「礼央くん! 景ちゃん! 部活ないんでしょ? 一緒に行かない?」

帰ろうとした俺たちに声が掛かった。振り向くと、十人ほどのクラスメイトがこちらを見ている。球技大会の打ち上げと称して遊びに行こうと話していたグループだ。

「んー、今日はやめとく。また今度ね」

礼央が慣れた様子でにこやかに手を振る。俺も真似して軽く手を上げ、「ありがとう、申し訳ない」という顔をしてみせた。でも、内心非常に面食らっている。

「どしたの、景? なんか妙な顔してる」

教室を出ると、礼央が俺の顔をのぞき込んで尋ねた。

一瞬迷ったけれど、礼央には素直に話すことにした。礼央に向かって格好つける必要などない。

「ちょっとびっくりして。俺、女子から遊びに誘われたの初めて」
「え? そうだっけ?」

礼央が首を傾げる。

「そうだよ。一緒にいても、声が掛かるのはいつも礼央だけだったから」
「あれは景も一緒にって意味だよ?」
「違うよ。まあ、おまけ的に、俺が『行く』って言えば断らないかも知れないけど」

そこで気付いて付け足す。誤解されないように。

「べつに俺、女子と遊びに行きたいわけじゃないよ? そういうの苦手だし。ただ、俺は見えないんだなあって思ってただけで」
「何が見えないの?」
「わ?!」

いきなり聞こえた女子の声。女子に関する話をしていたのに、なんて間が悪い! 恐る恐る振り向くと、いちごがにこにこしていた。その後ろには――。

「あ、しぃちゃん」

名前を呼ばれた彼女が「球技大会お疲れさま」とにっこりする。凛とした声がその場の空気を浄化したような気がした。

礼央が「もう帰るの?」と尋ねた。このふたりもクラスの打ち上げには行かないらしい。

「たい焼き屋さんに行くの」

しぃちゃんが嬉しそうに答えた。その笑顔につられて俺まで嬉しくなる。

うちの学校で「たい焼き屋」と言えば、駅との間にある住宅街の片隅でひっそりと営業している店だ。通学路からは少しそれていて、部活帰りにはもう閉まっているという商売っ気のない店だけど、だからこそなのか九重生に人気がある。

「いいねぇ。俺たちも寄ってく? 景?」
「行く! 俺、つぶあん」

いちごが「景ちゃん、変わんないね」と顔をしかめたものの、来るなと言わないということは一緒に行ってもいいらしい。さらにしぃちゃんも階段を下りながら笑いかけてくれて、帰り道が数倍楽しくなる予感に胸が膨らむ。

階段を吹き抜ける風に、しぃちゃんたちのセーラー服の白いスカーフが揺れる。入学当初は窮屈に感じた俺たちの昔ながらの学生服は、今ではすっかり体にも心にも馴染み、安心感さえ漂う。

校舎と自分たちの声と制服。そして仲間。ときどきふと、その中にいることの幸運を思う。するとすぐに、それが期間限定であることの一抹の淋しさや惜別、焦りのような感情が湧いてくる。俺たちはこれからどこに向かうのだろう……と。

「ねぇ、さっき、何が見えないって言ってたの?」

玄関で靴を履き替えながらいちごが尋ねた。

礼央が何も言わずに俺を見る。いくら俺といちごが幼馴染みでも、俺のプライドを尊重しようとしてくれる、こういう心遣いも礼央のいいところだ。

「ああ……、女子には俺が見えないって話」

まあ、いちごに隠すほどの話ではない。小学校からずっと同じ学校なのだから、俺がモテないことは承知しているはずだ。いちごと親しいしぃちゃんにも、隠してもしょうがない。

「何それ? なんで? 景ちゃん、でっかくて目立つんだから、見えないわけないじゃん。あ、でっかすぎて見えないってこと?」
「はは、そういう意味じゃなくて……、そうだな、眼中にないってやつ?」
「眼中にない? 誰にそんなこと言われたの?」

いちごが眉をひそめた。笑ってからかわれると思っていたのに、そんな反応をされると戸惑いが生じてしまう。

「べつに言われてないけど……、なんか、俺、邪魔みたいだから」
「邪魔って――」
「まあ、仕方ないじゃん? 特にいいところがあるわけじゃないし、話しても面白くないしね。あ、俺、べつに悔しいとか、恨んでるとか、ないから。負け惜しみじゃなく本気で」
「景ちゃん……」

いちごの顔に浮かんでいるのは驚き……だろうか。俺が予想していた“憐れむような顔”とは違う……と思う。何故?

「面白い話なんか、誰も景ちゃんに求めてないよ」
「だよな? だから――」
「景ちゃんに求めてるのはやさしさだよ」
「……え?」

よく分からない。誰が俺に求めるのだ。

「景ちゃんは女子に人気あったよ、やさしいって。中学のとき、あたし、しょっちゅう訊かれたもん、『付き合ってるの?』って」
「ただ確認しただけだろ、ウワサにしたいから」
「違うって! 景ちゃんのこと好きな子、けっこういたんだよ。どうして邪魔にされてるなんて思ってるのか分かんないよ」
「えーーーー?」

どんなに力説されても信じられない。

「勘違いじゃないって。俺、話しかけたらにらまれたんだから。それに、いちごだって俺にいいところなんてないって知ってるだろ?」
「それは……いつもけなして悪かったけど、それは幼馴染みだからでしょ? 景ちゃんだって、あたしのこと褒めないでしょ?」
「ああ、それはそうだな」

