学校生活が始まってみると、いちごは恐れていたほど絡んでこなかった。俺は笑いのネタに使われることもなく、安心して人間関係を築きつつある。ただ、大鷹紫蘭との接点が消えていきそうなのが少し残念だ。
いちごと大鷹は席が並んでいるからか、休み時間もそのまましゃべっていることが多い。そこにほかの女子がくることもよくあって、中でも目立つのが元山と道中という二人組みだ。
あきらかにお洒落に気を使っているふたりは、見た目でも言動でも男子から注目されている。まあ、俺はあまりにも“女子”なタイプは苦手だから、仲良くなりたいとは思わない――って、向こうは俺など見えていないだろうから、その心配はない。そのふたりがいちごたちと話していると、度々「Kuranちゃん」という言葉が聞こえてくる。たぶん、モデルをやっているという大鷹の双子に元山たちが興味があって、話題に出ているのではないかと思う。
そんなとき、大鷹がどんな気持ちなのだろうと気になってしまう。本人は笑顔でいるけれど、ほんとうは傷付いていないだろうか、と考えてしまって。見ていることしかできない自分に、胃のあたりがモヤモヤする。
そんな数日を過ごしたあと、突然、チャンスが転がり込んできた。ふと、新しいことをやってみようと手を挙げた図書委員で大鷹と一緒になったのだ。
「鵜之崎くん、本好きなの?」
放課後に第一回目の委員会に向かう廊下で大鷹が尋ねた。適度な距離をおいて俺を見上げる彼女との間に、今日はいちごはいない……と言っても、いきなり個人的な話を切り出せるほど積極的な俺ではない。
ポニーテールにまとめられた髪のせいか、彼女のすっきりとした顔のラインと美しく伸びた背すじが印象的だ。セーラー服越しでも分かる華奢な体型だけれど、きれいな姿勢と落ち着いた表情からきりりとした強さを感じる。
「あー、本はあんまり読まないんだけど……」
言葉を選びながら、俺もそっと姿勢を正す。
同じ委員会に決まった瞬間から何度か考えた。「本が好きだから図書委員」と言ったら好感度上がるかなって。でも、そんなことをしてもすぐにボロが出るだろうし、いちごからバレてしまう可能性も高い。その程度のことで嘘つき認定されるよりは正直に言ってしまう方がいい。
「今年は何かやってみようかなって思ったときに、小学校で図書委員をやったことを思い出して」
「ああ、小学校か」
「うん。ほら、あのバーコードでピッとやるやつ。みんなあれがやりたくて、図書委員は人気だったよ」
そこで、彼女が微妙な表情で俺を見ていることに気付いた。もしかして、何かおかしなことを言っただろうか。
――え?
突然、大鷹がニヤリとした。まるでいちごが俺に向ける笑顔みたいな人の悪い微笑み。
「そんな感じだと、ちょっと大変かもね」
「え? え?」
焦る。何か俺、委員会の説明で重大なことを聞き逃していたのかも? そしてあの笑い方は良い兆候? 悪い兆候?
迷っている俺を置いて、彼女は階段を下り始めた。図書館は同じ棟の2階だ。遅れないように後を追う。
「もしかして、図書委員の仕事って難しい? 俺、できそうにない?」
「ふふ、できなくはないよ。今までもみんなやってるもん」
大鷹が笑って答えた。
「あ、そうか」
よく考えてみたらそのとおりだ。通常の委員会に特殊技能なんて求められているわけがない。
「それならいいや。やればできることならちゃんとやるから」
自分でやると決めた委員会だ。手抜きをするつもりで手を挙げたわけではない。
気がつくと、今度は彼女が階段の途中で止まっていた。今度は目をぱっちり開けて俺を見て。
「あれ? なに?」
またしても不安になる。「やればできることなら……」などと大風呂敷を広げた俺に呆れているのだろうか。
彼女がぱちっと瞬きをして我に返った。すぐに隣まで下りてきて――ふわりと微笑んだ。
「そうだよね。やるかやらないか、だよね」
そのまま軽やかに階段を下りていく。
「あたしも、がんばろ」
ぽん、と踊り場に飛び降りた。振り向いて「ね?」とにっこりする。
「うん」
もしかして、ちょっとは評価が上がったのだろうか。そんな顔されたら、俺もとにかく頑張るしかない。
「……ねえ?」
次の階段にさしかかったとき、少し遠慮がちな声がした。
「いちごの近所に住んでるって聞いたけど……」
「ああ、うん。幼稚園の前から知ってるよ」
「じゃあ……、幼馴染み、とか?」
「うん、そう。ほんとうに毎日遊んでたよ」
遊んだし、ケンカもした。危ないことをして一緒に怒られたこともある。
――ん?
大鷹が今度はなにやら難しい顔をしている。
「どうした?」
嫌な予感。俺が小さいころの何かを聞いたことがあるのだろうか。何か、大鷹が許せないくらいひどいこと……?
「ちょっと、あの……訊きづらいんだけど……」
なんだろう? 公園でもらしちゃったことだろうか? いちごに虫を突きつけられて泣いちゃったことだろうか?
恐る恐る「なに?」と尋ねると、決意に満ちた表情が向けられた。
「もしかして、いちごの彼氏サンだったりする?」
「ええっ?! ち、ちげーよ!」
思わず階段を踏み外しそうになった。まさか、こんな質問をされるとは!
「俺じゃなくて兄貴! 聞いてない?!」
「え? お兄さん?」