旦那様は陰陽師〜猫憑きOLですが、危うく封印されかけてます〜

「そうや、うちに住むんやったら、人間の姿に化けてくれや。万一、見える人間に見つかりでもしたら討伐されかねへんさかいな」

「承知した。お前たち」

 紫苑さんがパンッと手を叩くと、土蜘蛛たちはいっせいに人に化ける。

みんな着物を着ているので、ここだけ江戸時代にでもタイムスリップしてしまったみたいだ。

「お前らの気配が外に漏れへんよう結界を張るつもりだが、絶対に安全とは言い切れへん。ばあさんとじいさん……安倍家の陰陽師が来たとき以外、出なや」

 土蜘蛛との和解のおかげで、おじいさんの呪毒も治った。光明さんは過去になにがあったのかを雪路さんたちに話し、屋敷で匿うことも了承を得ている。

全面的に賛成というわけではないが、土蜘蛛への惨い仕打ちや光明さんの憎しみの連鎖を断ち切りたいという強い意思を最終的には汲んでくれたようだった。

 住処を何度も失ってきた土蜘蛛が、今度こそ安住の地を見つけられるといい。

そう願いながら土蜘蛛たちを眺めていたら、少し離れたところにタマくんが立っているのを発見した。

私はポン助を地面に下ろして、タマくんに近づいていく。

「タマくん、なにして──」

 言いかけた言葉を飲み込んだのは、タマくんの表情がひどく無機質だったからだ。

 怖い顔……タマくん、最近様子がおかしい。やたらあやかしのことにも詳しいし、私の力のことも知ってた。

 私は躊躇しつつも、意を決してタマくんのそばに行く。

「……タマくん、なにか……考え事?」

 遠回しに聞いてしまう自分に戸惑う。

少し前までは、タマくん相手に遠慮することなんてなかった。誰よりも私の理解者で、そばにいて不安になったりもしなかった。

 でも、今はタマくんがなにを考えているのかがわからない。それがモヤモヤして、タマくん相手なのにぎこちない態度になってしまう。

「俺の頭を占めてるのは……いつだってきみのことだよ、美鈴」

 いつもの彼なら、ここでにこりとするところだ。

 でも、タマくんは笑わない。出会った頃の光明さんみたいに無表情だった。光明さんのほうが、今は表情をたくさん見せてくれている。

「私の……なにを考えてるの?」

「……きみの望みを、どうしたら叶えられるかってね」

「私の望み? 私、タマくんになにかお願い……したっけ?」

 思い当たる節がなくて首を傾げると、タマくんはようやく顔の筋肉を柔らげた。

「ほら、安倍さんのところへ行っておいで。なんか、黄昏れてるみたいだから」

 タマくんが顎でしゃくった先には、焼け焦げて半壊している我が家を見上げる光明さんがいた。その憂いた横顔から目を離せなくなる。

 光明さんの隣には赤珠と水珠が寄り添っていて、私の足も自然とそちらに向いた。
「ちょっと、行ってくるね」

「うん、行ってらっしゃい」

 タマくんの考えを追及することも忘れ、私は光明さんのそばまで歩いて行った。横に立った私を光明さんはちらりと見やり、再び視線を屋敷に戻す。

 憎しみを忘れないために、建て直さずにいた家。

それを土蜘蛛のために立て直すと決めたのは、光明さんが憎しみよりも大事にしたいものを……未来を見つめている証だ。

「ここで憎しみの証は消えてしまうけど、いつか……もう一度ここに戻ってきて、幸せな家庭を築いて、今度はこの家を未来の幸せの証にしてあげてね」

「……そうやな。それまで土蜘蛛たちにはここを守ってもらわな。ほんで安倍晴明みたいに、あやかしと式神と人と……異文化交流上等の生活を送ってみるのも悪ないかもな」

 ジョーク交じりに未来を語る光明さんに、赤珠と水珠は顔を見合わせて笑う。

過去に囚われてきた彼を誰よりも近くで見てきたのは式神であるふたりだろうから、きっとうれしかったのだ。

 主思いの赤珠と水珠に胸がポカポカするのを感じていたら、「そのときは……」と光明さんが私に向き直った。

 改まってなんだろう、と私も彼のほうを向く。意味深な眼差しが注がれ、そわそわした。

「そのときは、お前も隣におるやろ?」

「え……」

 ──それはどう解釈すれば!?

