春風美兎は雲の動きが不愉快だったわけではない。
 
 なのに見上げては目を血走らせては目を閉じてはまた顔を落としまた見上げては舌を噛んだ。

 大都会の交差点前。
 パノラマに夜のニュースが姦しい。

 群衆の足踏みのどれにも合わせず亀の様な遅鈍な足取りと胡乱な目でなにかに縋る様に歩くその様は昨今ではありふれた不幸気味な少女の様でもあり、虐待かいじめか彼氏にでも振られたか、ありふれすぎて都会の風景でしかない。

 誰も声をかけたり目を向ける仕草もなく、ひといきれに揉まれて消えていく。

 姦しい雑踏から離れても人の姿は消えない。

「あ」

 美兎が何か言った。

「こっち違う」

 どうにも住宅街に向けて歩いていた様で、すぐに方向を転換し非常に大雑把に南南東に向けて歩き出す。

 歩いて一時間余り。

 空に月滲む雲の濃い夜になると、街の景色も一変し、サブカルの街並みは工場と港のみえる人通りの少ない広い場所にでていた。

 春風美兎はスマートフォンを取り出してしばらくぼうっと固まった後、会話用のアプリを起動した。

 そして文字を打つかと思うや数字を打ち込んでいく。

 そうして何をするでもなく、表情もなく息を吐いたり吸ったり。

 目の前には橋があった。

 4車線の大通りは車の行き交いが絶えない。

 美兎は考えた。
 今どちらに向かうべきか。

 右か左か。
 車か橋か。

 固まっていると横を通り過ぎた勤め帰りの女性がチラ見して少し迷った後で足早に過ぎていく。

 目線が明らかに車道の方を向いていたので誤解されたかもしれない。

 誤解じゃない。実際にはいくつもりだった。

 たったいま思考を橋に修正した。

 なにせ車ではハンパに終わるとわかっていたからだ。

「私は……」

 橋を越える。目線の先には港。つまり海が広がる。

 思うともはや行動は早かった。

 自殺は認知される事だけを求めた、承認欲求の、うざい、かまって欲しいから、違う。

 言葉が脳内再生し、血走らせた目をカチ開けて違うを連呼。

 地獄である。
 誰かが言っていた。
 そうだった。

 でも違う。これは逃げるのとは違う。

 例えそれが皆の目にそう映ったとしても野々が私を軽蔑したとしてもいつかきっと。

 わかってくれなくても。
 正解がきっと待っている。

 美兎は橋の欄干に立ち、たった瞬間に心が座って表情が戻る。

 さっきまでの不幸に酔いしれた悲壮な目じゃない。

 タイタニックの映画のように手を広げ、

「私は、私を救うんだ」

 今度は笑っていた。
 情緒が落ち着きなく、でも壊れた訳じゃない。

 飛んだ。

 自由落下する。

 脳が回る。空が見えた。

 笑い声が聞こえた。

 かっこよくない。
 かっこよくない最後。

「願わくば」

 世界が平和でありますように。

 最後の方は海に沈んで飛沫とともに掻き消された。



 その数分後。
 ついさっき通報を受けて駆けつけた交番勤務の警官が二人、橋の付近で辺りを捜索していたがほどなく1人がため息をついた。

 実直そうな感じの女性の通報でまさか悪戯だとは思えなかったが、と一人が手に白い息を吐きながら言うと、もう一人も同意して立ち去る空気になる。

「お、ゴミ?」

 ふと目についたのは欄干のそばに落ちた、何か。

 近づいて拾う。スマートフォンだった。

 ちょうどメモアプリが立ち上がっていて、

「紛失届けあったかなあ」

 画面には少ない文字列で、
『その魔法少女。世界と戦う』
 と書かれていた。