「内臓」

 翌朝、顔を合わせてからの第一声となった僕の疑問に莉桜はさらりと回答した。
 すごい、さすがは成績トップだ。

 横で胡桃が「うへぇ」と顔を歪めている。ドラマの手術シーンでも思い描いているのだろうか。

「まあ、腑に落ちる、で使うときには〝心の底〟っていう意味だけどね」

 なんで突然? と莉桜は不思議そうに首を傾げる。

 さらりと切りそろえられた綺麗な黒髪が、肩のあたりで揺れる。そういえばこの髪型、拓実が好きだと言っていたモデルと同じなんだよな。よく見れば、どことなく顔や雰囲気も似ている気がする。

 学級委員長である莉桜が他のクラスメイトに呼ばれ席を立ち、そこには僕と胡桃だけが残された。拓実はまだ登校してきていない。

「なあ、莉桜ってモデルの莉亜(りあ)に、なんとなく似てない?」
「言われてみると、確かに似てるかも。拓実の好きなタイプだっけ?」
「そうそう。でもさ、好みのタイプだからって、好きになるとは限らないんだなぁ」
「〝好き〟にも、色々な感情があるからね」

 僕と拓実が話したように、莉桜と胡桃の間でのみ交わされる会話もあったのだろう。もしかしたら胡桃は胡桃で、莉桜と拓実の関係に、なにか思うところはあるのかもしれない。
 それでも莉桜には恋人がいて、拓実は別の女の子たちと過ごすことで楽しそうで。

 このふたりがうまくいけばいいのにと思うのは、きっと外野である僕の身勝手な妄想なのだろう。

「胡桃は会ったことある? 莉桜の彼氏」
「直接はないけど、写真なら見たことある」

 胡桃によると、正統派イケメンとのこと。熱烈なアプローチを受け、今年の春あたりから付き合い始めたそうだ。そんな年上イケメンから想いを寄せられるのだから、さすがは莉桜といったところだ。

「とっても大事にしてくれてるんだって。今日してたブレスレットも、彼氏からもらったって言ってたよ」

 教室の後ろで誰かと話す莉桜が髪の毛をかきあげる。しかしその手首に輝いているのであろう細い鎖は、教室の中にいる僕からは見えなかった。

 自慢じゃないが、僕は恋愛経験が豊富なわけではない。というよりは、ほとんどない。暗黒の中学時代では女子と会話をする機会すらなかったし、高校での二年間で女友達はたくさんできたものの、心惹かれる女の子に出会うことはなかった。
 それでも毎日は楽しいし、別に焦ったりすることもない。人生はなるようになる。それに今の僕には、最高の仲間がいてくれるのだ。

「まあ、みんなが幸せならそれが一番だよな」

 ぐぅーっと両手を伸ばして首を捻れば、登校してきたばかりの拓実が廊下に立っているのが見えた。会話をしている相手は、見覚えのない女の子。上履きの色で、ひとつ年下なのだとわかる。

 ふわふわのロングヘアに、まつげの長い大きな瞳。真っ白な肌を持つその女の子は、まさに美少女という言葉を具現化したような存在だった。さすがは守備範囲の広い拓実。学年なんて、あっという間に飛び越えてしまうのだから。

「学年が違う子との会話にも困らない高橋拓実……さすがだな」
 
 しかしそこでふと、僕は小さな違和感を覚えた。いつもの拓実と今あそこで話している拓実が、少し違うように見えたからだ。
 なにが、と聞かれてもわからない。だけどそのときの拓実の表情や細められた目が、他の女の子に向けるものとも、莉桜を前にしたときのものとも違うように感じたのだ。

「葉だって、誰とでもすぐに打ち解けられるじゃない」

 僕の呟きを拾った胡桃は、丸い筒に入ったカラフルなチョコレートをひとつ口に入れると、こちら側にも差し出した。小さな掌に広がる、鮮やかな色たち。
 僕はその中から、水色のものを選び口へと放り投げた。

「拓実は器用、僕は不器用だよ」

 カリッという音と共に、口の中に甘さが広がる。

 拓実の人当たりの良さは天性のものだと思う。誰に対しても平等に優しくて、誘いをそれとなくかわす術も完璧だ。だから誰もが安心して拓実のそばへと入っていける。安心して純粋に楽しい時間を過ごせることがわかるからだ。

「葉の場合はみんなのことをよく見て、色々なことを何度も何度も考えて、そういうのが重なって出来上がった優しさだもんね」
「そんなことないって。僕、なにも考えてないし」

 おどけて笑ってみせるも、心の中はドキリと一旦大きく揺れた。

 明るくて陽気でお調子者。悩みなんてない、石倉葉。

 ここまでの人生で作り上げてきた、自分という人物像。その背景までをも暴いてしまいそうな響きを、彼女の言葉は持っていた。

「ま、それもそっか」

 しかし胡桃は、あっけらかんと笑ってみせる。彼女の自由奔放なところに僕は、たまに振り回されているのかもしれない。だけど不思議と、それが嫌ではない。
 ころころ変わる表情に、くるくる巡る思考回路。胡桃の言動は予測可能なときもあれば、想像の斜め上をいくこともある。それがまた、おもしろかった。