 光明さんが語る未来は、つまりは幸せな家庭を築くことが根底にあるわけで……。

本当に愛した人と結婚して、子供を授かって……となると、かりそめの妻である私では役不足だ。

「いや、待てよ。本命の妻がいるのに、私を隣に置くってこと……? 一夫多妻制でもおっぱじめるつもり? それとも、私を猫として飼うってこ──」

「アホちゃうか」

 ずどんっと脳天に手刀が落ちてくる。一瞬、目の前に星が散った。

「痛い……脳細胞が死ぬ……」

「もともと死んでるさかい問題あらへんやろ」

「ひどい! 仮にも妻に向かって」

「俺の妻やさかい、ええんやろ」

「俺の……妻……」

 俺の隣にいろとか、俺の妻とか、光明さんの言葉はいちいち心臓に悪い。

光明さんも自分の失言に気づいたのか、気まずそうにそっぽを向く。耳がほのかに赤いのは、照れているからだろう。

「……なんや……間違うてへんやろ」

「間違ってはない、けど……」

 ドキドキして胸を押さえていると、水珠が私たちを穴が開くほどじっと凝視してくる。
「光明様もお嫁様も……いつの間にか、仲良し……」

「水珠、お前の目は節穴か? こんなちんちくりん、光明様の隣に立ったら、光明様の神々しさに霞んで消えちまうだろ! 嫁になるには、もっと美人で器量よしで、とにかく光ってないとな!」

