やられたわぁー、マジで、まずいって、マジで、本当に、やられたわぁー。
それらの単語を何回もなにかのおまじないみたいにひたすらと連呼する修一さんにわたしはなにそれと顔をのぞきこみつぶやく。薄暗い部屋であたりまえのようはじまった行為。修一さんはまだ肩で息をしながら、まだ同じ単語をつぶやいている。口が勝手に動くみたいに。
なんなの? わたしは小さな声で修一さんの耳元でささやく。ん? と顔を向けやや間をとったあとでやっとという具合に口を開いた。
「ものすごく、気持ちがよかったから。つい、なんかさ、ほら、こんなふうになるなんてことあまりないからさ。こんなふうってなんて言葉にしていいのかわかないけれど……」
「こんなふうって? どんなふう?」
どんなふうって、と修一さんは繰り返し、なんだろうと腕を組んだ。
「いやさ、波に乗っているときは、もうさ、仕事のこととかいやなこととか全部忘れて頭の中が、波のことだけだろ? その無の感覚みたいになったんだ」
「セックスが?」
「うん。セックスが」
そのあとの言葉が出てこず、お互い薄暗い天井を見つめる。無駄に大きなシャンデリアがあり、そのときはっと気がつく。全然わからなかった。
「けどさ、」天井を見つめ修一さんは言葉を切り、わたしの髪の毛を撫でながら続ける。
「こうゆうのって、もちろん、体力もいるし、気力だっている。今日だって仕事でクタクタなのに。もうまた絶頂でクタクタだし」
そういいながら修一さんは笑う。愉快そうに。
「他にいるものがあるでしょ?」
目が慣れてきている。シャンデリアがさっきよりも巨大にみえ、落ちてきたら死んじゃうかもなとおもう。
「ん?」
「たとえば」
「……たとえば?」
「愛……とか……」
何秒か、何分か、間ができる。その時間の間でいわなきゃよかったと後悔する。なんて重たいんだろう。わたしは。
「あい、か。まあ、そうだね。あいも、そうかもな」
修一さんのいう『愛』は単純にひらがなで書く薄っぺらな『あい』にしか聞こえなかった。
「体力と気力と愛」
愛しさと切なさと心強さと〜、って歌あったよね、とおどけてつけ足す。
愛はまあちょっとだね。うん、まあ、ラーメンにかけるコショウ的な? わたしはもうとてもなんというか虚しかった。
「たまにだから、」
「え?」
その声に耳を傾ける。はーっと息を吸い込んだあと修一さんが続きをいい始める。
「たまに会うからいいんだよ。これが毎日だったら。どうかな。きっとこうゆう気持ちにはならないよ」
毎日会えないくせに。とはいわない。メールだってたまに無視するし。とも。
「たまにね……。てゆうか、きっと体の相性がすごくいいからこうやって何年も会っているんだよね。でなきゃさ、もうとうに会ってないでしょ? 普通」
まあね。部屋に重たく響き渡る言葉がわたしの口をよく回す。
「わたしたちって本当は、いや、本当には会ってはいけないんだよ。不倫だし。奥さんやまほちゃんやゆうきくんを裏切ってるんだよ。そして今から修一さんは普通の顔をしてひょうひょうとうちに帰る」
夫、お父さんの顔になる。それは心の中に留めた。これ以上何かいえば喧嘩になりそうだった。
「……お前さ、なんか今日スゲー食いつくな」
遠くで電車が走る音がし、救急車のサイレンの音がする。静寂な部屋。薄暗く陰気な部屋。男と女の匂いが立ちこめる部屋。
わたしだってこんなこといいたくもなくけれど今日にかぎって口だけがいやに達者だった。他はだらしなくバカみたいなのに。
「わからないよ」
自分でもよくわからなかった。ただ、わたしの中で「気持ちいい、どうにかなりそう」といってくれたあの声が脳内に染み入りわたしは目頭が熱くなった。愛も多少なりあるかなといい、じゃあわたしのこと好きなのと聞けば、さて? とはぐらかし、困惑させる。わたしは最近自分よりも相手の方が気持ちよくなってくれる方がいいとおもう。相手が感じること=わたしも感じる。なのだ。相手が心から気持ちがいいとおもってくれるということでわたしはわたしの存在を確認しているようにおもう。いや、実際そうなのだ。必要とされている。どんな形でもいい。わたしは誰かに必要とされた……。 こんなちっぽけなことだけれどわたしにとっては宇宙レベルで重大なことなのだ。
しばらく二人して裸で天井を見つめていた。修一さんはいったい今何を考えているのだろう。わたしは修一さんの鍛えた肉体を触りながら考える。
