「ねえねえ、次はなんだろう? 何だと思う?」

礼央が目を輝かせて俺たちを追い越して行く。そのうきうきした表情と足取りは、礼央の弟の太河にそっくりだ。

しぃちゃんとくぅちゃん、そして礼央と俺の四人が集まったのは6月の最初の日曜日。しぃちゃんたちが訪問先に選んだのは動物園。

今、四人の中で一番はしゃいでいるのは礼央だ。朝まではそれほど動物に興味はなさそうだったのに、入園して最初にオオアリクイを目にした途端、豹変した。

「なにこれ?! しっぽが箒みたい!」

そう言ったきり、目を丸くして見入ってしまったのだ。そこから礼央のスイッチが入った。

どの動物も礼央には驚くべき存在で、魅力的に映るらしい。それぞれの解説を丹念に読み、うっとりと見つめている。中でも大型のネコ科動物と猛禽類が気に入ったらしく、「さわりたい~!」とガラスごしに残念がった。

そろそろ梅雨入りかという空は厚い雲で覆われていて、気温はさほどではない割に蒸し暑い。四人とも折り畳み傘を持ち物に加え、朝のあいさつは「とりあえず、降らなくてよかったね」だった。

くぅちゃんは今回も男の子みたいな服装で来た。前回と同じように黒いキャップにジーンズ、違うのはシャツが淡いグリーンということくらい。しぃちゃんは白いワンピースに薄い色のジーンズを合わせ、清楚で可愛らしい。

待ち合わせた駅で、明るい表情で「礼央!」と手を振ったくぅちゃんは、友だちとの久しぶりの再会を喜ぶ姿そのもの。それを見た礼央は嬉しそうでもあり、照れくさそうでもあり、困惑気味でもあり……、複雑な表情を浮かべた。まあ、私服のしぃちゃんとあいさつを交わしたときの俺もきっと同じだな。

バスに乗って動物園に到着すると、駐車場はかなり埋まっていた。入り口からも家族連れやカップルがどんどん入っていく。

混んでいるかと覚悟したが、中に入ってみるとそれほどではなかった。敷地が広大なので、来園者がばらけてしまうらしい。子ども時代にこの動物園に来た思い出が、動物ではなく、たくさん歩いた、という印象だけだったことに今さらながら納得した。礼央がそこそこはしゃいでいてもあんまり恥ずかしくない。

「フクロウだ! めっちゃカワイイよ!」

礼央が大きなケージの前で振り返って呼んでいる。くぅちゃんがどちらかというと礼央を笑いながら走り寄って隣に並んだ。一緒にケージをのぞき込んでいる後ろ姿が微笑ましい。

そこにぶらぶら歩いて近付いていく俺の隣には穏やかに微笑むしぃちゃんがいる。

ああ、なんて完璧なシチュエーション!

このまま一日が無事に終わったら、別れ際に俺の気持ちを伝えちゃったりできるかも。そうしたら、これからはふたりで出かけることもできるし、学校で話すときだってもっと……うわ、ドキドキする!

でも、考えてみたら今だってチャンスかな。礼央とくぅちゃんは俺たちのことなど気にしていない。何を話しても――。

「あ、あの花」

しぃちゃんの声。視線は植え込みの下のあたりに向いている。

「どれ?」
「あの細い葉っぱの中に咲いてる紫色の」

たしかに細い葉っぱがわさわさと茂ったところから何本もの細い茎が伸び、五センチくらいの赤紫色の花が数個ずつついている。

「あれ、あたしたちの花」
「しぃちゃんたちの?」
「そう。シランっていう名前の花。で、別名がコウラン。漢字があたしたちと同じ、紫の蘭と紅色(べにいろ)の蘭なの」
「へぇ。しぃちゃんとくぅちゃんって同じ花の名前なんだ?」

アピールするような豪華さはないけれど、濃い緑色の葉の中に花の赤紫がよく映えて、とても目を引く。じっくり見ていても飽きない不思議な魅力がある。

「地味な花でしょう?」

そう言ったしぃちゃんの横顔にはっとした。なぜか淋しそうに見えて。

「地味っていうのとはちょっと違うかな。何か、強さを感じる」
「強さ?」

見上げた彼女にうなずく。

「うん。自分はここにいるって……静かに主張してる感じ?」
「静かに主張……」

つぶやいて、しぃちゃんが視線を花に戻した。

「でも、俺が思ってたのとは違うな」
「え?」

彼女の視線が戻って来る。

「俺、しぃちゃんを見たとき別な花を思い浮かべた。菖蒲(しょうぶ)の花」
「菖蒲?」
「そう。アヤメと似てるやつ。本当の名前は花菖蒲らしいけど。うちのじいちゃんちに咲くんだ。俺の好きな花――」

――しまった!

好きな花に似てるなんて言ってしまった。引かれちゃったら……いや、大丈夫みたいだ。不思議そうな顔はしているけれど。

さっさと話を進めてしまおう。恥ずかしいし。

「しぃちゃんの姿勢のよさが似てるなあって。きれいな立ち姿でさ、こう……凛としてて」
「あ……りがとう」

面食らった表情をされてしまった。あんまり嬉しくなかったのかな。

褒めるところが間違っていたのかも知れない。やっぱりダメだな、俺は。……でも?

