遥人(はると)の職場から徒歩五分弱の所に空き地がある。
 その片隅には樹齢数百年とも言われる一本の桜の木がひっそりと存在する。

 ただ、その場所は何かと曰く付きで、桜の咲く時季になると、毎晩のように少女の幽霊が出るらしい。
 もちろん、そんなのはただの噂で、怖い話で盛り上がるのが好きな女性社員達が、勝手に騒いで楽しんでいるだけだと、遥人はいつも思っていた。

 とはいえ、あの場所が他とは違う、独特な雰囲気を醸し出しているのは確かだ。
 しかし、恐怖はそれほど感じない。
 そもそも遥人は、霊などという存在とは無縁に二十年以上過ごしてきたのだ。

(出るなら出て来いっつうの)

 不謹慎極まりないことを心の中で呟きつつ、遥人は空き地の前を通る。

 現在、午後七時を回ったばかり。
 ほんのりと暗くなりつつある。

 かしましい職場の女達の噂によれば、少女の幽霊が現れるのは深夜。
 まさに、〈草木も眠る丑三つ時〉らしい。
 だが、その丑三つ時までには時間がある。
 それに、夜はまだ肌寒さを感じる春先、少女の幽霊を見るためにこんな所で待ち続けるのも非常に馬鹿らしい。

「ビール買ってとっとと帰るぞー、っと」

 遥人はひとりごち、そのまま空き地を通り過ぎようとした。

 と、その時だった。

 フワリ、と風に乗って良い香りが鼻を掠めていった。

 遥人は足を止めた。
 怪訝に思い、辺りを見回してみたが、遥人以外には人の気配が全くない。

「気のせいか……」

 遥人は自分に言い聞かせ、再び足を踏み出そうとした。
 しかし、まるで遥人を引き止めるかのように、香りはいつまでも離れずに纏わり付いてくる。

(何なんだいったい……?)

 遥人は眉根を寄せ、匂いの元を探る。