廊下で女子たちがたむろしている。
 その真ん中にいるのは、米倉舞香だ。

 屋上でのことが、つい昨日あったばかりなので意識してしまう。
 女子たちの背中越しに、彼女をちらっと見たらバッチリ目が合った。
 舞香も俺に気づいていたらしい。

 彼女の口が、むにゅむにゅ動く。
 えっ、なんて?

「────!」

 なんかウィンクしてくる。
 うわ、ウィンクうめえ!!
 ドキッとする!

「米倉さん、どうしたの?」

「何かいるの?」

「ごめんなさい、気にしないで。ちょっと目にゴミが入っただけなの」

 訝しげな女子たちを、舞香は上品な物言いで誤魔化した。
 そして、

「あぁ、今日は帰りに、踊り場でぼーっとしたい気分だわ」

 なんてわざとらしく呟くのだ。
 察しが悪い俺でもさすがに分かったぞ。
 つまり、放課後の踊り場でオタトークがしたいと、そういうことなんだな舞香……!

 俺が頷くと、彼女は実にいい笑顔を見せるのだった。


 一日、米倉舞香を観察してみる。
 彼女はいつも、人の輪の中心にいる。

 見た目もいいし、頭もいいし、運動神経もいいし、ついでに性格もいい。
 小さい頃から周りから大事にされてきたらしくて、当たり前のように人に親切を返す。
 だから、みんなが舞香の周りに集まってくる。

 そんな彼女だから、昨日までは俺にとって高嶺の花だった。
 決して手が届かない相手だから、外からぼーっと眺めてきたんだ。

 だけど……。

「あの屋上で見た顔、初めてだったな。あんなにいい笑顔、普段はしてないもんな」

 舞香は上品に笑っている。
 人に合わせてわざと笑っているという風じゃなくて、ちゃんと楽しんでいる笑いだ。

 だけど、そこには昨日感じた、あの熱はない。
 普通に楽しんではいるが……すごく楽しんで(・・・・・・・)は、いない。

「何かに熱中して、オタクになるまでハマって、それの楽しさと普通の楽しさって違うよな」

 ふとそう思った。
 クラスのみんなは舞香を大切にするけれど、その中で舞香は、あの屋上の舞香を出すことができないでいるように見えた。

 まさか、あの米倉舞香が特撮オタクだなんて。
 イメージが崩れちゃうもんなあ……。

 その日も、彼女を見ていると何度も目が合った。
 偶然かと思ったけれど、人の輪の中にいる間も、彼女が俺を探しているのが分かった。

 俺を見て、口元をむにゅむにゅさせる。
 何か言いたくて仕方ないのだ。
 舞香の中で、米食戦隊ライスジャーについてのオタトークが渦巻いている……!

 放課後近く。
 俺には見ていて分かった。
 舞香が手が、靴が、むずむずと動いている。

 暴発寸前だ……!

 見ている俺がハラハラする。
 大丈夫か舞香。
 放課後まで持つのか……!?

 そうしたら、潤んだ目でちらりとこっちを見るものだから、胸がドキッとするじゃないか。
 そういう、男を勘違いさせる仕草はやめろー。

 終業のショートホームルームが終わる。
 先生が解散を告げると、皆がわいわいと立ち上がっていく。

 今日の学校は終わり。
 あるいは、部活の始まり。

「米倉さん、校門まで一緒に帰りましょう?」

「今日も運転手さんがお迎えに来てるんでしょ?」

 舞香の取り巻きの女子たちが、声を掛けてくる。
 いつもなら、彼女たちの求めに応じて一緒に帰途につく舞香だ。

 彼女は社長令嬢だけあって、毎朝毎夕、送り迎えはリムジンだ。
 華道部に入っていて、その活動日だけは迎えが遅くなる。
 今日は部活が無い日。

「行きましょう、舞香さん」

 取り巻きの少女が、舞香を促した。
 だが、今日の舞香はいつもとは違う。

「ごめんなさい、麦野さん、豆柴さん、玉田さん。私、今日はやらなくてはいけないことがあるの」

 きっぱりと、女子たちにそう告げる舞香。
 カバンを手にして、教室から飛び出す。

「ごきげんよう! 明日はご一緒しましょう!」

「え、ええ」

「米倉さん、なんだか今日は変じゃなかった?」

「うん。なんかずーっと、心ここにあらずって感じで……」

「……もしかして、好きな人ができたとか?」

「ええーっ!?」

「でもでも、ありうる……。だって、絶対米倉さん変だったもん」

 きゃーっと盛り上がる女子たち。

 違うぞ。
 舞香はオタトークがしたいだけなのだぞ。
 俺は知っている。

 だから、俺は努めて冷静に、深呼吸をした後でカバンを持って立ち上がるのだ。
 よし、俺は冷静だ。クールだ。
 米倉舞香に他意はない。
 俺に好意があるとか、そんなことは全然ない。

 俺は今から、同士とオタトークをしに行くのだ。

「じゃあな、稲垣!」

「おう!」

 悪友どもに手を振り、俺も帰途につく────振りをする。
 一旦階段を下って、外に出る。
 そして外階段を使って三階まで上がり、屋上に続く踊り場にやって来た。

 遠回りして、さすがに息が切れる。

 踊り場には、屋上の扉から透過した陽の光が差し込んでいた。
 夕方に近い、午後の光だ。

 そこに、彼女がいた。

「稲垣くん」

 頬を上気させ、米倉舞香が微笑む。

「ごめん、待たせた」

「ううん、私もいま来たところ」

 まるでデートのような言葉のやりとりだ。
 例えそうだとしても、男女の役割が逆では?

「じゃあ、稲垣くん……」

「ああ」

 階段に腰掛ける舞香。
 俺も後から、隣に座った。

「──昨日の話の続きをしましょう……!! あのね、私ね、ハクマイジャーが好きって言ったけど、つまりそれはセキハンジャーが女子戦士なんだけど、ハクマイジャーがレッドじゃないのにリーダーじゃない? ホワイトがリーダーで、そこが挑戦的なのがすごくよくて……!」

 怒涛のような特撮トークが襲いかかってくる……!

「落ち着こう、米倉さん」

「お、お、おち、おち、おちついてる、私、おち」

「過呼吸起こしかけてるから……! ほら、深呼吸して。右腕を掲げて、左手で手首を握って……立ち上がって……」

 二人並んで立ち上がり、腰を捻ってから右腕を高らかに頭上へ!

「クックオーバー!」

 俺と彼女の声が重なった。
 おおっ、様になってるじゃないか。
 家で一人でコツコツと練習してきた甲斐があったぜ。

「ああ……気持ちいい……」

 舞香が恍惚となった。

「うちで、一人で練習してきて良かった……」

 舞香、お前は俺か。

「ありがとう、稲垣くん。落ち着いた。あのね、私、話したいことがたくさんあるの。でも迎えが来てるから時間はあまりないわ。だから、十分だけ。あなたの時間を私にください」

「ああ、もちろん」

 俺が頷くと、舞香はとびきりの笑顔になった。
 こんな笑顔、クラスの誰も見たことないに違いない。
 彼女が今、俺だけに見せる最高の笑顔だ。

「あのね、私ね……」

 彼女は話し始めた。