「明日からは部活だねぇ」
鯛焼き屋に寄ったあと、礼央がのんびりと言った。連休後半は、毎日午後に練習が入っている。
「朝寝坊できるから、午後の部活はいいよな」
「景ちゃん、今でもたくさん寝るんだってね。まだ背が伸びるのかな」
その情報の出どころは諒か。俺の背が一気に伸びたころ、いちごにはさんざん「寝る子は育つってやつだ!」とからかわれた。
「あたしは最終日に諒ちゃんと出かけるんだ」
いちごが楽しげに言ってから、礼央に「景ちゃんのお兄さん、あたしの彼氏なの」と説明した。俺と幼馴染みだということは知っていた礼央もこの情報は――。
「そうじゃないかと思ってたんだ」
予想していたらしい。
「幼馴染みの彼氏がいるって聞いてたから、景の状況と併せて考えると……ね?」
そりゃそうか。
礼央にデートの行き先を尋ねられ、いちごはスマホを取り出した。
「美味しそうなパフェの店を教えてもらったから行きたいなー、と思ってるんだけど。ええと……ほら、これ。今、人気なんだって」
スマホの画面にはたくさんのパフェの写真。イチゴやメロン、マンゴーなど、つややかな果物が載っている。普通のパフェと違い、まっすぐな円柱形のグラスに入っているのが特徴的だ。
「一番上が生クリームとバニラアイス、その次がシャーベット、その下にブラウニー、で、フルーツソース、ミルクプリン、だって」
「すごいな」
礼央と同時につぶやいた。こんなパフェ、諒が食べられるのだろうか。いや、その前に、おそらく客は女子ばかりの店に諒は入れるのか?
「しぃちゃんは? くぅちゃんと行かないの?」
礼央が尋ねると、しぃちゃんは一瞬微妙な顔をしてから小さく笑って。
「いつかね。連休中は家から出られないし」
「家から……? あ、もしかして」
視線が俺に集まる。
「元山たちの誘いを断ったことを気にしてるの?」
くぅちゃんの名前が聞こえたとき、たしか、パフェの話で盛り上がっていた。いちごが行くのはその店なのだ。
「ああ……、まあ、そうね。知ってたんだ?」
「聞こえたから」
「そっか。家族で出かけるって言っちゃったからね。誰かとばったり会うと困るでしょ?」
苦笑いするしぃちゃんの横で、いちごが「あの子たちねぇ……」と顔をしかめる。礼央は俺を見て小さくうなずいた。体育館の陰から聞こえた会話を思い出したのだろう。
「誘ってくれるのはありがたいんだけど、初対面のひとばっかりの中に入るのは、くぅちゃんは好きじゃないんだ」
その気持ち、俺にも分かる。知らない相手と遊んでも、緊張が続いて疲れてしまう。想像するだけで気が滅入ってくる。
「『誘ってくれる』なんて言う必要ないよ」
いちごがぷりぷりしながら言った。
「自分の都合で紫蘭に近付いてるだけなんだから。ただ有名人に会いたいだけじゃん。で、自慢するとか、自分が注目されたいだけ」
当事者であるしぃちゃんが腹を立てない分、いちごが憤慨している。ふたりとも、元山たちがくぅちゃん目当てだととっくに分かっていたのだ。
「ときどきいるんだよねー。くぅちゃんに会いたいとか、内輪の情報を聞きたいっていう理由であたしと仲良くしてくれるひと」
しぃちゃんが遠くに視線を向けて、ゆっくりと言った。
「中学までは同じ学校に通ってたから、そういうことはなかったんだけどなあ……」
「去年は露骨だったよ」
いちごが鼻息を荒くした。
「最初は何するにも『一緒にやろう』って声かけてきてたグループが、紫蘭がKuranちゃんへの橋渡しは絶対にしないって分かったら、即、離れて行ったもん」
「ふふ。でも、いちごがいるから、あたしは安心していられたよ」
しぃちゃんに感謝の微笑みを向けられたいちごが、「だって、紫蘭はいい子だもーん」と頭を撫でた。その役は俺がやりたい……。
「残りの連休、ずっと閉じこもってなきゃならないんじゃ、つまんないね」
いちごが礼央と話し始めたので、自然としぃちゃんと並ぶ形になった。ふと、彼女の肩と自分の腕との隙間が気になってしまう。この幅は適切なのだろうか?