 ふんっと鼻を鳴らし、赤珠がふんぞり返る。

「ちょっと待って、最後のは私じゃなくてもクリアできないからいいとして……。残りは裏を返すと、私が不細工で不器用ってこと!?」

「お前、自分が美人だと思ってたのか? 自己評価高いやつだな!」

「赤珠……嫁いびりばっかりしてると、光明さんがいつまで経っても結婚できなくなるからね? どんなに愛があっても、嫁姑問題で離婚とか結構あるんだからね?」

 主のためを思うならば、嫁候補の基準をもっと下げてあげてください。

「なんやお前、俺と離婚する気なのか」

「光明さんまで、なに言ってるの……」

「俺から逃げられる思いなや」

「もうっ、少女漫画のヒーローか!」

 光明さんの胸をぽかっと叩く。

 変だ、身体がおかしい。光明さんの一言一句に心臓が反応して、呼吸が乱れた。ふわふわとしたこの気持ちが、どこかに着地することはあるのだろうか。

 産声をあげようとしている感情に、名前を付ける日が来たらいい。光明さんと言い合いながら、密かな願いを胸に秘めていると……。

 光明さんが思い出したように、「そや」と声をあげた。

「お前、今回は体調ええんやな。今まででいちばん力を解放したってのに、なんでそないにピンピンしてるんや?」

「そういえば……私、今回は全然怠くなかったんです。力を解放されたときは、身体中痛くてたまらなかったんだけど……今はむしろ力がわいてくる、みたいな?」
 
 力をコントロールできるようになってきたって、ことだろうか? そうすれば、もっと皆の役に立てるかもしれない。

「美鈴、もうその力は使うんちゃうぞ」

「え、どうして? この力があれば、光明さんの仕事に役立つのに……」

「ええから、使うんちゃう。力が身体に馴染み過ぎるのも、危険なんや。妖気に耐えられる身体になるってことは、あやかしに近づいてるってことなんやぞ」

「あやかしに……そんなまさか! 私があやかしに近づいてる? 人間のお腹の中から生まれてきたのに、ありえないって……」
 
 口では否定しながら、言葉尻は頼りなく萎む。

 あれだけの力を使って寝込まないなんて、私やっぱりおかしいのかも。

 自分が変わっていってしまうような漠然とした不安に、胸の前で握り合わせた手はどんどん冷たくなっていくのだった。



 こぼれ落ちていく……なにもかも……。

 冷かな月光を浴びた桜の花びらが舞う中で、私は立ち尽くしていた。

手の器には薄紅の花弁が積もっている。でも風に攫われ、指の隙間からすり抜け、ひらひらと落ちて黒い大地に飲み込まれていく。

  全部奪われた、全部失った。家族も、仲間も、愛した人さえも……なにひとつとして、私の手元には残らない。

『……なぜ、なぜ逃げなかった』

 ひどく懐かしい男の声が響き、ぶわっと桜吹雪が起こる。とっさに顔の前に腕を翳すと、吹き荒れる花びらの向こう側に、 人のシルエットが現れた。

『なぜ……』

 悲しい色を滲ませた深い青の瞳、風にさらさらと流れる濃紺の長髪。身に着けている白い狩衣装束──あれは陰陽師の服だ。

息を呑むほど美しい男が片手で顔を覆い、その場に蹲った。

 泣かないで……。

  あの人にそっくりな顔で泣かれると、心が切り刻まれたみたいに痛む。

 そばに行ってあげたい、その一心で彼に向かって足を踏み出したときだった。

風はいっそう強く吹き、目の前を桜色で覆い尽くす。そして、視界が晴れると──。

『……光明、さん……?』

  身なりこそ変わらないが、先ほどの美しい男の顔は光明さんに変わっていた。

『光明さん!』

 しゃがみ込んで泣いている光明さんに、すぐに駆け寄る。弱々しく丸まった背中に手を添えて、私は光明さんの頭を抱き寄せた。

『どうして泣いてるの? なにがあったの?』

『っ……大事な人が、なんも言わず去っていったさかい……なんで、頼ってくれへんかった。なんで、一緒に生きる選択をしてくれへんかったんや。なんで……』

 風に攫われてしまいそうなほど、か細い呟きだけを残して……。光明さんの身体は桜の花びらとなって、消えていってしまう。

『光明さん……っ、待って光明さん!』

  彼だった花びらを集めようと、私は宙を何度も掻いた。でもやっぱり、私の元にはなにも戻ってこなくて……。

『ああ……あぁ……っ、ひとりにしないで……光明、さん……っ』

 闇の中にひとり残された私は、ハラハラと流れる涙を拭いもせずに、その場に崩れ落ちるのだった。

***

「……すず、美鈴……きろ……起きろ」

 声に誘われて瞼を持ち上げると、温かい指先が私の目尻を拭った。光明さんの顔が間近にあり、私は目をぱちくりさせる。

「光明……さん……?」

 同じ部屋で寝ているとはいえ布団は別、なのになんで光明さんがこんなに近くに? 