「ちょっと太ったな。お前さ。けど、そっちの方がいい。おっぱいがでかくなった気がするし」
えー! なにそれ! わたしは結構な大声で叫んでいる。修一さんはわたしが太ったとか痩せたとかよくわかっている。それだけ体を重ねてきているという証拠でもある。わたしは、いいじゃんよ、と怒りながらもどうでもいいしともおもっている。人生なんて一回で、いっとき痩せたりいっとき太ったりとか本当にどうでもいい話なのだ。ただの話題づくり。
「ここみて」
左手を挙げ、絆創膏の貼った薬指を見せる。
「みた」
みたね、とわたしはいい微笑む。どうしたの? 優しい声で問われたので、質問のこたえを返す。
「おそろしく切れる出刃包丁で、魚をおろしていて、指の先を切り下としたの」
「え?」
ぞっとした声を出す修一さんを見て笑い、続ける。
「それでね、先端なんだけれど、指が残っていてね、急いで氷で冷やして近所の外科に持っていって『くっつけてください』っていって」
ぞっとした顔をする修一さんが痛そうだね、大丈夫なの? と手を触る。
「くっつかなかったの」
「じゃあ、今、これ、先端がないってこと?」
わたしはうんとうなずく。残った指先はね、しばらく冷蔵庫に保管しておいたけれどすごく臭くなってきて、それで灰色になってなんだかきみが悪くなって捨てたの。
「捨てた……?」
「うん。もしね、この指が修一さんの指だったらきっとわたし食べてる」
ぎょっとした顔をした修一さんは、きしょといい、はははと薄く笑った。
「本当だよ。修一さんを食べたい」
「バカ」
バカと真顔で3回いったあとわたしの髪の毛を撫ぜる手を止めた。
「……髪の毛、」
「え?」
「髪の毛、綺麗だなぁっておもって……」
暖房が、急に作動し始める。部屋の気温が下がったのはおもてが暗くなり気温が下がったのだろう。修一さんの足がわたしの足に触れる。冷たい足。
このまま、ずっと、こうしていたい。それが無理なら少しだけ眠らせて。
「腹減ったわ。昼にチョコ食っただけ」
「へえ」
グーグーとお腹の虫が鳴きだす。泣きたいのはわたしの方なのにとおもい、ヤダァお腹鳴ってんじゃんと思い切り無理やり笑顔をつくる。
指が、痛い。
それらの単語を何回もなにかのおまじないみたいにひたすらと連呼する修一さんにわたしはなにそれと顔をのぞきこみつぶやく。薄暗い部屋であたりまえのようはじまった行為。修一さんはまだ肩で息をしながら、まだ同じ単語をつぶやいている。口が勝手に動くみたいに。
なんなの? わたしは小さな声で修一さんの耳元でささやく。ん? と顔を向けやや間をとったあとでやっとという具合に口を開いた。
「ものすごく、気持ちがよかったから。つい、なんかさ、ほら、こんなふうになるなんてことあまりないからさ。こんなふうってなんて言葉にしていいのかわかないけれど……」
「こんなふうって? どんなふう?」
どんなふうって、と修一さんは繰り返し、なんだろうと腕を組んだ。
「いやさ、波に乗っているときは、もうさ、仕事のこととかいやなこととか全部忘れて頭の中が、波のことだけだろ? その無の感覚みたいになったんだ」
「セックスが?」
「うん。セックスが」
そのあとの言葉が出てこず、お互い薄暗い天井を見つめる。無駄に大きなシャンデリアがあり、そのときはっと気がつく。全然わからなかった。
「けどさ、」天井を見つめ修一さんは言葉を切り、わたしの髪の毛を撫でながら続ける。
「こうゆうのって、もちろん、体力もいるし、気力だっている。今日だって仕事でクタクタなのに。もうまた絶頂でクタクタだし」
そういいながら修一さんは笑う。愉快そうに。
「他にいるものがあるでしょ?」
目が慣れてきている。シャンデリアがさっきよりも巨大にみえ、落ちてきたら死んじゃうかもなとおもう。
「ん?」
「たとえば」
「……たとえば?」
「愛……とか……」
何秒か、何分か、間ができる。その時間の間でいわなきゃよかったと後悔する。なんて重たいんだろう。わたしは。
「あい、か。まあ、そうだね。あいも、そうかもな」
修一さんのいう『愛』は単純にひらがなで書く薄っぺらな『あい』にしか聞こえなかった。
「体力と気力と愛」
愛しさと切なさと心強さと〜、って歌あったよね、とおどけてつけ足す。
愛はまあちょっとだね。うん、まあ、ラーメンにかけるコショウ的な? わたしはもうとてもなんというか虚しかった。
