「え?! ほんとに?! 景、ほんと?!」

礼央が俺の肩をつかんで揺さぶった。

「う、うん、ほんとだってば。早く、知り、たいだろうからって、しぃちゃんが――」

首ががくがくして舌を噛みそう。危ない。

しぃちゃんからの伝言を伝えたらこの狼藉だ。部活の前に伝えるつもりだったけれど、ほかの部員が一緒だったから今になってしまった。練習が終わって、もう道具の片付けも終わりだ。

「よかった! 言ってみてよかった! 景、ありがとう!」
「お、おう……、苦し……」

今度はいつものハグだ。いや、いつもより力が三割増しくらいかも。

「何やってんだよ?」

体育館の倉庫から出てきた高砂が呆れた顔をすると、礼央はやっと放してくれた。

「礼央にいいことがあったらしいよ」
「いやあ、まだスタートラインってところなんだけど」

妙に照れている礼央に、高砂が疑り深い表情を向ける。

「礼央から恋のにおいがする」
「恋のにおい?」

恋という言葉に胸の中をやすりでこすられたような気がした。しぃちゃんと礼央の間に恋は入り込まないはずだと、何度も自分に言い聞かせてきたのに……。

俺の表情を見た礼央が慌てた様子でささやく。

「景にはあとでちゃんと説明するから」
「うん」

やっぱり信じて待つしかない。それに、この様子だと、高砂には話すつもりはないらしい。ということは、帰り道でも聞けないということだ。まあ、仕方ない。

家に着いてしばらくすると、礼央から電話がかかって来た。間髪を入れず出た俺に、礼央は笑いながら『学校で話せなくてごめん』と謝った。それから、いよいよだと耳を澄ましている俺に――。

『景、しぃちゃんと連絡取ってるんだね』

――!!

そこを指摘するか? いきなり? 注目すべきはそこじゃないはずなのに!

それに、連絡っていったって、やっと今日になって……というところだ。それにただの近況報告で。何か進展があったわけじゃない。なのに、言い当てられて頬が熱くなるのはどうしてなんだろう?

でも、こんなところで躓いてちゃいけない。俺のことよりも、今は礼央の話だ。

「しぃちゃんが、礼央が早く結果を知りたいだろうからってメッセージくれたんだよ」
『そっか。親切だねえ、しぃちゃん』
「うん」

そうだ。いい子なんだ。だから、何を頼んだのか教えてくれ。

『実はね』

うん。

『連絡先を教えてもらえるかな、と思って』
「連絡先?」

そんなの学校で済む話では? どうしてしぃちゃんは返事を保留する必要があったんだ? すぐに教えられない理由は――。

『あ、しぃちゃんじゃないよ。くぅちゃんの』
「あ」

そうか! くぅちゃんの連絡先……。

『もちろん、しぃちゃんに教えてもらうことはできるけど、くぅちゃんが嫌かも知れないから、本人に訊いてもらったんだ』
「そうか……」
『この前はさ……』

礼央が小さく息をついて続ける。

『楽しかったけど、俺の第一印象、最悪だっただろ? 自信なくて』
「でも、ちゃんと謝って挽回したじゃん」

あんなに楽しそうにしていたのに自信がないなんて! くぅちゃんだって許してくれていたと、俺は思う。

『うん、まあ……。それだけじゃなくて、くぅちゃん、芸能関係の仕事だから、訊いちゃいけないかな、とか思ってさ。もう二度と会わないかも知れないし。だけど、もう会わないと思うと、逆にもう少し話したいなあ、とか、もっと知りたいなあ、とか考えちゃうんだよね。休み中、ずっとそればっかりで』
「そうだったんだ……」

映画に行ったのはゴールデンウィーク初日だった。連休前半は部活がなくて、俺も礼央とはほとんど連絡を取っていなかった。その間、礼央はくぅちゃんのことを考えていたんだ。

『それで、思い切ってしぃちゃんに頼んだんだ。くぅちゃんに訊いてもらえないかって』
「緊張した?」
『もちろんだよ。なるべく重くならないように話したつもりだけど……』
「で、OKの返事もらったってわけか。よかったな」
『うん。景のお陰で一日早く返事もらえた。ありがとう』

