こぼれ落ちていく……なにもかも……。
冷かな月光を浴びた桜の花びらが舞う中で、私は立ち尽くしていた。
手の器には薄紅の花弁が積もっている。でも風に攫われ、指の隙間からすり抜け、ひらひらと落ちて黒い大地に飲み込まれていく。
全部奪われた、全部失った。家族も、仲間も、愛した人さえも……なにひとつとして、私の手元には残らない。
『……なぜ、なぜ逃げなかった』
ひどく懐かしい男の声が響き、ぶわっと桜吹雪が起こる。とっさに顔の前に腕を翳すと、吹き荒れる花びらの向こう側に、 人のシルエットが現れた。
『なぜ……』
悲しい色を滲ませた深い青の瞳、風にさらさらと流れる濃紺の長髪。身に着けている白い狩衣装束──あれは陰陽師の服だ。
息を呑むほど美しい男が片手で顔を覆い、その場に蹲った。
泣かないで……。
あの人にそっくりな顔で泣かれると、心が切り刻まれたみたいに痛む。
そばに行ってあげたい、その一心で彼に向かって足を踏み出したときだった。
風はいっそう強く吹き、目の前を桜色で覆い尽くす。そして、視界が晴れると──。
『……光明、さん……?』
身なりこそ変わらないが、先ほどの美しい男の顔は光明さんに変わっていた。
『光明さん!』
しゃがみ込んで泣いている光明さんに、すぐに駆け寄る。弱々しく丸まった背中に手を添えて、私は光明さんの頭を抱き寄せた。
『どうして泣いてるの? なにがあったの?』
『っ……大事な人が、なんも言わず去っていったさかい……なんで、頼ってくれへんかった。なんで、一緒に生きる選択をしてくれへんかったんや。なんで……』
風に攫われてしまいそうなほど、か細い呟きだけを残して……。光明さんの身体は桜の花びらとなって、消えていってしまう。
『光明さん……っ、待って光明さん!』
彼だった花びらを集めようと、私は宙を何度も掻いた。でもやっぱり、私の元にはなにも戻ってこなくて……。
『ああ……あぁ……っ、ひとりにしないで……光明、さん……っ』
闇の中にひとり残された私は、ハラハラと流れる涙を拭いもせずに、その場に崩れ落ちるのだった。
***
「……すず、美鈴……きろ……起きろ」
声に誘われて瞼を持ち上げると、温かい指先が私の目尻を拭った。光明さんの顔が間近にあり、私は目をぱちくりさせる。
「光明……さん……?」
同じ部屋で寝ているとはいえ布団は別、なのになんで光明さんがこんなに近くに?
まだ寝ぼけて頭がはっきりしない。ぼんやりと光明さんの整った顔貌を眺めていたら、気まずそうに目を逸らされた。
「うなされとったぞ、嫌な夢でも見たのか」
「夢……」
そうか、あれは夢だったのか。
暗闇の中で吹き荒れる桜の花びら、泣いていた光明さん似の男の人。その彼が光明さんに変わって、消えてしまった……。
「そう……本当に嫌な夢だった」
でも、胸に残る痛みは現実だ。
冷かな月光を浴びた桜の花びらが舞う中で、私は立ち尽くしていた。
手の器には薄紅の花弁が積もっている。でも風に攫われ、指の隙間からすり抜け、ひらひらと落ちて黒い大地に飲み込まれていく。
全部奪われた、全部失った。家族も、仲間も、愛した人さえも……なにひとつとして、私の手元には残らない。
『……なぜ、なぜ逃げなかった』
ひどく懐かしい男の声が響き、ぶわっと桜吹雪が起こる。とっさに顔の前に腕を翳すと、吹き荒れる花びらの向こう側に、 人のシルエットが現れた。
『なぜ……』
悲しい色を滲ませた深い青の瞳、風にさらさらと流れる濃紺の長髪。身に着けている白い狩衣装束──あれは陰陽師の服だ。
息を呑むほど美しい男が片手で顔を覆い、その場に蹲った。
泣かないで……。
あの人にそっくりな顔で泣かれると、心が切り刻まれたみたいに痛む。
そばに行ってあげたい、その一心で彼に向かって足を踏み出したときだった。
風はいっそう強く吹き、目の前を桜色で覆い尽くす。そして、視界が晴れると──。
『……光明、さん……?』
身なりこそ変わらないが、先ほどの美しい男の顔は光明さんに変わっていた。
『光明さん!』
しゃがみ込んで泣いている光明さんに、すぐに駆け寄る。弱々しく丸まった背中に手を添えて、私は光明さんの頭を抱き寄せた。
『どうして泣いてるの? なにがあったの?』
『っ……大事な人が、なんも言わず去っていったさかい……なんで、頼ってくれへんかった。なんで、一緒に生きる選択をしてくれへんかったんや。なんで……』
風に攫われてしまいそうなほど、か細い呟きだけを残して……。光明さんの身体は桜の花びらとなって、消えていってしまう。
『光明さん……っ、待って光明さん!』
彼だった花びらを集めようと、私は宙を何度も掻いた。でもやっぱり、私の元にはなにも戻ってこなくて……。
『ああ……あぁ……っ、ひとりにしないで……光明、さん……っ』
闇の中にひとり残された私は、ハラハラと流れる涙を拭いもせずに、その場に崩れ落ちるのだった。
***
「……すず、美鈴……きろ……起きろ」
声に誘われて瞼を持ち上げると、温かい指先が私の目尻を拭った。光明さんの顔が間近にあり、私は目をぱちくりさせる。
「光明……さん……?」
同じ部屋で寝ているとはいえ布団は別、なのになんで光明さんがこんなに近くに?
まだ寝ぼけて頭がはっきりしない。ぼんやりと光明さんの整った顔貌を眺めていたら、気まずそうに目を逸らされた。
「うなされとったぞ、嫌な夢でも見たのか」
「夢……」
そうか、あれは夢だったのか。
暗闇の中で吹き荒れる桜の花びら、泣いていた光明さん似の男の人。その彼が光明さんに変わって、消えてしまった……。
「そう……本当に嫌な夢だった」
でも、胸に残る痛みは現実だ。