昼休みに図書委員の仕事をするために、弁当を大急ぎで食べた。そんな俺の姿を、礼央は自分の席から見て笑っていた。

弁当箱を片付けて立ち上がると、まだ5分しか経っていない。椅子を後ろに向けていちごと向かい合って食べていた大鷹が、立ち上がった俺を見て目を丸くした。

「図書館開いてるかな?」

大鷹に尋ねると、彼女は食べているものを急いで飲み込もうと慌てた。いちごはわざとらしく大きなため息をついている。

「雪見さんがいるから開いてるけど、開館まであと10分くらいあるよ? あたし、もう少し――」
「あ、急がなくていいよ。俺、開館前に中を少し見ておこうと思って」
「そうなの……?」

朝、大鷹に当番のことを言われてしばらくしてから気付いた。俺はこの学校の図書館のことをほとんど知らないって。

授業や課題で図書館は利用している。でも、いつも必要最低限で、目的のもの以外はまったく見てこなかった。どの場所にどんな本があるのかくらいは知っておかないと図書委員として恥ずかしい気がするし、大鷹に申し訳ない。

「じゃあ、とりあえず、分からないことは雪見さんに訊いてみて。あたしも急ぐから」
「いいよ、いつもどおりで。じゃ、あとで」

廊下はまだひと気が無い。階段を下りながら、雪見さんと話ができるのは楽しみだ、と思った。

きのうは俺が困っていることを分かってくれて、それだけでもすごくほっとした。あんなふうに相談に乗ってもらえるのだから、図書委員が頼りにしているというのもうなずける。

図書館に着くと、雪見さんが「早いね」と少し驚きながら迎えてくれた。黒いエプロンをかけた雪見さんは、今日も穏やかな微笑みを浮かべている。

この学校の図書館は中学に比べてだいぶ広い。南北に長い部屋の北側三分の一くらいが机の並んだ学習・閲覧スペースで、南側が書架スペースとなっている。カウンターはその境目あたりの廊下側にあり、館内を一望できる。カウンターのちょうど向かいの窓際が雑誌コーナーになっていて、そばに配置されたカラフルなスツールが明るい雰囲気を醸しだしている。

図書委員を初めて務める俺に、雪見さんは図書館システムの操作方法や館内の案内図など、基本的な仕事を簡単に説明してくれた。

「昼休みは80人くらい来るかな。まだこの時期はどの教科もレポート課題が出ていないから、それほど混まないと思うよ」
「80人?! めっちゃ忙しくないですか?」

昼休みは20分ほどだ。80人をさばくとなると……。

「ああ、全員がカウンターに用事があるわけじゃないから大丈夫」

思わず固まった俺に雪見さんが笑って言った。

「返却本は箱に入れてもらうし、勉強とか閲覧だけとか単なる時間つぶしとか、カウンターに寄らないひともいるからね」
「そうなんですか」
「もしも並んじゃっても、落ち着いてやってくれればいいよ。早くやることよりも、正しく処理することが大事なんだ」

確かにそのとおりだ。返したのに処理漏れだったり、別人に貸し出し登録してしまったら大変だ。

混雑の不安と「正しく」のプレッシャーを感じているところに大鷹が到着した。雪見さんは大鷹に「やる気のある相棒でよかったね」と言い、大鷹は「はい」と微笑んだ。雪見さんの目には俺がやる気がある図書委員として映ったらしい。

「鵜之崎くんは貸し出しと返却をお願いね。バーコードリーダーは使ったことあるんでしょう?」

大鷹が茶目っ気のある視線を俺に向ける。俺の小学校時代の話を覚えていてくれたのだ。それに無言でうなずいて、バーコードリーダーを手に取った。俺の緊張を感じ取ったらしい彼女はくすっと笑った。

それからすぐ、来館者が次々とやってきた。

返却箱には俺がバーコードを読み込むよりも早いペースで本が積み重ねられた。焦る俺に大鷹は「急がなくて平気」と言い、読み取りやすいように本を並べたり、一緒にパソコン画面を確認してくれたりした。貸し出しも何件かやり、俺が少し慣れたころを見計らって、彼女は返却本を棚に戻しに行った。