「びっくりしっちゃったな」

彼女が笑い出した。くすくすと楽しそうに。

「自分が何かの花に似てるって言われるなんて思ってもみなかった。そんなひとがいるなんて。それに、景ちゃんが花の名前を知ってることが意外」
「ああ、そこね」

自分が花に――という部分は触れないことにする。そんなことを語らせる必要はない。

「うちのじいちゃんち、庭に池があってさ、和風の庭になってるんだ。そこに生えてる」
「和風庭園……」
「あ、もしかして京都の寺みたいなの想像してる? 違う違う、普通の家の庭より少し広い程度だから。じいちゃんち農家でさ、家の敷地は広そうでも半分以上は作業とか車置いたりで使ってるし。その端っこに池と築山がある感じ」
「へえ……」

しぃちゃんが曖昧にうなずく。見たことがないと、よく分からないだろう。

ドラマなどでは庭に池があるのは金持ちの家と決まっていて、そういうのは手入れが行き届いている。けれど、じいちゃんちの庭は古くて、まさにただ“ある”というだけ。

地面は土がむき出しのところがほとんどで、大きな石と植え込みがちょっとある程度。子どものころ、俺と諒はじいちゃんちに行くたびに、二メートルくらいに盛られた築山の石と木の間を登ったり降りたりして遊んだ。乾いた土で埃だらけになるし、池に足を入れてしまったことだってある。

「ねえ?」

いつの間にか思い出に浸っていた耳にしぃちゃんの声が聞こえた。

「くぅちゃんはどんな花を思い浮かべる?」

彼女の瞳が楽し気にきらめく。俺が花菖蒲以外の花を知っているのか試しているのかも知れない。

「そうだなあ……」

礼央と並んでにこにこしているくぅちゃんを確認してみる。彼女のイメージは?

一重(ひとえ)のバラかな」
「バラ? 一重の?」

しぃちゃんが意外そうな顔をした。

「うん。色は白……じゃなくて赤かピンクかな。最初の印象ほどクールじゃないから」
「景ちゃん、意外と知ってるんだね。バラって言ったら、一般的に思うのは花屋さんで売ってる花びらが重なってる方なのに」
「ああ、うちに咲いてるからね」

すぐに種明かしをしてしまう。

「うちの母親がバラを育てるのが趣味でさ。だからバラだけはたくさん見てるよ。個別の名前はよく分からないけどね」
「そうなんだ……? バラがたくさんあるお家なんて、なんだか素敵」
「そう? じゃあ、そのうち見においでよ」

――と。

また口が滑った! 家に遊びに来いだなんて!

「うん……、そうね、機会があれば」

これはたぶん困っている笑顔だ。そんなに仲良くしてるつもりはなかったんだ。ああ、失敗した!

「い、いちごが遊びに来たときには、よくお土産にあげるんだよ」

これでどうか、バラを見に来るのは何でもないことだと思ってくれますように!

「お土産に? バラを?」
「うん。だって、たいてい大量に咲いてるんだもん。そんなに大きな庭じゃないのにさ」

彼女が感心した様子でうなずいた。どうにか納得してくれたようでよかった。

でも……。

この様子だと、俺の気持ちを伝えるのはまだ早いかな……。




「あー……、動物園がこんなに楽しいなんて思わなかったー……」

空になったトレイの乗ったピクニックテーブルで、礼央が大きな伸びをした。雨は降らずに午前が過ぎ、今は昼ご飯の休憩中。

隣で頬杖をついたくぅちゃんが、そんな礼央にからかうように声をかける。

「最初は馬鹿にしてたくせに」
「ごめん。反省してます」

素直に頭を下げる礼央を三人の笑い声が取り囲んだ。

「お土産欲しいなあ。ぬいぐるみ」

つぶやいた礼央に「太河に?」と尋ねると「え? あ、そうか」としゃっきりした。考えていたのは自分用だったようだ。

ペットボトルを買いに行くとことわって立ち上がると、礼央が一緒についてきた。売店でぬいぐるみを見つけた礼央のテンションがまた上がり、つい俺も足を止めてしまう。

思ったよりも時間が経ったらしく、園内マップを持ったくぅちゃんが「遅いよ!」とやって来た。謝る俺たちと一緒に店を出ながら「こっちの売店にぬいぐるみがたくさんあるらしいよ」とマップを指し示す。

「だから、これからこの道を行って……」
「あれ? 礼央くん!」
「わあ、ほんとだ! 景ちゃんも」

いきなり名前が呼ばれた。あっという間に駆け寄ってきた女子数人。見覚えのある顔はうちのクラスの――。

「あ、このみちゃんたち……」

道中(みちなか)このみと元山(もとやま)泉美(いずみ)。あとのふたりは俺は知らないが、顔の広い礼央は名前も知っているらしい。いかにも道中たちの友だちという雰囲気の、賑やかで、おしゃれにも気を配っていますというメンバーがそろっている。

俺の苦手なタイプ……と思いながら不安で体温が下がった気がした。

しぃちゃんたちと一緒に来ていることを知られるのはまずいのではないだろうか。特に道中と元山はくぅちゃんに会わせてもらえないことに陰で文句を言っていたし、もしかしたらあとのふたりも、あのとき一緒にいた相手かも知れない……などと考えている間にくぅちゃんは静かに離れていった。

大丈夫だろうか。このまま切り抜けられるのか?

そっと礼央の様子をうかがうと、めずらしく緊張した顔をしている……。