一旦ファイルから目を離して一息つく。腕を伸ばして背を伸ばし、強張った体を解していく。肩の力を抜けば、急に瞼が重くなってきた。
仕事終わり、こんな夜更けに活字ばかり眺めていれば、さすがに疲労が溜まってくる。襲い掛かる睡魔を振り払うように、残りのコーヒーを喉の奥へと流し込んだ。
「……郁也?」
不意に呼び掛けられて手が止まる。
背後を振り向けば、2つ下の弟が顔を覗かせていた。
「まだ起きてたんだ。仕事?」
「……まあ、そんなとこ」
どう答えるのが正解なのかわからず、曖昧な返事で誤魔化す。
「そっか。大変だね」
特に疑う風でもなく、弟はそのままキッチンへと向かう。冷蔵庫を開ける音が、遠くから聞こえた。
「春樹」
「ん?」
「大学、決めたのか?」
弟の春樹は今年で高3。受験生だ。
医師でもある両親の想いを継ぎ、医学を学びたいと以前から言っていたが。
ペットボトルを手に戻ってきた春樹は、何故か困ったような笑みを浮かべていた。
「……大学、行ってもいいのかなって」
「なんで」
「お金とか」
「なんだ、そっちの方は心配すんな」
弟は俺と違って優秀だ。1を教えれば10を理解できるほどの明敏な頭脳を持っている。器量も良く性格も穏やかで、誰に対しても分け隔てなく接することができる人柄だ。兄の俺が言うのもアレだが、よく出来た弟だと思ってる。
内向的な部分もあるが、決して短所ではない。春樹の長所は、医学の分野でも十分活かせるはずだ。金の問題で、夢を頓挫してほしくはなかった。
『お金が理由で諦めたくはありません』
……ああ、水森の言う通りだな。