ふと、目に付いたのは、空き地の桜だった。
 まさかとは思う。
 だが、疑う半面で、香りはそこから流れてきたのだという確信を抱いた。

「まだまだ丑三つ時じゃねえだろ……」

 そうぼやきつつ、つい先ほど、心の中で少女の幽霊に対し、『出て来い』と煽ったのは事実だ。
 もしかしたら、少女の幽霊は遥人の心の声を聴き取り、怒り心頭で時間外に現れてしまったのかもしれない。

 幽霊なんてちっとも怖くない。
 そう思っていたはずなのに、いざとなると、全身にゾクリと悪寒が走る。

 このまま逃げたい。
 しかし、気持ちとは裏腹に、遥人の足は桜へと向かっている。まるで、見えない糸で手繰り寄せられるように――

(の、呪いたきゃ呪え!)

 半ばヤケクソになって心の中で吐き捨てると、桜の幹から人影がゆらりと姿を現した。

 ようやく立ち止まることが出来た遥人は、ゴクリと音を立てて唾を飲み込んだ。

 桜に寄り添うように立っていたのは、着物姿の十五、六ほどの少女。
 闇に同化してしまいそうな漆黒の髪は地面に届く辺りまで惜しげもなく流し、雪のように透き通る白い顔の中には、つぶらな双眸とほんのりと紅い唇が添えられている。

 〈美人〉というよりは、〈可憐〉といった表現の方が、目の前の少女にはしっくりくる。
 しかし、あどけなさを感じさせる一方で、グッと惹き付ける妖艶さも兼ね備えている。

(これが……、噂の幽霊……?)

 不思議と、恐怖心は消えていた。
 代わりに、遥人は呆然として、しばしの間、少女を凝視する。

 少女もまた、黙って遥人を見つめ返していた。
 長い睫毛を時折瞬かせ、しかし、すぐに思い立ったようにゆっくりと遥人に近付くと、白い手をそっと伸ばす。

 遥人の頬に、ひんやりとした感触が伝わってくる。
 相手は幽霊だから肉体は持っていないと思っていたのに、少女は確かに、遥人に触れてきた。

「ああ……」

 少女から、微かな吐息が漏れた。

 遥人はなおもそのまま立ち尽くす。
 すると、少女はもう片方の手も伸ばし、遥人の顔を挟み込んだ。