第三話 機織りは造幣の親戚か?
1
「お前もすっかり女らしくなったのう。見合いさせたら、気持ちが変わったか」
近隣の天幕住居から様子を見に来た大公ショウは、孫娘のユウに様子の急な変化を冷やかしつつ、満足げな笑顔で言った。
するとユウは手を動かしながら張り切って返事をする。若い上にやる気もあるものだから、ごく短い時間ですっかり身体が動作を憶えてしまった。
「うん。「面倒そう」とか思ってたけど、すごい値打ちがあることだったんだね!」
ぱったん、ぱったん、ぱったん
ユウはあの都市訪問のとき以来、花嫁修業の意味もあって、「女の主要産業」である織物に精を出している。まだ十三歳(数え年)ながらにも、世の中がわかって良かったと思う。
あのとき、最初は自分たちのことを「服装が都会風でない」「こんな立派な屋敷に比べて貧しい」と思って少し恥ずかしかったのだが、侍女たちの反応やヒソヒソ話す様子から「実はそうでもない?」ということを悟ったからだ。
もの珍しがりながらも賞賛して羨んでいるようですらあり、お土産に持っていった羊毛の束を贈ると、女たちの喜びようはたいそうなものだった。植物由来の織物や皮革に比べて保温性が高いため、内陸部でしばしば天候気候が寒冷な地域では価値は計り知れない。
「私らで織物を織ったら、また町に売りに行くんだよね? 出来たらいつか、西伯様に肌着くらいは織ってあげたいかも。それにたくさん羊毛があれば、兵士の人たちも凍えないし、きっと殷王の軍隊を追い払ってくれる」
「ふむ、そうじゃの。だが、殷王の悪口は慎め。どこで人に伝わるかわかったものではないし、危険というものじゃ」
「あーい!」
ユウは元気の良い返事をしながら、ノリノリで機織りを継続する。やっているうちに楽しくなってきて、この作業仕事が気に入ってきたらしい。
例えば古代ギリシャの「オデュッセイア」では王妃が、手ずから家族の服をあむシーンがある。それに中世ヨーロッパ(まだ貧しい時代)でも、意外と庶民だけでなく貴婦人たちまでがそういう仕事をボチボチこなしていたようである(産業工場が発達した近代以降の感覚で古い時代を考えてはいけない)。七夕のヒロインが「織り姫」なのにも、そういった理由なのだろう。
まだ「貨幣経済」が普及する前の時代で、初歩的な「通貨」として「貝殻」が使われていた時代なのである(漢字での財産や経済の文字に「貝」が多い理由で、日本の竹取物語ですら「特殊な子安貝」が宝物として上げられているのは、古い時代の風習や迷信の名残なのだろう)。
物が財産そのものなのである。
特に上質な布などは(単に衣服にするだけでなく)、物々交換で貨幣の代用品ですらあるから、機織りなどは「自宅でお金を製造しているのと一緒」くらいの価値がある。女たちが必死で頑張る理由もわかるというもので、「札束を織っている」と思えばモチベーションが高くなって当然だろう。しかもその技量が、男たちの仕事や武芸のようなステータスでもあるのだから。
時代の変化で貨幣経済が発達して、時代が新しくなるにつれて工場も発達して、同じことでも価値が下落してしまうにせよ、当時は極めて値打ちのある仕事だったはずである(「女の手仕事」を舐めてはいけない。今の感覚でのみ古い時代を非難するパヨ左翼学者は馬鹿なんだろうよ)。
2
その数日後、町から帰った大公ショウは、ユウに珍しいお土産を与えた。
「西伯様からの賜り物ぞ」
なんだかもったいぶって、妙に厳かな調子で差し出す。
「うわー、綺麗。これって」
ユウはその奇異なる宝物に見蕩れる。まるで異世界のもののようだった。
さながらピンク色の花びらのようだった。けれどもそれは植物ではなくて石のようだった。
「これは、もしや仙人境の花でしょうか?」
ずっと後の春秋戦国時代の時代には、西方の占星術やジッグラト(聖塔)の話が中国に伝わっていたらしい。後の伝承仙人境が西方やチベットに設定される理由であるとか。また古い時代には、日本のことも異世界の仙人の国のように思っていたのかもしれない。
おそらくその当時でも、西方のメソポタミア(ペルシャ)やエジプトの繁栄のことなどは、交易などの風の噂で少しは伝わっていたことだろう。
驚き不思議がる孫娘に、ショウは答えを明かした。それは遠い海で採れた桜貝だったのである。
「これは「貝」じゃよ。ただし、お前が知っているのは川や湖の貝だけだが、これは積水(海)で採れたてものだ。東の果てでは何もかもが水になっていて、陸の境には岩場や砂地があって水は塩辛いから、煮詰めて塩を作る」
