「稲垣くん、私、冷静になったんだけども」

 そう言う米倉舞香だが、二人きりだというのに顔を寄せてきてひそひそ話してくるし、今朝から隙あらばにやけそうになるのをこらえたりしているし、全く冷静になったように見えない。

「冷静にって、どうしたの?」

「あのね、問題は、どうやって私と稲垣くんがヒーローショーに行くか、なの。休日の外出には、必ずお供の人がつくから……」

 金持ちー!
 SP付きかよー!

 いやいや、舞香が金持ちなことは分かっていたはずだ。
 だがだからこそ、彼女は自由にヒーローショーに行ったりできない立場なんだ。
 大きな会社の社長令嬢なんて、狙ってるやつはたくさんいるだろうし。

「特に、運転手の芹沢さんがね。いつもついてくるから」

「うーん……」

 俺は考え込む。
 そうか。舞香と二人でヒーローショーを見に行くためには、障害があるんだ。

 数々の戦隊物を見てきたらしい舞香が、どうして一度もヒーローショーに行ったことがないのか。
 それは、周囲が舞香の身の安全を考えているせいかもしれない。

 これはこれで、悪くないよなあ。

「うーん、うーん」

 俺が唸っていると、舞香が腕時計と俺の顔を交互にちらちら見る。
 あっ、十分間!

 舞香はせっかく、俺とのお喋りを楽しみに来ているのに、俺がうんうん唸ってその時間を消費してしまったらもったいない。

「よーし、今日も楽しく喋ろう!」

「うん!」

 舞香が笑顔になり、いつものオタトークが始まる。
 だけど、俺の頭は冷静だった。

 今日の彼女とのお喋りが終わった後、本番が待ち受けているからだ。

「それじゃあ、今日はここで……」

 いつも通り、名残惜しそうに彼女が去っていく。
 今日は直帰する日だ。
 俺は彼女を見送ることなく──先回りすることにした。

 ちょうど部活動が始まる時間で、帰宅部の生徒たちも多くが帰り終わっている。
 学校の人気(ひとけ)が一時的になくなる頃だ。

 ダッシュで校舎を大回りしていくと、すぐに校門へたどり着いた。
 その脇には黒塗りのリムジンが停まっている。

 メガネを掛けた体格のいいスーツ姿の女の人が、時計を確認していた。

「すっ、すみません! 芹沢さんですか!」

 息が上がっているが、時間の猶予はない。
 女の人が顔を上げた。

「そうですが。あなたは?」

 (いぶか)しげだ。
 いきなり知らない人から声を掛けられたら、みんな警戒するだろう。

「あの、米倉舞香さんのクラスメイトでっ」

「ああ、お嬢様の」

 芹沢さんの表情が柔らかくなった。

「お嬢様がお世話になっています。お嬢様の護衛を務めております芹沢です」

 護衛!!
 今、護衛って言ったよこの人。

「それで、何の御用でしょうか? これからお嬢様がおいでになられるので、あまり時間がありませんが」

「はい! なので、単刀直入に言います!」

 俺は必死に息を整える。 
 気合、気合だ。
 整え、俺の呼吸!

「今度のGW最終日、ヒーローショーがあるんです! そこに、米倉さん……じゃない、舞香さんを行かせてあげてください!」

「……ヒーローショー?」

 芹沢さんが首を傾げた。

「それは、どうしてです?」

「舞香さんが行きたがっているからです!」

「なりません。危険です」

 ぴしゃりと断られた。
 うぬぬ、そうだよなあ。
 でも、こっちとしては退けないのだ。

 あんな嬉しそうな顔をしていた舞香を、がっかりさせたくない。

「人が多いからですか」

「そうです。誰がお嬢様を狙っているとも限りません。米倉グループの令嬢ですから」

「俺が守ります!」

「君には無理です。ろくに鍛えてもいないような者に、護衛は務まるものではありません」

「命がけでやります!」

「君は一時の気持ちに載せられてそう言っているだけです。君とお嬢様の関係は知りませんが、簡単に命をかけるなどという事を口にしてはいけない」

 やべえ。
 この人、正論で詰めてくるから隙がない。
 だが、こっちも引くわけにはいかないのだ。

 そろそろ校門から舞香が出てきてしまう。

「あのっ、俺、舞香さんがすっごい笑顔になるのを見てて、それでヒーローショー行ったら、絶対もっとすごい笑顔になるんで! 連れていきたいんです!」

「……お嬢様が、笑顔に?」

 芹沢さんが反応した。
 眼鏡の奥で、鋭い目が大きくなったり、細められたり。

「どれくらい笑顔に……?」

「舞香さんがドジっ子になるくらい凄い笑顔。明らかに普段の舞香じゃなくなってて、あんなテンション高い舞香さん初めて見たくらい……!」

「そ、そこまで……? そんなお嬢様は見たことがない」

 芹沢さんが唸った。
 これは……もう少しで落とせるか?

 だけど、時間切れだった。
 昇降口に、舞香が姿を見せる。

「今日はここまでですね」

 芹沢さんが呟いた。

「君。FINEアプリはインストールしていますか? 私とアドレスを交換しましょう」

「あ、はい!」

 俺は慌ててスマホを取り出した。
 お互い、フルフルしてアドレス交換をする。

「君の話は、捨て置いてはいけない。そんな気がします。詳しくはFINEで教えて下さい」

「はい!」

 よっし!
 なんとか舞香をヒーローショーに連れ出す糸口がつかめたか……!?

 やって来た舞香は、俺が芹沢さんと一緒にいるのを見て目を丸くした。

「どうして、稲垣くんが……?」

「稲垣さんと仰るのですね。ふむ」

 芹沢さんの目が一瞬、俺の頭から爪先を往復して見つめた。

「機会があれば鍛えてあげましょう」

「あ、はい!」

「お嬢様、こちらへ」

 芹沢さんが車のドアを開ける。
 舞香は首を傾げながら乗り込んでいった。

「ねえ。どうして芹沢さんと稲垣くんが一緒にいたの? ねえ、どうして?」

「偶然お会いしたのです。お嬢様の同級生だったのですね」

 芹沢さんがこっちを見た。
 あれは、話すなよ、という意味ではあるまいか。
 こえー。

 舞香は俺を振り返り、手を振ろうとして──慌てて下ろした。
 そうそう、いつもの舞香なら、クールな反応がらしいもんな。

 で、これを芹沢さんは見逃してない、と。

 舞香の口がむにゅむにゅ動いた。
 あれは言いたいことがある時の、舞香の癖らしい。
 普段はあんなこと無いのは、特に言いたいことが無いからだろう。

 で、俺に向かってはいつもああなのは……。
 喋りたいこと、いっぱいあるからだよなあ。

「じゃあね、米倉さん!」

 なので、空気を読んで俺から手を振った。

「うん、稲垣くん、また明日ね」

 精一杯、いつも通りの冷静な声を作った舞香。
 お上品に手を振ってみせた。

 そして今日はお別れなのだ。


 走り去っていくリムジンを見送りながら、俺は我に返った。

「舞香のFINEアドレスより先に、なんで芹沢さんのアドレスをゲットしてるんだよ俺……」