あそこから落下してしまったのかもしれないが、巣はかなり高所にあり、とても手が届かない。
 そのとき、枝の先に小鳥が姿を見せた。
 鮮やかな橙色の頭に茶色の羽は、コマドリの特徴だ。
 もしかすると、この子の親鳥かもしれない。
 期待に胸を弾ませたけれど、こちらを見下ろしていたコマドリはすぐに木々の間に隠れてしまった。
 がっかりして、落ちた雛に目をやる。
 雛はもう動いていなかった。
「あぶぅ」
 じっとその姿を見つめていた悠が、雛に手をかざす。
 その瞬間、ふわりとした光が雛の小さな体からあふれた。
「……えっ?」
 柔らかな輝きは陽の光を受けたシャボン玉のように軽やかだ。
 幾重にも広がった七色の光はとても小さなものだったけれど、慈愛を感じさせた。
 悠が手を引くと、雛の体に光が吸い込まれるように、すうっと消える。
 すると、動かなかったはずの雛が身じろぎをした。
「……ピ……ピ……」
「よかった! まだ生きていたのね」
 この子の命は尽きていなかったのだ。
 悠と笑顔を交わした私は、ハンカチでそっと雛の体をすくい上げる。
 このままにしておくことはできないので、ひとまず家に連れて帰ろう。水や餌を与えて養生させたら、回復するかもしれない。そうしたら、きっと巣に帰れる。
「この子を、うちに連れて帰ろうね。休ませたら元気になって、おうちに帰れるよ」
「ん」
 悠は両手を差しだした。雛を自分で抱いていたいようだ。
「大丈夫? そっとね」
 ハンカチに包んだ雛を悠に預ける。
 しっかりと持っているのを確認して、雛を抱いた悠を自転車のシートに乗せる。
 私はふたたび自転車を漕ぎだす。
 悠の手元からは、ふわりふわりとシャボン玉のような淡い光がこぼれ続けていた。



 マンションに帰宅した私は雛のために、空き箱にタオルを敷いて巣を作る。
「できたよ、悠。雛をここに入れてあげて」
 リビングのテーブルにハンカチごと乗せた雛を、悠はじっくりと見つめていた。
 ふと私は違和感を覚える。
 先ほどは死にかけていたはずの雛だが、すでに身を起こしている。つぶらな黒の瞳をぱちぱちと瞬かせていた。
 それだけではなく、なんだか雛の体が大きくなった気がする。
 外で見たときにはぼろぼろだった灰色の毛は、ふわっとしてツヤが出ていた。
「気のせいかな……。それに、さっきの光はなんだったのかしら。もしかして、この雛は特別な力を持ったあやかしだとか……?」
 私にはもうあやかしが見えないはずだけれど、鬼神に匹敵するほどの能力を持つ種族なら、ふつうの人間にも見えるのかもしれない。みすぼらしかった雛が成長したら白鳥だったという成功譚はありえることだ。
「この子は成長したら白鳥とか、もしかして鳳凰になったりして。ねえ、悠」
「あぶぅ」
 そう思うと希望が湧いてきた。
 ただの人間だったみなしごの私も、柊夜さんや悠の傍にいることにより、半永久的に神気を得られるかもしれない。家族と同じ世界に居続けられる能力が備わるかもしれないのだ。
 未来は変えられる。死を迎えるはずだった雛が不思議な力を発揮して、よみがえることができたように。
「そうだ、水を飲ませてあげないとね。それからお粥を冷まして、ごはんもあげようね」
 俄然やる気が出た私はスポイトを用い、雛に水をやる。
 雛は大きな口を開いて水を飲んでくれた。
 さらにキッチンに立ち、鍋に米を煮込んでお粥を作る。
「悠、その子を見ていてね」
 雛が珍しいのか、悠はまた手を伸ばしていた。
 けれど掴むようなことはせず、そっと羽にさわっている。 
「ピ……」
 巣箱の中で、つぶらな瞳の雛は小さく鳴いた。



 柊夜さんが会社から帰宅すると、私はさっそく雛の話をした。
 ところがネクタイのノットに指をかけていた彼は顔色を変える。
「なんだって? その雛はどこにいる」
「リビングで悠が面倒を見ていますよ」
 硬い表情を浮かべた柊夜さんがリビングに入る。
 部屋の隅で、かがんだ恰好をした悠が巣箱を覗き込んでいた。雛が夜に眠れるようにと、巣箱にはタオルをかけて半分を覆っていた。
 子どもがおとなしいときは悪戯をしているのがお約束なので、どきりとしたけれど、悠は手を出さずに見ているだけだ。初めて世話をする雛に興味津々なのだろう。
 なぜか柊夜さんは、きつい声音で命令する。
「悠。パパに雛を見せなさい」