……。
美琴は魔性の瞳の力を解く。自由になった兵たちは戸惑っていたが、美琴は『私を連れていけ』と両手を広げた。
『お前たちに捕まろう』
──そして陰陽師に葬られる。それが夫を救う最善の策だ。
そこへビュンッ、ビュンッと無数の光る矢が飛んできて、美琴の背を射抜く。
『ぐうっ』とうめいて地面に倒れ込んだ美琴を、容赦なく兵たちは刀で斬りつけた。
そのときの痛みは私にも伝わってきて、言葉にならない、息もできないほどの激痛だった。
痛いっ、痛いっ、痛い……! こんなの人間のすることじゃない……っ。人間のほうが、よっぽど恐ろしい化け物だ!
光の矢が刺さったところから、力が抜けていく。
ぐったりとした美琴は荷物のように馬に乗せられ、やがて立派な屋敷の広場に乱暴に転がされた。
私はここを知っている、朝廷の敷地内にある陰陽寮だ。何十人といる矢を構えた陰陽師たちに囲まれ、刺すような空気が漂っている。
ここに、美琴の味方はどこにもいなかった。なにがあっても美しく降り注ぐ桜の雨、それすらも美琴の心を冷たくしているのがわかる。
結界に囚われ、うつ伏せに倒れている美琴の身体の下には血だまりができている。
桜が咲いているので春だとは思うが、寒くて仕方なかった。
【死】という文字が頭を過ぎったとき、また美琴の心が流れ込んでくる。
──痛い、寒い、苦しい、憎い……。生き残った仲間はいるだろうか? 山の中に築いた隠れ里も見つかり、女も子供も皆殺しだった。きっと、もう誰も──。
『あやかしなど、知性のない獣と同じ。生かす価値もないわ』
陰陽師の言葉に、美琴はギリッと奥歯を噛む。そんな彼女を陰陽師たちは蔑むように笑った。
『あの耳と尾を見よ。まさに獣』
──私たちあやかしが獣なら、お前たち人間は慈悲の欠片もない化け物だ。
また、美琴の心が聞こえてくる。でも、美琴は人間を憎みきれないのだろう。人にも、あやかしに理解を示す者がいると知ってしまったから……そう、晴明さんのように。
そこへ仲間の陰陽師に引きずられるようにして、ひとりの男が連れてこられた。美琴は土を握りしめ、力を振り絞るように顔を上げる。
『……なぜ、なぜ逃げなかった、美琴(みこと)』
後ろ手に縛られ、美琴の前へと突き出されたのは晴明さんだ。
泣き出しそうな顔をしている晴明さんを目にした瞬間、美琴の心が震えたのがわかった。
──あの後ろで束ねられた、夜空を彷彿とさせる濃紺の長髪を梳いてやりたい。静かな深海を思わせる青の瞳も、ずっと眺めていたい。でも、これで見納めか……。
美琴の心を知って、私は光明さんと出会ったときに彼に触れたくてたまらなくなった理由が腑に落ちた。
懐かしくて、切なくて、悲しくて、悔しくて、そして──愛しい。
涙とともに溢れた、たくさんの感情。あれは美琴の、晴明さんへの想いだったのだ。
あのとき、手が勝手に光明さんの髪に伸びた。どうしてか、優しく梳いてあげたくてたまらなかった。いつまでも彼の瞳を眺めていたい、そう思った。
あれは全部、美琴が晴明さんにしてあげたかったことだったのだ。
美琴は自嘲的な笑みを口元に浮かべる。
──なぜ逃げなかったのか、利口なお前なら気づいているだろうに。
そうだよ、愛した夫を置いていける妻なんているわけがない。
陰陽寮に属している以上、晴明さんは朝廷の者。朝廷に、帝に逆らえば、晴明さんは反逆者として殺されてしまうのに、ひとりで逃げられるわけがない。
『その者を殺せ、晴明』
御簾の向こうから、しゃがれた声で非情な命令を下すのは、恐らく帝だ。
『できませぬ! たとえ、帝の命だろうと!』
『なんと……我の命が聞けぬと言うか! 陰陽寮きっての陰陽師だからと、図に乗るでない! その首、跳ねてもよいのだぞ……!』
『その御心の済むようになさればいい。妻を見殺しにするくらいなら、死んだほうがマシです』
怒りに震える帝に、なお食ってかかろうとする晴明さん。美琴は『やめろ……晴明……』と声を絞り出す。
あやかしを守る立場にいる美琴と、人間を守る側にいる晴明さん。
正反対の立場にいるふたりの仲を『イカレた男だ』『あやかしを娶るとは』と侮辱する者はいても、理解できる者はいなかった。
──私は、あやかしを守る立場にいる。それなのに、人間の……それも陰陽師を夫に迎えた時点で、仲間を裏切ったも同然の私が、人間を憎みきれないこと。これ以上、散っていった仲間に顔向けできない真似はするべきじゃない。
──全てを敵に回しても夫と生きていきたいなどと、言えるはずもない。許されない。
──そして、守るべき仲間たちがもうこの世にいないのなら、果たすべき責任は死地への旅に付き添うことの他にはないだろう。それで夫も、私を匿ったとして罪に問われることもあるまい。
『あやかしと陰陽師……私とお前は、そもそも相容れない存在だったのだ……』
どこか言い聞かせるような語り口に、晴明さんは眉をいっそう寄せ、涙で目を濡らす。
『そんなこと、初めからわかっていたはずた。それでも俺は、お前を愛した』
その言葉を聞いた途端、美琴の頬に……私の頬にも、つううっと涙が伝っていく。
──私も、愛したからこの運命を選んだ。
──お互いの立場を考えれば、いつかこうなることはわかっていた。それでも、限られた時間を共に生きることこそ私の幸せだと、そう信じて……。
ただ、それは強がりだったかもしれないと、美琴は晴明さんを前にして気づいてしまったのだ。
この涙がなによりの証。美琴は本当は、もっとずっと晴明さんと生きていきたかったのだ。
でも、包み隠さずその気持ちを口にしようものなら、晴明さんが泣くから……だから、美琴は言わない。
その想いを胸の奥深くにしまい、蓋をして逝こうとしている。
わかってしまう、私が美琴ならそうするだろうから。
『……晴明。なにも遺してやれず、すまない』
陰陽師たちが呪文を唱えると共に指で印を切る。眩い光が美琴を包み、愛する夫の姿を霞ませていく。
絶命させられそうになっているというのに、美琴は自分の死よりも晴明さんが悲しむことを恐れていた。
『やめろ……!! 美琴がなにをした!? あやかしにも、善良な者はいる! なぜそれがわからない!』
悲痛な晴明さんの叫びだけが響いている。
──ああ、今宵の月が悲しげな色を放っているのも、桜が天の涙のように見えるのも、お前の心が泣いているからか──。
『美琴──!!』
鼓膜をつんざくような爆発音とともに、視界が一気に白に染まる。
身体の感覚という感覚が消えていき、痛みも寒さも感じない。
薄れゆく意識の中で、無情な世界に残された夫を想う美琴の心の声が聞こえる。
──来世で……また会おう。再び巡り逢えたら、私たちは間違いなく……惹かれ合うだろうから。