彼女からは、他にも沢山の使い道を教えてもらった。カラー付箋紙を貼ったページには同色のマーカーを使う、など。
 全て実践に結び付くかどうかは正直謎だけど、水森と話せるなら話題は何でもよかった。

 その時ふと、周囲が薄暗くなる。
 天井を見上げて、状況を理解した。

「そろそろ、帰らないとな」
「そうですね」

 19時を過ぎると、アジュールのエントランスは照明が落ちる。ロビーも必要最低限の光が漏れているだけだ。

「ごめん、こんな時間まで引き止めて」
「……あの」
「うん?」
「ごはん、食べに行きませんか」
「……え」

 ……まさか、彼女の方から誘われるとは思っていなかった。

 本音を言うと、俺も誘いたかった。
 でも昨日、例の店に行ったばかりだ。誘うにしても、数日空けてからにしようと思っていた。必死な様を見せるのが格好悪くて嫌だったから。

 だからこの展開は、想定外で。

「おなか、すきすぎて」
「………」
「倒れそうです」

 告げる語尾は弱々しい。
 先日、空腹ゆえに道で倒れていた彼女の姿が脳裏に浮かぶ。小さく笑い声をたてれば、水森は恥ずかしそうに頭を垂れた。

「……もう忘れてください」
「いや、無理かな」

 あんな衝撃的な出会いは、この先きっと無いだろう。

「じゃあ行くか」
「え」
「ご飯。店、リストアップしてるって言ったじゃん」

 グルメアプリの履歴はまだ残ってるし、いくつかブックマーク済みだ。彼女好みの店が見つかればいいけれど。