「偶然だよねー、こんなところで会うなんてー」

嬉しそうにはしゃぐ女子たちに、礼央が「そうだね」と笑顔で調子を合わせる。俺もなんとか笑顔をつくって、こくこくとうなずいてみせた。

――どうかしぃちゃんたちが見つかりませんように。

見つかる前に隠れたほうがいいよ、と伝えたいけれど、少し先のテーブルでパンフレットに見入っているしぃちゃんは気付いていない。くぅちゃんは俺たちをはさんで彼女の反対側だ。

「バレー部で来たの? あれ? もうひとりいたよね?」
「ええと、いや、バレー部じゃないよ」
「そうなんだ? 誰?」

俺たちが言葉を濁している周りで、四人がきょろきょろする。一緒に行動しようとでも言うつもりなのだろうか? くぅちゃんは隠れたのか?

恐る恐る振り向くと、売店の棚をながめているくぅちゃんの背中が見えた。もしかしたら、俺たちの横をすり抜けてしぃちゃんのところに戻ろうと様子をうかがっていたのかも知れない。

「うちの学校のひと? 脚長いね」
「同じ学年? こんにちはー」
「よかったら午後は一緒にまわらない? たくさんの方が楽しいと思うけど」

彼女たちは間違いなく、俺たちが男同士で来たと思っている。

「ああ、うちの学校の生徒じゃないんだ。久しぶりに会ったからできれば――」

礼央があわてて説明するけれど、四人の視線はくぅちゃんに向いたままだ。

くぅちゃんはこちらの気配で、このままでは済まないと思ったらしい。キャップのつばに手をかけ、うつむき加減に振り向いて会釈した。それを隠すように礼央が「あのさあ」と、間に割り込む。

「え?! もしかして?!」

元山が叫ぶような声をあげた。その勢いで礼央を押し退け、一気にくぅちゃんに迫る。

Kuran(クラン)ちゃん?! Kuranちゃんだよね?!」

「えっ?!」という声が残った三人からあがる。通りかかったひとたちが何事かと視線を向けた。向こうのテーブルでしぃちゃんがはっと顔を上げたのも見えた。

あっという間に四人は俺たちから離れ、黄色い声をあげてくぅちゃんを取り囲んだ。

「Kuranちゃん! すごい! 本物!」
「カッコいい! いつも応援してるよ~」
「男の子かと思った! でもすごいカワイイ!」

仕事で慣れているのだろうか。くぅちゃんが屈託のない笑顔で話を合わせているのはさすがだ。

振り返ると、しぃちゃんが慌てた様子でテーブルの上を片付けている。俺はその姿をおろおろした気分で見ているだけで、どうすべきなのか決められないし、彼女がどうするつもりなのかも分からない。

――どうしたらこのハプニングをやり過ごせる?

あの子たちはくぅちゃんに会って満足したら、いなくなってくれるのか? それともますます「一緒に」と言われる? しぃちゃんはどうなる?

ああ、何もかもごちゃごちゃだ!

「でも、どうして礼央くんたちと一緒にいるの?」

耳に飛び込んできた質問。一番訊かれたくなかったやつだ。

俺と礼央が覚悟を決める前に、女子たちがさっとあたりを見回した。そして。

「紫蘭」

道中が鋭い声で呼びかけた。その視線を追って、あとの三人も近付いてくるしぃちゃんを見つけた。しぃちゃんは微笑みを返したけれど、その笑顔が普段よりも弱々しく見えるのは思い違いじゃないと思う

「偶然だね。四人で来たの?」

しぃちゃんも、四人とも顔見知りらしい。

「まあね。紫蘭たちも四人で?」

元山の声の調子に胃のあたりがざわりとした。そう言えば、さっきまで聞こえていたほかの三人の声が消えている。

一、二秒の間のあと、しぃちゃんが「うん」と小さくうなずいた。

「へえ。あたしたちとはいつも日程が会わなかったのにね?」

しぃちゃんに向けられたわざとらしい表情と言葉が俺の胸にも突き刺さる。

元山を取り巻く三人は多少の戸惑いを見せつつも、しぃちゃんに向ける視線は責めるような色をたたえている。

「あ……、ごめんね」

しぃちゃんがうつむいてしまう。

――どうしよう?

女子たちの尊大で不機嫌な態度が怖い。不安で息苦しさも感じる。

こんなふうに怖じ気づいている自分が情けないけれど、何を言っても反撃されそうだし……。

「あ、あのさ」

礼央が軽い口調と笑顔で割って入った。

「これは、俺から頼んだんだよ。しぃちゃんは仕方なく――」
「へえ、そうなんだ?」

元山が勝ち誇ったような顔をしぃちゃんに向けた。説明した礼央ではなく。

「男子の頼みだったらきいてあげるんだね。なんかさあ、下心見え見え」

ぱっとしぃちゃんが顔を上げた。そこに広がっているのは驚愕の表情。

「べつに男子とか女子とかは――」
「関係あるでしょ? あたしたちが何度頼んでも会わせてくれなかったのに、礼央くんはOKなんだから」

しぃちゃんの言葉は最後まで聞いてもらえなかった。口を封じられたようなしぃちゃんに、ほかの三人も厳しい目を向ける。

「そうだよねぇ。あたしたちにはいつも『都合が悪い』って即答で」
「毎回じゃ、嘘だって分かるよね?」
「そうそう。あたしたちのこと、馬鹿にしてる証拠」
「適当にあしらっておけばいいやって思ってるよね?」
「あの……そういう言い方、やめようよ」