嬉しそうな声。俺も嬉しい。

『あ、でもまだ、どうなるか分からないよ? ずっと仲良しの友だちのままで行くかも知れないし……』
「くぅちゃん、男の子の格好してたからね、あの日」
『うーん、俺も、そのせいもあって気が合ったのかなって思ったりするんだけど』

あの日、礼央とくぅちゃんは楽しそうにふざけ合っていた。太河も一緒に大笑いして。俺から見ても気が合っていたのは確かだと思う一方、礼央が言うとおり、あれがどう発展するのかは俺にも分からない。

『しぃちゃん、景にも何を頼まれたのか言わなかったんだね』
「うん。返事だけ伝えれば分かるって」
『いい子だねぇ、しぃちゃん』
「そうだよ」

思わず声に力が入った。

しぃちゃんはいい子だ。自分を利用しようとする相手を恨むこともなく、劣等感に浸ることもなく――あ。

違う。強いんだ。

傷付くことがあっても、自信が持てないときでも、その場で倒れたままではいない。顔を上げて、前に進むために必要なことを考えている。

しぃちゃんに会ったばかりのころ、俺は彼女が菖蒲みたいだと思った。彼女の姿勢の良さと凛とした雰囲気が、まっすぐに立つ菖蒲に似ていると。

今、あらためて似ていると思う。芯に強さを秘めて、静かな瞳ですっくと立つ彼女。俺はそこに惹かれている――。

『そう言えば、帰りの電車で図書委員会の一年生に会ったよ』
「図書委員会の一年生?」
『うん、女子二人。景のこと、あれこれ訊いてたよ』
「ふうん」

女子二人っていうと、あの二人かな。俺のことを訊いたって、面白い話なんてないと思うけど。

『高砂が例のごとく張り切っちゃってさあ、話はほとんど引き受けてくれた』
「じゃあ、賑やかだったんだな」

礼央も話し上手だけど、高砂の方が笑わせるのが上手い。そして、高砂のその技術は完璧に女子用なのだ。あの二人だったら、高砂のいい相手になったに違いない。

「あ、俺からしぃちゃんに礼央の連絡先を送ろうか? そうしたら、今日中にくぅちゃんから礼央に連絡くるかも知れないよ」
『ああ……、そうだなあ……』

ついでに、俺がしぃちゃんと連絡をとる理由ができるって――。

『今日はいいや。やめとく』
「あ、そう……?」
『何もリアクションがなかったら、それはそれでショックだから。明日、しぃちゃんに教えてもらうまで待つよ』

確かにそうだ。相手がただ忙しいだけだったとしても、無視されたのかも、なんて考えてしまう。

『景、ごめんね』
「何が?」
『しぃちゃんに連絡するチャンス潰しちゃってー。あははは』

バレてたか! さすが礼央!

「え? いや? そんなこと考えてなかったけど、言われてみればそうだなあ」
『あー、景、やっと認めた。しぃちゃんと仲良くなりたいって』
「うぇ? あれ? い、言ってなかったっけ? まだ」

俺って往生際が悪いヤツだったんだな……。

――俺ももう少し頑張ろうかな。

電話のあとに考えた。

いつまでも探ってばかりじゃどうにもならない。そりゃあ、少しは進んでいるとは思うけれど、きっと牛の歩みよりもゆっくりだ。

礼央は結果は分からないと言いながらも行動に出た。俺は礼央よりもチャンスがたくさんあるのに迷って足踏みばかりしている。仲良くなりたいと思っているのは間違いないのに。

――これからは、前に進まなくちゃ。

俺の性格だと関係が悪くなったときのことを考えずにはいられないから、やっぱり探り探りになってしまうだろうとは思う。でも、しぃちゃんに俺のことを好きになってもらえるように――って!

――しぃちゃんが俺を? 好きに? いやあ、そんな!

それは滅茶苦茶嬉しいぞ。「景ちゃん」と呼ばれるとき、あるいは見つめられているときに、彼女が俺を好きだって分かっていたら……そりゃすごいことだ!

なんだか頑張りたくなってきた。目標が具体的になると気持ちが全然違う。

明日からの学校生活が変わる予感がする。勉強と部活の日々に、新しい緊張とときめきが加わる。

――失敗もするんだろうなあ……。

そうだ。するさ。当たり前だ。俺なんだから。

でも、挑戦しなくちゃ何も変わらない。やってみなくちゃ。

ただ……。

何から始めればいいんだろう? それが問題だ。