とくとくと語る祖父ショウの説明に、ユウは目を丸くする。
「東方というのは、魔法使いの国なのですか? 恐ろしい妖怪が守っているのではありませんか?」
「どうなのだろうか? ただ、それなりに治まってはいるようだ。西伯様のご親戚がそちらの領主で、こちらに土産に送ってきたお裾分けを頂いたのだが」
ショウは白髭をしごく。
ユウは目をパチクリさせている。「水を煮詰めて塩を作る」というのが魔法のような話だ。土地柄として「塩」といえばむしろ岩塩だというのが、彼女にとっては常識なのだ。あとは食べ物、あるいは羊の血なども塩分補給には役だったのかもしれない。
「ひょっとすると、海の水は赤いのではありませんか? 塩辛い水といえば血のようではありませんか?」
「いんや、青いと聞いたが。ほら、こっちは神様にお供えするためのものだが、これを見れば海の大きさが想像出来るだろう」
もう一つ二つ、磨かれた大きな貝殻を取り出すが、川のサイズではない。この辺りは内陸地帯であって、彼女は海なんか見たことがないのだ。
「凄いものを賜りましたね」
「たしかにこの宝の貝は凄いが、一番に凄いのは、そんなものが東方の海の国から届く西伯様の人徳だろうさ」
その時代のその地域では金銀同様の「宝物」だったことだろう。
貝は金銀、羊や布と同様の資本や財産であり、羌(後のチベット人)や西方に南方を加え、殷王の支配する「中原」への包囲網と、軍資金の蓄積が着々と進んでいることでもある。それにチベット人などの遊牧民や南方人は戦闘員としても優秀な部類であった。
(補足解説?)
例えば、後のシルクロードでは遠方から運ばれた中国の磁器が、西欧や西アジアでは恐るべき高値で取引されたという。そのために今も磁器のことが西洋語では「チャイナ」と呼ばれているほどなのだ。トルコの宮殿にも、東方から伝わった陶磁器のコレクションが残されているという。
また日本の中世時代からの南蛮貿易で「漆器」(しっき、うるし塗りの木製品)のことは「ジャパン」と呼ばれているそうだ。
交通や輸送が割合に簡単で便利な現代以上に、古代の世界では「遠方の珍品」は貴重で、財宝の価値を持っていたことだろう。
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「お前もすっかり女らしくなったのう。見合いさせたら、気持ちが変わったか」
近隣の天幕住居から様子を見に来た大公ショウは、孫娘のユウに様子の急な変化を冷やかしつつ、満足げな笑顔で言った。
するとユウは手を動かしながら張り切って返事をする。若い上にやる気もあるものだから、ごく短い時間ですっかり身体が動作を憶えてしまった。
「うん。「面倒そう」とか思ってたけど、すごい値打ちがあることだったんだね!」
ぱったん、ぱったん、ぱったん
ユウはあの都市訪問のとき以来、花嫁修業の意味もあって、「女の主要産業」である織物に精を出している。まだ十三歳(数え年)ながらにも、世の中がわかって良かったと思う。
あのとき、最初は自分たちのことを「服装が都会風でない」「こんな立派な屋敷に比べて貧しい」と思って少し恥ずかしかったのだが、侍女たちの反応やヒソヒソ話す様子から「実はそうでもない?」ということを悟ったからだ。
もの珍しがりながらも賞賛して羨んでいるようですらあり、お土産に持っていった羊毛の束を贈ると、女たちの喜びようはたいそうなものだった。植物由来の織物や皮革に比べて保温性が高いため、内陸部でしばしば天候気候が寒冷な地域では価値は計り知れない。
「私らで織物を織ったら、また町に売りに行くんだよね? 出来たらいつか、西伯様に肌着くらいは織ってあげたいかも。それにたくさん羊毛があれば、兵士の人たちも凍えないし、きっと殷王の軍隊を追い払ってくれる」
「ふむ、そうじゃの。だが、殷王の悪口は慎め。どこで人に伝わるかわかったものではないし、危険というものじゃ」
「あーい!」
ユウは元気の良い返事をしながら、ノリノリで機織りを継続する。やっているうちに楽しくなってきて、この作業仕事が気に入ってきたらしい。
例えば古代ギリシャの「オデュッセイア」では王妃が、手ずから家族の服をあむシーンがある。それに中世ヨーロッパ(まだ貧しい時代)でも、意外と庶民だけでなく貴婦人たちまでがそういう仕事をボチボチこなしていたようである(産業工場が発達した近代以降の感覚で古い時代を考えてはいけない)。七夕のヒロインが「織り姫」なのにも、そういった理由なのだろう。