並んでしまった貸し出し希望者をどうにかさばいている途中で、さっきは館内を見回っていた雪見さんがカウンターのそばにいることに気付いた。やってくる生徒ににこやかに「こんにちは」と声をかけている。

――そうか。

雪見さんも俺のフォローをするために控えてくれているんだ。

そう気付いたら、すうっと肩の力が抜けた。視線が上滑りしがちだったパソコン画面もしっかり見られるようになった。

返却箱の本のバーコードを読み取って後ろの箱へ。借りたい人の名前を確認し、本のバーコードを読み取り、返却期限を書いたしおりを渡す。まだスムーズとは言えないけれど、一つの仕事をこなすたび、気持ちがどんどん落ち着いてくる。

「雪見さーん。新しいアニメワールドは入ったー?」

女子生徒の元気な声。雪見さんと言葉を交わし、友だちといそいそと雑誌コーナーへ進んで行く。作業の合間に顔を上げると、雑誌コーナーの前の椅子は運動部系からお洒落系まで、さまざまなタイプの生徒がのんびりと本を開いている。学習・閲覧席は半分くらい埋まっていた。雪見さんの話のとおり、カウンターに用のない利用者もかなりいるようだ。

「大丈夫みたいだね」

戻って来た大鷹が一声かけて、また新たな返却本をカゴに入れて戻しに行く。雪見さんが一人の生徒を連れてきて「検索お願いします」と言った。

「はい」

さっき教わった検索画面への移行、検索ワードの入力。目的の本を見つけ、ラベル番号と書架の位置を伝える。ほっとして生徒を見送る俺に、雪見さんが笑顔でうなずいてくれた。

「終了5分前でーす。本を借りたいひとは貸し出しの手続きをお願いしまーす」

大鷹の声がした。それを合図に座っていた生徒たちが動き出す。本を手に小走りにやってくる生徒が数人いるけれど、もう焦らずにいられる。

最後の貸し出しをしているあいだに大鷹が日誌をつける。入り口のあたりを確認していた雪見さんが来館者数は85人だと言った。人数をカウントする装置があるのだ。

「お疲れさま」

笑顔の雪見さんに見送られ、今日の仕事は終了。大鷹もにっこり笑いかけてくれて、充実感がこみあげてきた。

「やる気のある相棒って言ってたね」

階段を上りながら彼女が言った。

「まだ一件ずつは時間がかかっちゃうけどね」

認めてもらえたのは嬉しいけれど、まだ一人前とは言えない。

「それでも一人でカウンターできたじゃない? 行列もそこそこさばけてたし。お陰で返却本の棚戻しができたから、終了後もこうやって早く帰れたもんね。鵜之崎くんは優秀だよ」
「はは、そんなに複雑な仕事じゃないから」

たぶん、分からなかったり来館者が多かったりすれば、雪見さんが手伝ってくれるのだろう。でも、とりあえず今日は何事もなく終わってほっとした。

「真面目な鵜之崎くんが相棒でよかったな」

隣から満足げな表情が俺を見上げる。

「……そう? じゃあ、これからも失望させないように頑張らないと」

ふざけ気味に返してみたけれど、胸の中がくすぐったい。

「そう言えば、あたし、ちょっと考えたんだけど」
「なに?」
「先生のおすすめ本の記事なんだけどね」

彼女の瞳がきらめく。

「『先生のおすすめ本を読んでみた』っていうコーナーにしたらどうかな? 鵜之崎くん、せっかく読んでるんだから、自分の感想を書いてみたら?」
「だめ。それはやだ」

反射的に答えた。いくら頑張ると言っても、俺の感想文を公開するなんて絶対嫌だ! 短くても、だ。

大鷹が「即答だね!」と言って笑った。提案を拒否したことに気を悪くした様子がなくて良かった。俺があまりにもきっぱり断ったことがずいぶん面白かったらしい。そういうところは一緒にいて気が楽だ。

でも、どんなに頼まれても、自分の気持ちを文章にするなんてほんとうに無理だから!