言われてみれば、そこは仕方ないか。

「ねえ、景ちゃんをにらんだって、誰?」
「誰って……女子の集団」
「集団?」
「その中のひとりに用事があって話しかけようとしたら、周りの女子が振り向いて、こう“キッ”と……。それ以来、女子には話しかけないようにした。特に集団には絶対に近付かない」
「あはは、トラウマになっちゃったんだね、景」

礼央が隣で笑った。でも、男ならこの恐怖は分かるはずだ。どんなに人気者でも。

「それ、いつの話?」

いちごはまだあきらめないようだ。

「めっちゃ覚えてるよ! 中2の夏休みのあと。あのときの景色、今でも忘れない。ほんと怖かった」
「中2ね。あたし、隣のクラスだったけど……、それ、アイカたちじゃない? 砂熊アイカ。あと鮭川アリスとか鶴野アミ……」
「お~! そうそう、そこ!」
「ああ……、それさあ、ヤキモチだよ」
「はあ?」

なんで俺がヤキモチでにらまれなきゃならないのだ。

「景ちゃんが話しかけたのはアイカたちじゃない誰かでしょう?」
「そう。同じ班の――」
「だから悔しかったんだよ。どうして自分たちに話しかけてくれないのかって」
「だって用事無いもん」
「アイカたちは景ちゃんのことがずっと気になってたんだよ。あたし知ってるもん。仲良くなりたいのに、景ちゃんが気付かないって相談されたんだから」

そんなこと言われても、俺はもともと女子と気軽にふざけ合ったりする性格ではない。しかもにらまれた相手となんか、仲良くなれないに決まってるじゃないか。

まだ信じられない俺にいちごがため息をついた。

「景ちゃんはやさしいってみんな言ってたよ。それに背が高い、運動神経がいい、成績がいい。これだけあれば人気出ると思うよ?」
「背が高いのはたまたまだろ? スポーツは運動部なら普通だし、成績だって諒に比べたら――」
「そこは間違ってる! 諒ちゃんと比べてどうする! 諒ちゃんは特別なんだから!」

そりゃそうだけど。

「景ちゃんは受験のとき、九重高校で反対されなかったでしょ? あたしなんか、先生にも親にもどれほど『考え直せ』って言われたか」
「そうなのか? でも、頭いいヤツなんか一定数いるし、顔も平凡だしなあ……」

礼央が隣でくすくす笑ってる。

いちごに何を言われても、俺が女子に人気があるなんて信じられない。そんな実感も一度もなかった。

「景にはね、女子が近寄り難い雰囲気があると思うな」

礼央が明るく言った。

「俺みたいにへらへらしてなくて、一本芯が通った感じで。この前、しぃちゃんが言ってたように、真面目。だから軽々しく声をかけられない」

もしかすると、俺は普段、仏頂面をしているのだろうか。

「だけど、俺を遊びに誘う女の子たちのうち何人かは景がお目当てだったと思うよ」
「そんなわけないだろ? 礼央まで何言ってんだよ」
「あはは、でも、いちごちゃんのお陰で、景にも話しかけて大丈夫って思ったんじゃないかな。みんな『景ちゃん』って呼ぶとき楽しそうだよ」

女子からの圧が強くなったような気がするのは確かだ。

「俺自身は何も変わらないのに」
「景の良さに女子が気付いたんだよ。でも」
「ぐぇっ」

礼央のハグが来た! 予想していなかったところに!

「一番に気付いたのは俺だもんねー」
「わ…かった、礼央、感謝してる、でも苦しい……」

いちごと一緒にしぃちゃんが笑ってる。それを見たら、彼女に訊いてみたいことが――。

「ねえ? 紫蘭が彼氏になるひとに求めるのは何?」

――それだ!

しぃちゃんに尋ねたいちごが、ちらりと俺を見た。面白がっているのがありありと分かる。けど、俺が知りたかったのはまさにそれなのだ!

「え? 求めるもの? そうだなあ……」

何て答えるのだろう? 俺でも大丈夫なものだといいけれど。今、「やさしさ」って言ってくれたら……。

「清潔感かな」
「清潔感って、紫蘭!」

いちごが笑い出した。俺はなんだか力が抜けた。

「それ、基本中の基本でしょ? 当てはまらないひとって、相当ヤバいひとだけじゃん」

俺もそう思う。でも、しぃちゃんは「そんなことないと思うけどなあ」と真面目な顔。

「じゃあさ、紫蘭の“当てはまらないひと”ってどんな?」

そこだ! 今日のいちごは冴えてるぞ!

「うーん、例えば……『俺ってモテるんだぜ』的なひととか、妙にセクシーな雰囲気出してるひととか、やたらと女の子扱いしてくるひととか? なんか気持ち悪い」
「ああ、そういう感じね。あたしもヤだなあ」
「でしょ?」

うん、それなら俺にも分かる。俺から見ても“やりすぎ”だと思うヤツは確かにいる。

「そうか……」

いちごがうなずいた。

「つまり、紫蘭が言う清潔感って、さわやかさって感じだね」
「ああ、確かにそうね。うん、さわやかなひと。いいね」
「だよねー」

いちごが俺を見てにやにやした。でも……。

俺は“さわやか”に該当しているのか?

いちごのにやにや顔を見てもまったく分からない。俺としては“やりすぎ”には入っていないとは思うけれど……。

考えれば考えるほど、すべてが不確かになっていく。こんなことなら、何も聞かない方がよかったかも知れない。