まだ「貨幣経済」が普及する前の時代で、初歩的な「通貨」として「貝殻」が使われていた時代なのである(漢字での財産や経済の文字に「貝」が多い理由で、日本の竹取物語ですら「特殊な子安貝」が宝物として上げられているのは、古い時代の風習や迷信の名残なのだろう)。
物が財産そのものなのである。
特に上質な布などは(単に衣服にするだけでなく)、物々交換で貨幣の代用品ですらあるから、機織りなどは「自宅でお金を製造しているのと一緒」くらいの価値がある。女たちが必死で頑張る理由もわかるというもので、「札束を織っている」と思えばモチベーションが高くなって当然だろう。しかもその技量が、男たちの仕事や武芸のようなステータスでもあるのだから。
時代の変化で貨幣経済が発達して、時代が新しくなるにつれて工場も発達して、同じことでも価値が下落してしまうにせよ、当時は極めて値打ちのある仕事だったはずである(「女の手仕事」を舐めてはいけない。今の感覚でのみ古い時代を非難するパヨ左翼学者は馬鹿なんだろうよ)。
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その数日後、町から帰った大公ショウは、ユウに珍しいお土産を与えた。
「西伯様からの賜り物ぞ」
なんだかもったいぶって、妙に厳かな調子で差し出す。
「うわー、綺麗。これって」
ユウはその奇異なる宝物に見蕩れる。まるで異世界のもののようだった。
さながらピンク色の花びらのようだった。けれどもそれは植物ではなくて石のようだった。
「これは、もしや仙人境の花でしょうか?」
ずっと後の春秋戦国時代の時代には、西方の占星術やジッグラト(聖塔)の話が中国に伝わっていたらしい。後の伝承仙人境が西方やチベットに設定される理由であるとか。また古い時代には、日本のことも異世界の仙人の国のように思っていたのかもしれない。
おそらくその当時でも、西方のメソポタミア(ペルシャ)やエジプトの繁栄のことなどは、交易などの風の噂で少しは伝わっていたことだろう。
驚き不思議がる孫娘に、ショウは答えを明かした。それは遠い海で採れた桜貝だったのである。
「これは「貝」じゃよ。ただし、お前が知っているのは川や湖の貝だけだが、これは積水(海)で採れたてものだ。東の果てでは何もかもが水になっていて、陸の境には岩場や砂地があって水は塩辛いから、煮詰めて塩を作る」
とくとくと語る祖父ショウの説明に、ユウは目を丸くする。
「東方というのは、魔法使いの国なのですか? 恐ろしい妖怪が守っているのではありませんか?」
「どうなのだろうか? ただ、それなりに治まってはいるようだ。西伯様のご親戚がそちらの領主で、こちらに土産に送ってきたお裾分けを頂いたのだが」
ショウは白髭をしごく。
ユウは目をパチクリさせている。「水を煮詰めて塩を作る」というのが魔法のような話だ。土地柄として「塩」といえばむしろ岩塩だというのが、彼女にとっては常識なのだ。あとは食べ物、あるいは羊の血なども塩分補給には役だったのかもしれない。
「ひょっとすると、海の水は赤いのではありませんか? 塩辛い水といえば血のようではありませんか?」
「いんや、青いと聞いたが。ほら、こっちは神様にお供えするためのものだが、これを見れば海の大きさが想像出来るだろう」
もう一つ二つ、磨かれた大きな貝殻を取り出すが、川のサイズではない。この辺りは内陸地帯であって、彼女は海なんか見たことがないのだ。
「凄いものを賜りましたね」
「たしかにこの宝の貝は凄いが、一番に凄いのは、そんなものが東方の海の国から届く西伯様の人徳だろうさ」
その時代のその地域では金銀同様の「宝物」だったことだろう。
貝は金銀、羊や布と同様の資本や財産であり、羌(後のチベット人)や西方に南方を加え、殷王の支配する「中原」への包囲網と、軍資金の蓄積が着々と進んでいることでもある。それにチベット人などの遊牧民や南方人は戦闘員としても優秀な部類であった。
(補足解説?)
例えば、後のシルクロードでは遠方から運ばれた中国の磁器が、西欧や西アジアでは恐るべき高値で取引されたという。そのために今も磁器のことが西洋語では「チャイナ」と呼ばれているほどなのだ。トルコの宮殿にも、東方から伝わった陶磁器のコレクションが残されているという。
また日本の中世時代からの南蛮貿易で「漆器」(しっき、うるし塗りの木製品)のことは「ジャパン」と呼ばれているそうだ。
交通や輸送が割合に簡単で便利な現代以上に、古代の世界では「遠方の珍品」は貴重で、財宝の価値を持っていたことだろう。