「なんで僕、なんだよ」
こんな地味で目立たなくて暗いやつと、そんな青春できるはずないだろ。
そんな僕に、あれは一週間前のことだったかな、と顔を緩めたあと、
「向葵くんのこと、そこのベンチで見かけたことあるの。本をお腹に広げたまま、心地よい陽だまりのなか寝てる向葵くんがいたんだ」
と、近くのベンチに指をさした。
その言葉を聞いて、記憶を手繰り寄せると、確かにそんなことがあったなと昔のことのように懐かしく思う。
でも、だからって、
「そのことが、青春したいって理由にならないじゃん」
何話をすり替えようとしてるんだよ。
そんなのに僕は騙されないぞ。
「向葵くんがキラキラ光って見えたの」
突然告げられた言葉に、え、と困惑した声をもらすと、
「他のみんな、私に集まって来る」
「…なに、自慢?」
冷たく突き放すと、そうじゃない、と声をあげた三日月さん。
「みんな私が転校生だから集まるの。物珍しそうに、そのときのいっときの感情で、みんな寄って来るの」
それなのに、と続けると、
「向葵くんだけは違った。私のこと全然色恋的に見ないし、転校生だからって騒ぎ立てないし。ほんとの私と向き合ってくれるんじゃないかなって思ったの」
「……なにそれ」
僕だけは違う?
それって、僕が周りより暗くて目立たないからって言いたいのか?
……なんだよそれ。
「……全部、自分の勝手な妄想だろ」
「違うの。ほんとに私は向葵くんと」
「──僕は!」
大きな声で、彼女の言葉を遮った。
その瞬間、缶ジュースがパキッと音を立てた、気がする。
落ち着け。僕が、感情に流されて声を上げるなんてらしくない。
小さく、ふう、と息を吐いて、キッ、と彼女を睨みつけるように見つめたあと、
「……僕は、きみみたいな人とは友達にならないし青春なんかしない」
吐き捨てるように言ったあと、彼女の前から必死に走った。
返事なんか待たなかった。
だって、これ以上あの場所にいてしまったらいつまで経っても会話は平行線を辿ったままのような気がしたから。
走って走って。どこまでも走った。
肺が潰れそうになるくらい、走った。
そして、ようやくたどり着いた体育館裏の壁に、手をついた。
「……自分、なにやって……」
思わず、口をついて出た。
さっきの僕は、感情まかせに言葉を投げた。それは、自分の失態だ。
けれど、後悔はしてない。
だって、
「……僕は、一人でいい」
今も、そしてこれからもずっと。
どうやら僕には、一人が似合っているらしい。
だから僕が、陽の光を浴びるなんて似合わないんだ──…。
*
クラスメイトは会話に花を咲かせたり、トランプをしたりと学校生活を謳歌しているようで。
その教室の傍らで、いつものように自分の席で文庫本を読む僕。
周りの会話が嫌でも耳に入ってくる。
「なぁ聞いたか? 櫛谷、この前三日月さんに告ったらしいぞ」
「マジで? で、結果は?」
「あー、なんか今は誰とも付き合う気はないって言われたんだって」
あのとき僕もその場にいたから、とうの昔に知っている。
櫛谷の前ではおとなしそうな態度をとっていたのに、僕の前では強気な態度。
まるで僕を下にでも見ているようで、無性に腹が立ったのを覚えている。
「マジかぁ……俺、本気で好きだったのになー」
「お前、入れ込みすぎだろ」
「だってよー、あんな可愛い子が転校生として来たら誰だって好きになるだろ?!」
“転校生”と“可愛い”。この二つのワードだけが一人歩きしているみたいだけれど、実際の彼女は猫をかぶっているのかもしれない。
それとも、おとなしいフリをしていた方がモテると理解しているのかもしれない。
「だけどさぁ、あの子はお前には無理だろ。なんていったって可愛いし!」
「うっせぇなー」
一箇所に集まって男子だけで色恋的な会話を繰り広げる。
そんな光景を横目に見て、なんて滑稽なんだと心で笑う。
なにが、可愛いだ。
なにが、好きだ。
そんなちっぽけな言葉なんて、胸を貫くどころか皮膚すらも通り抜けない。上っ面だけの軽い言葉だ。
バカバカしい……そう思って、文庫本へ集中しようと文字を目で追っていくが、
「でもよー、あんだけ可愛ければ一度は付き合ったことあるはずだろ。どういうやつがタイプなんだろうなぁ」
「お前聞いてみろよ」
「はぁ? やだっつーの!」
嫌でも耳に流れ込む会話に、苛立ちが募る。
文庫本に集中しろよ、そう心の中で自分にツッコミをするが、男子の会話を耳が拾う。
小さな音でも拾ってしまうらしい。そんな僕の耳は、性能が良いマイクか何かだろうか。
そもそもどうしてこんなに苛立つんだ?