ようやく声を出せた。心臓がバクバクして汗が噴きだしてくるけれど、これではあまりにもしぃちゃんがかわいそうだ。

「もともとは偶然で――」
「景ちゃんも礼央くんもやさしいからね」

強い視線と声が今度は俺に向けられる。思わず“怖い”と思って、言葉が止まってしまう。

「紫蘭の真面目そうな雰囲気に騙されてるんだよ。『あたしは男の子に興味ありません』って顔して、こっそり(こび)売ってんじゃん。あたしたちよりよっぽどしたたか」

勢いに飲まれてしまった俺の前で、名前の分からない女子が元山の腕にそっと手をかけた。ちらりと周囲に向けた視線の様子では、もうこの辺でやめた方がいいと思ってくれたようだ。通りかかる人たちがさり気なく俺たちを見ているから。

元山は一瞬、その子に怒った目を向けたものの、すぐに力を抜いてうなずいた。少しは言い過ぎたと思ってくれただろうか。

礼央と俺に気まずそうにうなずいて、四人は足早に去っていった。

「……ごめんね」

しぃちゃんの声。弱々しい、悲しげな声だ。

「あたしがもっとみんなと上手に付き合えてたら……」
「しぃちゃんのせいじゃないよ」

これだけはちゃんと言わなくちゃ。さっきは何の助けにもならなかったのだから、今は。

「向こうだって、くぅちゃんに会いたくてしぃちゃんを利用しようとしたんだろ? それを断ったからって、文句を言われる筋合いはないよ」

言いたいことはほかにあるような気がするのに、言葉にできたのはこんな分かり切ったことだけ。

後ろから「しぃちゃん」と声がして、くぅちゃんがしぃちゃんの前に進み出た。

きらきらと光る瞳とその決然とした表情は見覚えがある。初めて会ったあの日、それは礼央に向けられていた……。

「どうしてあんなこと言われて黙ってるの? しぃちゃんは悪くなんかないよね? ボクを守ってくれてたんでしょ?」

――やっぱり怒ってるみたいだ……。

だけど、その対象はしぃちゃん? さっきの女子たちじゃなくて?

驚いているのは礼央も同じらしい。呆気にとられた様子でくぅちゃんを見ている。

「正しいことならちゃんと言い返してよ。男子に媚売ってるなんて言われて黙ってるしぃちゃんなんて嫌だ。ボクのために我慢なんかしてほしくない。ボクは覚悟できてるんだから。間違ったこと言われてるのに怒りもしないで謝るだけのしぃちゃんなんか見たくないよ」

息継ぎで、くぅちゃんの言葉が途切れた。

我に返った礼央と視線を交わす。お互いにいい考えが浮かんでいないことが判明し、急いで考えなくちゃと思ったそのとき、礼央の腕をくぅちゃんがつかんだ。

「行こう、礼央」
「え?」

展開について行けずにあわてる礼央。その腕を、くぅちゃんが「早く」と引っ張る。

転びそうになって向きを変えながら、礼央が俺に向かってうなずいた。俺も心の中で「分かった」とうなずく。礼央はくぅちゃん、俺はしぃちゃん。ふたりが落ち着くまで話さなくちゃ。

園路を曲がってふたりが見えなくなり振り向くと、しぃちゃんはうつむいて肩を落としていた。力なく下がった腕の下でワンピースの輝くような白さが悲しい。

「ごめん、景ちゃん」
「俺に謝る必要なんてないよ」

少し先のベンチに彼女を誘導する。そのあいだも彼女は顔を上げなかった。

「気にしないほうがいいよ」

ベンチに落ち着いてからそっと伝えた。けれど、しぃちゃんはうつむいたまま動かない。

「元山たちはしぃちゃんを傷付けようとして、わざと酷い言い方をしてるんだから」

そう。あれは悪意で捻じ曲げられた言葉だ。

言葉は怖い。ひとつの事実をどんなふうにでも表現することができる。あるときは大袈裟に。あるときは裏の意味を滲ませて。

傷付けることも、怖がらせることも、疑惑を植え付けることも可能だ。

「ん……、そうかも知れないけど」

しぃちゃんがつぶやくように言った。

「やっぱりあたし、ダメなんだよね。いくら頑張っても、ちゃんとみんなに馴染めなくて。だからあんなふうに言いたくなるんだと思う」

深い深いため息をついてから、ようやく彼女が俺を見てくれた。そこに浮かんだ微笑みは、穏やかなのに空っぽに見える。

「ごめんね、変なことに巻き込んじゃって。景ちゃんも礼央くんも、……くぅちゃんだって悪くないし、関係ないのにね」

もう一つため息をついて、視線を遠くに向けた。

「あたしがダメで、弱虫なだけなんだ。結局、自分のことしか考えてないんだよ。ほんと、やなヤツ。なのに男の子と出かけるなんて、図々しいよね、ふふふ」

苦々しく笑うしぃちゃんを見ていると胸が痛くなる。

頭に浮かぶ励ましの言葉は彼女を癒すには不十分な気がして、片っ端から却下している――。