「たまにだから、」
「え?」
その声に耳を傾ける。はーっと息を吸い込んだあと修一さんが続きをいい始める。
「たまに会うからいいんだよ。これが毎日だったら。どうかな。きっとこうゆう気持ちにはならないよ」
毎日会えないくせに。とはいわない。メールだってたまに無視するし。とも。
「たまにね……。てゆうか、きっと体の相性がすごくいいからこうやって何年も会っているんだよね。でなきゃさ、もうとうに会ってないでしょ? 普通」
まあね。部屋に重たく響き渡る言葉がわたしの口をよく回す。
「わたしたちって本当は、いや、本当には会ってはいけないんだよ。不倫だし。奥さんやまほちゃんやゆうきくんを裏切ってるんだよ。そして今から修一さんは普通の顔をしてひょうひょうとうちに帰る」
夫、お父さんの顔になる。それは心の中に留めた。これ以上何かいえば喧嘩になりそうだった。
「……お前さ、なんか今日スゲー食いつくな」
遠くで電車が走る音がし、救急車のサイレンの音がする。静寂な部屋。薄暗く陰気な部屋。男と女の匂いが立ちこめる部屋。
わたしだってこんなこといいたくもなくけれど今日にかぎって口だけがいやに達者だった。他はだらしなくバカみたいなのに。
「わからないよ」
自分でもよくわからなかった。ただ、わたしの中で「気持ちいい、どうにかなりそう」といってくれたあの声が脳内に染み入りわたしは目頭が熱くなった。愛も多少なりあるかなといい、じゃあわたしのこと好きなのと聞けば、さて? とはぐらかし、困惑させる。わたしは最近自分よりも相手の方が気持ちよくなってくれる方がいいとおもう。相手が感じること=わたしも感じる。なのだ。相手が心から気持ちがいいとおもってくれるということでわたしはわたしの存在を確認しているようにおもう。いや、実際そうなのだ。必要とされている。どんな形でもいい。わたしは誰かに必要とされた……。 こんなちっぽけなことだけれどわたしにとっては宇宙レベルで重大なことなのだ。
しばらく二人して裸で天井を見つめていた。修一さんはいったい今何を考えているのだろう。わたしは修一さんの鍛えた肉体を触りながら考える。
「ちょっと太ったな。お前さ。けど、そっちの方がいい。おっぱいがでかくなった気がするし」
えー! なにそれ! わたしは結構な大声で叫んでいる。修一さんはわたしが太ったとか痩せたとかよくわかっている。それだけ体を重ねてきているという証拠でもある。わたしは、いいじゃんよ、と怒りながらもどうでもいいしともおもっている。人生なんて一回で、いっとき痩せたりいっとき太ったりとか本当にどうでもいい話なのだ。ただの話題づくり。
「ここみて」
左手を挙げ、絆創膏の貼った薬指を見せる。
「みた」
みたね、とわたしはいい微笑む。どうしたの? 優しい声で問われたので、質問のこたえを返す。
「おそろしく切れる出刃包丁で、魚をおろしていて、指の先を切り下としたの」
「え?」
ぞっとした声を出す修一さんを見て笑い、続ける。
「それでね、先端なんだけれど、指が残っていてね、急いで氷で冷やして近所の外科に持っていって『くっつけてください』っていって」
ぞっとした顔をする修一さんが痛そうだね、大丈夫なの? と手を触る。
「くっつかなかったの」
「じゃあ、今、これ、先端がないってこと?」
わたしはうんとうなずく。残った指先はね、しばらく冷蔵庫に保管しておいたけれどすごく臭くなってきて、それで灰色になってなんだかきみが悪くなって捨てたの。
「捨てた……?」
「うん。もしね、この指が修一さんの指だったらきっとわたし食べてる」
ぎょっとした顔をした修一さんは、きしょといい、はははと薄く笑った。
「本当だよ。修一さんを食べたい」
「バカ」
バカと真顔で3回いったあとわたしの髪の毛を撫ぜる手を止めた。
「……髪の毛、」
「え?」
「髪の毛、綺麗だなぁっておもって……」
暖房が、急に作動し始める。部屋の気温が下がったのはおもてが暗くなり気温が下がったのだろう。修一さんの足がわたしの足に触れる。冷たい足。
このまま、ずっと、こうしていたい。それが無理なら少しだけ眠らせて。
「腹減ったわ。昼にチョコ食っただけ」
「へえ」
グーグーとお腹の虫が鳴きだす。泣きたいのはわたしの方なのにとおもい、ヤダァお腹鳴ってんじゃんと思い切り無理やり笑顔をつくる。
指が、痛い。