周りのやつが羨ましいからなのか?
だからこんなに苛立つのか?
──いや、違う。
『嫌いな人ほど視界に入ってしまう。意識してしまう』
前に、文庫本か何かで読んだことがある。
言葉の通り、嫌いな人ほど人は意識してしまう生き物らしい。
だから僕は、“転校生である三日月”さんに苛立っているのだと知った。
でも、なぜ彼女に苛立つのか。
それも簡単な問題で。
僕に友達がいないと知っていたからなのか、暗いと噂されていたからなのかは分からなかったが、どちらにせよ、彼女のただの気まぐれで声をかけられたのに腹が立っている。
けれど、愚痴を吐く相手もいなければ親しくしている友達だっていない。
だから我慢するしかないんだ。
それを自分に言い聞かせるように、おもむろにかばんの中から飴玉を一つ取り出すと、それを口に放り込んだ。
しゅわしゅわっと弾ける小さな刺激のあと、ソーダの味が口いっぱいに広がった。
「あれっ、どうしてここに?」
ふいに、聞こえた声。それは、驚いたような男子の声で。
廊下がやたらと騒がしくなる。
また、僕の読書の時間を邪魔するのか。
……ガリッと飴玉を噛んだ。それは、砕けて、溶けて小さくなる。
「ちょっと用があったの」
受話器越しに電話で話しているようにノイズがかかっているようだったけれど、聞き覚えのある声。
それは、少しずつ近づいて大きくなる。
……もしかして? いや、まさか。
そんな感情が錯綜する。
「えっ! 三日月さん?!」
その瞬間、クラスメイトの男子が一斉に立ち上がりドアの方へ視線を向ける。
つられるように僕も視線を向ければ、バチッと視線がぶつかった。
わずかに微笑んだ、気がした。
「どうしたの!?」
「うん。あのね、ちょっと用があって」
まるで僕を見て告げたように聞こえて、嫌な汗が流れる。
焦った僕は、慌ててフイッと視線を逸らす。
「用って誰に? もしかして俺とか?」
なーんて、と自虐ツッコミをしながら尋ねる藍原の声に、「えーっと……」返答に困った声色を落とす三日月さん。
僕は、べつに関係ない。
だって友達でも何でもないのだから。
「誰に用? 俺、呼ぼうか?」
話を切り替えると、じゃあ、と声を落としたあと、
「茅影くんを」
間違いなく、そう告げた。
僕は、その声を聞き逃さなかった。
「えっ? ち、茅影……?」
困惑したような驚いたような声を落とした藍原と、それ以外にも聞こえた声は、ありえない、とでも言いたげな声色で。
けれど、一番驚いているのは、この僕だ。
クラスメイトでもなければ友達でもない。ただ、一度だけ話したことがある顔見知り程度の僕に。何の用があって来たのか、頭を巡らせてもさっぱり分からない。
「うん、呼んでもらってもいい?」
「え…っと、ほんとに茅影? 誰かの名前と間違ってない?」
困惑したようにまくし立てる藍原に、ほんとだよ、と肯定したあと、
「だから、茅影くん呼んでもらえるかな?」
再度、僕の名前を口にしたのだ。
瞬間、ざわつき始める教室と、僕に鋭く突き刺さる視線。
「……マジかよー。なんであいつが?」
どこからともなくコソッと聞こえた僕を見下すような声。
僕が、会いに行ったわけじゃない。