 まだ寝ぼけて頭がはっきりしない。ぼんやりと光明さんの整った顔貌を眺めていたら、気まずそうに目を逸らされた。

「うなされとったぞ、嫌な夢でも見たのか」

「夢……」

 そうか、あれは夢だったのか。
 暗闇の中で吹き荒れる桜の花びら、泣いていた光明さん似の男の人。その彼が光明さんに変わって、消えてしまった……。

「そう……本当に嫌な夢だった」

 でも、胸に残る痛みは現実だ。
「どないな夢やったんや」

「……大切なものが、手のひらからどんどんこぼれ落ちていく夢……。それで、暗闇の中にひとりぼっちになって……」

 悲しくて、寂しくて、苦しくて、怖くて、心が凍りついてしまいそうだった。

「そうか、お前は暗闇苦手やったな」

「うん……孤独を思い知らされるから……」

「……お前はもう、ひとりぼっちにはならへんやろ。過保護な幼馴染と、たぬきのペットと、赤珠と水珠がおるんやさかい」

「光明さん……そこは、俺がいるんだからって言ってくれないの?」

 場を和ませたくてからかってみたら、光明さんはぐっと息を詰まらせる。

 私を励ましてくれたことは、わかっている。光明さんは素直じゃないから、言葉にしてくれないだけで。

 だからこれは重たくなった空気を変えるためと、光明さんの乏しい表情をもっと崩してみたいというほんの出来心だ。

 明らかに動揺している彼をじっと見つめていたら、「見すぎや」と片手で口を覆いながら顔を背けられてしまう。

「ごめんね、ちょっと調子に乗りすぎ……」

 乗りすぎました、と身体を起こしながら伝えようとしたのだが……。私の謝罪は、光明さんの咳払いに遮られた。

「……俺がいる」

「え……」

「どこに閉じ込められていようが、そこが真っ暗でなんも見えへん場所やろうが、探し出したる。ひとりにしいひん、俺の術にかかればすぐに見つけたれる」

 光明さんがこんなにも素直に気持ちを聞かせてくれたことがあっただろうか。

 私が呆気にとられていると、光明さんがおでこをピンッと弾いてきた。

「そやさかい、怖い夢見たくらいで泣きな。心臓止まるか思たやろ」

「私、泣いてたんだ……。ああ、それで光明さんが涙を拭ってくれてたんだ。ありがとう、目が覚めてすぐに光明さんがいてくれて、すごくほっとした」

「……っ、ようすらすらと、そないな恥ずかしいこと言えるなあ」

 私に背中を向けて座り直した光明さんに、愛おしさにも似た感情が込み上げてくる。

 この人は……素直じゃないけど、慰め方も不器用だけど、そんなところが……。

 そこで気づいてしまった。いつの間にか、光明さんへ抱く感情がこの世界でたったひとり、特別な人に向けるものに変わっていたこと。

家族を奪われた憎しみに苦しんでいた彼を支えたいと強く思った理由も、なにもかも……この想いに繋がっていたんだ。

「光明さん、こっちを向いて?」

 私は拗ねて背中を向けてしまった彼に呼びかける。でも、まだ気恥ずかしいのか、こちらを振り返ってはくれない。

 痺れを切らした私は、彼の大きな背中に頬をくっつけた。

 光明さんがビクッとして、慌てたように私のほうを向く。

「お前、なにして──」
「大好きですよ、光明さん」

 ぶっきらぼうながらも心配して励まそうとしてくれるところは可愛くて、言葉はきついけど嘘をつかないところが誠実で、ピンチのときは駆けつけてくれるスーパーマンみたいな人。

