第四話「密使任務」

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 かくして、西伯と大公を中心とした隠密の通商と連絡で「中原と殷王への包囲網」は徐々に形成されつつあった。遊牧を生業として大陸のあちこちに散らばっている羌のネットワークは交易を副業として、通信連絡をも担当することが出来たのである。
 やがて、大公のショウは孫娘ユウ(邑)に一つの指令を与えた。

「ちょっとお使いを頼めないだろうか? 目立ちすぎればかえって危険を招くが、お前なら上手くやれるだろう」

 それは殷王側から寝返ろうとしている、ある小領主への密使任務であった。
 予定された使いの先はその名をレイという、二日もかからぬ行程の近隣の女領主。たしかに同性で若輩のユウならば、幾らかはやりやすいだろう。「女領主に憧れて、割の良い商売が出来ると期待した」で筋は通る。

「元は監視や目付役のようなものだが、殷王が代替わりして事情が変わったのさ。今の殷王の側近の比干が殺されてから王族などにまでも不安が広がっておる。レイ殿も息子の王子共々に、殺されかねんからな」

 比干は殷の王族の中でも賢人として知られた人物だったが、当代の王様が忠言を煩がって殺してしまった事件があった。そんな王族で人望のある重臣が簡単に殺されるようでは、配下の大臣や王族や領主たちが怯えるのも当然か。
 当時はまだ中国文明での男性史上主義は、後の時代ほどには徹底していなかったのか。王の妻妾などを「婦」という領主に命じる事もあったようで(詳細不明)、件のレイもその一人。寵妃への収入源の領地(食邑)という意味もあるかも知れないが、もしも息子の王子を後継者に出来るというのならば(つまり幼い王子の領国を母親に摂政させる)、王を裏切るリスクは決定的に少ないだろうし全力で任地の防衛や経営を指揮したに違いない。
 しかし、王が代替わりすれば事情が変わってくる。地方にいる兄弟の王子は逆に(潜在的な競合者候補として)危険分子になってくるからだ。たいていは序列と地位で王(元の太子)が優位であるとはいえ、父王のような愛情があるわけでもない。もしも母親同士の仲が悪かったりした場合(つまり王の母である太后との関係)には最悪で、容赦なく粛清されることもありうるのだ。
 領土は無限ではないのだから、新しい王の若い妃を「婦」に任命するために、好条件の土地の前任者を殺すくらいは平気だろう。そもそも「殉死」や「生贄」の風習が色濃くあった時代であるから、「母子で先代王の墓に仕えて冥府にお供せよ」と言われたらそれでお終いということになりかねない。
 特に新しい王が暴虐であるときには恐怖は一方でない。今の殷王は革袋に血を詰めて弓矢の的にし「天を射殺した」と喜んでいるような傍若無人で、親族の比干の胸を裂いて「賢人の心臓は特殊だというから拝見しよう」とのたまわる狂気の男。しかもそんな風でいながらにして知恵が回り、並の勇者では敵わないほどの剛勇がある怪物なのであった。


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 ユウは馬に羊毛の織物とチーズを積載し、こじんまりとした町に入った。
 もちろん危険の多い時代であるから弓矢と青銅の短剣を携えて、あの牧羊犬を連れて。本来はこんな少女が一人でブラブラしているのがおかしいのだが、距離が近いこともあって「勇み足で勝手に飛び出してきた」ことにする。それに短い道程の近くの羌の者たちにも、氏族の長老である祖父が話して、安全を見張らせてもいた。
 そこは西伯の居城都市とは違い、川と谷を背にして堀と柵で防備が施されている。
 まずユウが小さな定期市場でやったことは、声を張り上げてわざと法外な値段を提示することだった。つまりは相場の十倍くらい。

「お嬢ちゃん、そんな高い取引は誰もしないよ」

 冷やかす客に、ユウは得意げに自信満々に言った。

「これは最高品質ですから。無理に負けようとは思わないです。なんといっても、縁取りに特別な魔除けの刺繍がしてあるんですから。きっとこちらの賢くて優しい領主様ならば、ものの良さがわかってくれるでしょうよ」

 客たちは「口達者なお嬢ちゃんだ」と笑う。
 だがユウは平然と言った。

「夢のお告げで見たのです。こちらの領主様がご病気を防ぐのに必要だから、魔除けの品を作って届ければ、恩賞があるはずだと」

 迷信が幅を利かせていたじだいであるから「夢のお告げ」は馬鹿に出来ない。それに女領主には政治的にも不安があるわけで、気にかかるのは心情だった。
 それに不可思議な少女、ユウの容姿の可憐さや歌声のことは、小さな町だからすぐに「婦」の耳に届いたらしい。その日の夕方には館から呼びがきた。


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 まかり出たユウは恭しく跪いて平伏一礼し、要望に応えて歌を歌った(役者の素質があるのか、そういう演技も楽しめるのは、やはり策士である祖父の血筋のせいか?)。そして羊毛の織物を買い取って貰い、とうとうたる口八丁で立石に水の弁論は、とても数え十三の少女ではない。

「こちらの文様は、夢に見せられ示された形を写したものです」

 そこには甲骨文の、原始の漢字を連想させる刺繍が踊っているのだった。女領主のレイが顔を曇らせたのは、そこに不吉な意味を読み取ったからだ。
 これこそ、太公ショウの策であったのだが。

「これは恐ろしいこと」
「そうなのですか! てっきりお届けすれば、それで厄を祓える物と思って」

 ユウは驚いて見せる。

「そういえばわたくし、占いも出来ます。少し試してみましょう」

 商売気のサービスを装って、木の棒の入った袋を取り出す。後に「易」と呼ばれる占いになるわけだが、その原始的なやり方を大公から習っていたのだ。

「これは水の卦です。もう少し詳しく調べれば、「引きて帰る」ですから、水辺で助け手が見つかるかも知れません。詳しいことや日時も占ってみましょう。ふむ、
「子が家を治めて災いなし」と」

 それこそ口から出任せのこじつけで良い。要点は西伯の側近との密談のセッティングであるから。
 西伯の使者は旦だというが、まだ数えで十二歳の彼は、見事に話をまとめたそうだ。聞いたところでは、担がれた婦は「あんな賢い子供がいるならば、西伯を信じて良い」とでも思ったらしい。


(注)
今回の「婦」の制度については、断片的に知っていた話を自分なりに解釈したファンタジーです。