三日月さんが、僕に会いに来たんだ。
それなのにどうして僕に嫉妬の矛先を向けるのだろう。
「わ…かった。ちょっと待ってて」
藍原は、どんな表情を浮かべているのか。
見なくても容易に想像できる。きっと、三日月さんの言葉に驚いて、顔を引き攣らせて笑っているに違いない。
「茅影、呼んでるぞー」
焦った僕は、文庫本に夢中になっている姿を演じてみせた。
聞こえないフリをした。
そうすれば、彼女も諦めて帰るだろうと予想したから。
「おーい、茅影。聞いてんのか?」
けれど、何度も名前を呼ばれる。
教室はシーンと静まり返って、藍原の声だけが響いた。
……やめろ。やめてくれ。もう、名前を呼ばないでくれ。
僕は、日陰で十分だ。陽の当たる場所に出る必要なんかない。
文庫本へと落としている視線。
視界の端の方に、僕の席の前で立ち止まった足元が見えた。
──ドンッ
僕の机に、落ちて来た手のひら。
「おい、茅影」
低くて、少し苛立ちの色が見える声。
明らかに僕に憎悪している声だ。
さすがにこれ以上無視することができなくなって、
「な、なに……」
顔を上げると、僕の顔を睨みつける瞳とぶつかった。
「三日月さんが呼んでるぞ」
「え、なんで……」
知っているけれど、知らないフリをして尋ねた僕に、知らねぇよ、と冷たく言い捨てる。
よっぽど僕のことが気に食わないらしい。
けれど、僕からすればただのとばっちりだ。
何も答えない僕に、つーか、と頭を乱暴にかいて苛立っている藍原は、
「三日月さんが待ってるんだから早く行けよ」
さすがの僕も、これ以上ここの雰囲気に耐えられず、
「あー…うん」
文庫本を静かに閉じると、席から立ち上がって藍原の横を通った。
その瞬間、小さくチッと舌打ちが聞こえた。
僕が歩くと止まっていた空間は動き出し、クラスメイトは話の続きを喋りだす。
がやがやと、ざわざわと。
けれど、時折感じる視線は間違いなく確かにあって。僕の背中をグサリと突き刺す。
僕が一体何をしたと言うんだ。
僕が、会いに行ったわけじゃない。三日月さんが、僕の教室に勝手に来たんだ。
それなのにどうして僕が冷たくされなきゃならないんだ。
……ほんっと、理不尽すぎるでしょ。
これだから色恋的なものに巻き込まれたくないんだよ。
それもこれも全部、三日月さんが来たせいだ。
「…何か用ですか」
初対面のような対応を取る僕に、一瞬困惑した色を見せた彼女。
けれど、すぐに何事もなかったかのようにニコリと笑顔を浮かべて、
「ちょっと今、いいかな?」
廊下の向こうを指さした。
できることなら断りたい。そしてもう二度と来ないでくれと文句を言いたい。
だが、ここは教室で藍原の目もある。それにクラスメイトは興味津々に様子を伺っている。
こんな場所で文句でも言ってしまえば自殺行為だ。あとから僕に仕返しがくるに決まってる。
だから、仕方なく、
「……いいけど」
小さな声を落とすと、よかった、と言って、
「じゃあ、向こうで話そう」
そう告げると、廊下を歩き出す。
ここで話すよりは幾分もマシだ。自分にそう言い聞かせて重たい足取りで、彼女のあとを追いかけた。
背中には、いくつもの嫉妬という槍が突き刺さっているようだった。