「ううん、そんなことないの。あたし、もともとインドア派だもん」
俺に向けられた自然な微笑み。ということは、今の距離でOKのようだ――と、ほっとした。
そう言えば、しぃちゃんは本を読むんだった。息をするのと同じ、と言っていたから、何時間でも読んでいられるのかも知れない。
「じゃあ、家にいるのも楽しいんだね」
「そう。でも、運動不足になっちゃうね。食べ過ぎないように気をつけなくちゃ」
にこにこしているしぃちゃんに心から感心してしまった。
だって、自分を利用しようとする友だちがいても動じないのだ。しかも、いつも笑顔で対応している。体は小さいけれど、元山たちよりも中身はずっと大人なのではないだろうか。
「あのね、」
不意にしぃちゃんが声を低めた。前を行く礼央といちごに聞こえないように?
「あたし、景ちゃんはやさしいって当たってると思うよ」
「え……?」
「さっきの、中学時代の話。あたしもそう思うもん」
澄んだ瞳で俺を見上げて、口許には親しげな微笑みを浮かべて。俺がやさしいって? そう思うって?
「え? え? 俺が? そうかな?」
なんだか妙に慌ててしまう。せっかくしぃちゃんが褒めてくれてるのに、こんな反応しかできないなんて!
「ええと、その、ありがとう」
もっと格好良く振る舞いたかった。でも、そんなふうに面と向かって言われたら、照れくさいに決まってるよ。だけど……。
しぃちゃんはさっき、やさしい男がタイプだとは言わなかった。
つまり、やさしいと認定されたことと、しぃちゃんが俺を好きになってくれるかどうかは関係ないってことなのかな……。
駅で、上り電車に乗る礼央としぃちゃんと別れた。いちごとしゃべりながら反対のホームにいるふたりの姿をこっそり探すと、九重生の集団の向こうにいるのが見えた。
ふと、礼央のさわやかさにあらためて気付いた。笑顔も立ち姿も垢抜けていて、姿勢の良いしぃちゃんと並んだ様子は青春ドラマの一場面のようだ。
そう言えば、礼央がしぃちゃんに何か頼みごとをしたと言っていた。あれはいったい何なのだろう……。
いちごとくだらない話をしながら電車に乗り、家の近くでひとりになると、一気にこの二日間の記憶が浮かんできた。自分が出場したソフトボールのプレーや他のクラスの女子にも応援されていた礼央のこと、女子たちに広まった俺の呼び名のこと、そして……しぃちゃんのこと。
――嬉しそうだったなあ。
バレーボールの試合のあと、初めて試合を楽しめたと言ってくれたしぃちゃん。俺のほんの少しのアドバイスを喜んでくれたことがとても嬉しかった。そして今は、その喜びを全身で表現していた彼女が……なんだかとても愛おしく思える。
ほんとうは球技大会中にもっと彼女と話せるんじゃないかと思っていた。でも、チームが違うとタイムスケジュールが違うから、そう上手くはいかなくて残念だった。だけど、今日は一緒に帰れたし……もしかしたら、いちごのお陰なのかな? でも、感謝しろとは言われなかったから、やっぱり偶然かな。
駅で並んでいたしぃちゃんと礼央。離れていても、和やかで楽しげな雰囲気が伝わって来た。俺よりも礼央の方がしぃちゃんとは……?
――いやいや、だめだ!
他人と比較しない約束だった。……でも、これは俺が比較してるんじゃなくて、しぃちゃんが礼央と俺を比較するってことか?
いや、それはきっと、ない。
だって……例えば、俺はしぃちゃんとくぅちゃんの優劣を比べたりしない。それぞれに個性があって、それぞれにいいところがあると思うから。いちごや礼央のことだって、誰かと較べて信用するかどうか決めたわけじゃない。
友だちは比較して選ぶんじゃない。条件がいいから仲良くするとか好きだとか、そういうものではないはずだ。しぃちゃんもきっとそう思ってる。
いずれ社会に出たら、条件で誰かを判断する場合もあるのかも知れない。でも、今の俺たちにはそんな判断は必要ないはずだ。もしかしたら、学校というところは、“誰をどう信じるのか”を勉強する場でもあるのかも知れない。
誰をどう信じるのか……。
考えてみると、しぃちゃんはその判断を俺よりもたくさんしなくてはならないのだ。くぅちゃん目当てに近付いてくる友だちがいるから。
そして、相手に下心があると分かっても、無視したり頑なな態度で接したりすることはきっとできない。これは俺の印象に過ぎないけれど、しぃちゃんはそういうことは苦手そうな気がする。
俺は今までのところ、諒目当てで近付かれたという経験はない。自分の劣等感で、勝手に悪いことを想像してびくびくしていただけだ。
――しぃちゃんとゆっくり話したいな……。
こま切れの時間では物足りない。話したいという気持ちがどんどん膨らんでいくばかりだ。
彼女と話すと楽しいというだけじゃない。彼女のいいところが俺に流れ込んできて、新しい世界が広がるような気がする。
しぃちゃんの魔法だ。俺を導いてくれる魔法。
……なんて理由は関係なく、ただ、たくさん、ふたりきりで話したい、かな。