そばにいて安心するのは、きっと光明さんだけだ。

「んなっ……アホちゃうんか!」

 アホでもなんでもいい、私は……私は、光明さんが好きだ。

 気づいたばかりのこの気持ちを胸に秘めておくには活きがよすぎて、言わずにはいられなかった。

「照れてるんですか? 可愛いなあ~」

 後ろから光明さんの首に腕を回して、ぎゅうっと抱きつけば、「じゃれるな、この猫女!」と引き離そうとしてくる。

 私たちが騒いでいたからだろう、

「お嫁様、光明様……?」

 と、遠慮気味に襖が開けられた。躊躇いながら顔を出した水珠は、くっついている私と光明さんを交互に見て……。

「ごゆっくり……」

 赤面しながら襖を再び閉めようとした。

「ちょっと待て。水珠、お前なにか勘違いしてないか!」

 焦ったように閉まりかけている襖に向かって、光明さんが叫ぶ。

するとそこへ、「水珠、なにしてんだよ?」と訝しむ赤珠の声が。すぐにシュタンッと襖が開け放たれる。

「光明様、そろそろ朝食のお時間……」

 赤珠が元気よく言いかけたのだが、その口を水珠が後ろから塞ぎ、勢いよく襖を閉め直した。薄い襖の向こうから、ひそひそ話が聞こえてくる。

「人様の色恋に首を突っ込むと……馬に蹴られるんですよ、兄さん」

「色恋? ちょっと前まで、光明様にその気はなさそうだったじゃねえか!」

「兄さんは鈍いですね……どう見たって仲良しになっていたじゃありませんか」

「そうなのか!?」

 ふたりとも、筒抜けです……。

 なんとなく気まずい空気が室内に満ち、私はさりげなく光明さんから離れたのだった。
「平日にお休みなんて珍しいね」

 今日は光明さんの陰陽寮の仕事は休み。

私は水珠と赤珠の代わりに夕飯の買い出しをするため、光明さんとどうしてもついて行きたいというポン助の三人で商店街に来ていた。

「おとといまで出張やったさかい、疲れも溜まってる思て、所長が連勤にならへんように休みを入れてくれたんやろ」

「光明は働きすぎだポン。これを機に長期休暇でもとってくれると、あやかしは平和に暮らせるポンが……」

 男子中学生に化けたポン助は、なぜか学ラン姿。

変化のモデルにした人間がいるのだろうけれど、平日の真っ昼間から商店街を歩いている学生は余計に目立つ気がする。

ほら、「学校はどうしたの?」って、補導もされかねない。

「調子に乗るなや」

 光明さんがポン助の頬を引っ張る。

 買い物を済ませて商店街のアーケードを潜ろうとしたとき、目の前から黒いスーツを着た男性がふたり歩いてきた。

「安倍さんじゃないですか、お疲れ様です」

「今日は非番ですよね。かの有名な安倍晴明の末裔も、自分で買い物をしたりするんですね」

 小馬鹿にするような、笑いを含んだ物言いが妙に鼻につく。

「安倍晴明は人間でありながら、式神やあやかしと好んで暮らしてたそうですからね。買い物くらい、召使いの式神やあやかしを使ったらどうです?」

 話しぶりからするに、陰陽寮の同僚だろう。やたら光明さんへの当たりが強いのが気になるけれど。

 光明さんは「めんどいことになりそうや……」と、顔には出さないものの憂鬱そうに呟く。

「お前らがいるってことは、ここでなにかあったのか?」

「ええ、この商店街の骨董品店で曰く付きの日本刀が出たとかで。妖刀の可能性もあるので、私たちが出向くことになったんです」

 ひとりがここに来た事情を話している横で、もうひとりの陰陽師がじっと探るように私とポン助を観察していた。

「あの、失礼ですが、そちらが例の猫憑きの……」

「例の……?」

 私、陰陽寮でなんて噂されてるんだろう。

「それで、そっちの彼は……」

 同僚の男性の目が今度はポン助に移る。あやかしの気配を感じ取ったのかもしれない。

「姫様……」

 私の腕にしがみつくポン助を背中に隠した。

 けれどもポン助は過度な緊張のせいか、ぴょこんっと耳としっぽを出てしまい……。

「ああっ」

 声をあげながら、慌てて耳と尻尾を手で押さえるも時すでに遅し。

「お前……商店街で盗みを働いてた化け狸じゃないか!」

「光明さんの監視下にあるとは聞いてましたけど、こうして連れ歩くのは問題かと。いくら優秀な陰陽師だからって、破天荒すぎるのもどうかと思いますが」

 そっか、やっとわかった。光明さんへの当たりが強いのは、陰陽師としての優秀さを妬んでるからだ。
「……あやかしをただ閉じ込めとくだけじゃ、なんの学びにもならへん。あやかしには人間の暮らしについて知ってもろうて、問題を起こさへんように指導するのも陰陽師の仕事や」

「それはあやかし側に立った人間のセリフですね」

 あやかし側? 光明さんはあやかしと人がうまく付き合って生きていくために、最善だと思ったことをしているだけだ。

「その意見こそ、人間側に立ったセリフだと思いますけど」

 カッとなって、つい言い返してしまう私の肩に、光明さんが手を載せた。

「言わせておいて構へん。俺らはずっとあやかしを敵や思て生きてきたんや。すぐに理解されるとは思てへん」

「でも、それだけじゃなくて……。この人たち、最初から光明さんに嫌な態度をとってた」

 好きな人のことを悪く言われるのは、どうしたって気持ちがささくれ立つ。いつもなら笑ってごまかせるのに、感情を抑えきれない。

光明さんの同僚たちは「俺たちがいつそんな態度をとった?」と嫌悪を露わにした。

 早く謝らなきゃ、光明さんにも角が立つ。だけど思考に反して、心が言うことを聞かない。

「あなたたちは身勝手だよ。光明さんを妬んでるからって、光明さんを責める理由ばかりを探して……。そして、ポン助のことをそのきっかけに使おうとした」

 怒りに共鳴して、私の中の妖力が高ぶる。力の波動で、私の髪や服が波立つようにふわふわと揺れた。

陰陽師たちは「なにをする気だ!」と後ずさる。商店街にいた人たちも、何事だと遠巻きに私たちを見物していた。

「美鈴、落ち着くんや。注目を浴び過ぎれば、お前がけったいな目で見られるんやで。ほら、帰るで」

 光明さんが私の腕を引いて、その場から遠ざけようとするが、私の足は頑としてそこから動こうとしない。

 なにも言わずに立ち止まったままの私に、光明さんは「美鈴?」と顔を覗き込んでくる。

でも私は、光明さんを押しのけて陰陽師たちの前まで歩いて行き……。

「──ひれ伏せ」

 そのひと言で、ふたりはガクンッと膝をついた。

勝手に土下座しようとする身体をなんとか腕を突っ張って堪えているが、彼らの腕はプルプルと震えている。

 やがて「なんでだ」「身体が勝手に……っ」と額を地面に擦りつけた。

「──謝罪を」

 私の支配下に置かれたふたりは、不本意だと書かれた顔で「申し訳ありませんでした」と謝罪した。

 周りにいた子供が「あの人、目の色が変」と私を指差す。

はっと我に返ると、その母親らしき女性が「静かに!」と子供を連れてそそくさと逃げていくのが見えた。

私が向けられているのは、間違いなく畏怖と奇異の眼差し。

「あ……ああ、どうしよう……私、なんでこんなことを……」

 手足がカタカタと震え出す。すぐに光明さんが駆け寄ってきて、私の肩を掴んだ。

「今は美鈴か? あの、美琴やらいう前世のお前ちゃうな?」

「ち、違う……最初から、私だった……! けど、あの人たちの言葉にムカついて、そうしたら心の中がぐちゃぐちゃになって……。気づいたら、力を使ってた……」

「力、コントロールできひんようになってるってことか?」

 そうなのかもしれない。意識しなくても、息をするみたいに自然に力を使っていた。

「無意識だったの……力を使っても、前みたいに疲れないし……。光明さん、私……自分が怖い」

 光明さんの腕をぎゅっと掴む。

私が震えているのに気づいてか、光明さんは私の手の甲に自分の手を重ねて、ゆっくり諭すように言う。

「大丈夫や、もしコントロールできひんようになっても、俺が止めたるさかい」

「……光明さん……」

「俺ほどの陰陽師がなんとかしたるって言うてるんや、まだ不安か? 欲張りなやつやな」

 悪態をつくくせに、優しい顔で笑うんだから……。

 素直じゃない光明さんの励ましは、私の心を静めてくれる。おかげで気持ちが落ち着いてきた。

「不安じゃない……光明さんを信じてるから」

「よし、なら早うここを離れるで。目立ってるさかいな」

 私の手を引いて光明さんが歩き出すと、背後から「このことは所長に報告させてもらいますよ!」と同僚の負け惜しみが飛んでくる。

光明さんはそのまま無視して歩いていたが、私のせいで光明さんに迷惑がかかるようなことがあったらと思うと、気が気じゃなかった。

***

 数日後──。

「姫様、オラのせいでごめんなさいですポン……」

「ポン助のせいじゃないよ。これは私が起こした問題のせいだから……」

 しょんぼり俯いているポン助に笑みを返す。

おそらくこの間の一件が原因で、私は光明さんとともに所長さんから呼び出しを食らってしまったのだ。

 心配そうにしている赤珠と水珠にも見送られ、私はタマくんと光明さんと一緒に陰陽寮へ向かった。

「なんや、今日は喰迷門は断固拒否!って騒がへんのか」

「え……? あ、ああ……そんな気分じゃないよ。私のせいで、光明さんまで怒られちゃうかもしれないのに……」

「この世の不幸を全部背負うてる、みたいな顔しなや」

 むにっと頬を引っ張られ、「いひゃい」と目で不服を訴える。だけど、内心はうれしかった。

光明さんとくだらないお喋りをしているうちは、好奇の視線も気にならない。

「あれが猫憑きの……」「所長直々の呼び出しらしいぞ」という噂話も忘れられる。

 後ろをちらりと見やれば、無言のままタマくんがついてきていた。

 タマくんも、ここに来るまでずっと黙ったままだ。ううん、もっと前……京都の土蜘蛛騒ぎがあった頃から、よそよそしい。

 少しずつ、私の日常が壊れている。その分、光明さんへの想いに気づけたり、新しい縁に恵まれたり、得たものもあった。

 光明さんと出会ってから起きたこの変化は、どこへ繋がっているのだろう。幸福の始まりか、それとも絶望への幕開けか……。

 心に忍び寄る不穏な影に、胃の辺りが絞られるのを感じながら、私たちは所長室の前に辿り着いた。

光明さんが扉をノックすると、補佐役の江永さんが出てくる。